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第四章 擾瀾の影
七.風雲
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冨康が姿を消してから一月近く経つ。
依然としてその消息はつかめないままだ。
萩に行ったのではないか。
城内では、そうささやく声が聞かれるようになっている。
だが、冨康はまだ都にいた。
正確には、都の東、七輪山。
その山中の小さな山小屋に。
都の東の守りの要、この険しい山には、普段から人が立ち入ることはない。
それほど険しい。
そこにまさか冨康がいようとは。
誰も思わない。
「いつまでここにおればよいのだ」
冨康はいら立ちを隠さずに不満をぶつけた。
今まで味わったこともない粗末な生活に、我慢が限界に来ている。
「まあ、そう慌てないでください。もうすぐ、すべて整います」
そう答えたのは、楠木である。
冨康はその顔を覗き込み、声を落とした。
「本当に、剛夕の奴を消せるのだろうな」
「もちろんでございます」
冨康はその答えに満足げににやりと笑い、猪口の酒をグイッとあおった。
雪原や柚月が想像した通り、楠木は雪原が都を離れた隙を狙った。
楠木にとって、注意すべき人物は雪原だけだ。
ほかの者は、己のことしか見えていない、ゴミだと思っている。
そしてその通り、反物屋に扮した楠木の使いの者は、いとも簡単に城に入り込み、冨康に楠木からの手紙を渡した。
手紙には、「あなたのお力になれます」という趣旨の言葉と、場所と日時を書いておいた。
そして、楠木の思惑通り、いや、それ以上の好条件で、冨康は現れた。
家臣一人連れず、たった一人で指定の場所にやって来たのである。
「このようなところまでお呼びたてしてしまい、申し訳ございません」
楠木は深々と頭を下げた。
冨康の方は、楠木の言葉など聞こえてはいるが聞いてはいない。
「お前は誰だ。どう、私の力になれる」
冷ややかな目で楠木を見下し、ぶしつけに聞いた。
警戒心などまるでない。
本当にただのお坊ちゃんである。
さらに、楠木が名乗ると「ほお」と漏らし、やや前のめりになった。
その様子に、楠木の口元が密かに微笑む。
だがその笑みは、厳しい表情でスッと打ち消された。
「開世隊は、今の政府を無くし、新しい国づくりをしたいと考えております。また、その力は十分にあると、自負しております」
「舶来の武器を多く所有しておるらしいな。どこから手に入れた」
開世隊が都に総攻撃を仕掛けようとした際、多くの海外製の武器を所持していた、という報告は、冨康も受けている。
楠木はそれには答えず、苦々しい顔をしてみせた。
「その節は、杉が大変失礼いたしました。杉は、少々感情が先走る性分でしたので、事を急いたのでしょう。冨康様が城にいらっしゃるというのに」
楠木の思惑通り、最後の一言に気が効いた。
「それで、お前はどうする?」
冨康は気をよくし、にやりとしながら楠木の顔を覗き込む。
楠木は口元がほころびそうになるのを、真剣な表情で隠した。
「まずは今の政府を武力によって制圧します。いまだ剛夕様を推す者がいるなど、恐ろしいことでございます。冨康様をないがしろにするなど、もってのほか。そのような政府、つぶしてしまうに越したことはございません。ですが、問題が一つ」
「なんだ? 申してみろ」
冨康はますます前のめりになる。
「我々には政府を潰す力はございます。ですが、新たに作る国に、長となる者がおりません」
楠木はそこまで言うと一旦言葉を止め、冨康を見すえた。
「冨康様をおいては」
楠木は、まっすぐに冨康を見つめている。
冨康は満足そうに目を見開き、鼻息を荒くした。
こうして楠木は、いとも簡単に萩からの進軍に必要な道を手に入れた。
冨康は萩と都の間にある国の国主たちに内密に手紙を書き、萩の軍が来ることがあれば、詮議不要と命令したのだ。
「国元から連絡があり、出陣の準備は整ったとのことです」
楠木の言葉に、冨康がピクリと反応した。
「では」
「はい」
楠木が頷く。
「いよいよなのだな」
冨康は興奮し、目を輝かせた。
依然としてその消息はつかめないままだ。
萩に行ったのではないか。
城内では、そうささやく声が聞かれるようになっている。
だが、冨康はまだ都にいた。
正確には、都の東、七輪山。
その山中の小さな山小屋に。
都の東の守りの要、この険しい山には、普段から人が立ち入ることはない。
それほど険しい。
そこにまさか冨康がいようとは。
誰も思わない。
「いつまでここにおればよいのだ」
冨康はいら立ちを隠さずに不満をぶつけた。
今まで味わったこともない粗末な生活に、我慢が限界に来ている。
「まあ、そう慌てないでください。もうすぐ、すべて整います」
そう答えたのは、楠木である。
冨康はその顔を覗き込み、声を落とした。
「本当に、剛夕の奴を消せるのだろうな」
「もちろんでございます」
冨康はその答えに満足げににやりと笑い、猪口の酒をグイッとあおった。
雪原や柚月が想像した通り、楠木は雪原が都を離れた隙を狙った。
楠木にとって、注意すべき人物は雪原だけだ。
ほかの者は、己のことしか見えていない、ゴミだと思っている。
そしてその通り、反物屋に扮した楠木の使いの者は、いとも簡単に城に入り込み、冨康に楠木からの手紙を渡した。
手紙には、「あなたのお力になれます」という趣旨の言葉と、場所と日時を書いておいた。
そして、楠木の思惑通り、いや、それ以上の好条件で、冨康は現れた。
家臣一人連れず、たった一人で指定の場所にやって来たのである。
「このようなところまでお呼びたてしてしまい、申し訳ございません」
楠木は深々と頭を下げた。
冨康の方は、楠木の言葉など聞こえてはいるが聞いてはいない。
「お前は誰だ。どう、私の力になれる」
冷ややかな目で楠木を見下し、ぶしつけに聞いた。
警戒心などまるでない。
本当にただのお坊ちゃんである。
さらに、楠木が名乗ると「ほお」と漏らし、やや前のめりになった。
その様子に、楠木の口元が密かに微笑む。
だがその笑みは、厳しい表情でスッと打ち消された。
「開世隊は、今の政府を無くし、新しい国づくりをしたいと考えております。また、その力は十分にあると、自負しております」
「舶来の武器を多く所有しておるらしいな。どこから手に入れた」
開世隊が都に総攻撃を仕掛けようとした際、多くの海外製の武器を所持していた、という報告は、冨康も受けている。
楠木はそれには答えず、苦々しい顔をしてみせた。
「その節は、杉が大変失礼いたしました。杉は、少々感情が先走る性分でしたので、事を急いたのでしょう。冨康様が城にいらっしゃるというのに」
楠木の思惑通り、最後の一言に気が効いた。
「それで、お前はどうする?」
冨康は気をよくし、にやりとしながら楠木の顔を覗き込む。
楠木は口元がほころびそうになるのを、真剣な表情で隠した。
「まずは今の政府を武力によって制圧します。いまだ剛夕様を推す者がいるなど、恐ろしいことでございます。冨康様をないがしろにするなど、もってのほか。そのような政府、つぶしてしまうに越したことはございません。ですが、問題が一つ」
「なんだ? 申してみろ」
冨康はますます前のめりになる。
「我々には政府を潰す力はございます。ですが、新たに作る国に、長となる者がおりません」
楠木はそこまで言うと一旦言葉を止め、冨康を見すえた。
「冨康様をおいては」
楠木は、まっすぐに冨康を見つめている。
冨康は満足そうに目を見開き、鼻息を荒くした。
こうして楠木は、いとも簡単に萩からの進軍に必要な道を手に入れた。
冨康は萩と都の間にある国の国主たちに内密に手紙を書き、萩の軍が来ることがあれば、詮議不要と命令したのだ。
「国元から連絡があり、出陣の準備は整ったとのことです」
楠木の言葉に、冨康がピクリと反応した。
「では」
「はい」
楠木が頷く。
「いよいよなのだな」
冨康は興奮し、目を輝かせた。
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