一よさく華 -幕開け-

いつしろ十蘿

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第一章 序まり

六.運命の潮目

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 大通りは避け、川沿いの小道を行く。

 どこからか、微かにかえるの鳴き声が聞こえてくるだけ。
 町は、ひっそりと静まりかえっている。
 柚月の草履の音が、大きく聞こえるほどだ。
 下駄履きの椿の歩調に合わせて、ゆるりゆるり、都の北へと向かって行く。

「あのあたりに、お住いなんですか?」

 椿はちらりと柚月の横顔を見上げた。

「そう、あそこの長屋」

 柚月は振り向かず、前を見たままケロリと応える。
 もちろん嘘だ。

「それは…。すみません、わざわざ」
「いや、いいけど。あんた、一人で出歩かない方がいいんじゃない?」

 申し訳なさそうにうつむく椿に、柚月は笑った。
 夜道で会うのは、これで二度目だ。

「最近越してきたばかりで、まだ、道がよくわからなくて」

 ぽそりと答える恥ずかしそうな顔が、月明かりに照らされている。
 やはり、かわいい。

 だが柚月は、その様子を目の端にも見ていない。
 前を見たまま。
 そして耳は、椿の声を聞きつつも、周囲を警戒している。
 それを椿に気づかれないよう、声だけは明るい。

「道が分からなくなったら、とりあえず、大通りに出たらいいよ。横道に入るとややこしいから。大通りに出て、北を目指せば、武家屋敷が並ぶ方に出るよ。あ、北って、お城がある方ね」

 都は、北に天明山てんめいさん、東には七輪山しちりんさんという山がある。
 この二つの山がつながる場所から、都に向かって、日之出峰ひのでみねというさほど高くない山が張り出している。

 城は、この日之出峰ひのでみね天明山てんめいさんが作る湾のような場所にあり、これは、都の中央を南北に貫く大通りの北の端、より、やや東にあたる。

 北は城がある方だという柚月の説明は、正確ではない。
 が、道にうとい者には充分である。

「どこから越してきたの?」

 柚月は「越してきた」という表現に、わずかに興味をそそられた。
 椿の邸の正確な場所は分からないが、別れた場所の「すぐ近く」と言っていた。
 都の北側、武家屋敷が立ち並ぶ場所だった。

 その辺りに邸を構えている武士は、中級から上級の者で、そのほとんどが国元にも家があり、いわば出張してきている。
 定期的に都と国元を行き来することはあるが、その際、「越す」とは言わない。
 そのため、あの界隈に住んでいる様子の椿が、「越してきた」ということが、柚月には珍しい。

横洲よこすの方から」
「横洲?」

 椿の答えに、柚月はますます珍しく感じた。
 横洲は、都に一番近い港町、横浦よこうらのすぐ隣の地域で、横浦に来る外国人相手の商売人が多く住んでいる場所だ。
 武家の人間はほぼいない。

「横洲なんかで、何して…」

 そう聞きかけて、止めた。
 横洲には、外国人相手の遊女が多くいる。
 そう誰かが言っていたのを、思い出したのだ。
 邪推だが、深入りしない方がいい。

 途中で言葉を止められ、椿は不思議そうに柚月をうかがい見た。
 そうまっすぐ見つめられると、柚月もさすがに気になる。
 恥ずかしい。

「いや、なんでもない」

 柚月が耐えかねて顔をそむけると、椿の視線はゆっくりと、柚月の腰の刀に移った。

「てっきり、開世隊かいせいたいの方かと思っていました」

 柚月は笑った。

「それって、俺が貧乏くさいからでしょ」
「えっ、いえ、そういうわけでは」

 椿は慌てた。
 その様子もかわいらしい。

 事実、開世隊は、もとは明倫館めいりんかんの塾生たちを中心に立ち上げられたもので、そのほとんどが、下級武士や町人、百姓出といった、貧しい者だ。
 都に入ってから、他から参加する者も増えたが、いずれも同じである。

 帯刀が許されているのは、本来、武士階級の者だけだ。
 もちろん都にも、長屋に住んでいるような下級の武士はいるが、数は少ない。
 ほとんどは、上級から中級武士と、その家臣たちで、それなりの家柄の者だ。

 ぼろぼろの服を着て帯刀していれば、開世隊と思われても仕方ない。
 そしてそれは、たいてい間違ってもいない。

「…すみません」

 椿は少し決まり悪そうに目をらした。

「素直~」

 そう言って、ははっと笑う柚月の態度は、気にしなくていいよ、と言っている。

「お優しいですね」

 椿の口元がほころぶ。

「あ、俺? うん。よく言われる」

 そう言うと、柚月は椿の顔を覗き込むようにして、冗談っぽくニッと笑った。
 やんちゃそうな笑顔だ。
 椿は目が合い、言葉もなく恥ずかしそうにうつむいた。

 いうまでもないが、その様子もまた、かわいい。
 柚月もなんだか恥ずかしくなって頬をいた。

 このまま黙ってしまっては、気まずい。
 何か話題を、と、目をきょろきょろさせていると、椿の髪についてるものが目に留まった。

「それかんざし? 変わってるね」

 柚月は物珍しそうに、じっと見ている。
 見たこともない物だ。
 金属製のようだが、細かく繊細な彫刻がほどこされている。
 そもそも、どうやって髪についているのか。
 分からない。

「これですか?」

 椿は柚月に見せるように、少し頭を傾けた。

舶来はくらいの髪飾りで、バレッタというそうです」

 そう言って、外して見せた。
 飾りの裏には細長い弓なりの蝶番ちょうつがいのような金属がついていて、それを飾りの裏に押し当てると、小さな突起に挟まって、パチンと小さな音をたてて止まり、その突起をつまむと、止まっていた金属が、勢いよく跳ね上がった。

「すごっ!」

 柚月は子供のような声を上げ、目をキラキラさせている。

「やっぱ、舶来品はすごいよなあ」

 そう言いながら、柚月の頭には、かつて見た、舶来の拳銃のことが浮かんでいた。
 宝石で装飾を施され、まるで芸術品のようだった。
 なにより、その威力。

「そうですね。特に、重火器は優れていると聞きます」

 椿がさらりと言い、柚月は驚いて肩がびくりと跳ねた。
 まるで、心を読まれたようだ。

「見たことあるの?」

 驚きを隠せず思わず聞くと、椿は一瞬驚いた顔をしたが、すぐににこりと微笑んだ。

「いえ、聞いたことがあるくらいで」
「ああ、なるほど…」

 武家の人間なら、十分あり得る話だ。
 柚月が納得していると、椿がちらりとその横顔を見上げた。

「ご覧になったこと、あります?」

 柚月はわずかにドキリとしたが、顔には出さない。

「うん。先生について、横浦に行ったことがあって。ちらっとね」
「先生?」

 椿の眉が、いぶかしそうにわずかに動いた。

「ああ、俺を育ててくれた人。俺、ガキの頃に親が死んじゃってさ。親戚とかもいなくて。残ったの、これだけ」

 そう言って、柚月は腰の刀を見せた。

「これ持って、行く当ても無くて。うろうろしてたところを、先生に拾ってもらったの」

 柚月が言っている「先生」とは、楠木のことだ。
 本人をそう呼んだことはないが、楠木の名を出せば一発で開世隊であることがばれる。
 それを避けたい。

 それに、この話ももちろん嘘だ。
 ただ、事実も混ざっている。
 後でボロが出るのを防ぐ為。
 本当に隠したいことを話す時の常套手段じょうとうしゅだんであり、もはや癖。

 そんな嘘を、もっともらしく話す。
 それもまた、癖になっている。

 柚月は今回も、さらりと口にした。
 それも明るい調子で。
 だが、聞いていた椿の顔は、申し訳ないことを聞いてしまった、と言っている。
 柚月は慌てて手を振った。

「そんな、悲観するようなことじゃないから!」

 だが、明るくそう言うと一変、すんっと真面目な顔になった。

「俺は運がよかったと思う」

 心の奥から漏れ出たような声だ。
 心底そう思う。
 あの時のことを思うと。
 だからこそ、感じる恩がある。

「こうやって生きてるし」

 柚月は湿っぽい空気を吹き飛ばすように冗談っぽくそう言うと、パッと両手を広げて見せた。
 華奢きゃしゃな体に着物の薄汚れた感じも相まって、案山子かかしのようだ。

 椿から笑みが漏れ、笑いだした。
 鈴を転がしたような声だ。
 柚月もほっとした。
 いや、張り詰めていたものが、少し緩んだのかもしれない。
 ぱっと、よく晴れた夏空のような笑顔になった。

「この国を、いい国にしたいな」

 ポロリ、心の内が漏れた。

「いい国、ですか」

 まだ笑みの中にいる椿が、相槌あいづちのように言う。

「うん。弱い人が、安心して暮らせる国」
「弱い人が?」

 椿はかすかかに目を見開き、まるで初めて聞いた言葉のように繰り返すと、柚月の心の内を見るように、その横顔をじっと見つめた。
 月明かりに明るく照らしだされ、まっすぐに前を見据えた柚月の目には、強い意志が宿っている。

「やっぱり、開世隊かいせいたいの方みたい」

 椿がつぶやくように言う。

「どうかな」

 しばらく黙った後、柚月はぼそりとそう言った。

 武家屋敷が立ち並ぶあたりに入り、見覚えのある景色になってきた。
 この辻だ。
 椿は足を止め、柚月の方に向いた。

「では、ここで」

 初めて会った日も、ここで別れた。

「ああ、うん」

 応えながら、柚月は少しうつむいた。
 なぜだろう。
 胸に、妙な寂しさが湧いてくる。
 祭りの帰りみたいだ。

 椿は礼を言うと、小走りで駆け出した。
 下駄のせいもあるが、なんだかぴょんぴょん弾んで、かわいらしい。

 柚月がその後姿を見送っていると、椿がふいに振り向き、小さく手を振った。
 柚月も、応えるように手を振る。
 自然と口元が笑っていた。

 恥ずかしいような、うれしいような、不思議な気持ちだ。
 椿の方も、少し照れたような笑顔を見せると、また、小走りで駆け出した。

 今度こそ去っていく。
 柚月に背を向け、辻の先の闇へ向かって。

 柚月は、遠ざかっていく椿を見送った。
 椿の顔から、すっと笑みが消えたことにも気づかずに。
 ただやはり、胸に、何か、正体の知れない引っかかりを覚えながら。

 この日の出会いが、柚月の運命を大きく左右することになる。
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