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第二編 第一章 レジナルドの鉄腕
第20話:獅子身中の虫の暗躍とアキテーヌの黄昏(第二編 第一章終話)
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アンリ・ド・ヴァロワ公爵の葬儀は、秋の冷たい雨が降りしきる中、ヴァロワ家の私的な礼拝堂で、まるで世界の終わりを告げるかのような重苦しい雰囲気の中で執り行われた。かつてはアキテーヌの栄華を象徴したヴァロワ家の、そのあまりにも寂しく、そして屈辱的な最後の儀式であった。
礼拝堂の内部は、薄暗い蝋燭の光だけが揺らめき、壁には黒い喪章が掛けられている。参列者は、ヴァロワ家に最後まで残った僅かな家臣と、そして皮肉にも、この悲劇の最大の演出者である摂政レジナルド公爵とその腹心たちだけだった。ギルバート男爵をはじめとするレジナルドの側近たちは、まるで獲物の亡骸を検分する狼のように、冷たい視線で会場を見回し、黒狼兵団の兵士たちが、弔問客を威圧するかのように、礼拝堂の入り口や窓際に物々しく配置されていた。
それは、葬儀というよりも、むしろヴァロワ家に対する無言の威嚇であり、レジナルドの絶対的な権力を誇示するための、悪趣味な見世物のようだった。
イザボーは、その中心で、黒いベルベットの簡素な喪服に身を包み、気丈に、父アンリ公爵の棺の前に静かに佇んでいた。彼女は、一筋の涙も見せようとはしなかった。いや、もはや流すべき涙さえも枯れ果ててしまったのかもしれない。ただ、その固く結ばれた唇と、微かに震える白い指先だけが、彼女の胸の内に渦巻く、言葉にできないほどの悲しみと、そして燃えるような怒りを物語っていた。
聖教の司祭による形式的な祈りの言葉が、虚しく礼拝堂に響き渡る。その言葉の一つ一つが、イザボーの心には、まるで鋭い棘のように突き刺さった。父は、敬虔な信者であり、アキテーヌの平和と民の幸福を誰よりも願っていた。その父が、なぜこのような無残な死を遂げなければならなかったのか。神は、本当に存在するのだろうか。もし存在するのなら、なぜこのような不正と暴虐を許されるのか。イザボーの心には、聖教への不信感さえも芽生え始めていた。
*
黒森の庵。エルミートは、カイルに剣の型だけでなく、精神を集中し、敵の気配を、そしてその殺気をも読むための厳しい訓練を施していた。
「真の剣士は、ただ剣を振るうだけではない、カイル。目に見えぬものをも感じ取り、心の目で敵の動きを、その魂の揺らぎさえも捉えるものじゃ。お前のその生まれ持った鋭敏な感受性は、正しく鍛え上げれば、何よりも強力な武器となるであろう」
カイルは、エルミートのその深遠な言葉の意味を、まだ完全には掴むことはできなかったが、遠い王都ボルドーでは、愛する父を理不尽に失った一人の若き貴婦人が、まさにその目に見えぬ敵の策略と、そして自らの心の奥底に潜む闇との間で、孤独で絶望的な戦いを強いられていた。
*
葬儀が終わり、参列者たちが一人、また一人と礼拝堂を後にしていく中、摂政レジナルド公爵が、芝居がかった弔問客のように、イザボーの前にゆっくりと姿を現した。その顔には、偽りの哀悼の表情が貼り付けられていたが、隠しきれない満足感と、そしてイザボーに対する値踏みするような、冷たい光が宿っていた。
「イザボー嬢、この度のご不幸、誠に…誠に、心よりお悔やみ申し上げる」
レジナルドの声は、ねっとりとして、その響きは蛇のように冷たかった。
「アンリ公は、些か頑固で、時流を読むのが苦手なところはあったが、アキテーヌにとっては惜しい人材を失ったものだ。陛下も、深くお悲しみであられる」
その言葉の一つ一つが、白々しい偽善に満ちており、イザボーの神経を逆撫でした。父を殺したのは、目の前にいるこの男なのだ。その男が、よくもまあ、このような芝居を打てるものだ。イザボーは、胸の内で燃え盛る激しい憎悪と、今すぐにでもこの男に掴みかかりたいという衝動を、必死に押し殺した。今はまだ、その時ではない。
彼女は、悲しみに打ちひしがれた、か弱く無力な娘を完璧に演じきった。その顔は蒼白く、瞳は涙で潤み、その声はか細く震えていた。
「レジナルド公爵閣下…お心のこもったお悔やみのお言葉、痛み入ります。亡き父も、きっと、公爵閣下のお優しさに感謝していることと存じますわ。これからは、まだ若輩で、そして何の力も持たぬ無力な娘ではございますが、ヴァロワ家が、このアキテーヌ王国と、そして何よりもギヨーム陛下と、公爵閣下のお役に立てるよう、誠心誠意、努めてまいる所存でございます…どうか、今後とも、お導きを賜りますよう、伏してお願い申し上げます」
イザボーは、そう言うと、レジナルドの前に深々と頭を下げた。その姿は、まるで嵐の前の静けさのように、不気味なほどの従順さを示していた。
レジナルドは、イザボーのそのあまりにも殊勝な態度に、内心では嘲笑しつつも、表向きは満足げな表情を浮かべた。
(ふん、父親が死んで、ようやく現実というものが、そして己の無力さが見えてきたようだな。所詮は女子供、この程度の脅しと、ほんの少しの優しさを見せれば、簡単に屈するわ…これでヴァロワも、完全に終わりか。あとは、この小娘を、どこぞの口うるさくない、扱いやすい貴族にでも嫁がせて、ヴァロワの残された財産を、完全に我が物とするだけよ)
レジナルドは、もはやイザボーのことなど、取るに足らない存在として、完全に侮りきっていた。
*
…参列者の中には、王都の大商人ジャン=ピエール・マルシャンの姿もあった。彼は、アンリ公とは長年の友誼を結び、ヴァロワ家の最大の経済的後ろ盾でもあった。マルシャンは、アンリ公の棺に静かに花を手向け、その顔には深い悲しみと、そしてレジナルド公爵への隠しきれない憤りの色が浮かんでいた。
彼は、イザボーの傍らに進み出ると、周囲の目を気にしながらも、低い声で弔いの言葉を述べ、そして『お嬢様…このマルシャン、微力ながら、今後もお力になれることがあれば…いつでもお声がけください。アンリ様へのご恩は、決して忘れませぬ』と、その瞳に固い決意を滲ませて囁いた。
イザボーは、その言葉に、僅かながらも勇気づけられる思いだった…
*
イザボーが、レジナルドの油断を誘うための、危険な演技を続けているその裏で、ヴァロワ家の会計係だったピエール・ド・ブロワは、ギルバート男爵から受けた最後の指示に基づき、ヴァロワ家にとって最後の、そして最も致命的な打撃となる行為を、密かに実行していた。
彼は、アンリ公爵の死によって混乱し、当主を失ったヴァロワ家の屋敷の警備が手薄になっている隙を突き、夜陰に紛れてアンリ公の書斎へと忍び込んだ。そして、そこに隠されていたヴァロワ家の金庫から、残されていた僅かな軍資金や、ヴァロワ家がアキテーヌ建国以来、代々受け継いできた重要な機密文書――それは、他の有力貴族との間に交わされた密約書や、ヴァロワ家の広大な領地の権利書、そして何よりも、レジナルドの過去の不正や弱みを記した、アンリ公個人の日記や記録など――を、根こそぎ盗み出したのだ。
「だ、男爵様…こ、これが、ヴァロワ家に残された、最後の財産と、機密書類の全てでございます…」
ピエールは、盗み出した金貨の袋と羊皮紙の束を、ギルバート男爵の隠れ家へと運び込み、震える手で差し出した。その顔は、恐怖で引きつっていたが、同時に、約束された報酬への卑しい期待も滲んでいた。
「こ、これで、私の借金は…そして、約束していただいた、新たな地位は…」
ギルバートは、その書類の束を満足げに手に取り、金貨の袋の重さを確かめながら、薄汚い笑みを浮かべた。
「見事だ、ピエール殿。実に手際が良い。これで、ヴァロワ家は完全に牙を抜かれたも同然。骨の髄までしゃぶり尽くしてやったというわけだ。あなたのこの大いなる功績は、必ずや摂政レジナルド公爵閣下にご報告し、相応の褒美が与えられるよう、この私が取り計らって差し上げよう。あなたは、もはやヴァロワの卑しい犬ではない。我らがレジナルド公爵閣下の、忠実なる、そして有能なる僕なのだからな」
ピエールは、その言葉に、媚びるような卑屈な笑みを浮かべていた。彼は、もはや人間としての魂を完全に売り渡し、ただの卑しい裏切り者へと成り下がってしまったのだ。
*
ヴァロワ家の屋敷。
イザボーは、がらんとした父の書斎で、壁に掛けられた父アンリ公爵の勇ましい肖像画の前で、一人静かに涙を流していた。それは、もはや悲しみの涙だけではなかった。それは、怒りの涙であり、屈辱の涙であり、そして何よりも、これから始まるであろう孤独で壮絶な戦いへの、血のように赤い決意の涙だった。
金も、家臣も、そして父さえも失った。だが、彼女にはまだ、ヴァロワ家の誇りと、そしてレジナルドへの消えることのない憎悪が残っていた。
(父上…あなたの愛したヴァロワは、今、まさに風前の灯火です。卑しい裏切り者によって、全てが奪われてしまいました。ですが、このイザボー、決して諦めはいたしません。あのレジナルドという悪魔に、そしてこの腐りきったアキテーヌの世に、必ずや一矢報いてご覧にいれます。たとえ、この身が紅蓮の炎に焼かれようとも…! ヴァロワの薔薇は、決して枯れはしない…むしろ、この血の雨の中で、さらに赤く、さらに美しく咲き誇ってご覧にいれますわ!)
彼女の美しい紫色の瞳には、もはや悲しみだけではなく、血のように赤く、そして夜の闇よりも深い、復讐の炎が妖しく燃え上がっていた。
*
レジナルド公爵は、ヴァロワ家を完全に無力化したと確信し、次なる標的である大商人ジャン=ピエール・マルシャンを「異端者」として社会的に抹殺し、その莫大な財産を収奪するため、聖教の異端審問官ドミニク・ギルフォードに、甘言を弄して接触を開始していた。
「ドミニク殿、あなた様のその聖なるお力を、今こそこのアキテーヌのためにお貸しいただきたい。この国には、神の教えに背き、禁断の知識を求め、民を惑わす不心得者が、まだ少なからず存在するようなのです…特に、あの強欲な大商人、ジャン=ピエール・マルシャンなどは、その筆頭であるとの噂も…」
レジナルドの冷酷非情な策略が、聖教の狂信と結びつき、アキテーヌに新たな、そしてさらに血生臭い恐怖の嵐を呼び込もうとしていた。
そして、イザボー・エレオノール・ド・ヴァロワは、レジナルド派の貴族アルマン・ド・モンフォール卿を巧みに籠絡し、彼を利用した最初の危険な反撃の準備を、静かに、しかし着実に進めていた。彼女の胸の奥には、父の最後の言葉と、そしてヴァロワ家の誇りが、熱く燃え続けていた。
アキテーヌの黄昏は、ますますその闇を深め、そして紅蓮の炎の匂いを漂わせ始めていた。
(第二編 第一章 終)
礼拝堂の内部は、薄暗い蝋燭の光だけが揺らめき、壁には黒い喪章が掛けられている。参列者は、ヴァロワ家に最後まで残った僅かな家臣と、そして皮肉にも、この悲劇の最大の演出者である摂政レジナルド公爵とその腹心たちだけだった。ギルバート男爵をはじめとするレジナルドの側近たちは、まるで獲物の亡骸を検分する狼のように、冷たい視線で会場を見回し、黒狼兵団の兵士たちが、弔問客を威圧するかのように、礼拝堂の入り口や窓際に物々しく配置されていた。
それは、葬儀というよりも、むしろヴァロワ家に対する無言の威嚇であり、レジナルドの絶対的な権力を誇示するための、悪趣味な見世物のようだった。
イザボーは、その中心で、黒いベルベットの簡素な喪服に身を包み、気丈に、父アンリ公爵の棺の前に静かに佇んでいた。彼女は、一筋の涙も見せようとはしなかった。いや、もはや流すべき涙さえも枯れ果ててしまったのかもしれない。ただ、その固く結ばれた唇と、微かに震える白い指先だけが、彼女の胸の内に渦巻く、言葉にできないほどの悲しみと、そして燃えるような怒りを物語っていた。
聖教の司祭による形式的な祈りの言葉が、虚しく礼拝堂に響き渡る。その言葉の一つ一つが、イザボーの心には、まるで鋭い棘のように突き刺さった。父は、敬虔な信者であり、アキテーヌの平和と民の幸福を誰よりも願っていた。その父が、なぜこのような無残な死を遂げなければならなかったのか。神は、本当に存在するのだろうか。もし存在するのなら、なぜこのような不正と暴虐を許されるのか。イザボーの心には、聖教への不信感さえも芽生え始めていた。
*
黒森の庵。エルミートは、カイルに剣の型だけでなく、精神を集中し、敵の気配を、そしてその殺気をも読むための厳しい訓練を施していた。
「真の剣士は、ただ剣を振るうだけではない、カイル。目に見えぬものをも感じ取り、心の目で敵の動きを、その魂の揺らぎさえも捉えるものじゃ。お前のその生まれ持った鋭敏な感受性は、正しく鍛え上げれば、何よりも強力な武器となるであろう」
カイルは、エルミートのその深遠な言葉の意味を、まだ完全には掴むことはできなかったが、遠い王都ボルドーでは、愛する父を理不尽に失った一人の若き貴婦人が、まさにその目に見えぬ敵の策略と、そして自らの心の奥底に潜む闇との間で、孤独で絶望的な戦いを強いられていた。
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葬儀が終わり、参列者たちが一人、また一人と礼拝堂を後にしていく中、摂政レジナルド公爵が、芝居がかった弔問客のように、イザボーの前にゆっくりと姿を現した。その顔には、偽りの哀悼の表情が貼り付けられていたが、隠しきれない満足感と、そしてイザボーに対する値踏みするような、冷たい光が宿っていた。
「イザボー嬢、この度のご不幸、誠に…誠に、心よりお悔やみ申し上げる」
レジナルドの声は、ねっとりとして、その響きは蛇のように冷たかった。
「アンリ公は、些か頑固で、時流を読むのが苦手なところはあったが、アキテーヌにとっては惜しい人材を失ったものだ。陛下も、深くお悲しみであられる」
その言葉の一つ一つが、白々しい偽善に満ちており、イザボーの神経を逆撫でした。父を殺したのは、目の前にいるこの男なのだ。その男が、よくもまあ、このような芝居を打てるものだ。イザボーは、胸の内で燃え盛る激しい憎悪と、今すぐにでもこの男に掴みかかりたいという衝動を、必死に押し殺した。今はまだ、その時ではない。
彼女は、悲しみに打ちひしがれた、か弱く無力な娘を完璧に演じきった。その顔は蒼白く、瞳は涙で潤み、その声はか細く震えていた。
「レジナルド公爵閣下…お心のこもったお悔やみのお言葉、痛み入ります。亡き父も、きっと、公爵閣下のお優しさに感謝していることと存じますわ。これからは、まだ若輩で、そして何の力も持たぬ無力な娘ではございますが、ヴァロワ家が、このアキテーヌ王国と、そして何よりもギヨーム陛下と、公爵閣下のお役に立てるよう、誠心誠意、努めてまいる所存でございます…どうか、今後とも、お導きを賜りますよう、伏してお願い申し上げます」
イザボーは、そう言うと、レジナルドの前に深々と頭を下げた。その姿は、まるで嵐の前の静けさのように、不気味なほどの従順さを示していた。
レジナルドは、イザボーのそのあまりにも殊勝な態度に、内心では嘲笑しつつも、表向きは満足げな表情を浮かべた。
(ふん、父親が死んで、ようやく現実というものが、そして己の無力さが見えてきたようだな。所詮は女子供、この程度の脅しと、ほんの少しの優しさを見せれば、簡単に屈するわ…これでヴァロワも、完全に終わりか。あとは、この小娘を、どこぞの口うるさくない、扱いやすい貴族にでも嫁がせて、ヴァロワの残された財産を、完全に我が物とするだけよ)
レジナルドは、もはやイザボーのことなど、取るに足らない存在として、完全に侮りきっていた。
*
…参列者の中には、王都の大商人ジャン=ピエール・マルシャンの姿もあった。彼は、アンリ公とは長年の友誼を結び、ヴァロワ家の最大の経済的後ろ盾でもあった。マルシャンは、アンリ公の棺に静かに花を手向け、その顔には深い悲しみと、そしてレジナルド公爵への隠しきれない憤りの色が浮かんでいた。
彼は、イザボーの傍らに進み出ると、周囲の目を気にしながらも、低い声で弔いの言葉を述べ、そして『お嬢様…このマルシャン、微力ながら、今後もお力になれることがあれば…いつでもお声がけください。アンリ様へのご恩は、決して忘れませぬ』と、その瞳に固い決意を滲ませて囁いた。
イザボーは、その言葉に、僅かながらも勇気づけられる思いだった…
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イザボーが、レジナルドの油断を誘うための、危険な演技を続けているその裏で、ヴァロワ家の会計係だったピエール・ド・ブロワは、ギルバート男爵から受けた最後の指示に基づき、ヴァロワ家にとって最後の、そして最も致命的な打撃となる行為を、密かに実行していた。
彼は、アンリ公爵の死によって混乱し、当主を失ったヴァロワ家の屋敷の警備が手薄になっている隙を突き、夜陰に紛れてアンリ公の書斎へと忍び込んだ。そして、そこに隠されていたヴァロワ家の金庫から、残されていた僅かな軍資金や、ヴァロワ家がアキテーヌ建国以来、代々受け継いできた重要な機密文書――それは、他の有力貴族との間に交わされた密約書や、ヴァロワ家の広大な領地の権利書、そして何よりも、レジナルドの過去の不正や弱みを記した、アンリ公個人の日記や記録など――を、根こそぎ盗み出したのだ。
「だ、男爵様…こ、これが、ヴァロワ家に残された、最後の財産と、機密書類の全てでございます…」
ピエールは、盗み出した金貨の袋と羊皮紙の束を、ギルバート男爵の隠れ家へと運び込み、震える手で差し出した。その顔は、恐怖で引きつっていたが、同時に、約束された報酬への卑しい期待も滲んでいた。
「こ、これで、私の借金は…そして、約束していただいた、新たな地位は…」
ギルバートは、その書類の束を満足げに手に取り、金貨の袋の重さを確かめながら、薄汚い笑みを浮かべた。
「見事だ、ピエール殿。実に手際が良い。これで、ヴァロワ家は完全に牙を抜かれたも同然。骨の髄までしゃぶり尽くしてやったというわけだ。あなたのこの大いなる功績は、必ずや摂政レジナルド公爵閣下にご報告し、相応の褒美が与えられるよう、この私が取り計らって差し上げよう。あなたは、もはやヴァロワの卑しい犬ではない。我らがレジナルド公爵閣下の、忠実なる、そして有能なる僕なのだからな」
ピエールは、その言葉に、媚びるような卑屈な笑みを浮かべていた。彼は、もはや人間としての魂を完全に売り渡し、ただの卑しい裏切り者へと成り下がってしまったのだ。
*
ヴァロワ家の屋敷。
イザボーは、がらんとした父の書斎で、壁に掛けられた父アンリ公爵の勇ましい肖像画の前で、一人静かに涙を流していた。それは、もはや悲しみの涙だけではなかった。それは、怒りの涙であり、屈辱の涙であり、そして何よりも、これから始まるであろう孤独で壮絶な戦いへの、血のように赤い決意の涙だった。
金も、家臣も、そして父さえも失った。だが、彼女にはまだ、ヴァロワ家の誇りと、そしてレジナルドへの消えることのない憎悪が残っていた。
(父上…あなたの愛したヴァロワは、今、まさに風前の灯火です。卑しい裏切り者によって、全てが奪われてしまいました。ですが、このイザボー、決して諦めはいたしません。あのレジナルドという悪魔に、そしてこの腐りきったアキテーヌの世に、必ずや一矢報いてご覧にいれます。たとえ、この身が紅蓮の炎に焼かれようとも…! ヴァロワの薔薇は、決して枯れはしない…むしろ、この血の雨の中で、さらに赤く、さらに美しく咲き誇ってご覧にいれますわ!)
彼女の美しい紫色の瞳には、もはや悲しみだけではなく、血のように赤く、そして夜の闇よりも深い、復讐の炎が妖しく燃え上がっていた。
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レジナルド公爵は、ヴァロワ家を完全に無力化したと確信し、次なる標的である大商人ジャン=ピエール・マルシャンを「異端者」として社会的に抹殺し、その莫大な財産を収奪するため、聖教の異端審問官ドミニク・ギルフォードに、甘言を弄して接触を開始していた。
「ドミニク殿、あなた様のその聖なるお力を、今こそこのアキテーヌのためにお貸しいただきたい。この国には、神の教えに背き、禁断の知識を求め、民を惑わす不心得者が、まだ少なからず存在するようなのです…特に、あの強欲な大商人、ジャン=ピエール・マルシャンなどは、その筆頭であるとの噂も…」
レジナルドの冷酷非情な策略が、聖教の狂信と結びつき、アキテーヌに新たな、そしてさらに血生臭い恐怖の嵐を呼び込もうとしていた。
そして、イザボー・エレオノール・ド・ヴァロワは、レジナルド派の貴族アルマン・ド・モンフォール卿を巧みに籠絡し、彼を利用した最初の危険な反撃の準備を、静かに、しかし着実に進めていた。彼女の胸の奥には、父の最後の言葉と、そしてヴァロワ家の誇りが、熱く燃え続けていた。
アキテーヌの黄昏は、ますますその闇を深め、そして紅蓮の炎の匂いを漂わせ始めていた。
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