一よさく華 -幕開け-

いつしろ十蘿

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第二章 目覚め

五.孤独

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 関所を抜けると、静かになった。
 都を出入りする行商人や旅人たちとちらほらすれ違うが、皆都の人たち程この小さな隊に気をとめる様子はない。

 一行は、一本しかない道を黙々と進んでいく。
 都を出てしまっては、柚月にはどこなのか分からない。
 どこに向かっているのかも。

 道は、都への出入りに使われるだけあって道幅は広いが、右手には木々が生い茂り、左手には岩肌をむき出しにした崖がそそり立っている。
 上の方に木が生えているのが見えるが、随分高いところまで岩しかない。
 まさに、岩の壁。

 ――すげぇな。

 柚月は感動にも似た感情とともに、上の方まで高く続く岩を見上げた。

七輪山しちりんさんですよ」

 いつの間にか籠の窓が開いていて、中から雪原が柚月の顔を見上げている。

「都の東の守りの要です」

 そう言われて、柚月は再び岩壁を見上げた。

「…確かに」

 ここを登るのは無理だ。
 さらに、岩壁は道のずっと先まで続いている。
 この山には、入り口がない。
 すべてを阻む壁だ。

 一行も、道幅は広いというのに、わざわざこの岩壁に寄って進んでいる。
 この崖から攻めてこられることはない。
 それを見越し、前後と右方向への警戒に集中しているのだ。

 柚月はそびえたつ岩の壁に圧倒されて、ずっと見上げている。
 雪原はその横顔をしばらく見つめていたが、やがてそっと窓を閉めた。

 二人のやり取りを、後ろからずっと見ていた人物がいる。
 護衛頭ごえいがしらの藤堂だ。
 厳しい目で、柚月を見張っている。

 ほかの者達も、最初は正直、柚月の存在に抵抗があった。
 何者か分からない。
 見たこともない。
 「柚月」という名さえ、都では聞かない。
 突然降って湧いた、得体のしれない少年だ。
 いや、青年か。
 十代だろうが。
 それさえ定かでない。

 だが、いい物を着ている。
 そこに説得力があった。
 帯刀していることから、武士だということも分かる。
 中級の、それなりの武家の者なのだろう、と次第に警戒が薄れ、都を出る頃には、「なにより雪原様がお連れになった者だ」と、自然と受け入れていた。

 柚月は相変わらず、岩を見上げながら歩いている。
 それが、ふいに左足が小石にひっかかり、つんのめった。
 転びはしなかったが、体勢が崩れた拍子に岩から意識がれ、同時に気が付いた。

 後方から、鋭い視線。
 藤堂だ。
 見張っている。
 この男だけ、柚月に対する警戒を解いてはいない。

 柚月は前を向いて歩き出したが、一度気づいてしまうと、気になる。
 自分は疑われて当然。
 仕方のないことだと分かっている。
 が、藤堂の視線は矢のようだ。
 刺さってくる。
 なんだか背中が痛い。
 思わず苦笑が漏れる。

 すると今度は、小石を蹴ってしまった。
 また左足だ。
 しかも、蹴った小石が、前を歩いている人物に当たった。
 清名だ。

 都では柚月の隣を歩いていた清名だが、関所を越えてからは人だかりもない。
 柚月の横を離れ、少し前を歩いていたのだ。

 ――あ、ヤベ。

 柚月がそう思うと同時に、清名が振り向いた。
 相変わらず真顔のまま、面のように表情に動きがない。

「すみ…ません」

 柚月は咄嗟に謝ったが、清名は聞いているのかいないのか。
 その視線は柚月ではなく、もっと後ろの方に向いている。

 怒っているのか、何なのか。
 清名の表情からはまるで分らない。
 ただそれだけに、妙な圧がある。

「え…っと、あの…」

 柚月がもう一度謝ろうとすると、清名は黙って後方に下がり、柚月のすぐ後ろについて歩き出した。
 そのさらに後ろからは、藤堂の厳しい目が光っている。

 ――後ろからの圧が、半端ないんですけど。

 柚月はまた苦笑が漏れると同時に、全身から変な汗が流れ始めた。
 いったい何の罰だろうか。
 柚月はそのまま、清名のモノ言わぬ圧と、藤堂の鋭い視線に背中を刺されながら、ずっと歩くことになった。

 一行は黙々と前進する。
 日が高くなってきた。
 気温も上がっている。
 少し暑い。
 歩いているだけで、汗がにじんでくる。
 それだけに、時折吹く風が心地いい。

 少し先から、にぎわう声が聞こえてきた。
 旅人が休憩する所なのだろう。店が何軒かある。
 その手前で、一行は急に止まった。

「ちょっと休憩しましょう」

 雪原は籠から降りながら、柚月にニコリとする。

「どうも籠は苦手です」

 そう言うと、うーんと大きく伸びをした。
 すぐそばに、「お食事処」と書かれた小さな店がある。

 陸軍総裁が立ち寄るような店には見えない。
 が、店主は雪原のことを知っているようだ。
 物々しい一行に驚いていたが、雪原の姿を見つけると、店先で愛想のいい笑顔でぺこりと頭を下げた。
 店主の妻と娘らしい二人も、同じように愛想の良い笑顔で腰を低くしている。

「柚月も自由にしていいですよ。疲れたでしょう」

 雪原はそう言うと、店に入っていった。
 清名だけが雪原について行き、ほかの者は思い思いに休んでいる。
 店の者が弁当のような物を持ってくると、喜んでそれに群がった。

 ただやはり、藤堂の厳しい視線だけがずっと柚月を追ってくる。
 柚月は、すっと隊から離れた。

 藤堂の視線が嫌だったわけではない。
 柚月も分かっている。

 都の人だかり。
 あの人の山の中に、どんな人間が混ざっているか分からない。
 そして今も、どこからどんな人間が目を光らせているか――。

 柚月は道の脇に腰を下ろすと、ふう、と自然と息が漏れた。
 ただ歩いただけだが、ずっと寝ていた体だ。
 少し疲れた。

 それに。

 柚月は左の脇腹に手を当てた。
 包帯の感触。
 その下には、義孝よしたかに刺された傷がある。

 剛夕ごうゆうと政府の間で和解が成立したとはいえ、開世隊かいせいたい、いや、楠木くすのきはおそらく退かないだろう。
 そして何より、裏の仕事をしてきた柚月のことを、生かしておくとも思えない。

 雪原は護衛と言っていたが、自分が同行している方が、危険なのではないだろうか。
 柚月にはそう思えてならない。

 穏やかな風が吹き、昼飯を楽しむ隊員たちの、楽しそうな声が聞こえてくる。
 柚月は不安をかき消すように、空を見上げた。
 青い空に、真っ白な雲が浮かび、その中に茶色いとびが舞っている。

 ふいに、人の気配を感じて視線を戻すと、清名だった。
 まっすぐに柚月の方に向かってくる。

 どうしたというのか。
 さっき、雪原とともに店に入っていったはずだが。

 疑問に思う柚月に、清名は笹の包みを渡した。
 中に、握り飯が入っている。

「ありがとう…ございます」

 わざわざ昼飯を持ってきてくれたのだろうか。
 柚月が驚いていると、清名は柚月の隣に黙って腰を下ろした。

 ――いや、見張りか。

 柚月はそう思ったが、その割に清名はまるで柚月の方を気にしていない。
 休んでいる隊員たちの方を見ているが、それも監視しているようでもない。
 ただ、遠くを見ているだけだ。

「あの」

 柚月は恐る恐る声をかけてみた。
 清名は遠くを見たまま、振り向きもしない。

「なんだ」
「その…」

 柚月は、清名の淡白な声に一瞬ひるんだ。
 悪いことなどしていないが、なんだが、叱られそうな気がする。

「雪原さんについてなくて、いいんですか?」
「藤堂がついている」

 清名は真顔のまま、表情も視線も動かない。
 柚月の方を見もしない。

「そう…ですか」

 柚月はそれ以上何も言えず、握り飯を食べ始めた。
 ほおばりながらちらりと清名を見上げたが、清名はやはり、ただ遠くを見ている。
 柚月の視線に気づいていないわけでもないだろうが、ちらりとも見返してこない。
 腹の内が見えない。

 ただ、厳格な人間なのだろう、ということだけは、そのたたずまいから伝わってくる。
 寡黙で忠誠心が強い、いかにも武士、といった感じだ。

 突然、柚月の背後からカサカサと草を掻き分かる音がして、清名の視線が始めて動いた。
 猫だ。
 茂みから猫が一匹、のそりと出てきた。
 人間を警戒する様子もない。
 柚月に近づくと、ねだるように「にゃー」と鳴いた。
 おそらく、こうして旅人から餌をもらっているのだろう。

「これか?」

 柚月は食べかけの握り飯を割り、猫の前に置いてやった。
 猫は一瞬ピクリと一歩引いたが、空腹だったのか、すぐにがっつき始めた。
 おいしそうに食べている。

 柚月は自分が食べる手を止め、その様子を見つめた。
 優しく、微笑んでいる。
 まるで、孤独なもの同士、痛みを分かち合っているようだ。

「腹は減っていないのか」
「えっ?」

 ふいに清名が口を開き、柚月は驚いて振り向いた。
 柚月にしてみれば、清名の方から声をかけてくるとは思ってもみない。
 まるで、突然人形がしゃべりだしたようだ。

「いえ、そんなことも、ないですけど…」

 野良猫に餌をやったことを、とがめられているのだろうか。
 柚月は一瞬そう思った。
 だが、分からない。

 清名はただ、じっと柚月の顔を見ている。
 が、その顔が「無」だ。何も読み取れない。
 なんだか気まずい。
 柚月が残りの握り飯をほおばり始めると、清名はただ黙ってそれを見ていた。

 休憩が終わり、一行が進みだすと、後ろから「みゃーみゃー」と猫がついて来た。
 柚月が握り飯を分けてやった猫だ。
 柚月を追って、ずっとついてくる。
 隊員たちも、何だろう、と不思議がってざわつき、とうとう籠の窓が開いて、雪原が顔をのぞかせた。

「おやおや」

 追ってくる猫を見て、微笑んでいる。

 ――まずいなぁ。

 柚月は猫に気づかないふりをしてきたが、どうやら限界だ。
 そろそろ叱られそうである。
 そこへ、清名がすっと近づいて来た。

「餌などやるからだ」

 清名の声に抑揚はない。
 怒っている風でもない。
 だが、言葉が柚月を責めている。
 柚月はぎくりとして、ちらっと清名の顔を見上げた。

 ――え、やっぱ、怒ってます?

 顔色をうかがったが、清名は前を向いたまま柚月の方をちらりとも見ない。
 やはり、分からない。

 清名の視線の先、道の右手が、生い茂っていた木が無くなり、開けている。
 風に、潮の香りが混ざり始めた。
 道の向こうに、海が見える。
 一行がどこに向かっているのか、柚月にも分かった。

 一行が向かう先、それは、都の東隣。
 海外との国交を断つ「封国ふうこく」下でも貿易を許された、数少ない港がある町。

 横浦よこうらだ。
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