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第一章 断罪から脱出まで
16 平民になります五十年生きます
しおりを挟む「は?」
「私、ここに来るまでに、寿命はせいぜい一年だろうとお聞きしておりましたの。『お前など、一年で教会にとって不要の存在になり、簡単に打ち捨てられるだろう。生活の術を持たないお前は、貧民街にでも逃げ込むのだろうが、身も心も弄ばれ、病気だけをありがたくもらって野垂れ死ぬだろう。お前はあの路地裏の、汚物にまみれた屍体をまだ見たことはなかったか。帰りにでも見せてやろう。こちらが剣を抜き、戯れに肩を貫こうとも、うめき声しかあげられないあの光景。そこらじゅうで女の嬌声が聞こえ、腹だけ膨らんだ子どもらが私の足に食いつこうとするところを。おっと、お前と一緒に行けば、まず狙われるのはお前だな。平民になるのなら、予行演習も必要だろう。司祭様に会った後、楽しみだなぁ』」
「口を謹めユーフェミア!」
「父親ともある方が、嘘をつこうはずがありません。しかし今のお話を聞けば、すぐにそういった場所に投げ込まれることはありませんのね。安心しました。神さまの慈悲に感涙いたします」
立板に水を流すように、すらすらと言葉が発せられた。これも日々鞭に怯えながら繰り返した王妃教育の賜物です。
「……シュトレン公?」
予想外の言葉に、総司祭様の顔が固まる。
「そのようなことを私が……っ」
否定なんてさせるか。
「おっしゃいましたわ。先程、聖職者様がいらっしゃる眼の前でのお言葉でしたもの。防音の術式を展開していらっしゃったようですけれど、顔色からみて、何をおっしゃっていたかはよくお分かりいただけていた様子。それでもご自身が発言されていないとおっしゃるのならば、何も言うことはできませんわ」
言葉とともに、奥に控えていた二人に一度視線を送った。続いて父親と総司祭様の目が移る。すこしだけ暗がりの、ステンドグラスの淡い色の付いた光が揺らめくそこに、私たちに同行した二人の聖職者がいた。
馬車の中で、読唇術でも使っていたんだろう。その時、青ざめてたおばさまと、震える手を自ら抑えてた青年が、今ははっとして身を固めている。
もしかして、本来ならば内々に報告する話だったのかもしれないけれど、貴方達が味方だとわからない以上、私は徹底的に利用します。――場をかき回すぐらいしか、思いつかない頭の悪さが苛立たしいけど。
密室とも言えるこの場だけれど、一応記録装置くらいは作動しておいてもらわないと困る。いち貴族を平民に移行させるんだから、公平でないと困る。精霊たちのいるこの清浄な場所で、教会の人たちの良心がないと困る。
怒れる父親は、血管が浮き出そうなくらい顔を赤くしている。その熱量でオーラが飛び出てきそう。
後ろにいる人たちの様子を見て、あながち嘘ではないと思ったのか、総司祭様はそれに応えた。
「――そうですね。
我が教区に、まだ一部、そのような場所があるのも事実です。それは非常に残念であり、由々しき事態です。この国の王とともに、事態を収束させるために日々努力し、その成果も――シュトレン公の耳に入っていると思っていました。私や王から、そのことを正式に告げ、事態の安定と、次への進展について相談すべきでしたね」
「まあ」
上品に、口元を隠す。この中において、平静を保つ総司祭様に遅れをとってはいけない。私の平安のため、牢獄のような日々を脱するため。誰かさんのハッピーエンドの、私のバットエンドを殺すために。
私は優雅に小首をかしげる、続きをねだる貴婦人は、ただ童話を聞くかのようにのんびりと目を細めた。
「神は、試練をお与えになります。
生まれた地位や加護の有無など、それぞれの境遇によって、神のお与えになる試練は異なる。与えられた時間も、責務も同様です。
――しかし、それでも神の人々に対する愛に、違いはありません。
そのような環境に身をおいても、正しく暮らし良い日々を送ることができるように、微力ながら力を課すのが神の僕たる私どもの使命です」
ですよねー。
だって教会でパンもらってた子供たちも居ましたもんねー。
次期王妃として、その活動には平民服で参加させていただきました。
「本当に、仰る通りですわ――私の試練は、平民になることと確信しております」
「ユーフェミア! すみません昨晩反省を促したにも関わらず、こやつはまだ懲りていないらしい!
慈悲あふれる司祭様に説教を受けるには、いささか罰が足りなかったようだ。
黙って我らの話を聞いておけ」
「私は平民になり、己の罪と向き合います。どうぞ――私の言葉が真であるとお認めくださいませ」
「黙れ、言っている側からお前は! まだ懲りないのか!」
軍人を訓練するのに慣れた、恫喝めいた言葉を至近距離で浴びせられる。同時に、私を突き飛ばすように腕が出た。小さく悲鳴をあげた――私と、司祭様が。
おばさま聖職者が、私の体を支える。むに、と掴もうとするけどそこには肉がない。おばさまは何かに気がついて、慌てて手を離した。ごめんあそばせ、平民になったらたっぷり贅肉つけてやんよ! あ、労働してたら贅肉つかないんだっけ? でも目指せ太っちょ母ちゃん! 二の腕で腕白坊主を締め上げろ、ですことよ。
「シュトレン公、申し訳ありませんがもう少し小さな声でお話ししていだたいても?」
総司祭様は、そうやって父親を静止し、父親はそれに渋々従った。
咳払いをして、態勢を整える。
「――とにかく、このバ……我が娘は、私たちの感情を逆撫でし、現状をかき乱すことにしか興味がないのです。
教会の名でも聞けば落ち着くかと思ったのですが、それすらもない。
このような娘を、教会が引き取るような愚はありません」
鼻息こちらに向けないでくださること?
シラけた目をちらりと送り、私はもう一度総司祭様に視線を移す。
ぱちり、と目が合った。
そこには慈愛が満ち満ちて、作った表情が一瞬消えた。
そんな目を向けられたのは、いったいいつぶりだろう?
喉の奥がふいに締まって、何も言いたくないのに唇が開く。
「……」
「ユーフェミア様」
「……はい」
「貴女が平民になるのなら、私たちはそれに協力しましょう」
それは会釈のように軽かった。
おはよう、とか久しぶり、とか。
日常の、ほんの些細な繰り返しの言葉みたいに。
だから私と、父親は意味がすぐに理解できずにぽかんとした。
「これより身分移行の儀を始めます」
「有難うございます。神の慈愛に感謝いたします」
父親より一歩先にその言葉を理解した私は、すぐさま返事をした。
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