一よさく華 -幕開け-

いつしろ十蘿

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第二章 目覚め

八.偶然がもたらした確信

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 翌日も、朝から西洋館を訪れた。
 前日とは別の館で、今度はその館の主が夫婦で出迎え、雪原は相変わらず流ちょうな外国語で話し、楽しそうに笑いあい、主たちと昼食を共にすると、館を後にした。

 一行はそのまま、宿に引き返すのかに思われた。
 が、市場の近くを通りかかった時だ。
 雪原は「ちょっと散歩して帰ります」と言って籠を降りると、清名と柚月だけを供にして、あとの者は宿に帰した。

 ここでもやはり藤堂は、「危険です」と最後まで食い下がったが、清名に制され、しぶしぶ宿に帰っていった。

 横浦の市場。
 そこは、一歩踏み入れただけで、別世界だ。

 活気があるのは言うまでもない。
 だが都とはまた違った活気だ。

 封国ふうこく下ではまず出逢うことのない異国の人々が溢れ、外国語が飛び交い、通りには籠ではなく馬車が走っていく。
 さらに、所狭しと並ぶ露店で売られているのは、海外から輸入した舶来品ばかりだ。

 訪れる者は皆、この国にいることを、日常を、忘れてしまう。

「やはり、横浦はいいですね」

 雪原は大きく伸びをした。
 文字通り、羽を伸ばしている。

 裏腹に、清名は緊張の面持ちだ。
 警備が手薄なうえに、人が多い。
 柚月も自然と周りを警戒した。

 雪原一人、のんきな顔で楽しそうである。
 露店を見て歩き、何か気になったのか、女物の小物がたくさん並んでいる店の前で足を止めた。

「いらっしゃいませ。お土産ですか?」

 商売人はかすかな好機も逃さない。
 すかさず愛想の良い店主が顔を出し、商品の説明を始めた。

 とにかく、舶来の珍しい物ばかりらしい。
 雪原も興味を示している。
 少し、長くなりそうだ。

 柚月は店主の声を耳の端で捉えながら、周囲に広く意識を集中した。
 話声、足音、物音。
 自然と色んな音が耳に入ってくる。

 だがガヤガヤと、一つ一つははっきりしない。
 その中を、男の声が貫いて来た。

「おや、栗原くりはら様」

 柚月は反射的に振り向いた。
 隣の露店の店主が、通りかかった男に声をかけている。

 よく来る客のようだ。
 店主と親しいらしい。
 男は店主と二三言葉を交わすと、去っていった。

 柚月は、何事もなかったように雪原に注意を戻した。
 雪原は変わらず、店主と楽しそうに話している。

 変わらずに。

 柚月はそう思った。
 だが、男の声に反応したのは、柚月だけではない。
 雪原もだ。
 いや正確には、雪原は、柚月が男の声に反応したことを見逃さなかった。

 だが柚月はそんなこと、気づきもしない。
 雪原の様子を確認すると、今度は周囲を見回し始めた。
 通りは、変わらず賑わっている。
 不審な人間も気配もない。

 柚月は再び雪原の近くに視線を戻し、ふと店頭のかんざしが目に入った。
 かんざしの形はしているが、異国風の飾りがついている。
 珍しいな。
 そう思うと同時に、無意識に手に取っていた。

『これ、土産にどうかな。』

 ふいに、義孝のうれしそうな声が聞こえた。
 耳ではない。
 頭の中だ。
 それとともに、一気に懐かしい景色に引き戻されていた。

 以前、横浦に来た時のことだ。
 義孝は露店で珍しい髪飾りを手に取り、柚月に見せた。

 また、女か。
 柚月はあきれて、「いいんじゃないか」と適当に答えた。

 四年ほど前になる。
 都に来て、一月を過ぎた頃だった。

 都に来てから五日と開けず、暗殺のめいが下った。
 柚月は何人も何人も斬った。
 新しい国のために。
 そう自分に言い聞かせながら。

 だが、何かが変わっているようにも思えない。
 ただ、染みついた血の匂いが、濃くなっていくばかり。
 柚月の目は光が薄れ、日に日によどんでいった。

 友としてだけでなく、見分役として現場にも同行していた義孝には、それがよくわかった。
 辛かった。
 横浦に行こうと言い出したのは、義孝だった。

 柚月のすぐ後ろを、馬車が通っていく。
 市場の賑わいは、あの時と何も変わってはいない。

 柚月は脇腹に手を当てた。
 包帯の感触の下に、傷の痛みがある。
 この痛みが、現実を突き付けてくる。

 柚月は思い出に別れを告げるように、かんざしをもとの場所に戻そうとした。
 痛い。
 傷が痛むのか、心が痛むのか、分からない。
 だが、ただただ…。

「戻す必要はありませんよ」

 突然の声に、柚月はハッと手が止まった。
 雪原が、にこやかに微笑んでいる。

「かわいいですね。椿に似合いそうです」
「え?」

 驚く柚月の横で、雪原は店頭の手鏡と髪飾りを一つずつ指さし、「あと、これも」と言って、柚月が手にしているかんざしもあわせて買い求めた。

「妻と鏡子にお土産です」

 そう言いながら、雪原は勘定を払っている。
 商品を受け取ると柚月に振り向き、ニコリとした。

「男はマメじゃないと」
「…はあ」

 柚月は曖昧な返事をしながら苦笑したが、半分あきれ顔になっている。
 なんだか分からないが、さすがだ。

「それ、椿に渡しておいてくださいね。どこかで、かんざしを失くしたようなのですよ」

 そう言うと、雪原は再び歩き出した。
 あの山で落としたのではないか。
 柚月はそう思ったが、口にはしなかった。
 椿がかんざしをしていたかどうかも、覚えていない。

「横浦には来たことがあるそうですね」

 雪原は楽しそうに露店に目をやりながら、世間話のように切り出した。

「『先生』というのは、楠木くすのきのことですか?」

 柚月は一瞬驚いたが、すぐに、椿に聞いたのだな、と納得した。
 雪原には、嘘が通じる気がしない。

「はい。でも、先生と来たというのは、嘘です。本当は…」

 そこまで言って、言葉に詰まった。
 なんと言っていいのか。
 迷う。

「…友達と」

 頼りない声になった。
 それ以外の言葉が見つからない。

 友だち、親友、ダチ。
 どれも口にするには恥ずかしい。
 でも、当然のようにそう思ってきた。
 だが今は――。

 なんと重い、一言だろう。

瀬尾義孝せおよしたか、ですか」

 ずばり言われ、柚月は目を見開いた。
 雪原は相変わらず、何気なく露店の方を見ている。
 その顔に、動揺も緊張もない。
 本当にただ、土産物を見ているだけの顔だ。

 ――すべて、お見通しか。

 柚月は腹をくくった。

「はい」

 その答えは予想通りだったのか、望まないものだったのか。
 雪原はピタリと止まり、顔からすっと表情が消えた。

「…そうですか」

 そう漏らしたきり、じっと何かを見つめている。
 また歩き出すと、少し疲れた、と言わんばかりに背伸びをした。

「少し、休みましょうか」

 雪原の視線の先に、茶屋があった。

 雪原が店先の長椅子に腰かけ、清名が茶を注文した。
 雪原の隣には、もう一人座れる隙間がある。

 が、柚月は妙に律儀な青年だ。
 清名が立っているので、当然のようにならって立っている。

 清名は柚月に座るよう促した。
 ケガをした身を気遣ってのことだ。
 だが、不愛想なこの男の気遣いは、伝わりにくい。
 柚月は尋問でもされるのかと、わずかに緊張した。

「瀬尾とは、親しかったのですか?」

 雪原の問いに、柚月は胸が痛んだ。

「…親友…でした」
「そうですか」

 ちょうど茶が運ばれてきて、雪原は湯呑ゆのみを手に取った。
 だが、両手で持ったまま、口にしない。
 雪原の膝の上で、湯呑から上がるかすかな湯気が揺れている。

「俺は十歳の時に親父が死んで、それから明倫館めいりんかんで育ちました。義孝もその頃に。あいつは、家出してきてて。あいつ、百姓出なんです。はぎの農村は貧しくて。嫌になったみたいで。自分も武士になるとか言って。年も近かったし。周りは大人ばっかりで。…いつも、一緒にいました。」

 柚月は無意識に口元に笑みが漏れ、やや多弁にもなっている。
 その様子から、二人の関係が分かる。
 本当に、親友だったのだ。

「兄弟のように育ったのですね」
「まあ…、そうですね。そうかもしれません。明倫館の皆は、俺にとっては、家族でした」

 ――でした、か。

 過去形。
 そのことに雪原は胸が痛み、湯呑をゆっくりゆすりながら、中で揺れる茶をじっと見た。

 目の前の通りに、赤ん坊を負ぶった女の子が立っている。
 まだ幼い。十歳にもならないだろう。
 ほかの子供たちが楽しそうに駆け回っているのに、その子は一人、赤ん坊をあやしている。
 その赤ん坊の手から、風車がぽとりと落ちた。

 柚月はゆるりと立ち上がり、女の子の方に歩き出した。
 やはり傷が痛むのか、わずかではあるがぎこちない歩き方をしている。
 その背中を、清名は見守るような目で見つめた。

「あの傷は、その親友にやられたのでしょうか」

 頭の回転の速い男だ。
 今の話で、大体の事情を察した。

 柚月の身分を公にしない理由も。
 帰るところがない理由も。

 刃を向けてきた仲間のところには、戻れまい。

 柚月が風車を拾って赤ん坊に渡してやると、女の子はぺこりと頭を下げた。
 その頭を、柚月は撫でてやっている。
 何か話しているのか、女の子の視線に合わせるように、少し身をかがめた。

 その姿勢では、ますます傷が痛むだろう。
 だが、女の子に微笑みかける柚月は、そんなことをみじんも見せない、優しい顔をしている。

「椿の報告では、そういうことのようです」

 雪原はぐいと茶を飲みほした。

「嫌な時代ですね」

 そう言いながら顔がゆがんだのは、茶の渋さのせいではない。
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