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第7章
波乱と頓挫 2
しおりを挟むバスに乗り美術館に到着し、事前チケットでスムーズに入場する。
日曜ということもあってか、カップルや家族連れも多くそこそこの雑踏がある。
美術館デートなんてしたことがなかったから、ネットで調べまくってどう楽しむものなのか勉強はしてきていたけど、混雑度まで考えていなかったな…もっと静かな雰囲気を想像していたから、白石さんには騒がしすぎたりしないか?と少し不安に思っていると、
「今日、すこし賑やかで良かったですね」
と白石さんがこちらを振り返った。
「え?良かったですか?」
「だって、ここまで人の話し声があれば…僕たちが何話してても誰も気にしないでしょう?」
「え?ああ、確かに…?」
そうか、そういうものなのか?
美術館デートって、しっとりと静かな空間でたまに小声で話しながらまったりした時間を過ごすって書いてあったけど…
ちらっと周りを見ると、俺達と同じように男性2人や女性同士の組み合わせもちらほら見かける。静かだったら会話も響きそうだが、ここまで賑やかだと確かに誰が何話してるか全く分からない。
「たとえば…そうですね、寝る前におやすみのキスって言ってきたの可愛かったなぁ…とか」
「あ、ちょっと!そういうのは無しですよ!」
白石さんが心底楽しそうに口元を押さえて笑う。
心の準備も何もない状態で突然ぶっ込んで来るから、せっかく意識しないようにしているのに全く無意味なものになる…
改めて言われると恐ろしいほどに恥ずかしいし、この冴えない男が何言ってんだ…と思うと穴があったらぜひ入らせて頂きたい。
それにしても…美術館なんて中学の遠足以来初めて来たかもしれない。多少賑やかではあるけど、美術館特有のこの空気を以前もなんとなく好きだと思ったのを思い出した。
俺は芸術的なタイプでは全然ないけど、学生の頃美術関係の授業は割と好きだった。作者がどんな人間だとか歴史背景とかの難しいことはよく分からないし覚えられないが、何かを作って誰かがそれを大切に保管して、後世まで形に残すことができるというのはすごいことだ…と思う。
ぐるっと見回すと、誰もが一度は見たことがあるんじゃないかというぐらい有名な絵が目に止まった。
「あ、この絵…昔教科書に載ってましたよね。俺、落ち葉拾いだと空見した記憶がありますよ」
「それは割とあるあるですね、落ち葉拾いで覚えたままになってる方もたくさんいると思いますよ」
「やっぱりそうですよね?他にも見たことがある絵ないかな…」
「この絵も記憶にありませんか?種まく人。これが一番有名かもしれないです、この後にゴッホも同じテーマの絵を描いてるんですよ」
後ろで手を組みながら絵を眺めて、ゆっくり歩く白石さん。
すらっとしてて背筋も伸びてて、いつも清潔感があって…
正直、絵画よりも白石さんに目が行ってしまう。この人がむしろ芸術だろ。
横顔も綺麗だし、よく見ると後頭部がすごい良い形…イケメンは頭の形まで綺麗なのか…?
いつもびしっと決まっていて格好良いけど、今日のジャケットスタイルも恐ろしく決まっている。ガリガリじゃないのに細身で、シルエットが本当にモデルみたいで…洋服たちも、ここまで着こなしてもらったら本望だろうな。
じろじろ見過ぎたのか、俺の視線に気付いたようで少し照れたように笑いながらこちらを見る白石さん。
「どうしたの黒原さん。僕、何か付いてますか?」
「いや…いつも思うんですけど、スタイル良いよなぁって…」
「え、そうですか?細すぎたりしないですか?」
体をひねって自分の体をチェックする白石さん。意外だ、そういうとこ気にしてるんだな…
「いや、ただ細いとかじゃなくて芯がしっかりしてるというか…引き締まってて理想の体型です、鍛えてるって言ってましたもんね」
「実は昔からジム通いしてるんですよ…元が細すぎなので、ちゃんと体動かさないとすぐもやしになっちゃうんですよ。けどそう言ってもらえて嬉しいです」
もやしという表現が白石さんの口から出るのも意外だし、何より言い方があまりにも可愛すぎて一瞬内容が頭に入ってこなかった。
え、ていうかジムって痩せるために通うところじゃないのか…?
細すぎるからジムに通うという逆パターンも存在したのか…!?
「白石さんって…美意識高くてホントすごいですよね。ジムもそうだけど、髪もちゃんとトリートメントしてるし、肌だっていっつもつるつるだし。そんでそれをずっと続けるっていうのが本当にすごいですよ…」
「ちょっと黒原さん、ヘアケアは男子の基本ですよ。前も言ったでしょう」
「いや絶対基本じゃないですって…その一手間が難しいんですよ。白石さんは努力家で偉いです…」
「…褒めすぎですよ、照れてしまいます」
はにかみながらそう言うと、くるっと背を向けて他の絵を見に行く白石さん。
…この人、俺が顔赤くするとこっち向けとか言うのにずるいよな。
そのすぐ後ろをついていく。
「…毎日仕事頑張ってて偉いし、部屋もいつも綺麗にしてるし、服もシワもホコリもついてないし…清潔感をずっと保ち続けてて本当にすごい」
「ちょっと黒原さん…」
「気遣いもできて物腰も柔らかくて言葉遣いもていねいで…すごいスマートでかっこいいのに笑顔とかしぐさとかすごく可愛いし」
「もう、僕はいいですから絵を見てください絵を」
「それになんかいつも良いにおいだしたまに敬語はずれるのもすごいグッと来るものがあるし…」
「…黒原さん」
白石さんがいつもの得意技を放ちながら振り向く。
が、耳まで赤くなっていていつものような大蛇の気迫がない。睨んでいるようなのに、逆効果すぎる。あまりにも可愛すぎる。なんだこれ。
「黒原さんはやさしくて人のことをよく見てますよね、何を言っても嫌味っぽくならないし、ストレートで素直なところが本当に素敵です」
「あの、ちょ…」
そして突然、白石さんの仕返しが始まってしまった。
頬を赤くしたまま距離を詰めてくる。
「僕の話をちゃんと聞いてくれるし僕のことを信用してくれるし、お料理は上手だし隣にいるだけで落ち着くしとても幸せな気持ちにもなるし…」
「待って待って…すみませんあの」
「さりげなく車道側を歩いてくれるところとか座る時は上座に誘導してくれたりとかこまやかな気遣いが感じられて嬉しいですし、僕の家にいるとちょっとそわそわしてる感じもとても可愛らしいと思いますしスキンケア全然してなさそうなのにくちびるはいつもしっとりしてて」
「ごめんなさい。調子に乗りました…」
センシティブな話題に入りかけたことを察知し、両手を合わせて頭を深ーく下げる。
…なんだこれ、正面切って褒められるのってなんでこんなにいたたまれないというか、こんなに恥ずかしくてむずがゆい気持ちになるんだよ…
「僕を甘く見てないですか、こういうの無限に出てくるんですからね。本当ですよ。5倍ぐらいにして返さないと気が済みません」
「何を言ってるんですか…負けず嫌いとかいう問題じゃないですよそれ」
顔が熱い。じんわり背中に汗すらかいてる。大人になるにつれて人から褒められる機会ってどんどん減っていくし、免疫がついていない…というか褒められるというより途中からお互いの好きなところ言ってるだけじゃなかった?気のせいか?
いつも涼しい顔をしている白石さんだが、今は俺と同じ状態らしい。顔を赤くして鼻頭を手の甲で拭っている。そんな仕草も大変絵になる…
「あとでじっくり褒め殺して差し上げますから、覚悟していてくださいね」
「そんな宣戦布告初めて聞きましたよ、やめてください…参りました、すみませんでした」
やばいな。俺だいぶ浮かれてるかも…
美術館が静かじゃなくてよかった。そもそも静かだったらこんなやりとりはしていないと思うけど。
愛しいな、白石さん。この人の隣にずっと居られたら良いのに。
俯きながらふぅっと息を吐いて、おそらく気持ちを落ち着けようとしているであろう白石さんの耳を、赤みが引く前に目に焼き付けておこうと斜め後ろからしばらく眺めている時間がとても幸せに感じた。
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