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上
参.志
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着物は裃ではないが、羽織と供に紋付きで、併せて袴もあった。
どこの紋だろう。柚月は疑問に思った。
柚月一華というのは、人斬りとしての名だ。本名は栗原一華という。偽名の柚月の姓に紋などない。
いや、実在する柚月家の紋なのだろうか。柚月が離れの廊下に座り、着物を手に、月明かりでその紋をじっと見ていると、雪原がやって来た。
「似合っていましたよ」
と、微笑む。昼間着て見せたからだ。
「雪原さん、この紋」
この着物を着た時、鏡子も同じ疑問を抱いたようだった。柚月の立派な姿に目を細めながらも、「柚月家の紋って、そんな形なのね」と漏らした。だが雪原が、「ああ、いや」とあいまいな声を出し、
「柚月家の紋が分からなかったので、柚月にゆかりのある家の紋を借りたのですよ」
と苦笑するので、察したのだろう。鏡子はそれ以上聞かなかった。
そして今度は柚月に問われ、
「柚月が着て、問題ない物ですよ」
と雪原は微笑んだ。その微笑みに、柚月は妙に納得させられた。というより、それ以上聞けなかった。それ以上踏み込んでも、おそらく雪原は答えないだろう。そう感じさせる、壁のような微笑みだった。
雪原は柚月の隣に腰を下ろし、月を見上げている。きれいな満月だ。
「柚月がここに来た日も、こんな夜でしたね」
遠い記憶に話しかけるように言う。あれから、どれほども月日は経っていないのに、随分昔のことのように思う。
「柚月」
雪原は現実に戻ってきたような、はっきりした口調になった。
「志はまだありますか?」
再び聞いた。柚月がここに来て間もなくの頃、ケガの熱から覚めた日、雪原は柚月に同じことを聞いた。
「この国をいい国にする。弱い人が、安心して暮らせる国に。その思いはまだありますか?」
雪原の真直ぐな目に、柚月もまた、真直ぐに応じる。
「はい」
その答えは、あの時と同じ、明瞭だ。
「いい国になったらいいなではなく。いい国にする、と?」
柚月の目に、強い光が宿る。
「願っているだけでは、何も変わりません。自分が動かなければ、世界は、変わらない」
雪原は頷いた。雪原は、柚月のこの目が、自身にとっての心星になる、と思っている。それはつまり、この国の心星だ。
心星、それは、北の空にゆるぎなく輝く北極星。小さく弱い。だが、闇夜に迷う人々に、確かな道を示している。
「でも」
と、柚月は弱々しい声を出した。
「でも、方法が分かりません」
開世隊にいた頃、政府に代わり、開世隊が国づくりをすると信じていた。だが、現実は、全く違うものになった。柚月は、「いい国」という向かうべき先は見えているのに、そこに向かう道を失ってしまった。
肩を落とし、自信なさげに庭を見ている。
「学びなさい」
力強く、芯のある声だった。柚月が振り向くと、雪原は真直ぐに、柚月を見つめていた。
「学びなさい。自分で判断し、決断し、行動するために」
かつて、柚月は楠木の背ばかりを見ていた。この背が進む方向が正しいのだと信じ、自分の目では世界を見ず、自分の意見も持っていなかった。善か悪か。そんなことさえ、自身で決められず、胸の内に湧いた疑問と向き合うことさえできずに、弱々しく迷った。
だが、誰かの判断に頼る時期はもう過ぎた。柚月はもう、自分自身の力で、自分の人生を歩むべきだ。雪原はそう思っている。
「道を切り開きなさい。自分自身の力で」
柚月の中に、光が差した。ぱっと、良く晴れた夏空のような笑顔になる。
「はい!」
真直ぐなまなざしで、そう答えた。
どこの紋だろう。柚月は疑問に思った。
柚月一華というのは、人斬りとしての名だ。本名は栗原一華という。偽名の柚月の姓に紋などない。
いや、実在する柚月家の紋なのだろうか。柚月が離れの廊下に座り、着物を手に、月明かりでその紋をじっと見ていると、雪原がやって来た。
「似合っていましたよ」
と、微笑む。昼間着て見せたからだ。
「雪原さん、この紋」
この着物を着た時、鏡子も同じ疑問を抱いたようだった。柚月の立派な姿に目を細めながらも、「柚月家の紋って、そんな形なのね」と漏らした。だが雪原が、「ああ、いや」とあいまいな声を出し、
「柚月家の紋が分からなかったので、柚月にゆかりのある家の紋を借りたのですよ」
と苦笑するので、察したのだろう。鏡子はそれ以上聞かなかった。
そして今度は柚月に問われ、
「柚月が着て、問題ない物ですよ」
と雪原は微笑んだ。その微笑みに、柚月は妙に納得させられた。というより、それ以上聞けなかった。それ以上踏み込んでも、おそらく雪原は答えないだろう。そう感じさせる、壁のような微笑みだった。
雪原は柚月の隣に腰を下ろし、月を見上げている。きれいな満月だ。
「柚月がここに来た日も、こんな夜でしたね」
遠い記憶に話しかけるように言う。あれから、どれほども月日は経っていないのに、随分昔のことのように思う。
「柚月」
雪原は現実に戻ってきたような、はっきりした口調になった。
「志はまだありますか?」
再び聞いた。柚月がここに来て間もなくの頃、ケガの熱から覚めた日、雪原は柚月に同じことを聞いた。
「この国をいい国にする。弱い人が、安心して暮らせる国に。その思いはまだありますか?」
雪原の真直ぐな目に、柚月もまた、真直ぐに応じる。
「はい」
その答えは、あの時と同じ、明瞭だ。
「いい国になったらいいなではなく。いい国にする、と?」
柚月の目に、強い光が宿る。
「願っているだけでは、何も変わりません。自分が動かなければ、世界は、変わらない」
雪原は頷いた。雪原は、柚月のこの目が、自身にとっての心星になる、と思っている。それはつまり、この国の心星だ。
心星、それは、北の空にゆるぎなく輝く北極星。小さく弱い。だが、闇夜に迷う人々に、確かな道を示している。
「でも」
と、柚月は弱々しい声を出した。
「でも、方法が分かりません」
開世隊にいた頃、政府に代わり、開世隊が国づくりをすると信じていた。だが、現実は、全く違うものになった。柚月は、「いい国」という向かうべき先は見えているのに、そこに向かう道を失ってしまった。
肩を落とし、自信なさげに庭を見ている。
「学びなさい」
力強く、芯のある声だった。柚月が振り向くと、雪原は真直ぐに、柚月を見つめていた。
「学びなさい。自分で判断し、決断し、行動するために」
かつて、柚月は楠木の背ばかりを見ていた。この背が進む方向が正しいのだと信じ、自分の目では世界を見ず、自分の意見も持っていなかった。善か悪か。そんなことさえ、自身で決められず、胸の内に湧いた疑問と向き合うことさえできずに、弱々しく迷った。
だが、誰かの判断に頼る時期はもう過ぎた。柚月はもう、自分自身の力で、自分の人生を歩むべきだ。雪原はそう思っている。
「道を切り開きなさい。自分自身の力で」
柚月の中に、光が差した。ぱっと、良く晴れた夏空のような笑顔になる。
「はい!」
真直ぐなまなざしで、そう答えた。
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