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7匹目:ごろごろナッツのブラウニーは情報屋への賄賂に消える 2

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癖のない紅茶をストレートで飲む。
以前クロエから缶ごと貰った、これまたクロエのお気に入りである。


本日はクロエの接待だ。ベルノルトの『悲恋の騎士』について否定する噂を流してもらおうと思って話をしたら、なぜか叱られてこうなってしまった。クロエ曰く、『そこまで関わってしまったのならもう遅い』とのこと。

やはり首を突っ込みすぎた――いや、その前に泣きそうな顔をしたアンジェリカを迎えた時点で詰んでいたのだろう。

昨夜のジェマは、しょんぼりしながらブラウニーを作った。そうしたらせっかく用意した生クリームを忘れた。



「でもそもそもの話、エリオット様が期待されていないからアンジェリカ様のところへの婿入りが決まったというわけではないらしいのよ。

エリオット様とお兄様のデイビット様は異母兄弟なのだけどね、エリオット様のお母様が隣国の公爵家出身、デイビット様のお母様がこの国の伯爵家出身なの。だからデイビット様には結構自由が許されているけど、エリオット様は結婚相手いかんで政治的にかなり危ないわけ」


こればかりは平民のジェマには本当によくわからない。と思ってしまうが、平民と違い貴族は血統によって遺伝するものを多く残している。

例えば、アンジェリカが契約した精霊も、ランプリング公爵家を好んでずっとランプリング公爵家の人間と契約し続けているそうだ。だからアンジェリカが優れていることは間違っていないが、そもそもランプリング公爵家に生まれていなければ契約はできなかっただろう。それをエリオットが嫉んでも仕方がないのだ。

2国の王家の血を色濃く引くエリオットは、ただでさえ利用価値が高い。たとえ王位継承権を放棄して子どもを残せないよう処置をしたとしても、自由にしていいよとはいかない。特にエリオットはわかりやすくアンジェリカに嫉妬する素直なところが隠せていない。さらに両親に可愛がられているエリオットを自由にさせれば、トラブルが起きるに決まっている。

だから中立派筆頭のランプリング公爵家へ婿入りすることになったらしい、とクロエはわかりやすく説明してくれた。持つべきものは友人だ。


「王族って大変だよねって話だね」

「ざっくりまとめすぎよ、馬鹿猫」


もっくもっくと齧り付いていたブラウニーのお皿を取り上げられて、しょんぼりと肩を落として見せる。

そのままそっと皿が戻されるのを見て、にっこり笑い返すとぺちんと額を叩かれた。


「まぁ婚約の事情はともかくとして。アングラ―ド伯爵家はランプリング公爵家の寄子なの。ざっくり言えば、ランプリング公爵家の派閥内でエリオット様の周りを固めているということよ。それこそベルノルト様以外もね」


クロエは一口紅茶を含むと、ふわりと口元を綻ばせた。

クロエお気に入りの紅茶を用意したかいがあった。ふふんと得意げに微笑んだジェマを見て、「もう」と言ってクロエはため息を吐いた。


ジェマは知っている。クロエは小さくて可愛いものが好きだ。つまりはジェマのことを可愛がるのも好きなのだ。今だって隙あらば不貞腐れて机に突っ伏すジェマの頭もちょくちょく撫でている。

今の「もう」と苦笑は、そんなときのうっとり顔と同じである。

でも耳を触るのはダメだ。耳に触れられるたびにぴるぴる頭を振るわせて拒否している。


「だけどね、やっぱり騎士が主人の婚約者に横恋慕してるって相当危ないのよ。物語だとロマンチックだなんだって人気になっていたりするけど、信頼できない護衛なんて意味がないわ。

好きだから命をかけても護ってくれるんじゃないのとかそういうことじゃないのよ。護衛を連れているだけで男と密会してたなんて疑いをかけられたらたまったもんじゃないわ」


ロマンチックさの欠片もない話だ。けれど現実的にはこんなものだろう。護衛が護衛として機能しなければ意味がない。


どうりで『悲恋の騎士』に黄色い声を上げているのが、下位貴族令嬢ばかりなはずだ。

なんとしてでも良い成績で卒業して、良いところに就職してしようと努力している平民や、家を背負っている自覚のある高位貴族令嬢と比べると、彼女たちの言動が1番自由で無責任だ。


もちろんしっかりしている下位貴族令嬢も大勢いるが、リリアンの真似をしている生徒の7割が男爵家か子爵家の令嬢たちだということからも察せられる。

ちなみに残りの3割の内訳は、2割が伯爵令嬢で、1割が男子生徒である。平民の女子生徒は早期のうちに躾済み、もしくはすでに処分を受けている。


「んじゃぁなんでこれまで『悲恋の騎士』は放置されてたの?」

「信憑性がなかったからよ。貴族になったばかりの問題児リリアンが発端の噂を信じ切って、アングラ―ド伯爵家の騎士見習いを見限るなんて間抜けすぎるわ。対処できるような人間はほとんど信じていないのよ」

「じゃ何もしなくて大丈夫そ?」

「いいえ。それはそれとして、否定するならちゃんと否定しておいた方が良いと思うわよ。ランズベリー嬢のことを知らない人が噂を聞いてしまったら、取り返しの付かないことになるかもしれないもの。あとあなたリラックスし過ぎよ。ほら、ぽろぽろ落とさないの」


落としてないしと言い訳しながら、ナプキンで口元を拭いテーブルも拭く。


ここマグワイア魔導学園を含め、この国の高等科は5年制で15歳~20歳前後まで通うのが基本だ。ただし入学するための年齢制限はないため、マグワイア魔導学園のようなハイレベルな学校では結構年上の同級生もいる。

ジェマはやればできる子なので15歳で入学したが、クロエは同級生で17歳だ。ついでにアンジェリカは14歳で入学したが、エリオットはアンジェリカの同級生で17歳で入学した。

だから劣等感を抱いてしまったエリオットではなく、アンジェリカに我慢を強いるというのはわからなくもないが腹は立つ。


ジェマはエリオットと直接話したことはないけれど、リリアンを好んでいて、かつアンジェリカを泣かせたというだけで、彼の株は大暴落している。


貴族令嬢の社交界デビューは高等部卒業後が1番多いらしい。けれど20歳で成人となるため、中にはすでに社交界に顔を出している生徒もいる。そうでなくても、全員が寮に入っているわけではない。自宅から通っている生徒から家族へ、不確かでも不名誉な噂が出回れば損失は大きい。

リリアンよりも、すでに有名なアンジェリカとベルノルトのゴシップの方が話題性は高い。

嘘でも本当でも、否定できるうちに否定しておかなければ、大変なことになってからでは遅いのだ。




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