白と黒

上野蜜子

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第5章

反省と宥恕 7

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電話を切ってトイレから出ると、吉川さんが心配そうな顔でトイレの前まで出迎えてくれていた。

「話し声が聞こえましたけど、お電話されてました?すみません、お邪魔してしまったかな。結構ふらつきます?」

「大丈夫です…いつもこんな弱くないんですけど、なんか酔い回って来ちゃったみたいです、すみません」

「いえ、こちらは大丈夫ですよ。明日お休みですよね?どこかで休んでいきましょうか、このまま帰すのは心配なので」

「いえ、あの…とりあえずお水を頂きたいです…すみませんご心配をおかけして」

「いえ、大丈夫ですよ。…すみません、お水お願いします」

こんな酔ったのなんて、いつぶりだ?おかしい、3杯しか飲んでないのに…

そんなに強い感じしなかったけど。飲みやすいからって、ぐいぐいアイスティーのカクテル飲んだのがいけなかったか?しょっぱい食べ物に合うんだよ、恐ろしいほどに…

へろへろになりながらも席について、頼んでもらったお冷を頂く。生き返る…

「失礼ですが、先ほどお電話されてたのは…トラブルがあったというお相手ですか?」

「そ、そうです…すみません、吉川さんとのお話の最中だったのに。何も言わずにこの場に来てしまったので、報告だけでもしておかないとと思いまして」

「なるほど、大切な方なんですね」

「…そうなんです」

「…なるほど。僕も酔い回って来てますし、近いうちに担当も外れますし。仕入れ先とか考えないで、この際ですから何でも話して下さい、話すだけでもスッキリしますよ」

肩にゴツゴツした手が添えられる。

やばい。話す内容選んでたのバレてたか…

このぐらい会話術に長けてる人なら、そういうことも分かっちゃうのか?俺には分かんないわ…コミュ障だし…

ていうか、ボディタッチ増えてきてない?吉川さんも酔い回ってるって今言ったな。楽しくなって来てんのかな。大丈夫か?キス魔になったりしない?さすがに良い大人が、それは無いか…

「……たとえば、たとえばですよ?友達以上恋人未満…な関係の相手がいたとしますよ?」

「ええ」

「その相手のことが好きな男から、一世一代の恋を成就させたいから身を引くように頼まれたら…吉川さんならどうしますか?」

「うーん、そうですねぇ…」

顎に指を当て、考える素振りを見せる。

「僕ならですよ。面倒ごとにしたくないので、その方には了承の返事をしますけど、まあ絶対に身は引きませんね」

つ、つよい!!!

「僕は、手に入れたいものがあれば全力を出したい派なので。身を引けなんて言われて素直には引き下がれないですね。諦めるときは、何をどうしても自分のものにできないと確信した時だけです」

肩に置かれた手がすっと腰の方に移動してくる。

こそばしくて、びくっと体が強張る。やばい、恥ずかしいな。気付かれてないかな?

なんか…吉川さん、変なフェロモン出てない?目を覗き込まれて、思わず目を逸らしてしまった。

いや、なんか俺おかしいな。ちょっと触れられただけで、なんでこんな気まずい気持ちになるんだ。目だって、さっきから合ってたのに。

けどなんか…さっきまでとは違う、吉川さんの目つきがなんか妙に…色っぽいというか、いやどちらかというと肉食動物の眼差しのような…捕食されそうな感じがして、直視できない。

有り得ないのは分かっているが、なんとなく身の危険を感じる。おかしいよな、男同士なのに。けど、吉川さんの方ががっしりしているし、何かあったら力では敵わない気がする…

そんな、力で負けてしまうような状況にはならないはずなのに…なんでこんなこと思うんだろう。

よく考えてみなくても、白石さんのこと可愛いと思ったりとか、なんかおかしいよな。今までの人生で同性に対して特別何か感じたり思うことなんてなかったはずなのに、なんだか白石さんと出会ってから俺がどんどんおかしくなっていく。

なんでだ?俺、同性愛者だったのか?

けど、好きだって思うのは白石さんのことだけだし。

…あれ?俺、白石さんのこと…好きだって思…

…だめだ、頭がおかしくなってる。だめだ。

「…吉川さんは、すごいですよね…僕はダメダメですよ。挙動不審になっちゃって…簡単に相手を傷つけてしまいましたから」

「黒原さんは優しいから、そのぽっと出の男のことも傷付けまいと思ったんですよね、きっと」

「優しい…のか分からないけど、そうなんです」

「まあ…正直、誰かに何か言われて変わってしまうような関係なら、元々そんな関係なんだと思いますよ。人間関係なんてそんなもんでしょう」

グサッ!!!

これ、最後白石さんにも言われたぞ!!

「あ、すみません、黒原さんが悪いとかではなくて、黒原さんとそのお相手の関係がってことです。誰が悪いとも別に思わないのですが、この場合はただ単に元々そうなるような関係だったってことなんじゃないですかね」

「…うう、そうなんですかね…」

「まあ、僕なら黒原さんをそんなに悩ませたりはしませんけどね」

カウンターに肘をつき、腰に当てられていた手にぐっと力が入る。

いや、これはさすがの俺でも気付く。もしかしてさっきから俺、口説かれてたりする?

腰に添えられた手から体温が伝って、変にぞわぞわする。

「な、悩ませないって吉川さん、ちょっとそれなんか口説いてるみたいじゃないですか!」

わざと明るく笑いながら言ってみるが、吉川さんは表情を崩さない。

「ん?口説いてたら何かまずいですか?」

「ま、まずいっていうか…疑問しかないですよ!」

「なぜです?」

「な、なぜって…あまりにも接点が無さすぎるじゃないですか、俺と吉川さんって」

なぜ自分が迫られて口説かれてるのか、全く分からない。全く分からないが、とてもまずい雰囲気になって来ている気がする。水を飲みながら、動かない頭を必死に働かせる。

「…僕の話になってしまうんですけど、実は体壊して前職を辞めてるんですよ。今の会社は2社目です」

「え…」

「前も営業職だったんで、自分の培った知識と技術使うなら営業職しかないと思って、同じ職種で仕事探したんですが…さすがに社会復帰して最初の商談の前は手も足も震えましたよ。前の職場で、厄介な取引先に当たったのがきっかけで体調崩したので」

今は転職が当たり前と言われるが、ずっといた職場を辞めて別の場所でまた人間関係も一から、って相当勇気も気力も要ることだよな。

こんな完璧そうな吉川さんにも、そんなことがあったのか。

「こんな事情、黒原さんには全然関係ないと思うんですが…今の会社に入って一番最初の商談にあたってくれたのが黒原さん方だったんですよ」

「え、そうだったんですか」

「黒原さん自分じゃお気付きにならないと思うんですけど、喋り方も気遣い方も、本当に安心するんですよ。すごく柔らかい雰囲気をお持ちだから。僕が今の会社で続けられてるのは最初に黒原さんとお話しできたからだと思ってますよ、本当に感謝してます」

ま、待て待て待て。全然覚えてない。何年前の話だ?吉川さんの会社って、随分前から付き合いあるよな。

「い、いや、そんなそんな…僕が何かしたわけじゃないですよね?それ、吉川さんがお仕事できる方だからですよ!俺のおかげとかじゃありませんって絶対…」

「もちろん、僕も技術が全く無いわけではないですよ。自分で言うのも何ですが、仕事はそれなりにできる方だと思います。でも、もし最初で躓いていたら、少なくとももう営業職には戻れなかったと思います」

お、俺も人生で一度は言ってみたい、仕事はそれなりにできる方って…

ていうかこれ、絶対俺のこと過大評価しすぎだって。多分、なんも考えずに話してたのがめちゃくちゃ良い受け取り方されただけだって。絶対そう、俺に気の利いたことなんて言えるわけがないから。

「黒原さんの会社、また店舗増やすってお話ししてくださってたんで、うちからも…本当は僕が全力でサポートさせて頂きたかったんです。エリア移動は上が決めたことなので、今後は後任にしっかり引き継ぎして不便のないようにしますけど、黒原さんのことだけがどうしても諦めきれないんですよ」

「え?な…諦めきれないって…」

「先ほども言いましたが、僕は黒原さんを悩ませないですよ。同性だからとか、今の人間関係とか、会社付き合いだとか一旦は考えないでください。僕と付き合ってみませんか」

ストレートな言葉と態度で、ぼっと顔が熱くなる。

な、今の告白…だよな?待って、落ち着け、顔赤くしてる場合じゃない。変な間を開けるな、口を開け、頭を働かせろ、酒に負けるな黒原三芳…!

「いや、えっと、そんな…待ってください。僕にそんな価値全くないですよ、冴えないし良いとこないし、ほんとに…」

「そんな悲しいこと言わないで。黒原さんは本当に素敵な人ですよ、初めてお会いした時から気になってたんですから。付き合うのに抵抗があるなら、お友達から始めませんか?」

「あ、……ちょっと待って…」

いかん、このイケメンに見つめられると変な気持ちになってくる。

顔を見られるのが苦手で、自分の顔の劣等感とかももちろんあるが…混乱しすぎて、いろんな感情でぐちゃぐちゃになる。

頭も回らない。やばい、くらくらする…

「…顔赤いですね。お店出て、ちょっと他で休んでいきましょうか、介抱しますよ。立てますか?」

腰を引き寄せられる。やばい雰囲気出てない?休む?介抱って?変な意味じゃない?やばい、頭が働かない…

引き寄せられるままにカウンター席から降りたその時、

「大事なお話の最中に失礼いたします、三芳がいつもお世話になっております」

背後から、久しぶりに聞く透き通った声…

「…し、しらいしさ…」

いつもより少し乱れた髪で、いつもの営業スマイルで…いや、目が笑っていない…白石さんが俺の体を支えるように、肩を引き寄せた。

「…こちらこそ、黒原さんにはいつもお世話になっております。ええと、あなたは…」

吉川さんの顔もさっきまでとは違う。商談中のような、ぴりっとした作られた笑顔に切り替わる。

「白石と申します。体調が優れないと先ほど着信があったので、心配になり迎えに来ました。せっかくの会食の場をお邪魔してしまい申し訳ございません」

「いえ、邪魔なんて。楽しそうにされていたので、体調が優れないとは気付かずすみませんでした。これから少し休ませようかと思っていたところでしたので」

やばい、今絶対に会わせてはいけない2人を見事に巡り合わせてしまった…

「お気遣い頂きありがとうございます、そういうことなら、あとはこちらにお任せください。お支払いはこちらで足りますか?」

白石さんがすっと一万円札を出…あ、やばい、会計か。俺の財布はカバンの中に…

カバンを手に取ろうとするが、肩を掴む白石さんの力が強い。動くなってことか…?分かりました…

「いえ、今日はお詫びと感謝の気持ちでご馳走する予定だったので、お代は結構です」

「そうしましたら、ご迷惑をおかけしてしまったので迷惑料としてお受け取りください」

そのまますっとカウンターに万札を置く白石さん。

「本日は大変失礼を致しました、レディキラーカクテルについてきちんと教えて、2度と飲まないよう厳しく言っておきます。また今後とも三芳をよろしくお願いいたします」

「いえ、こちらは受け取れませんよ。とても楽しい会食でしたので、お気になさらず。こちらも飲まれるカクテルの度数などしっかりお伝えしておくべきでしたね。また今後も良いお付き合いをさせて頂ければと思いますので、よろしくお願いいたします」

吉川さんが万札をすっと押し戻すが、白石さんもにっこりとしながら再度吉川さんの方に再び滑らせた。

「では本日はこちらで失礼させて頂きます。お気をつけてお帰りくださいね」

ぺこりと会釈をすると、俺のカバンを拾い上げ席を離れようとする。

あ、ハンカチ!吉川さんに渡さないと…

「あ、白石さん…ちょっと…あの、吉川さん、すみませんハンカチを…」

白石さんの肩にかかるカバンのポケットから、みどりさんのハンカチが入った包みを取り出す。

「ハンカチ?……ああ、あの時のですね。破棄せずに保管してくださってたんですね、渡しておきます。ありがとうございます」

「吉川さん、あの…本日は本当に、ご迷惑をおかけしてすみませんでした。素晴らしい場を設けてくださって、ありがとうございます。今後ともよろしくお願いします、みどりさんにも、改めて謝罪を伝えておいてください…」

「はい、ありがとうございます。また飲みましょう。そんで、何かトラブルがあったら呼んでください。いつでも駆け付けるので」

白石さんの方をチラッと見る。

ギク!そ、それは、や、やめて…やめて…

「大丈夫です、もうありませんから。…ね、黒原さん?」

「…は、はい」

耳元で名前を呼ばれ、更に笑っていない目で笑いかけられて、思わず唾を飲み込む。

そういえば今日初めて、三芳って下の名前呼ばれたな…今更なんか、ドキドキしてきてしまった。

いや、違う。この2人怖すぎる。絶対そっちのドキドキのほうが強い。お互い笑顔で会話してるのに、氷点下だった。息止まるかと思った…

あれ?そういえば…黒原って名字の男は俺だけじゃないだろうに、吉川さんはみどりさんとぶつかったのがなぜ俺だと分かったんだ?

ハンカチのことも、あの時のって言ったけど…俺話したっけ。みどりさんから聞いたのか?

あれ、そもそも俺って自分の名前、名字だけで登録してるのに…あの時みどりさん、俺の下の名前なんで分かったんだ?

なぜ…?

何かがつながりかけた気がしたが、頭が働かなくて一切まとまらなかった。


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