一よさく華 -幕開け-

八幡トカゲ

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第二章 目覚め

十.霹靂-へきれき-

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 都に着くと、柚月は別宅で待つよう言われ、一人向かった。

 すでに日が傾いている。
 やしきに着くころには、あたりは薄暗くなっていた。

「ごめんください」

 柚月が玄関の前で声をかけると、カラカラと戸が開き、鏡子が現れた。
 まではいい。
 が、さて、どう説明したものか、と柚月は迷った。

 ここで待つように言われてきたが、鏡子はそのことを知らないだろう。
 突然戻ってきた自分を、不審に思わないだろうか。

「あ…っと、その」

 言葉に困る柚月に、鏡子はケロリとした顔を向けた。

「おかえりなさい」

 まるで柚月がここに帰ってくるのが当然、というような調子だ。
 柚月は戸惑った。
 自分が「ただいま」というのも、おかしい気がする。

「あの、ここで待つように言われて…」

 もたもたと説明すると、鏡子は「そうですか」と、やはりさして気に留める様子もなく柚月を迎え入れようとする。

 柚月はますます戸惑った。
 どう対応すればいいのか分からない。
 無言で一礼すると離れの部屋に行き、そのまま布団も敷かずに畳の上で眠ってしまっていた。

 気が付いたのは、翌日。
 目覚めと同時に飛び起きた。

 室内が明るい。
 すでに日が高く昇っている。

 ――寝過ごした!

 急いで傍らの刀に手を伸ばし、ピタリと止まった。
 体に、布団が掛けられている。

 用意した覚えなどない。
 当然だ。
 昨夜、様子を見に来た鏡子が掛けたものだ。 

 温かい。
 自分の体温が、移っているだけだというのに。
 その温かさが、妙に沁みた。
 寄りかかりたくなる。
 柚月はその衝動をぐっとこらえて布団を振り払うと、急いで母屋おもやへ向かった。

 だが、雪原の姿はない。
 いるのは、鏡子一人。
 居間で静かに、洗濯物をたたんでいる。

「旦那様なら、しばらく本宅にいらっしゃると思いますよ」

 鏡子は柚月が何を聞くより先に、そう教えた。
 鏡子が言うには、本宅の方が城に近いこともあるが、何より、妻への配慮があるのだという。

 この堤鏡子つつみきょうこという愛人は、もとは芸者をしていた。
 街を歩けば誰もが振り返るほどの美人だ。
 それに加え、芸者らしい、どこか凛とした品格と独特な色気があり、人当たりはいいが、芯の強さがある。
 会って間もない柚月も、鏡子の人柄を感じていた。

 そんな鏡子が、心なしか寂しそうに見える。
 だが、そうそう弱さを見せる女ではない。

「愛人なんていうものは、影の存在ですから」

 きっぱりと言い切る。
 柚月は大人の女のいきを感じた。

 鏡子と柚月の付き合いは、この後長く続くことになる。
 が、鏡子はこの姿勢を貫き、最期まで自ら表に出るようなことはしなかった。

 さて、三日経った。
 雪原は来ない。
 空は晴れ、母屋おもやから時折鏡子が弾く三味線の音が聞こえる、穏やかな日が続いていた。

 そんな昼下がり。
 邸の裏木戸が、静かに開いた。
 気配無く入ってくる者がいる。

 椿だ。

 裏木戸からは、入ってすぐに離れがあり、それを囲うように小さな庭になっている。
 椿は、離れの角を曲がったあたりに人の気配を感じた。

 音が聞こえる。
 この音。
 おそらく、誰かが刀を振っている。

 行ってみると、案の定、柚月が刀を握っていた。
 何と戦っているのか、一心に刀を振っている。
 それが不意に止まった。

 椿に気づいたわけではない。
 どこから入って来たのか、柚月のすぐ近くに茶色い猫が丸まっている。
 猫は黙って柚月の方をじっと見ていたが、柚月が気づくと、「にゃー」と鳴いた。

「今日は飯ないよ」

 柚月は猫に話しかけたが、言葉は通じなかったらしい。
 まっすぐ柚月の元にやってきて、足元にすり付いた。

「まいったな…」

 柚月は頭をカリカリ掻きながらかがむと、仕方なく猫を撫で始めた。

「ここに住み着くなよ? 俺はこの家の人間じゃないんだ」

 猫は喉をごろごろと鳴らし、柚月の手にじゃれついている。

「いつまでいるか、わかんねぇから」

 そう言いながら猫を見つめる柚月の目は、どこか寂しげだ。
 猫は変わらず、柚月の手にじゃれついている。

 それが、突然。
 びくりとすると、柚月の横をすり抜けて廊下の下に駆け込んでしまった。

 急にどうしたというのか。
 柚月が振り返ると、離れの陰に椿の姿があった。
 どうやら猫は、椿に驚いたらしい。

「餌、あげていたんですね」

 柚月は、あ、バレた、と言わんばかり。
 人差し指を口もとに立て、いたずらを隠す子供のような顔をした。

「鏡子さんには、黙ってて」

 食事はいつも、鏡子が離れまで運んでくる。
 それを少し残し、庭に来る猫にこっそりやっていたら、すっかり懐かれてしまったのだ。
 だが、知れると叱られる気がして隠している。
 椿は不思議と、仕方のない人だなという気持ちになり、笑みが漏れた。

「どこか行ってたの?」

 柚月はそう聞きながら、刀を納めている。
 椿はいつもの着物姿ではなく、旅装束たびしょうぞくだ。
 だが椿は、「ええ、まぁ」と曖昧にしか答えない。

「お体、もうよろしいのですか?」

 代わりに柚月を気遣った。
 刀を持つには、まだ早いように思う。

「ああ、うん。じっとしてると、体がなまりそうでだから。まあ、医者にばれたら怒られそうだけど」

 柚月はそう言って、今度はやんちゃな子供のような笑顔を見せた。

 ――本当に、仕方のない人。

 椿から、また笑みが漏れた。

「ああ、そうだ!」

 突然、柚月が何か思い出したようにそう言い、椿はビクリと驚いた。
 きょとんとする椿を残し、柚月は部屋に駆けこんで行ってしまっている。
 そして、何か包みを持って戻ってきた。

「お土産。横浦よこうらに行ってて」

 そう言って差し出した手には、かんざしがのっている。
 市場で雪原が買ったかんざしだ。
 椿の頬が桜色に染まり、満面の笑みに変わった。

「ありがとうございます」

 そう言うと、そっと柚月の手からかんざしを取った。
 たったそれだけのしぐさだというのに、思わず見とれるほどかわいい。
 いや、柚月はしっかり見とれていた。
 そして、椿がちらりと視線をあげると、ばっちり目が合った。

「あぁっ、いや、俺じゃなくて、雪原さんからだけど」

 真っ赤な顔で、慌てて手を振る。
 雪原がこの場にいたら、「言わなくていいですよ」と言っただろう。
 だが、手柄を横取りするようで、悪い。

「そう、なんですね」

 椿は少し残念そうな顔になったが、それでも、大事そうにかんざしを抱きしめた。
 その様子がまた、かわいらしかった。

 にわかに母屋が騒がしくなったのは、日が落ちた頃。
 雪原が来たのか、と、柚月が母屋おもやの方を覗くと、鏡子が急いで向かってくるのが見えた。

「すぐに、旦那様のお部屋に」

 そう言われて柚月が雪原の部屋に向かうと、部屋にはすでに椿もいて、雪原の鋭い表情からも、何か事が起こったのだとすぐに分かった。

「杉が処刑されました」

 雪原は、柚月が座るのも待たずに切り出した。

「えっ…」

 柚月は驚きで大きく目を見開いたまま、言葉が出ない。

「今回の騒動のとがを背負ったのです」
「いやでも、それなら…」

 戸惑う柚月を遮るように、雪原が後を受けた。

「ええ。本来なら、楠木くすのきがその罪を問われるべきところです。ですがどうやら、楠木は杉を身代わりにしたようです」
「まさかっ!」

 柚月はあまりの衝撃に、思わず大きな声を上げた。
 が、それ以上言葉が続かない。

「剛夕様との対談以来、杉は武力行使から一転して、政府と対話の姿勢をとってきました。楠木からしてみれば、邪魔になったのかもしれません」

 雪原は淡々と続けた。
 が、柚月には信じられない。

 楠木と杉は幼馴染みで、ずっと苦楽を共にしてきた仲だ。
 その姿を、幼い頃からそばで見てきた。

 杉は誰よりも楠木を信頼していたし、楠木もまた、杉に全幅の信頼を寄せていた。
 ほかの誰を裏切ることがあろうとも、楠木が杉を裏切ることなど――。
 想像もできない。

「いずれにしても、開世隊かいせいたいの中で、何かが起こっているのは確かなようです」

 だとすると、それは、平和的な方向に向かうものではない。
 柚月の首筋を、冷たい汗が伝った。
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