The Lone Hero ~The Age of Iron and Blood~

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第二編 第一章 レジナルドの鉄腕

第17話:偽りの招待状とアンリ公の決断

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かつてヴァロワ家と連携し、レジナルドの暴政に密かな不満を抱いていた他の有力貴族たちは、マルコム卿の悲劇的な末路を目の当たりにし、次々とアンリ公爵から距離を置き始めた。

 彼らは、自らの家名と財産を守るために、レジナルドの圧倒的な権勢の前に膝を屈し、ヴァロワ家を見捨てることを選んだのだ。それは、保身のための賢明な判断だったのかもしれない。だが、それは同時に、アキテーヌの騎士道精神と、貴族としての誇りが、完全に地に堕ちたことを意味していた。

「おのれ…臆病者どもめ…!」

 ヴァロワ家の書斎で、アンリ公爵は、かつての盟友たちからの、絶縁を告げるかのような冷淡な書簡の山を前に、苦々しげに吐き捨てた。その声には、怒りよりもむしろ、深い失望と、どうしようもない孤独感が滲んでいた。

「あれほどヴァロワへの忠誠を誓い、レジナルド打倒を共に画策していた者たちが、あの男の脅しに、こうもあっさりと尻尾を巻くとは…! アキテーヌの貴族も、地に落ちたものよ!」

 ヴァロワ家の壮麗な屋敷には、もはやアンリ公に心からの忠誠を誓う者はごく僅かしか残っておらず、彼は日に日に深まる孤独と、迫りくる破滅への焦燥感に苛まれていた。

 娘のイザボーは、そんな父の姿を、胸を痛めながら見守り、必死に支えようとしていた。だが、彼女の慰めの言葉も、この絶望的な状況の前では、あまりにも無力だった。ヴァロワ家は、巨大な蜘蛛の巣に絡め取られた蝶のように、もはや逃れる術もなく、静かにその最期の時を待つしかないかのように見えた。

 *

 摂政レジナルド公爵は、ヴァロワ家を完全に潰すための、最後の仕上げとして、巧妙にして残忍な罠を仕掛けることを決断した。彼は、もはやアンリ・ド・ヴァロワが、追い詰められた鼠のように、どんな僅かな希望にも飛びつこうとすることを、冷徹に見抜いていた。

 数日後、ヴァロワ家の屋敷に、国王ギヨームの名において、一通の丁重な招待状が届けられた。それは、金糸で縁取られた上質な羊皮紙に、流麗な筆致で書かれた、見るからに格式高いものだった。

 使者として訪れた王宮の文官は、アンリ公爵の前で深々と頭を下げ、こう述べた。

「アンリ・ド・ヴァロワ公爵閣下。国王ギヨーム陛下には、近頃の国内の不穏な情勢、特にヴァロワ家と摂政レジナルド公爵閣下との間に生じておりまする、遺憾なる確執を、深くご憂慮あそばされておられます。つきましては、陛下には、これまでの両家の行き違いを水に流し、アキテーヌの融和と輝かしい未来のために、王宮にて和解の祝宴を催し、アンリ公爵閣下を主賓としてお招きしたいとのご意向にございます。どうか、陛下のこの切なるお気持ちをお汲み取りいただき、祝宴にご臨席賜りますよう、伏してお願い申し上げます」

 しかし、レジナルドの執務室では、その招待状が作成される数日前、このような会話が交わされていた。

「アンリは、もはや袋の鼠よ」

 レジナルドは、ギルバート男爵に向かい、冷たい笑みを浮かべて言った。

「この『和解の祝宴』という名の餌を目の前にぶら下げれば、あの老いぼれは、たとえそれが罠だと感づいていたとしても、一縷の望みを託して、必ずや王宮へやって来るだろう。そして、その祝宴こそが、奴の、そしてヴァロワ家の、最後の宴となるのだ。手筈は良いな、ギルバート? あの男を、生きて王宮の門から出すでないぞ」

 ギルバート男爵は、主人のその言葉に頷いた。

「はっ、全て滞りなく。祝宴の席には、公爵閣下直属の黒狼兵団の精鋭を、それと分からぬように配置いたします。アンリ公が生きて王宮の門を出ることは、決してございませぬ。彼の死は、『祝宴の席での突然の病死』、あるいは『長年の心労による不幸な事故』として、手際よく処理いたしましょう」

 *

 偽りの招待状を受け取ったアンリ公爵の書斎。窓の外では、冷たい秋の雨が、ヴァロワ家の運命を嘆くかのように、静かに降り続いていた。

 イザボーは、父の前に進み出て、その手に握られた招待状を、震える指で指し示した。彼女の瞳には、切迫した光が宿っている。

「父上、これは罠です! 間違いありません! レジナルドが、そのような殊勝な申し出をするはずがありませんわ! あの男が考えているのは、父上を王宮におびき出し、マルコム卿と同じように、あるいはもっと惨たらしいやり方で、父上の命を奪うことに違いありません! どうか、お考え直しください! 今、王宮へ行けば、父上は…父上は、二度とこのヴァロワの屋敷へは戻っては来れません!」

 イザボーの声は、悲痛な叫びにも似ていた。

 しかし、アンリ公爵は、娘のその必死の訴えにも、静かに首を横に振った。その顔には、もはや怒りも絶望の色もなく、むしろ全てを覚悟した者の、静かで、そしてどこか澄み切ったような光が宿っていた。

「イザボー、お前の言うことは、痛いほど分かっておる。これは、十中八九、いや、百人が百人、あのレジナルドという男が仕掛けた、卑劣な罠だと言うだろう。じゃが…」

 アンリ公は、窓の外の雨を見つめながら、静かに言葉を続けた。

「じゃが、イザボーよ、このままヴァロワの屋敷に籠っていても、我らに未来はないのだ。レジナルドは、いずれ必ず、もっと露骨なやり方で我らを攻め滅ぼすだろう。そうなれば、ヴァロワの名は、ただ無様に蹂躙され、歴史から消え去るだけだ。それは、断じて許されぬ」

 彼の声には、ヴァロワ家当主としての、揺るぎない誇りが込められていた。

「ならば、逃げも隠れもせず、堂々とあの男の前に立ち、ヴァロワ家の誇りと、アキテーヌの正義を、この老いた身の最後の最後まで訴え続ける。それが、このアンリ・ド・ヴァロワにできる、唯一の、そして最後の戦いだ。たとえ、それが死出の旅路となろうともな…。そして、もし、万が一にも、ギヨーム陛下が、ほんの僅かでも王としての良心を取り戻し、あの男の暴虐を止める奇跡が起こるならば…それに賭けてみる価値はあるやもしれん」

 アンリ公のその言葉は、悲壮で、そしてあまりにも気高いものだった。イザボーは、父のその決意の前に、もはや何も言うことができず、ただ溢れ出る涙を堪えることしかできなかった。

 *

 その頃、国王ギヨームの私室では、レジナルド公爵が、アンリ公爵を招いての「和解の祝宴」を催すという計画を、得意満面に報告していた。ギヨーム王は、その計画の背後にある、レジナルドの真の目的――アンリ公の抹殺――を即座に察し、恐怖と罪悪感で全身を震わせた。

「レジナルド…そなたは…そなたは、アンリ公を…あの、アキテーヌに長年尽くしてきた忠義の士を、殺すつもりなのか…!? やめてくれ…頼むから、もう、これ以上の血を流すのは、やめてはくれぬか…! アキテーヌは、もう血に飢えてはおらぬはずだ…!」

 ギヨーム王の声は、涙で潤み、懇願に満ちていた。彼の心に残された、ほんの僅かな良心が、最後の抵抗を試みているかのようだった。

「陛下、何をそのような、弱々しいことを仰せられますか。これは、アキテーヌの輝かしい未来のための、必要な『清掃』でございますぞ。ヴァロワのような、時代遅れの古い膿を出し切らねば、この国に真の安定と繁栄は訪れませぬ。陛下は、ただ玉座に座り、全てが恙無く終わるのを、静かに見届けてくださればよいのです。それが、陛下のお役目なのですからな」

 その言葉は、有無を言わせぬ、絶対的な権力者の傲慢さに満ちていた。

 ギヨームは、自らの無力さに再び絶望し、ただ崩れ落ちるように椅子に座り込み、子供のように声を上げて泣きじゃくることしかできなかった。

 *

 アンリ・ド・ヴァロワ公爵は、旅立ちの準備を終えると、娘のイザボーを自らの書斎に呼び寄せた。

 彼は、震える手で、ヴァロワ家に代々伝わる、獅子の紋章が刻まれた古い指輪をイザボーの指にはめながら、静かに、しかし力強い声で語りかけた。

「イザボー、我が最愛の娘よ。ヴァロワ家の未来を、お前に託す。このアンリは、おそらく生きてこの屋敷に戻ることはないだろう。だが、決して悲しんではならぬ。お前は、ヴァロワの血を引く誇り高き女だ。生き延びて、必ずや、いつかこの無念を晴らし、ヴァロワの名を、再びアキテーヌに轟かせてくれ。それが、この父からの、最後の願いだ」

 イザボーは、父のその言葉を、涙を堪え、唇を噛み締めながら聞いていた。

「父上…必ず…必ずや、このイザボーが…!」

 彼女は、それ以上言葉を続けることができなかった。

 アンリ公爵は、そんな娘の頭を優しく撫でると、死を覚悟した者の静かな足取りで、レジナルドの仕掛けた偽りの祝宴へと、ただ一人の供も連れず、向かった。

 イザボーは、父のその悲壮な後ろ姿を、窓辺から、涙で見送ることしかできなかった。

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