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第二章 目覚め
七.素顔垣間見える宿
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宿に着くと、柚月は清名と同室で、雪原の部屋の続きの間をあてがわれた。
清名が部屋に戻ると、柚月は行燈も灯さず、窓から差し込む月明かりだけが頼りの薄暗い部屋で、用意された布団に横にもならずに、刀を抱え、窓際の壁に背を預けていた。
空でも見上げていたのか、清名が戸を開けると、ぱっと振り向いた。
「眠れないのか」
清名の声に、表情はない。
「あ、いや」
柚月が曖昧な返事をするうちに清名が行燈に灯をともし、部屋は柔らかい灯りに包まれた。
「心配せずとも、雪原様は女がお好きだ。顔がかわいくても、男を所望されることはない」
「そんな心配してませんっ!」
柚月は背筋にぞわぞわと寒気が走り、食い気味にツッコんだ。
そんな心配をしていたら、むしろもう寝ている。
――そもそも、顔かわいいってなんだよ。俺男だぞ。てか、よくあんな真顔で言えるな、この人。
冗談なのか、本気なのか。
ただ清名は、顔も声も全く冗談めいてはいない。
行燈を見つめ、柚月の方を振り向きもしない。
そのまま、また口を開いた。
「傷が痛むのか」
静かに放たれた清名の言葉に、柚月は声も出ず、はじかれたように清名を見た。
清名は行燈を覗き込み、火を気にしている。
やはり、柚月の方を見もしない。
だが、口だけは淡々と続ける。
「左か。脇腹をかばっているように見えたが、違ったか」
図星だ。
柚月は、癒えきらない傷が時々傷んでいる。
この傷に引っ張られ、左足の動きも悪い。
道中、石につまずいたり蹴ったりしたのはそのためだ。
どちらも左足だった。
だが、周囲に気づかれないようにふるまったつもりだ。
「ああ、いや…」
「喧嘩でもしたか」
清名の追及は淡々と容赦ない。
柚月は答えられず、今度は曖昧な返事も出なかった。
公に許されることではないが、武士同士、特に下級の武士などは、喧嘩が過ぎて刀を抜くことがある。
だが、これは違う。
仲間にやられた。
それも、幼い頃からの、唯一無二の親友に。
そんなこと、言えるはずもない。
それを話せば自分の身元を明かすことになる。
いやそれ以上に、その事実が胸に重くのしかかり、柚月は声を出すこともできない。
清名は初めて、柚月の方をちらりと見た。
柚月は叱られている子供のように、じっと畳を見つめ、押し黙っている。
なるほど、と、清名はくみ取った。
――話せない傷か。
「雪原様のお傍にいる内は、ほどほどにしろ」
そう言って、清名はゆっくり柚月に近づくと、薄葉紙の包みを差し出した。
目で問う柚月に、「痛み止めだ」と、ずいと渡してくる。
柚月は押されて受け取った。
「藤堂のことは気にするな。少しのことにも警戒を怠らない男だ。だからこそ、護衛頭を任せられる」
そう言うと、清名は行燈の傍に戻り、何やら手紙を広げだした。
それ以上何も言わず、柚月の方を見ることもない。
柚月は、張り詰めていたものが少し緩んだ。
「清名さんは、気にならないんですか? …その、俺のこと」
ぼそりと聞いた。
清名は手紙から目を離さない。
「柚月一華というのだろう」
「…はい」
「雪原様から聞いている」
柚月は続きを待ったが、清名はそれ以上何も言わず、ただただ手紙に目を走らせている。
「え、それだけ、ですか?」
柚月が思わず聞くと、清名はやっと顔を上げ、ゆっくり柚月に向いた。
宿に着いてすぐのことだ。
雪原は清名一人を角の小部屋に呼び、人払いをした。
そして柚月について、名前と、もう一つ、帰るところのない子だ、とだけ伝えた。
「承知いたしました」
清名がそうとだけ答えると、雪原はいつもの穏やかな微笑みを浮かべた。
「それだけか?」
「はい」
清名は即答し、まっすぐな目で雪原を見つめている。
この目を裏切る度胸はない。
雪原はいつもそう思う。
何も問わず、不満も言わず、雪原の言葉を受け入れる。
それは、清名の雪原への信頼の表れだ。
この男の場合、忠誠と言う方が正しいだろう。
だからこそ雪原は、自身が陸軍総裁に任命される際、この男を連れてきた。
雪原も清名を信頼し、頼りにもしている。
だが清名のこの目を見るたび、雪原は恐ろしくさえ感じる。
自分は、それほどの価値がある人間だろうかと。
行燈に照らされた清名の顔は、まっすぐに柚月の方を向いている。
「雪原様がお連れになった。それがすべてだ」
柚月に向けた清名の目は、一点の曇りも迷いもない。
圧倒されるほどだ。
「すごい…信じているんですね。雪原…さんのこと」
「私だけではない。雪原様にお傍にいる者は皆、身命を賭してお仕えする覚悟だ」
清名は当然のようにそう言うと、再び手紙に目を戻した。
この心酔ぶり。
柚月は、正直驚いた。
この男は、いや、清名の言葉を信じるなら、雪原の部下たちは皆、雪原に命をささげている。
それも、雪原家でも、陸軍総裁でもなく、雪原麟太郎という男に。
柚月自身、雪原をどこか侮っていた。陰の薄い五男坊にすぎないと。
だが、そうではない。
これほどまでに家臣に信頼されるのは、肩書だけの人物ではないということだ。
柚月は言葉で表現されるよりも強く、雪原麟太郎という男の偉大さを思い知らされたようだった。
「さっさと寝ろ。明日も朝が早い」
「えっ⁉ あ、はい!」
柚月は、はじかれたように返事をすると、ごそごそと布団に入り、あっさり眠りについた。
清名が部屋に戻ると、柚月は行燈も灯さず、窓から差し込む月明かりだけが頼りの薄暗い部屋で、用意された布団に横にもならずに、刀を抱え、窓際の壁に背を預けていた。
空でも見上げていたのか、清名が戸を開けると、ぱっと振り向いた。
「眠れないのか」
清名の声に、表情はない。
「あ、いや」
柚月が曖昧な返事をするうちに清名が行燈に灯をともし、部屋は柔らかい灯りに包まれた。
「心配せずとも、雪原様は女がお好きだ。顔がかわいくても、男を所望されることはない」
「そんな心配してませんっ!」
柚月は背筋にぞわぞわと寒気が走り、食い気味にツッコんだ。
そんな心配をしていたら、むしろもう寝ている。
――そもそも、顔かわいいってなんだよ。俺男だぞ。てか、よくあんな真顔で言えるな、この人。
冗談なのか、本気なのか。
ただ清名は、顔も声も全く冗談めいてはいない。
行燈を見つめ、柚月の方を振り向きもしない。
そのまま、また口を開いた。
「傷が痛むのか」
静かに放たれた清名の言葉に、柚月は声も出ず、はじかれたように清名を見た。
清名は行燈を覗き込み、火を気にしている。
やはり、柚月の方を見もしない。
だが、口だけは淡々と続ける。
「左か。脇腹をかばっているように見えたが、違ったか」
図星だ。
柚月は、癒えきらない傷が時々傷んでいる。
この傷に引っ張られ、左足の動きも悪い。
道中、石につまずいたり蹴ったりしたのはそのためだ。
どちらも左足だった。
だが、周囲に気づかれないようにふるまったつもりだ。
「ああ、いや…」
「喧嘩でもしたか」
清名の追及は淡々と容赦ない。
柚月は答えられず、今度は曖昧な返事も出なかった。
公に許されることではないが、武士同士、特に下級の武士などは、喧嘩が過ぎて刀を抜くことがある。
だが、これは違う。
仲間にやられた。
それも、幼い頃からの、唯一無二の親友に。
そんなこと、言えるはずもない。
それを話せば自分の身元を明かすことになる。
いやそれ以上に、その事実が胸に重くのしかかり、柚月は声を出すこともできない。
清名は初めて、柚月の方をちらりと見た。
柚月は叱られている子供のように、じっと畳を見つめ、押し黙っている。
なるほど、と、清名はくみ取った。
――話せない傷か。
「雪原様のお傍にいる内は、ほどほどにしろ」
そう言って、清名はゆっくり柚月に近づくと、薄葉紙の包みを差し出した。
目で問う柚月に、「痛み止めだ」と、ずいと渡してくる。
柚月は押されて受け取った。
「藤堂のことは気にするな。少しのことにも警戒を怠らない男だ。だからこそ、護衛頭を任せられる」
そう言うと、清名は行燈の傍に戻り、何やら手紙を広げだした。
それ以上何も言わず、柚月の方を見ることもない。
柚月は、張り詰めていたものが少し緩んだ。
「清名さんは、気にならないんですか? …その、俺のこと」
ぼそりと聞いた。
清名は手紙から目を離さない。
「柚月一華というのだろう」
「…はい」
「雪原様から聞いている」
柚月は続きを待ったが、清名はそれ以上何も言わず、ただただ手紙に目を走らせている。
「え、それだけ、ですか?」
柚月が思わず聞くと、清名はやっと顔を上げ、ゆっくり柚月に向いた。
宿に着いてすぐのことだ。
雪原は清名一人を角の小部屋に呼び、人払いをした。
そして柚月について、名前と、もう一つ、帰るところのない子だ、とだけ伝えた。
「承知いたしました」
清名がそうとだけ答えると、雪原はいつもの穏やかな微笑みを浮かべた。
「それだけか?」
「はい」
清名は即答し、まっすぐな目で雪原を見つめている。
この目を裏切る度胸はない。
雪原はいつもそう思う。
何も問わず、不満も言わず、雪原の言葉を受け入れる。
それは、清名の雪原への信頼の表れだ。
この男の場合、忠誠と言う方が正しいだろう。
だからこそ雪原は、自身が陸軍総裁に任命される際、この男を連れてきた。
雪原も清名を信頼し、頼りにもしている。
だが清名のこの目を見るたび、雪原は恐ろしくさえ感じる。
自分は、それほどの価値がある人間だろうかと。
行燈に照らされた清名の顔は、まっすぐに柚月の方を向いている。
「雪原様がお連れになった。それがすべてだ」
柚月に向けた清名の目は、一点の曇りも迷いもない。
圧倒されるほどだ。
「すごい…信じているんですね。雪原…さんのこと」
「私だけではない。雪原様にお傍にいる者は皆、身命を賭してお仕えする覚悟だ」
清名は当然のようにそう言うと、再び手紙に目を戻した。
この心酔ぶり。
柚月は、正直驚いた。
この男は、いや、清名の言葉を信じるなら、雪原の部下たちは皆、雪原に命をささげている。
それも、雪原家でも、陸軍総裁でもなく、雪原麟太郎という男に。
柚月自身、雪原をどこか侮っていた。陰の薄い五男坊にすぎないと。
だが、そうではない。
これほどまでに家臣に信頼されるのは、肩書だけの人物ではないということだ。
柚月は言葉で表現されるよりも強く、雪原麟太郎という男の偉大さを思い知らされたようだった。
「さっさと寝ろ。明日も朝が早い」
「えっ⁉ あ、はい!」
柚月は、はじかれたように返事をすると、ごそごそと布団に入り、あっさり眠りについた。
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