The Lone Hero ~The Age of Iron and Blood~

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第二編 第一章 レジナルドの鉄腕

第19話:ヴァロワ家再興への道

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 ヴァロワ家の壮麗な屋敷は、その主、アンリ・ド・ヴァロワ公爵の無残な死によって、深い悲しみと絶望の闇に包まれていた。かつてはアキテーヌ随一の名門として、王都ボルドーの社交界に華やかな光を放っていたその館も、今や訪れる者もなく、まるで巨大な墓標のように、静まり返っていた。

 アンリ公爵の亡骸は、僅かに残った忠実な家臣たちによって、ヴァロワ家の私的な礼拝堂に静かに安置されていた。その傍らで、娘のイザボー・エレオノール・ド・ヴァロワは、黒い喪服に身を包み、ただ一人、涙を流し続けていた。溢れ出る涙は、まるで尽きることのない泉のように、彼女の白い頬を濡らし続けた。

 (父上…なぜ…なぜ、このようなことに…)

 イザボーの心は、深い悲しみと、そしてやり場のない怒りで引き裂かれそうだった。

 (あなたの正義は、あなたの高潔な魂は、あのレジナルドという男の前では、あまりにも無力だったというのですか…! アキテーヌの神々は、もはやこの地に正義など存在しないと、お見捨てになられたのですか…!)

 彼女の心は、絶望の淵へと突き落とされ、一時は全てを諦めてしまいそうになった。

 しかし、その深い悲しみと絶望の中から、やがて、一つの強い感情が、闇の中から立ち昇る炎のように、彼女の心に芽生え始めていた。それは、父を無残に殺害し、ヴァロワ家をここまで追い詰めた摂政レジナルド・ド・ヴァランスへの、燃えるような憎悪。そして、このままでは終わらせない、必ずやヴァロワ家を再興し、父の無念を晴らすのだという、鋼のような強い意志だった。

 イザボーは、ゆっくりと顔を上げ、父の無念さを滲ませた亡骸を見つめた。

「…父上、安らかにお眠りくださいませ。このイザボーが、必ずや、あなたのその無念を晴らし、ヴァロワ家の名を、再びこのアキテーヌに、いえ、このユーロディア大陸全土に轟かせてご覧にいれます。たとえ、この身がどうなろうとも…! このイザボー、ヴァロワの血に誓って、必ずや…!」

 彼女は、父の冷たくなった手を固く握り締め、そう心の中で、いや、魂の奥底から固く誓ったのだった。その瞳にはもはや涙はなく、ただ静かで恐ろしいほどの決意の光が宿っていた。

 *

 摂政レジナルド公爵は、アンリ・ド・ヴァロワ公爵の死後も、ヴァロワ家への圧力を一切緩めようとはしなかった。むしろ、その手をさらに強め、ヴァロワ家を完全に息の根を止めるための、次なる一手を進めていた。

 彼は、腹心のギルバート男爵に命じ、ヴァロワ家の残された財産を、「アンリ公の反逆罪に対する追徴課税」という名目で、ことごとく差し押さえさせた。そして、ヴァロワ家にまだ残っていた僅かな家臣たちに対しても、脅迫や買収を行い、次々と離反させ、イザボーを完全に孤立無援の状態に追い込もうと画策した。

「アンリは死んだが、ヴァロワの血はまだ残っておる」

 レジナルドは、執務室でギルバート男爵からの報告を聞きながら、冷ややかに言った。

「特に、あの娘、イザボー…あの娘は、ただの飾りではない。あのアンリの娘だ。油断すれば、いずれ我らの喉元に、思いもよらぬ形で牙を剥くやもしれん。今のうちに、完全に無力化しておく必要がある。いっそのこと、適当な田舎貴族にでも嫁がせて、王都から追放してしまうのが賢明やもしれんな」

 その言葉には、イザボーという存在に対する、僅かな警戒心と、そして女子供に対する侮蔑の色が滲んでいた。

 *

 イザボーは、レジナルドによる執拗な圧力を、その肌で感じながらも、決して屈する様子は見せなかった。父の葬儀を終えた彼女は、悲しみを胸の奥深くにしまい込み、まるで別人のように冷静に、今のヴァロワ家が置かれている絶望的な状況を分析し、反撃の機会を虎視眈々と窺っていた。

 (レジナルドは、私をただの無力な、悲しみにくれる小娘だと思っている…それが、今の私にとって、最大の好機だわ)



 イザボーは、自室の鏡に映る自分の姿を見つめながら、そう確信していた。

 (あの男の油断を突き、その懐に潜り込み、内側から毒のように、ゆっくりと確実に切り崩していく…そのためには、まず、あの男に私を『利用価値のある駒』だと思わせなければならない。悲劇のヒロインを演じ、彼の同情を買い、そして彼の警戒心を解くのよ…)

 彼女は、自らの美貌と知性、そして貴族社会の複雑な人間関係を武器として使うことを、固く決意した。それは、彼女にとって、あまりにも危険で、そして自らの魂を汚すことになるかもしれない、茨の道だった。だが、他にヴァロワ家を救う道はない。そして何よりも、父の無念を晴らすためには、これしかないのだと、彼女は悟っていた。

 *

 イザボーの最初の策略は、大胆かつ巧妙だった。

 彼女はまず、レジナルド派の中でも比較的若く、野心的で、そして何よりも女に弱いと評判の貴族、アルマン・ド・モンフォール卿に狙いを定めた。アルマン卿は、その家柄こそヴァロワ家には及ばないものの、レジナルド公爵に取り入ることで急速に頭角を現し、今では宮廷でも無視できない影響力を持つようになっていた。そして、彼は、派手な女性遍歴でも知られていた。

 父アンリ公の喪が明けると間もなく、アルマン卿が主催する盛大な夜会が王宮で催されるという情報を掴んだイザボーは、そこに姿を現すことを決意した。

 夜会当日。

 これまでの黒い喪服のような地味な装いとは打って変わって、イザボーは、その類稀なる美しさを最大限に引き立てるような、大胆且つ、気品を漂わせる、深紫色の華やかなシルクのドレスを纏って会場に現れた。その白い肌は蝋燭の光に妖しく輝き、その紫色の瞳は、まるで夜空に輝く星のように、見る者の心を捉えて離さない。

 その姿は、会場中の男たちの視線を、瞬く間に釘付けにした。悲劇に見舞われたヴァロワ家の美しい令嬢の、あまりにも魅惑的な再登場。それは、王都の社交界にとって、まさに衝撃的な出来事だった。

 イザボーは、そんな周囲の視線を意識しながらも、まるで何も気にしていないかのように、優雅な表情で、アルマン・ド・モンフォール卿の元へと歩み寄った。

「モンフォール卿、今宵の夜会、誠に素晴らしい趣向でございますわね。父亡き後、このような華やかな場に参りますのは、正直、心が痛む思いもございますが…いつまでも悲しみに暮れていては、父も浮かばれませぬものね」

 その声は、鈴を転がすように愛らしく、計算され尽くした媚態と、男心をくすぐるような、か弱さが巧みに織り交ぜられていた。

 アルマン卿は、目の前に現れたイザボーの、そのあまりの美しさと、その儚げな魅力に完全に心を奪われてしまった。彼は、まさかあの誇り高きヴァロワ家の令嬢が、これほどまでに優しく微笑みかけてくれるなどとは、夢にも思っていなかったのだ。

「イ、イザボー嬢…!こ、今宵は、よくぞお越しくださいました。アンリ公爵閣下のこと、
 誠に…誠にお悔やみ申し上げます。ですが、あなた様のおっしゃる通り、いつまでも悲しんでばかりもいられませぬ。これからのアキテーヌは、我々若い世代が、力を合わせて盛り立てていかねばなりませぬからな!」

 アルマン卿は、興奮のあまり、自分でも何を言っているのか分からなくなりながら、必死にイザボーに取り入ろうとした。イザボーは、そんなアルマン卿の浅薄さを見抜きながらも、その顔には天使のような無垢な笑みを浮かべて応じた。

「まあ、モンフォール卿…あなた様のような、若く、そして有能な方こそが、これからのアキテーヌを導いていくべきだと、亡き父も常々申しておりましたわ。摂政レジナルド公爵閣下も、きっとあなた様には、大きな期待を寄せておられることでしょう…私のような非力な娘ではございますが、もし、あなた様のお力になれることがございましたら、何なりとお申し付けくださいね」

 その言葉と、上目遣いの妖艶な視線は、アルマン卿の心を完全に虜にするには、十分すぎるほどの威力を持っていた。彼は、イザボーが、父を殺した張本人であるレジナルドに媚びを売ることで、ヴァロワ家の再興を図ろうとしているのだとは、その単純な頭では、夢にも思わなかったのである。彼はただ、この美しい花を、自分の手で手折ることができるかもしれないという、浅はかな欲望に胸をときめかせていた。

 *

 イザボーは、その夜、アルマン・ド・モンフォール卿を完全に手玉に取り、彼を自らの忠実な「騎士」へと変えることに成功した。彼女は、アルマン卿を通じて、レジナルド公爵の内部情報を少しずつ収集し始めた。それは、レジナルドの今後の計画、彼の弱点、そして彼に不満を抱いている他の貴族たちの名前など、ヴァロワ家再興と復讐のために不可欠な情報だった。

 彼女の最初の策略は、まるで熟練の狩人が獲物を追い詰めるように、静かに確実な成果を上げ始めているかのように見えた。

 しかし、その背後では、レジナルドの最も忠実な猟犬であるギルバート男爵が、イザボーのその不審な動きに、既に気づき始めていた。

「…あのヴァロワの小娘、何か企んでおるな…アンリの死後、あれほど気丈に振る舞うとは、少々出来すぎている。アルマンのような単純な男を手玉に取るくらいは、あの娘にとっては造作もないことだろうが…面白い。少し泳がせてみるのも一興か…いずれ、その首に縄をかけるのは、この私だということを、思い知らせてやらねばなるまい」

 ギルバート男爵は、闇の中で、冷たくそう呟いた。

 そして、ヴァロワ家の忠実な会計係だったはずのピエール・ド・ブロワは、ギルバート男爵から新たな指示を受け、ヴァロワ家の最大の経済的支柱である大商人ジャン=ピエール・マルシャンを「異端者」として聖教の手に引き渡すための、さらなる裏切り行為に手を染めようとしていた。罪の意識は、もはや彼の心からは完全に消え失せていた。
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