一よさく華 -幕開け-

八幡トカゲ

文字の大きさ
上 下
36 / 51
第四章 擾瀾の影

七.風雲

しおりを挟む
 冨康とみやすが姿を消してから一月近く経つ。
 依然としてその消息はつかめないままだ。

 はぎに行ったのではないか。
 城内では、そうささやく声が聞かれるようになっている。

 だが、冨康はまだ都にいた。

 正確には、都の東、七輪山しちりんさん
 その山中の小さな山小屋に。

 都の東の守りの要、この険しい山には、普段から人が立ち入ることはない。
 それほど険しい。

 そこにまさか冨康がいようとは。
 誰も思わない。

「いつまでここにおればよいのだ」

 冨康はいら立ちを隠さずに不満をぶつけた。
 今まで味わったこともない粗末な生活に、我慢が限界に来ている。

「まあ、そう慌てないでください。もうすぐ、すべて整います」

 そう答えたのは、楠木くすのきである。
 冨康はその顔を覗き込み、声を落とした。

「本当に、剛夕ごうゆうの奴を消せるのだろうな」
「もちろんでございます」

 冨康はその答えに満足げににやりと笑い、猪口ちょこの酒をグイッとあおった。

 雪原や柚月が想像した通り、楠木は雪原が都を離れた隙を狙った。
 楠木にとって、注意すべき人物は雪原だけだ。
 ほかの者は、己のことしか見えていない、ゴミだと思っている。

 そしてその通り、反物屋たんものやふんした楠木の使いの者は、いとも簡単に城に入り込み、冨康に楠木からの手紙を渡した。

 手紙には、「あなたのお力になれます」という趣旨の言葉と、場所と日時を書いておいた。
 そして、楠木の思惑通り、いや、それ以上の好条件で、冨康は現れた。
 家臣一人連れず、たった一人で指定の場所にやって来たのである。

「このようなところまでお呼びたてしてしまい、申し訳ございません」

 楠木は深々と頭を下げた。
 冨康の方は、楠木の言葉など聞こえてはいるが聞いてはいない。

「お前は誰だ。どう、私の力になれる」

 冷ややかな目で楠木を見下し、ぶしつけに聞いた。
 警戒心などまるでない。
 本当にただのお坊ちゃんである。
 さらに、楠木が名乗ると「ほお」と漏らし、やや前のめりになった。

 その様子に、楠木の口元が密かに微笑む。
 だがその笑みは、厳しい表情でスッと打ち消された。

「開世隊は、今の政府を無くし、新しい国づくりをしたいと考えております。また、その力は十分にあると、自負しております」
「舶来の武器を多く所有しておるらしいな。どこから手に入れた」

 開世隊が都に総攻撃を仕掛けようとした際、多くの海外製の武器を所持していた、という報告は、冨康も受けている。
 楠木はそれには答えず、苦々しい顔をしてみせた。

「その節は、杉が大変失礼いたしました。杉は、少々感情が先走る性分でしたので、事を急いたのでしょう。冨康様が城にいらっしゃるというのに」

 楠木の思惑通り、最後の一言に気が効いた。

「それで、お前はどうする?」

 冨康は気をよくし、にやりとしながら楠木の顔を覗き込む。
 楠木は口元がほころびそうになるのを、真剣な表情で隠した。

「まずは今の政府を武力によって制圧します。いまだ剛夕様を推す者がいるなど、恐ろしいことでございます。冨康様をないがしろにするなど、もってのほか。そのような政府、つぶしてしまうに越したことはございません。ですが、問題が一つ」
「なんだ? 申してみろ」

 冨康はますます前のめりになる。

「我々には政府を潰す力はございます。ですが、新たに作る国に、長となる者がおりません」

 楠木はそこまで言うと一旦言葉を止め、冨康を見すえた。

「冨康様をおいては」

 楠木は、まっすぐに冨康を見つめている。
 冨康は満足そうに目を見開き、鼻息を荒くした。

 こうして楠木は、いとも簡単に萩からの進軍に必要な道を手に入れた。
 冨康は萩と都の間にある国の国主たちに内密に手紙を書き、萩の軍が来ることがあれば、詮議不要と命令したのだ。

「国元から連絡があり、出陣の準備は整ったとのことです」

 楠木の言葉に、冨康がピクリと反応した。

「では」
「はい」

 楠木が頷く。

「いよいよなのだな」

 冨康は興奮し、目を輝かせた。
しおりを挟む

処理中です...