12 / 51
第二章 目覚め
壱.柚月
しおりを挟む
それから五日間、柚月は高熱にうなされた。
うなされながら、夢を見た。
あれは、三年前。
都に来た日のことだ。
柚月は楠木に呼ばれた。
松屋の一室。
窓辺に立つ楠木の後ろで、月が明るく、後光のようだった。
「政府と対話の場を持ちたい」
ちょこんと座っている柚月に、楠木は徐に話し出した。
柚月はまだ幼さが目立つ顔をまっすぐに楠木に向け、真面目に聞いている。
だが、楠木が言っている意味が分からない。
ただ、楠木と二人きりの部屋は異様な空気に包まれ、どういう意味ですか? などと、聞けるような雰囲気ではない。
黙って聞いた。
「だが、今のままでは無理だ。我々は志はあっても、国の後ろ盾もない。立場が弱すぎる。これでは、政府の者と同じ席につくことさえできない。例えそれがかなったとしても、対等に話し合うことなど到底できない」
そうまで言うと、楠木の声に鋭さが混ざり、核心を突くような口調に変わった。
「政府の力を、弱める必要がある」
楠木のまなざしが、不気味なほど静かだ。
柚月は、底知れない恐ろしさを感じた。
「一華」
「はい」
緊張が走る。
いつもの楠木と違う。
それが柚月には、何とも言えず恐い。
「お前に、参与、居戸寄親を暗殺してもらいたい」
柚月は、一瞬耳を疑った。
そして次第に、その言葉の重みに手が震え出した。
首筋を伝う汗が、冷たい。
「我々の内で、お前が一番腕が立つ。ほかの者がやれば、そばにいる家臣や護衛も斬らざるを得なくなる。だが、お前なら、ほかの者を殺さずに、居戸だけを殺れる。余計な殺しをしなくて済む」
柚月は硬直し、楠木から目を逸らすことができない。
固く結んだ唇が震えている。
「お前がやらなければ、ほかの者がすることになる」
柚月は、うつむき、ぎゅっと拳を握りしめた。
楠木の強いまなざしが、攻め立ててくる。
追い込まれ、逃げ場が無くなっていく。
楠木はわずかに口角を上げると、柚月に背を向け、空を見上げた。
「きれいな月だな」
背を向けているが、楠木は柚月に語りかけている。
柚月はゆっくりと顔を上げた。
「柚子みたいに真ん丸だ」
楠木の背中越しに見える空に、きれいな満月が浮かんでいる。
「夜の闇を、明るく照らしてくれる。お前も、あの月と同じだ」
楠木がゆっくりと振り向くと、柚月はまっすぐに楠木を見つめていた。
小さな体で、不安や恐怖に耐え、重圧に押しつぶされそうなのを必死に堪えている。
だがその弱々しさとは裏腹に、その目は、純粋な強い光を宿している。
楠木は口元がニヤリとしそうになるのを、こらえて隠した。
「これからお前は、柚月一華だ」
それは、人斬りの名。
その名で、人斬りとして生きろと言う宣告。
柚月は、ぐっと拳を握りしめた。
「はい」
迷いがなかったわけではない。
だが、ほかに道もなかった。
案内役の真島と松屋を出た。
どういうわけか義孝も、緊張でこわばった顔でついて来た。
見知らぬ都の道は、永遠のように長く感じられた。
できれば、永遠に続いてほしかった。
だが、残酷な現実がやってくる。
人の気配に、三人は立ち止まった。
塀の陰から様子をうかがうと、通りに、四~五人の集団。
真島が顎で指し、絶望にも似た感情が柚月を襲った。
逃れられるものなら、逃れたい。
引き返せるものなら、引き返したい。
だが。
柚月は一歩踏み出た。
あと一歩出れば、塀の陰から出る。
あと一歩出れば、もう…。
戻ることは、許されない――。
柚月は硬く目を閉じた。
すべてを、断ち切るように。
飲み込むように。
義孝が、震えながら親友の背中を見守る。
柚月は高まる鼓動を抑え、呼吸を整えた。
――行くしか、ないんだ…!
ぐっと唇をかみしめると、一人、飛び出した。
「居戸寄親殿とお見受けいたす!」
静かな通りに、柚月の鋭い声が響く。
集団の中央にいた男が振り向き、同時に、ほかの男たちがその男をかばうように囲いって構えた。
「何者だ!」
一人が声を張ると、柚月は抜刀と同時にその声の主を切り払い、続けざまにほかの男たちも切った。
あっという間。
突然の出来事に、居戸は腰を抜かし、逃げようとするが体が動かない。
「助け…助けて…くれ…」
居戸の脅え切った目が、柚月の目とあった。
鬼のような、冷たい目。
情を宿さない、人斬りの目だ。
「新しい、国のために」
柚月は己に言い聞かせるようにそう言うと、居戸の心臓を貫いた。
わずかなうめき声を残し、一人の男の命が終わった。
躯が、無抵抗に地面に崩れる。
刀を抜くと、夥しい量の血が吹き上がり、雨のように柚月に降り注いだ。
生温かい。
わずかに残った、命の温もり。
柚月はじっと地面を見たまま動かない。
ただ小さな肩だけが、荒々しい呼吸に合わせて大きく上下している。
妙に静かだ。
何もかも、遠くに感じる。
自分を濡らす血の雨も。
あたりに立ち込める鼻がイカレそうになるほどの血の匂いも。
ただ、肉を刺し骨を砕いた感触が、一人の人間の命を奪ったという重圧が、生々しく手にこびりついている。
倒れていた護衛の男がわずかに動き、柚月はハッと我に返った。
地面に落ちた刀を握ろうとしている。
ほかの男たちも、うめきながら、わずかに動いている。
柚月は男たちをそのままに、素早く真島たちの元に戻った。
「よくやった」
そう言って柚月の肩を叩いた真島は、驚きと脅えが混ざった複雑な顔をしていた。
先に真島が駆け出し、柚月がそれに続こうとすると、後ろからぐっと腕を強くつかまれた。
振り向くと、義孝の顔があった。
心配そうな、だが、励ますような顔だ。
それを見て、柚月の目から鬼が消えた。
緊張の糸が解け、自然と笑みが漏れる。
義孝もニッと笑った。
そうして二人は、一緒に都の闇を走り出した。
ずっと、二人一緒に――。
うなされながら、夢を見た。
あれは、三年前。
都に来た日のことだ。
柚月は楠木に呼ばれた。
松屋の一室。
窓辺に立つ楠木の後ろで、月が明るく、後光のようだった。
「政府と対話の場を持ちたい」
ちょこんと座っている柚月に、楠木は徐に話し出した。
柚月はまだ幼さが目立つ顔をまっすぐに楠木に向け、真面目に聞いている。
だが、楠木が言っている意味が分からない。
ただ、楠木と二人きりの部屋は異様な空気に包まれ、どういう意味ですか? などと、聞けるような雰囲気ではない。
黙って聞いた。
「だが、今のままでは無理だ。我々は志はあっても、国の後ろ盾もない。立場が弱すぎる。これでは、政府の者と同じ席につくことさえできない。例えそれがかなったとしても、対等に話し合うことなど到底できない」
そうまで言うと、楠木の声に鋭さが混ざり、核心を突くような口調に変わった。
「政府の力を、弱める必要がある」
楠木のまなざしが、不気味なほど静かだ。
柚月は、底知れない恐ろしさを感じた。
「一華」
「はい」
緊張が走る。
いつもの楠木と違う。
それが柚月には、何とも言えず恐い。
「お前に、参与、居戸寄親を暗殺してもらいたい」
柚月は、一瞬耳を疑った。
そして次第に、その言葉の重みに手が震え出した。
首筋を伝う汗が、冷たい。
「我々の内で、お前が一番腕が立つ。ほかの者がやれば、そばにいる家臣や護衛も斬らざるを得なくなる。だが、お前なら、ほかの者を殺さずに、居戸だけを殺れる。余計な殺しをしなくて済む」
柚月は硬直し、楠木から目を逸らすことができない。
固く結んだ唇が震えている。
「お前がやらなければ、ほかの者がすることになる」
柚月は、うつむき、ぎゅっと拳を握りしめた。
楠木の強いまなざしが、攻め立ててくる。
追い込まれ、逃げ場が無くなっていく。
楠木はわずかに口角を上げると、柚月に背を向け、空を見上げた。
「きれいな月だな」
背を向けているが、楠木は柚月に語りかけている。
柚月はゆっくりと顔を上げた。
「柚子みたいに真ん丸だ」
楠木の背中越しに見える空に、きれいな満月が浮かんでいる。
「夜の闇を、明るく照らしてくれる。お前も、あの月と同じだ」
楠木がゆっくりと振り向くと、柚月はまっすぐに楠木を見つめていた。
小さな体で、不安や恐怖に耐え、重圧に押しつぶされそうなのを必死に堪えている。
だがその弱々しさとは裏腹に、その目は、純粋な強い光を宿している。
楠木は口元がニヤリとしそうになるのを、こらえて隠した。
「これからお前は、柚月一華だ」
それは、人斬りの名。
その名で、人斬りとして生きろと言う宣告。
柚月は、ぐっと拳を握りしめた。
「はい」
迷いがなかったわけではない。
だが、ほかに道もなかった。
案内役の真島と松屋を出た。
どういうわけか義孝も、緊張でこわばった顔でついて来た。
見知らぬ都の道は、永遠のように長く感じられた。
できれば、永遠に続いてほしかった。
だが、残酷な現実がやってくる。
人の気配に、三人は立ち止まった。
塀の陰から様子をうかがうと、通りに、四~五人の集団。
真島が顎で指し、絶望にも似た感情が柚月を襲った。
逃れられるものなら、逃れたい。
引き返せるものなら、引き返したい。
だが。
柚月は一歩踏み出た。
あと一歩出れば、塀の陰から出る。
あと一歩出れば、もう…。
戻ることは、許されない――。
柚月は硬く目を閉じた。
すべてを、断ち切るように。
飲み込むように。
義孝が、震えながら親友の背中を見守る。
柚月は高まる鼓動を抑え、呼吸を整えた。
――行くしか、ないんだ…!
ぐっと唇をかみしめると、一人、飛び出した。
「居戸寄親殿とお見受けいたす!」
静かな通りに、柚月の鋭い声が響く。
集団の中央にいた男が振り向き、同時に、ほかの男たちがその男をかばうように囲いって構えた。
「何者だ!」
一人が声を張ると、柚月は抜刀と同時にその声の主を切り払い、続けざまにほかの男たちも切った。
あっという間。
突然の出来事に、居戸は腰を抜かし、逃げようとするが体が動かない。
「助け…助けて…くれ…」
居戸の脅え切った目が、柚月の目とあった。
鬼のような、冷たい目。
情を宿さない、人斬りの目だ。
「新しい、国のために」
柚月は己に言い聞かせるようにそう言うと、居戸の心臓を貫いた。
わずかなうめき声を残し、一人の男の命が終わった。
躯が、無抵抗に地面に崩れる。
刀を抜くと、夥しい量の血が吹き上がり、雨のように柚月に降り注いだ。
生温かい。
わずかに残った、命の温もり。
柚月はじっと地面を見たまま動かない。
ただ小さな肩だけが、荒々しい呼吸に合わせて大きく上下している。
妙に静かだ。
何もかも、遠くに感じる。
自分を濡らす血の雨も。
あたりに立ち込める鼻がイカレそうになるほどの血の匂いも。
ただ、肉を刺し骨を砕いた感触が、一人の人間の命を奪ったという重圧が、生々しく手にこびりついている。
倒れていた護衛の男がわずかに動き、柚月はハッと我に返った。
地面に落ちた刀を握ろうとしている。
ほかの男たちも、うめきながら、わずかに動いている。
柚月は男たちをそのままに、素早く真島たちの元に戻った。
「よくやった」
そう言って柚月の肩を叩いた真島は、驚きと脅えが混ざった複雑な顔をしていた。
先に真島が駆け出し、柚月がそれに続こうとすると、後ろからぐっと腕を強くつかまれた。
振り向くと、義孝の顔があった。
心配そうな、だが、励ますような顔だ。
それを見て、柚月の目から鬼が消えた。
緊張の糸が解け、自然と笑みが漏れる。
義孝もニッと笑った。
そうして二人は、一緒に都の闇を走り出した。
ずっと、二人一緒に――。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
3
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる