一よさく華 -幕開け-

八幡トカゲ

文字の大きさ
上 下
20 / 51
第二章 目覚め

九.はじまりの神社

しおりを挟む
 三日の滞在の後、一行は帰路についた。
 来た道とは違い、やや北寄りに進んでいく。
 このあたりの地理にうとい柚月も、妙だなと感じた。

 このままでは、横洲よこすに入る。

 横洲とは、都と横浦の間に位置する町だ。
 だが、横洲と都は七輪山しちりんさんに阻まれ、行き来することはできない。
 都に戻るには、横浦よこうらから海沿いを進むしかないのだ。

 一行はやはり横洲に入り、街の大通りを進んだ。
 なぜか、警備の緊張がぐっと高まっている。
 まるで、すぐそばに敵が潜んでいるかのようだ。

 大通りと言っても、横浦のそれとは比べ物にならない、さびれたものだ。
 あばら家も目立つ。
 行きかう人々も、妬みの交じったような警戒の目を一行に向けてくる。
 柚月ははぎの農村のことを思い出した。

 何年も不作が続き、食うに困った人々は、優しさも思いやりも、すっかり失くしていた。
 国も救済の手を打たない。
 人々は、持てる者をうらやみ、ねたみ、やがて憎んでいった。

 横洲の人々の目は、あの農村の人々のものと同じだ。
 ここもまた、国から見捨てられている。
 柚月は憤りを感じた。

 やがて一行は、長い石段の前で止まった。
 どうやら、神社のようだ。

「ちょっと寄り道です」

 かごから降りた雪原は、そう言って柚月にニコリとすると、わずかな供を連れて石段を上った。
 その供も石段で待たせ、境内けいだいには清名と柚月だけを連れた。

 石段の上は、まさに神の領域と言わんばかり。
 まるでそこだけ異世界のように、神秘的な空気に包まれていた。

 境内を包み込むように木々が生い茂り、正面、奥にある小さな社殿しゃでんは、まるで太古の昔からあるようなたたずまいで、裏にそびえる七輪山を背負っている。

 雪原は社殿に向かって歩いていく。
 柚月は清名とともに続いた。

 湿気を帯びた、独特な匂いが漂っている。
 いるだけで心を洗われるようだ。

 小さな神社なようで意外と境内が広く、石段から社殿まで随分距離がある。
 社殿に着く頃には、柚月はすっかり心が空になったような感覚になっていた。

 突然の柏手かしわでの音にはっと我に返ると、雪原が手を合わせている。
 柚月も慌ててならった。

「以前、ここで襲われたのですよ」

 目を開いた雪原は、手を合わせたまま小さな声で言った。
 なるほど。
 柚月は納得した。
 警備のあの緊張は、そのためだ。

「三年近く前ですかね。ここに参るのは、我が家の慣例なのですよ。その日も、近くに来たから寄っただけだったのですが、珍しく、ほかに参拝者がいましてね」

 雪原は、話しながら境内を引き返し始めた。

「男が三人。社殿には目もくれず、境内の隅をうろうろしていました。珍しがって見ていると、いきなり切りかかってきたのです。その頃は私もただの外交官でしたから、こんな大そうな護衛もいなくて。一瞬焦りましたよ。」

 雪原はその時のことを思い出し、ふふっと笑っている。

「連れていた者が切り倒してくれたので、事なきを得たのですけど。ただ、なんだか嫌な予感がしましてね。調べさせたのですよ。それで、横浦から入った開世隊が、このあたりで不穏な動きをしていることが分かりましてね。詳細はつかめませんでしたが、悪しき種は、早く摘むに越したことはありません。それで…」

 そう言うと雪原は立ち止まり、大きく深呼吸した。

「それで、椿に斬らせました」

 ざっと風が吹き、木々が鳴った。

「あの子は、ただの世話係だったのですよ」

 雪原は悲哀の目で、空を仰いでいる。

「本当に、ただの」

 そう、言い訳のように繰り返した。
 ここで男たちを斬ったのも、椿だったのだな、と柚月は直感した。
 だが、実感がわかない。

 自分を殺そうとしていたのだと聞いても。
 返り血を浴びた姿を見ても。
 人斬りだと聞いても――。

 ただ者ではないとは分かる。
 だが、椿が人を斬るのだということは、なぜかどうしても、心が受け入れなかった。
しおりを挟む

処理中です...