腐った竜に古豪の虎が牙をむくとき(第一話 似て非なるもの)

Kazu Nagasawa

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腐った竜に古豪の虎が牙をむくとき(第三章 形見の煙管(きせる))

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◆第三章.形見の煙管きせる
一.下男と暮らす
 浅見助好あさみすけよしの一件から一年が過ぎたころ、オツタと寛介の一周忌の法要を終えた次の日に、亮斎は佳乃丸を連れて吉原の先の浄間寺じょうかんじに出かけた。この浄間寺は吉原をはじめ遊郭などの遊女の亡骸を弔う墓がある。その墓の近くにオヨシの小さな墓がたてられていた。亮斎は墓参りのまえに寺の住職に手紙をしたため日時と一連の経緯を伝えていた。その経緯には亮斎の妻子の命をうばった浅見助好が佳乃丸の父親であることが書いてある。亮斎の心には一周忌を迎えても迷いが残っていた。

 その日、亮斎は佳乃丸が住んでいる河童橋かっぱばしの煙管売りの家に佳乃丸を迎えにいき浅草の船着き場から船に乗った。
  紅梅が咲きかけた大川(隅田川)を上げ潮に合わせてのぼり、千住の手前にある汐入しおいりの船着き場に着いたところで二人は船をおりた。その道すがら、吉原への道標みちしるべが目にとまる。亮斎は左手に吉原の柵が見えたところで岡場所の女将から聞いた話を思い出した。
 その話とは、オヨシの姉も吉原奉公のすえに亡くなり亡骸が浄間寺に投げ込まれ、ほかの遊女とともににねむっているという。そのこともあってオヨシの供養のために町火消などの有志が墓を浄間寺にたてたのであった。

 寺に着くと住職が待っていて亮斎は妻子の不幸のこともあわせ供養のためにきょうをあげてもらうことにした。そしてきょうが終わると、これまでの経緯をあらためて住職にきかれ佳乃丸に菓子を食べさせながら話していた。住職は両断斎の手紙によって浅見助好が佳乃丸の父親であることを知っていたので、そのことに触れない話となる。
 亮斎の心には浅見助好が死ぬ間際に残した『あいつに教えた絵で捕まった。あいつはおれの子だ! この顔が焼ければ証拠はない』という言葉が消えずにいた。そのことを遠まわしに話すと、
「なるほど、それは辛かったであろう!」と言って住職が手を合わせた。
「死ぬ間際に言ったことですので本当のことかと」と亮斎。つづいて佳乃丸の預け先を決める際に経緯をどのように話すか迷っていることを打ち明けた。すると住職が、
「たしかに! して、預け先を迷うのはちまたの噂を心配されてかな?」と言った。
「いいえ、手に掛けてはおりませんので」と亮斎はちまたの噂を浅見助好を切り捨てた噂と誤解したのである。その亮斎の顔を佳乃丸が心配そうにのぞきこんだ。このまま話が進むと佳乃丸と浅見助好の関係になると思った住職が、
「この子を可愛いと思っておる。そしてこの子もじゃ!」と言って話を変えた。
「はい、そのようで」
「さすれば下男と言うことでいっしょに住んではどうかな?」
 この住職の思いもよらない『下男』の話に両断斎は背中を押された気がした。
「たしかに下男であれば!」
「ねえ、和尚さま! 下男とは何でごじゃるか?」と佳乃丸。
「うむ! おまえの好きな人の世話をすること。その人の言うことをよく聞いてな」
「わかった。おじちゃんといっしょに住むんだろう」
「そうそう。これがほんとうの供養というもの!」
 亮斎は、この住職との話によって佳乃丸を引き取ることにした。

 この話のなかで亮斎は亡くなった妻子と初詣に行ったときに買った煙管のことにふれた。その煙管は火事を嫌い腰の煙管入に入れたままだと言うと住職は吉原の大火で多くの遊女や子どもが亡くなったと言い町火消の話となる。そして、
「そういえば、多嘉良さまは一刀両断斎と呼ばれ、町火消であれば、だれもが知っているとか!?」と言った。
「そのことも気になっております」
「では、そのことに誤解があると?」
「おそらくシュロの木と人を同時に斬る意味でしょうが、人は斬れませんでした!」
「ならば、お腰の煙管も、その名前もためしに使ってみるのも供養の一つ! 御仏みほとけが先に進むために導いたのではないか?」
 この住職の話を受けて亮斎がおもむろに腰の煙管入れから煙管を出した。しかし思い出の品ではあるがタバコを吸わず見るだけで仕舞い入れた。それを見た住職が、
「斬ろうと思ったが御仏みほとけがシュロの木だけを切らせた。人を殺めずに済んだのであれば、自ずと道は決まりましょう」と言った。
「しかし、わたくしが一刀両断斎と呼ばれる所以ゆえんは……」
「うむ! 過去に縛られず、前に進むことが供養。多嘉良一刀両断斎どの! これは、ちょっと長いか?」
「分かりました!」
罪人つみびとであっても、憎しみを持って人を殺めるは罪となる。おのれを含め許してこそ人の道!」
「はい! 謹んでそのように」と亮斎が住職に頭を下げると佳乃丸も真似ていた。

 それから一月あまり、多嘉良亮斎は同じ敷地に建て直された与力の長屋で佳乃丸と一緒に暮らしはじめた。そのことを耳にした町火消の頭(かしら)は、佳乃丸の利発さを見込んで神田明神の稚児ちごをつとめさせ神楽舞と絵の両方の道に進ませることとなる。
 そして亮斎は心機一転、名前を『多嘉良両断斎たがらりょうだんさい』に改名することを正式に進め、その際に浅見助好との一件について経緯を説明し同人を手に掛けていないことを明言した。
 季節は弥生に変わり桜が咲きはじめたころのことである。



二.オカヨとカンタ
 一方、南町奉行所筆頭与力の徳山秀栄には、内々に火付盗賊改方ひつけとうぞくあらためかたへの役目替えが伝えられていた。
 当時、江戸の町奉行は一般の犯罪の取り締まりを行うが、火付けや盗賊などの凶悪犯の逮捕は武官である火付盗賊改方に任せられていた。この火付盗賊改方を火盗改かとうあらためとも言う。徳山は旗本の分家筋の家柄に加え、武芸やこれまでの実績が評価され火付盗賊改方の中核を担う先手組への推挙となった。
 

 その話を徳山が亮斎、改め両断斎の家に伝えに来たときのこと・・・
「徳山様! ごぶさたいたしております」と言って両断斎が出迎えた。
「よいよい! おぬしと合わぬということは平穏無事ということ」
「たしかに! 不思議なことに名前を変えてから何も起こりません」
「そうか! 佳乃丸は元気のようだな」
「はい! おかげでさまで町の者から可愛がられております」と言って両断斎が徳山を部屋にとおした。
「二番組の頭(かしら)も、あの火事のことが忘れられないと言っておったぞ」と徳山が一年前の火事のことにふれると、しばらく沈黙がつづく。
「……して、先手組にはいつ?」と両断斎が核心に触れた。
「うむ! 知っておったのか」
「はい! 御奉行からうかがいました」と両断斎が言うと徳山は来月からと言って仏壇に手を合わせた。

 つづいて徳山は凶作に見舞われた奥羽地方から江戸に移って来た者が増えたことに触れ、役目替えの話となる。浅見助好の一件を最後に江戸の町は落ち着いたかにみえたが近ごろ火盗改の仕事が増えたと言った。その話をはさみ徳山は両断斎に縁談を持ち掛けた。このいきなりの話に両断斎は、
「せっかくではありますが……」と言って応じる様子がない。その気がないとわかると徳山は人形町の馴染みの小料理屋に誘った。これに快く応じた両断斎は踊りを習いにいっている佳乃丸に置き手紙をのこして家を出た。
 穏やかな春の日に青空がひろがったが徳山と両断斎の足どりはいささか重たく見える。しばらく歩いていると雲の間に富士の山脈が見えたが二人は言葉を交わすことはなかった。


 小料理屋に着くと女将が二人をはなれに案内して、しずかに襖を閉めた。
「無理に誘ってすまぬ!」と徳山が腰を下ろし、
「いいえ、お気遣いなさらずとも」と言って両断斎も席に着いた。そして、
「なにか、お話しでも?」
「相変わらず勘がいいのう!」
「けしてそのような……」
「まあ、聞いてくれ!」と言って徳山が話したことは奉行の馬場尚繁(ばばなおしげ)から言われた火盗改に対する苦情のことであった。

 その苦情の話とは、町奉行と火盗改の持ち場の違いはあるとはいえ、いまの改方あらためかたに行き過ぎがあると言うのである。その一つが江戸に増えはじめた物乞いを見せしめとして斬り捨て、さらには犯人として仕立て上げるほか、女や子供にも危害を加える者がいると町の世話役が訴えたことだった。このままでは町人たちの不満が高まることを危惧して徳山ほか数名に白羽の矢が立てられたと言った。
 この話を聞いた両断斎は小料理屋に来る直前に徳山から縁談話を持ち掛けられたことを思い出した。
「徳山さま! もしかして、わたしが身を固めたら?」
「ああ! ますます勘がさえてきたな」と言いながら酒をつぐ徳山。
「まことに申し訳ございません。なかなか気持ちの整理がつきませぬゆえ!」と、正座になおり、あやまる両断斎がつがれた酒を一気に飲み干した。
「分かっておる。無理を言うつもりはない。気にするな!」と徳山が言って別の話となる。
 二人が初めて会った十年以上前から今日に至るまで数々の話は尽きることがない。心は和み酒が一気に進んだ。徳山は浅見助好の一件から両断斎の気持ちの落ち込みや暮らしぶりが気になっていたのである。

 しばらくして、ほろ酔いとなった両断斎が店の女将に子どもの夕食にすると言って手土産を頼んだ。すると、ひつにはいったバラ寿司が出来上がり頃合いを見て帰宅を申し出た。徳山はもう少し飲んでから帰ると言ったので両断斎だけが帰ることとなる。
 日が暮れかかるころに店を出た両断斎は片手におひつの入った手提げを持ち自宅のある八丁堀にむかっていた。その途中の錦橋(にしきばし)を渡っていると物乞いの女が煙管を持って近寄って来た。一見しただけで両断斎が落としたものだと分かる。

「これはわしの物だ。よく拾ってくれたな!」と言って両断斎はお礼に手持ちの銭を渡そうとした。
「礼だ、取ってくれ」
「いいや、銭はほかの人に取られて殴られる。どこか雨露あめつゆがしのげる場所さえ教えてくれれば礼はいらねえです!」
「分かった。付いてこい!」と言って両断斎はそのまま女を連れて自宅にむかった。

 しばらく歩いていると小さな子どもが一人、その女の後ろを同じ距離を保ちながら付いて来るとわかる。両断斎は素知らぬ顔で家の戸口を開け女を土間にとおした。
「おまえも入っていいぞ!」と、両断斎がついて来た子どもにむかって言うと女はあっけにとられ言われるままに家に入った。二人にむかって両断斎が軒先に置いてあるタライで体を洗うように言うと女と子どもはおけとタライを持って井戸にむかった。その間に両断斎が火を起こし別の鍋でお湯を沸かしはじめた。井戸から戻った二人に、
「水ではなく、お湯で体を洗ったら、これを子どもに着させろ。おまえはこの古着だ!」と両断斎が言った。このとき差し出された服は火事で亡くなったオツタと寛介のもので、いずれもシミが消えずに残っていた。

 日が落ちて軒先が暗くなるころに女が体を洗いはじめた。そこにちょうど踊りを習いに行っていた佳乃丸が帰って来て、
「ただいま戻りました。えっ! だれかいる?」と、女と子どもに気づく。
「佳乃丸! おどろかしてすまぬ。女だ、その子どもが一人……」
「おっ、おばけ? 寛介が化けて出た?」と、両断斎にだきつく佳乃丸。
「そうではない! 着替えに寛介の服を着させたのだ」
「だって、女の人は寛介の母ちゃんにそっくりだ!」
「うむ! もう着がえ終わったのか?」と振り向く両断斎。
「はい! うちの支度さ、終わるから」と言って物乞いの女が帯を結びながら玄関に立っていた。両断斎が戸締りに合わせ部屋の行燈あんどんに火をともすと、うっすらと女と子どもの顔がうつし出された。そのとき女と子どもは体がやせていて帯が余って結びなおしに手間取っていた。それを見た佳乃丸が手伝っていると両断斎は女と子どもを家に連れて来た経緯を佳乃丸に話し、二人を家のなかに入るように言った。
 ところが、
「せっかくらけんど、うちらが入れてもらうとバチが当たります」と言って入ろうとしない。
「いや、この煙管を拾ってくれた礼だ。気をつかわんでいい」
「えっ! この人がおじちゃんの煙管を拾ってくれたの?」と言って佳乃丸が照れる両断斎を見ている。
「まあそう言うことだ。上がってくれんか!」
「それなら、寛介と寛介の母ちゃんが引き合わせてくれたんだよ。ほら、似ているから! おいら顔を見る目はたしかだから恥ずかしがらないで!」と佳乃丸にすすめられ女と子どもが部屋のなかに入った。そして両断斎が行燈あんどんに照らされた女の顔を見るとオツタによく似た顔だと分かる。
 こうして二人の名前を聞くと、
「うちはオカヨ! この子は亡くなったあねの子でカンタと言います。親切にしてくれてもったいねえ!」
「まあ、そう言うな。せっかくだ!」
「いやー、湯でキレイにしたのは分らんくらい前です。もう出ていきますんで!」
「オカヨ、待て! わしは晩飯を食べたが、うちの子はまだだ。いっしょの方が楽しかろう」と言って両断斎がバラ寿司を飯台の上に広げた。小料理屋の女将は両断斎の体の大きさから多めにバラ寿司を作って持たせたのであった。

 広げられたバラ寿司は山海の食材がきれいに彩られ酢飯の香りが広がったが、オカヨはカンタの手を引いて家から出ようとした。しかしカンタは、
「おらも食べる!」と言って席に着いた。
「こんなに親切にしてもらって、お飯(まんま)までいただいたらバチが当たる!」と言ってオカヨがカンタの手をつかもうとしてもカンタがつかませない。
「そう言うな。これには訳がある。あの煙管は妻と子の形見だ。このまま帰せばわしにバチが当たる」と両断斎。それでも出て行こうとするオカヨをみて佳乃丸が、
「ねえ! おいらもいっしょに食べたいし、カンタも食べるって言っているから。ねえ! 腹へったから食べようよ」と言って玄関の戸を閉めた。これを見てオカヨがようやく席に着いた。このとき両断斎は目の前の三人のやり取りを見てどことなく縁を感じたのである。
 こうして佳乃丸が席に着き、飯台の上のおひつのなかのバラ寿司を三つに分けてオカヨとカンタの前に出した。
「さあ、遠慮はいらぬ!」と両断斎。すると二人はいかにも空腹であったように美味しそうに食べはじめた。その食べっぷりに両断斎と佳乃丸が笑顔となる。そのあとバラ寿司を食べ終えると両断斎は形見の煙管のことをオカヨとカンタに話していた。
 こうして両断斎と佳乃丸が宿泊を進めるとオカヨが応じて、軒先に一年前の火事で焼け残った布団を敷いて、その日の宿にしたのであった。


三.不穏な影
 オカヨとカンタが両断斎の家に泊った翌朝、佳乃丸が煮炊きの匂いに気づいて目が覚めた。つづいて両断斎が起きるとオカヨとカンタの姿が見えない。軒先の布団がきれいに畳んであることに気づいた両断斎はあわてて炊事場に行った。
「佳乃丸! 二人がこれを作ってくれたようだ」と両断斎が見ている釜戸の上に麦飯とみそ汁が作ってあるが食べた形跡はない。そのあと両断斎と佳乃丸は言葉少なに朝食を食べはじめた。


 昼になり、遅番で出かけようとする両断斎が玄関を出たところにカンタが一人で立っていた。着ている服は寛介の古着のままだが右の頬にはられた様な赤い跡がみえる。両断斎が食事を済ませたかと尋ねると何も言わずうつむいた。
「どうしたカンタ。オカヨは一緒ではないのか?」
「さっき捕まっちまった。知らないやつに」と言って泣き出すカンタ。
「なに! いったい何があった?」
「ねえちゃん、ちゃんと服を着てキレイにしていたから狙われた」
「おい、どこで捕まった?」
「ここの先! 吉原に連れて行くって」
「わかった。佳乃丸とここにいろ。見つけて来る!」と言って両断斎が走り出した。そして神田川に出ると橋の上から左右に見える別の橋の往来にオカヨの姿を探した。

 しばらくして、下流に架かる橋の上に二人の浪人と遊び人に連れられたオカヨが目にとまる。両断斎はその場所から一目散いちもくさんに小路を曲がりオカヨの後を追った。
「しばらくまたれよ! しばらく……」と言って呼び止めると先頭の浪人が、
「うむ! おれたちのことか?」と言って振り向いた。
「そのとおりだ! その者が何かしたのか?」
「邪魔をするな。見ればわかろう!」
「いやいや、その娘はうちの下女だ。返してくれ!」と言って両断斎が近づくと、下を向きながら歩くオカヨの顔と腕に赤く腫れたあとが見える。
「何をとぼけたことを! こんなやつれた百姓女ひゃくしょうおんなを下女だと?」
「ああ、今朝の食事はその者が作った。返さぬなら、その先の番所に駆け込む!」
「バカな!」
「バカだから何も出来ぬゆえ下女を雇った。返してくれ!」と、両断斎が頭を下げた。
 それを見た浪人二人が刀を抜いたが隙の無さに近寄れない。オカヨが助けを求めて騒ぎ出すと遊び人がオカヨの首に匕首あいくちを突き付けた。
「おとなしくしねえと、もっと痛い目にあうぞ!」
「手荒なことはよしてくれ!」
「こいつがそんなにいい女なら、こっちにも考えがあるってこと」と遊び人が言った瞬間にオカヨが目を閉じた。そして目を開けて瞬きを繰り返している。オカヨのまえに匕首あいくちを持った手が落ちているが血のしたたりはない。

 両断斎がオカヨに近寄ろうとすると遊び人が怯えて悲鳴をあげた。そして自分の手首と匕首あいくちを持った手を見比べて、
「これ、おれの手か? うそだろう」と言った。
「おまえの手だ! じきに痛さを感じる」
「何だと! 痛くないわけねぇだろー……」と言いながら遊び人が気を失った。
 この騒動に周りに人が集まりはじめ浪人が立ち去ろうとする。ところが駆け付けた同心たちに行く手を阻まれ振り返って両断斎を見た。
「おい! こいつは何ものだ?」と、二人の浪人が同じことを聞く。
「お前たちの体が繋がっているだけでもありがたく思え!」と同心に言われ浪人が悪びれながら刀をおさめた。
 同心たちは両断斎が勤めに出てこないことを知っていたのである。
「ところで、どうされました? お勤めにも出ておられぬと聞きましたが」
「騒ぎを起こしてすまぬ! 昨日、身の回りのことをさせるつもりで下女を雇った。使いに出したら戻らぬゆえ探していたら連れて行かれそうになった」
「ところで、おケガは?」
「大丈夫だ!」
「よし! この者どもに縄を打て」
「動くな、おとなしくしろ!」と言って同心と配下の岡っ引が浪人に近づいた。
「だまれ、コッパ役人!」と吐き捨てた方の浪人が刀を抜いたが威圧されてオカヨをにらんだ。オカヨが後ろに下がると、もう一人の浪人がオカヨに飛び掛かろうとする。
 次の瞬間・・・
 風を切る音がして浪人の足が止まる。そして首が逆向きに折れ曲がったまま立っている。
「オカヨ、大丈夫か? おどろかせてすまぬ」と、両断斎がオカヨの無事をたしかめるとオカヨがあわてて浪人から離れた。
「はい! 何があったか見えんでした。でも手が刺さったみていで……」
「うむ! 死んではおらぬ。動きを止めただけだ」
「カンタは無事ですか?」
「ああ! 佳乃丸といっしょに家にいる」と言いながら両断斎が浪人の首をもとに戻した。
 その浪人が脱力して座り込むのを見て、もう一方の浪人が、
「やめてくれ! そばに来るな!」と言って腰を抜かしてうずくまった。
 この両断斎の掌底両牙(しょうていりょうが)という拳法の技を見ていた者が驚いて呆気に取られている。両断斎は多嘉良流拳法という秘拳の使い手でもあった。
 こうして、あとを同心たちに任せて両断斎はオカヨをつれて家に帰って行った。
 家に帰る途中、泣きながら詫びるオカヨに両断斎も言葉を詰まらせた。そしてオカヨの身なりを整えさせたことによって狙われたことを詫びたのである。するとオカヨは、
「もったいねー、もったいねー」と言って両手で顔をかくしながら歩いていた。そんな二人の並んだ姿を夕日が後押しするように長い影を落としていた。

 家に着くと佳乃丸とカンタが飛び出してきてオカヨに抱き着いて泣きだした。オカヨも泣いて言葉にならない。その姿を安堵のため息とともに見つめながら両断斎は次の言葉をつないだ。
「佳乃丸! オカヨに下女を頼んだ。しばらく家のことをやってもらう」
「ねえ、おいらは?」と言ってカンタが心配そうにオカヨを見た。オカヨは言葉に詰まり両断斎に視線をおくる。
「カンタ、あたり前のことをおじちゃんに聞くな。お前も下男だ!」と佳乃丸。
「ああ! カンタにも下男をたのむ」と両断斎。佳乃丸はオカヨとカンタの手を引いて部屋のなかに座らせた。
「ねえ、下男はなにをするの?」とカンタが聞くと佳乃丸が、
「うむ! おまえの好きな人の世話をすること。その人の言うことをよく聞いてな!」と大人びた言葉を返した。その佳乃丸に思わず両断斎が笑顔となり、カンタを膝の上に乗せて抱きしめた。佳乃丸がカンタに言った言葉は母のオヨシの一周忌に訪れた浄間寺(じょうかんじ)の住職が言ったことを真似たものである。こうしてカンタの顔に笑顔が戻った。
 その日から四人は一つ屋根の下で暮らし始めることになる。そのあと両断斎は今までのことを振り返りながら遅番の勤めに出かけた。


四.鬼神のオマツ
 江戸の町が梅雨明けとなり初夏の暑さが増すころに、水路や江戸城の御堀には大量の藻(も)が生えてくる。八丁堀の家々では昼間は水場の臭いがするので戸を閉めて、日が暮れると涼しい川風を入れるために戸を開けていた。
 その風に軒先の風鈴が涼しげな音を立てても、オカヨは相変わらず軒先の板戸を開けたまま布団を敷いて寝ている。両断斎は蚊帳も吊らずに寝ているオカヨが刺されたあとを掻きむしる姿に蚊帳のなかでいっしょに寝るようにすすめたが言うことを聞かない。一方、カンタは蚊帳のなかで寝るようになりオカヨも隣で寝るように話していた。

 そんな穏やかな夕暮れどきに、川の近くにすずみに来た四人の姿が影を落としている。
 一人で先を歩く両断斎の髷(まげ)にトンボが止まるとオカヨが追い払おうとした。ところが六尺を超える大男の髷になかなか届くはずもない。見かねた佳乃丸が飛びついてトンボを捕まえてオカヨに渡そうとするとオカヨは悲鳴をあげながら逃げ回っていた。その後を追ってカンタも両断斎の周りをくるくる回っていると、どことなく年齢としの離れた夫婦と子供の戯れに見えなくはない。
 そのあとでカンタが思い立ったように山に陽が沈むところを見たいと言った。すると両断斎は軽々とカンタを持ち上げ肩にのせて日暮れの道を歩いていた。
 ちょうど川にかかる橋の中央にたつと富士山と夕日が交差して見える。いっしょに見ていたオカヨと佳乃丸が夕飯の支度をすると言って先に帰っていった。


 両断斎は途中で豆腐を買って冷やしたうりと合えて晩酌のツマミにしようと考えて馴染みの豆腐売りに声を掛けた。器と豆腐をいっしょに買って金を払いカンタをみるとカンタが指さす空が茜色に染まっていた。
 家に着くと両断斎はオカヨに豆腐をわたし晩酌の準備をしながらカンタの話を聞いていた。
「おいらの母ちゃんオマツって言うのに、変なあだ名を付けられたんだ」
「そうか! 会いたいか?」
「いいや、佳乃丸の母ちゃんのことを聞いたから、おいら姉ちゃんでいい」
「ほう、聞いたのか!……で、母ちゃんのあだ名は何て言うんだ?」
「ギゾクって呼ばれていた。盗賊と似ているから、おいらいやだって言った」
 このカンタの何気ない一言に両断斎のうりを剥く手が止まる。

「ふ~ん。ギゾクって言ったのか。だれが言ったんだ?」とつづけた。
「盗賊の親方!」
「そうか……?!」
「おいら、盗賊が大きらいなんだ!」
「確かにそうだな!」と言って両断斎がうりをカンタにつまませた。
 オカヨとカンタといっしょに暮らし始めて二か月余り、日々の穏やかさに二人の素性を聞くこともなく疑いもしない両断斎に、ふと不安の影がよぎる。
 このときオカヨと佳乃丸は夕飯の支度をしていてカンタの話に気付かなかったと見えた。両断斎はカンタの話が気になったが、そのまま平静を装いツマミの仕上がりを待った。

 その年の正月から、江戸では雪が降る日が多く寒さで亡くなる物乞いが後を絶たなかった。そして夏になっても気温が上がらず米が不作で値段が上がると言われていた。それに呼応して火付けや物取りなどが増えて岡っ引きの呼子よびこが聞こえない日がないほどであった。
 特に奥羽地方の冷夏による凶作は毎年のようにつづき百姓から年貢の代わりに娘を差しださせ江戸に連れて来る有り様はオカヨを見ればわかる。盗みによって生き永らえるか、江戸で物乞いに身を落とすか、あるいは身を売って生きるか、いずれにしても御法度とされる人買いの仲介が関わることを両断斎も知っていた。
 それでも四人で暮らす日々の安らぎは両断斎に二人の身上を聞くことを遠ざけた。しかし、カンタの母親が義賊ぎぞくと呼ばれたことを聴いてオカヨとカンタが罪に加担したことも無きにしもあらずと両断斎は素性を調べることにした。
 その当時、各地から江戸に流入しようとする人殺しや盗賊などは関所でつかまり牢に収監されていた。それらの者から諸国の情勢や悪行の手口を聞き取り、江戸の治安に役立てようとしたのである。両断斎は、その事情を良く知る西口亜門に連絡を取り千住の関所に出向くことにした。

 この西口は公事方御定書に定める人相書きを長年取り扱っていて、両断斎が浅見助好の火付けによって焼け出された与力長屋の隣に住んでいた者である。西口が滞在している千住宿は奥羽諸藩から江戸にはいる玄関口である。両断斎はオカヨとカンタの調べがついたと知らせを受け、その日のうちに千住の関所にむかった。
「ご無沙汰いたしております」と両断斎。
「いや、あれからすでに一年とは早いものだな!」
「はい!」
「この前、 (火付盗賊)改方あらためかたの徳山殿もここに来られた」
「なにかお話しでも?」
「ああ! おぬしの同居人のことをお尋ねになった」
 火付盗賊改方の徳山が調べていると分かると両断斎の顔つきが変わる。
「そうでしたか。その者からは弘前藩と南部藩の境あたりの出と聞いております」
「そのようだな! 千住の関所で同郷の者から話を聞いておる」
「それで、お話しいただけることがおありになれば?」と両断斎の求めに応じ西口は盗賊団から逃げ出したオカヨとカンタと思しき者の身上に触れた。
「一味の者から義賊と呼ばれた女盗賊のことを聞いたが、ひどい話でいたたまれぬ」と前置きする西口は、すでに処刑されたオマツという女のことを話しはじめた。

 その女は盗賊一味に自分の子どもといっしょに捕まり、子どもを人質に取られ脅されて罪を重ねていたという。オマツがいた盗賊一味の手口は、峠の茶屋に立ち寄った旅人から金をうばう手先としてオマツが色仕掛けによって相手をだまし盗んだ金を盗賊にみつがされていた。そして一味は口封じのために旅人の命をうばい重ねた罪の数々をオマツが首謀したことにするため首領に祭り上げ、裕福な者から金を盗む義賊と称して言いふらしていたと言うのである。
 さらに盗賊は女が連れていた子どもや妹も人買いに売り飛ばし、その後の足どりは途絶えて今に至る。

 西口のこの話を聞いた両断斎が納得して、
「なるほど、飢餓に苦しむなかで義賊となれば噂はたちまち広がりますな!」
「そのとおり! ほんとうのことが明るみに出たのは一味が仲間割れをしたときのことだ」
「して、その女の妹と子どもは?」と核心に触れた。
「逃げた仲間と江戸に向かったという。おそらくオカヨとカンタであることは間違いないであろう!」と西口。
「では、この話を徳山様にもお伝えになられたと?」
「ああ! ちゃんと話してある。おぬしを(火付盗賊)改方あらためかたに推挙すると言っておられた」
 この話を聞いた瞬間、両断斎に不安がよぎる。オカヨとカンタが一味のことを知っていれば口封じにあうと思いすぐに帰り支度をはじめた。
 西口に礼を言って千住の関所を出ると両断斎は船で大川(隅田川)をくだり半刻(一時間)ほどで自宅に戻った。ところがオカヨとカンタの姿はみえない。念のためにと両断斎が近くの番所に行って事情を話し心当たりをさがしていた。


五.提灯(ちょうちん)の明かり
 両断斎がオカヨとカンタを捜していると日が暮れかけたので二人が家に戻っていると思い一旦家に戻ることにした。そのとき留守番をしていた佳乃丸には事情を伝えてあり二人を心配する佳乃丸がいっしょに心当たりを探しに出かけると言った。
「佳乃丸!二人は何か言っていなかったか?」と両断斎。
「言わなかったけど、カンタがありがとうって。おいらそれで…!」と、涙ぐむ佳乃丸。
「もうよい。必ず見つける。お前もいっしょに頼むぞ!」と励ます両断斎。
「うん、分った!」と言って佳乃丸が両断斎から提灯を受けとり別の提灯に火を分けた。

 二人は、いつも行っている店や神社を探したが見つからなかった。もしやと思い番所に立ち寄ると岡っ引きの松五郎がカンタを連れて入って来た。

「だんな! カンタが一人で歩いておりやした」と松五郎。すかさず、
「カンタ! オカヨは?」と両断斎。
「……姉ちゃんに言うなって言われた。言ったらあの世でいっしょになれないって!」
「そうか! どのへんで別れた? オカヨに大事な話がある」
「姉ちゃんは、おじちゃんのことが大好きだって言ったよ」
 その話を聞いていた同心が捜索の人集めを買って出た。両断斎は佳乃丸とカンタのことを番所詰めの同心に頼み、松五郎と手分けをして万が一を考え川沿いを探すと言った。
「いやです! おいらも一緒に探させて」
「おいらも探す!」と佳乃丸とカンタが言うことを聞かない。その二人を何とか説得して両断斎と松五郎が捜しに出かけた。

 こうして両断斎が大川の手前の水門に近づくと船に合図をおくる門番がみえた。あいにく潮が満潮から下げに変わったばかりで水門を開ける時刻となる。オカヨが川に落ちたこともあると思い事情を話して開けた門をすぐに閉じてもらった。
 そこに岡っ引きの松五郎が手をふって走って来るのが見えた。
「だんな! 霊岸橋から飛び込んだみてぇです。見ていたやつがいました」
「いつ頃だ?!」
「つい四半刻(三十分)まえとか。いま二番組の連中が船で下ってきやす」
 両断斎は松五郎の手回しに礼を言い、提灯で水門のあたりを照らし出した。
 しかし門を閉じた際の濁りによって水のなかは見とおせない。松五郎は同心長屋に位置を変え、そして両断斎は水門をつたって対岸の建て直された岡場所に移った。

 両断斎が岡場所の船の渡し板に腹ばいになり両手に提灯を持って水面を照らすが何も見えない。その視界には閉じられた水門に当たって出来た小さな波紋が見えるだけである。その波紋を両断斎がなんども目で追うが同じ模様に乱れはなかった。
 何とかオカヨを見つけたいと祈りながら両断斎が腹ばいのまま角度を変えて足元を提灯で照らすと岡場所の灯によって波紋が斑(まだら)に見える。その波紋を見ながら体の向きを変えたとき、
「おっと! 落ちたか」と両断斎。両手に持った提灯の一方を落としてしまった。
 両断斎が落ちた提灯を拾おうとして手を伸ばすがわずかに届かず提灯は渡しの杭に引っかかりながら水面に落ちた。そして浮かんだまま斑の光の中を流れていった。
 両断斎はあきらめかけて腹ばいのまましばらく水面を見ていた。すると落ちた提灯が風にあおられて火袋に燃えうつり周りが明るくなる。

 そのとき・・・
「おじちゃん、あそこ!」
 声の方を見ると佳乃丸とカンタが岡場所の物干し場にいた。二人が指さす先に見覚えのある柄の着物が水面に浮かんでいた。
「よし分かった。佳乃丸! 人を呼びに行ってこい。カンタは着物の場所をずっと見ていろ。いいか!」
「うん、いいよ!」
 両断斎は急いで提灯を口にくわえ服を脱いで板底の杭をつたって川に入った。水は思ったよりも冷たい。そして右手に提灯を持って高く差し上げ、火袋の燃え残りを頼りに泳いでいく。その視界にオカヨがみえた。

 両断斎は左手でオカヨの着物の襟元をつかむと右手の提灯を口にくわえ、そのまま立ち泳ぎをしていた。その両断斎に声がかかる。
「だんな! いま行きやす」と組頭くみがしらの声に振りむいた。
 そこに二番組の小船が巧みな櫓の操りによってぎりぎりに船首を寄せてくる。組頭くみがしらが船から手を伸ばした。
「すまぬ、おれは大丈夫だ」と言って両断斎が組頭くみがしらにオカヨの腕をつかませた。
「では、揚げますよ!」と引き揚げ、
「ああ、頼む……」と、両断斎がオカヨの体を船のなかに押し入れた。
「だんな! 医者をその先に呼んでおりやす」
「分かった。右側の梯子の下に着けてくれ。おれが背負う」と、両断斎が梯子にむかって泳いでいく。
「よし! 縄梯子んとこに着けろ」
「がってんでい!」
 梯子の上り口で火消しの帯を使ってオカヨを背負った両断斎が縄梯子を上っていく。その上に岡っ引きの松五郎が手を伸ばして待っていた。
「だんな! 長屋に医者を呼んでおりあす。見付かってよかった」
「ああ! 手をかしてくれ」
「こっちです!」と松五郎に言われオカヨを背負ったまま両断斎が長屋にはいり、
「どうか頼む! 助けてやってくれ」と祈るように医者の前にオカヨを寝かせた。
「はい! やるだけのことはやりましょう」と言ってオカヨの着物を脱がすように医者が指示を出す。
「どうだ?」
「脈を診ます……? 息はしていませんが。んっ!」
「どうした?」
「脈がありますぞ! はやく服を脱がせて温めましょう」と言った医者の指示を聞き、
「だんな! うちのがこっちに来てますから、あとはやらせます」と言って松五郎が妻のオケイを呼んだ。
「ああ、頼む!」と両断斎。
「では、水をはかせてから」と言って医者がオカヨの体をうつ伏せにして水を吐かせようとした。するとオカヨの口のなかに紺色の布が見える。
「……うむ! これは?」と言って医者が口から布をつまみ出し、ふたたび口の中をみた。そして息を吸わせようとしてオカヨの背中を何度かたたくとオカヨがむせながら水を吐いた。このとき医者がオカヨの吐物を拭いて口をゆすがせても両断斎は抜け殻のように立っていた。

 ちょうどそこに岡場所の女将が佳乃丸とカンタを連れて入って来て、
「だんな、これ大事なもの!」と言って着物と刀を差しだした。オカヨを助けに川に入るときに両断斎が脱いだものである。
「おう! かたじけない。見てのとおりだ」と、我に返った両断斎がすぐに着物を受け取り着はじめた。その横でオカヨの回復を知った佳乃丸とカンタが喜んだが、無断で番所を抜け出したことを詫びている。その姿を見ながら女将が、
「だんな。こんなところでなんですが、この娘(こ)は誰かに追われていて橋から突き落とされたってさ!」と言うと両断斎の顔つきが変わり、
「なんと、それを誰から聞いた!」
「いえね、うちのお客が見ていたってさ!」
 そこに松五郎の妻のオケイがオカヨの着替えを持ってきた。両断斎の厳しい顔つきにおどろくオケイを見て、
「だんな、あとはうちのがやりますから! 見ていたやつの方を急ぎやしょう」と松五郎。そのあとオケイがオカヨの着物を脱がしはじめると両断斎が、
「ああ、わかった。オケイ! すまんがここでオカヨと二人を見ていてくれ」と言って腰に大小の刀をすえた。その様子を見ていた非番の同心たちが一斉に番所に走る。
「だんな! オカヨちゃんの敵を打ちやしょう」と松五郎。
「ああ! 目星はついている」
「はいよ! さあ、だんなも一緒に」と、オケイがゲン担ぎの火打ちをして送りだした。

 こうして両断斎と松五郎は番所に立ち寄り、オカヨが飛び込んだとされる霊岸橋周辺の聞き込みに取りかかった。
 その手配が済んだころにオカヨの意識がもどり一言二言しゃべっては、また眠ってしまうようになる。それを見て佳乃丸とカンタが安心して眠りはじめた。
 しばらくすると夜も深まりオカヨの容態が落ち着いたという知らせを受けて両断斎が様子を見に戻った。医者はしばらく安静にして無理をさせるなと言い残して帰ったが、どうしてもオカヨのことが気になる両断斎が、
「オケイ、どうだ?」と聞く。
「大丈夫だって。心配いらないってさ! よかったね」と言ってオケイが涙ぐむ。
「ああ!」
「この子たちも安心したみたいで、いっしょに寝ちゃってさ」
「おお! 布団を借りてくれたのか」
「だんな、ほんとうに無事でよかったね。うちの人もそう言っていたよ」
「ああ、いつもすまぬ」と、両断斎がオカヨの顔を見ながら煙管に火をつけた。

 そのあとでオケイが佳乃丸とカンタの布団でうとうとしていると松五郎が握り飯を持って聞き込みの状況を伝えにきた。
「だんな、行ってきやした。これ、良かったら!」と、松五郎が包みをあける。
「ああ、そう言えば食べていなかった! それで?」
「へい! どうも飛び込んだにしては橋の真ん中というのがげせません」
「だれか一緒であったということか?」
「それそれ!」と言って松五郎が聞き込みの状況を話しはじめた。
「いやね! 見たやつはドボンと音がしたから振り返ったって言って、そっからしばらく苦しそうに浮いていたみたいで、その浮いていた場所が橋の真ん中あたりだって」
「うむ? 飛び込むところは見ていないのか」
「ええ! それに欄干らんかんは若い女が越えられる高さじゃねえし、人の目もあるでしょう!」と松五郎。
 このことにより岡場所の女将が言うとおりオカヨが誰かに橋の上から突き落とされたとわかる。しばらく考えながら両断斎が握り飯を食べおわった。
「まあ、オカヨが元気になったら聞いてみる。おれが残る。帰っていいぞ!」と両断斎が松五郎に帰宅をうながす。
「また、だんな! あっしが帰ったらオケイが何て言うか。今日のところはあっしが」と松五郎。するとオケイが目を覚まし握り飯を食べると言った。そこで両断斎は、
「わるいがあとは頼むぞ!」と言い残し八丁堀の同心長屋をあとにした。
 すでに時刻は子の刻(二十三時)をまわり行きかう人の数はわずかとなる。両断斎が与力長屋にかえる途中で雲は流れ満月があらわれた。


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