一よさく華 -幕開け-

八幡トカゲ

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第一章 序まり

七.暗雲への悪路

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 突然の招集がかかったのは、それから二日後のことだ。

「こんな所に呼び出されるなんて、何なんだろうな」

 義孝はだんだん苛立ちを隠せなくなっている。
 指定された場所に向かうべく、柚月を連れ、都のはずれの山道に入った。

 が、とんでもない悪路だ。

 かろうじて道らしいものはあるが、普段あまり人が立ち入らない場所らしい。
 自由に木が生い茂り、暗い。
 この様子では、昼間でも薄暗いだろう。
 今は日も暮れ、視界は一層悪い。
 満月でこれだ。
 そうでなければ、闇の中を歩くことになったに違いない。
 そのくせ、この道らしきものから一歩外れれば、奈落の底まで滑落しそうなほどの急斜面ときている。

 ――確かに、何事だろう。

 柚月は胸騒ぎがしてならない。
 人を阻むこの道が、事の重さを想起させる。
 
 ――よほど外に漏れてはいけない話でもあるのか。

 逸る気持ちと裏腹に、足は重い。
 
「そういえば、江崎さんが斬られたらしい」

 義孝はふいにそう言うと、目の前に飛び出して来た小枝をわずらわしそうに払った。

「江崎さんが⁉」

 柚月は心臓が跳ね上がるような衝撃に、一瞬背筋が凍った。
 江崎は開世隊の中でも、一・二を争う剣の手練てだれだ。

「やっぱり知らなかったか。お前、もうちょっと松屋によりつけよ。皆知ってるぞ」

 義孝はそう言いながら、足元に飛び出してくる草をめんどくさそうに蹴っている。
 柚月はもともと松屋に入り浸ることはないが、特にここ二日は、集会に顔を出す気にもなれず、もう一つの宿、「旭屋あさひや」に籠っていた。

 義孝はそのことをやや責めている。
 だが、柚月はそんなことなど気づきもしない。

「いつ? どこで⁉」

 食いつくように聞く。
 義孝の言葉など、耳に入っていないらしい。

「…お前な」

 義孝はあきれて文句を言いそうになったが、止めた。
 柚月の目が、あまりに懸命だ。
 代わりに、飛び出してくる枝をまたわずらわしそうに手で払いのけた。
 その表情は、険しい。 

「昨日だよ。おそらく雪原麟太郎の手の者だ」

 柚月はピクリと反応し、足が止まった。

「おい、止まんなよ。遅れるぞ」
「…なんで、そう言える?」

 またも、聞いていない。
 義孝はあきれたようにため息のような息が漏らすと、首元をカリカリ搔きながら歩き出した。

「昨日、江崎さんと太田さんが飲んだ帰りに、街で雪原を見かけたらしい。そんな好機、めったにないからな。二人で後をつけて、斬ろうとしたんだと」
「二人で? 向こうはそうとう護衛がついてたんじゃないのか?」

 闇討ちとはいえ、無謀だ。

「いや、一人だったらしい」
「一人?」

 柚月は黙り込んだ。
 雪原は一昨日、柚月と出くわしたばかり。
 再び一人で出歩くなど、無防備すぎる。

 引っかかる。

 と同時に、疑問がわいた。

「なんで、雪原だって分かったんだ? 一人だったんだろ?」

 雪原麟太郎は、あまり世間に知られた人物ではない。
 義孝も柚月も、名前さえ知らなかった。まして、その顔を知る者など。
 どれほどいるだろう。

「江崎さんが知ってたらしい。ほら、江崎さん、しばらく横浦よこうらにいただろ? 市場かどっかで、見かけたことがあったんだと。まあ、その時は、雪原も一外交官だったろうし、まさか陸軍総裁になるなんて、思ってもみなかっただろうけどな。よく忘れずに覚えてたもんだよ」

 そうまで言うと、義孝の目つきが変わった。

「ただ、ったのは雪原じゃない」

 声も鋭い。

「雪原に切りかかった瞬間、斬られたそうだ。陰で相手の姿は見えなかったらしいが、雪原は抜刀すらしていなかったって話だ」

 太田はいざとなって怖気おじけづいて出遅れ、そのおかげで一部始終を見ていたのだという。

「今朝、野次馬に交じって遺体を確認してきたやつが言うには、首を一太刀、見事にさばかれてたって話だ」

 柚月は再び黙り込んだ。
 いくら好機に気がっていたとはいえ、江崎が傍に潜んでいる気配に気づかないなど…。
 納得できない。
 まるで、影に斬られた、と言われているようだ。

「なんにしても、向こうも相当な手練れがいるってことだ。横浦での闇討ちも、もしかしたら、雪原の仕業だったのかもな」

 柚月はますます黙り込む。
 二年ほど前から、開世隊員が横浦で暗殺されるということが何度かあった。

 開世隊員が横浦にいることは分かる。
 船で都に入るのに、横浦の港を使うからだ。

 だが、なぜ都ではなく、横浦で襲われるのか。
 柚月はずっと引っかかっていた。

 横浦には、警備隊はいない。
 警備隊はあくまで、都の治安維持を目的とした組織だ。横浦まで出向くことはない。
 軍が配備されたとも聞かない。
 下手人が定かではなかった。

 それが、ここ一月ほどの間、ぱったり止んでいる。
 一月前と言えば、雪原が陸軍総裁となり、都に入った時期だ。

「あれだ、あれだ」

 義孝の嬉しそうに声に、柚月ははたと現実に引き戻された。
 木の隙間に小さな明かりが見える。
 その明かりを目指し、険しい道をさらに進むと、やっと、指定された小屋にたどり着いた。

「いやぁ、やーっと着いたぜ」

 義孝は安堵と疲労から戸にすがるように寄りかかり、開けた。
 ろうそくの灯りだけが頼りの薄暗い中、すでに、十人以上の男たちが詰めている。
 皆、見覚えのある顔ばかり。
 開世隊かいせいたいの中でも、楠木に近い、いわば幹部級の者ばかりだ。

「なんだ? 物々しいな」

 義孝が思わず漏らした。
 柚月も同感だ。
 戸の近くに義孝と二人並んで腰を下ろすと、小屋の中を見渡した。

 上座には、杉。
 と、もう一人。
 見たことのない男が座っている。

 この薄暗い中でも分かる。
 あれは、かなり上級の人間だ。

 帯刀しているところを見ると武士なのだろうが、あの身なりの良さ。
 なにより、ただ座っているだけだというのに、開世隊の者たちとは明らかに違う、品格がある。
 だが、本来いるべき人物が見当たらない。

「楠木さんはいないのか?」

 妙だ。
 そう思って、柚月はもう一度小屋の中を見渡した。
 が、やはり、いない。

「え?」

 義孝が聞き返した時、杉が口を開き、会話は打ち切られた。

「揃ったな、諸君。こんな所にまで呼び出してすまない」
「いや、まったくだぜ」

 義孝が小声でぼやく。
 よほど山道が辛かったらしい。
 いつもなら柚月が膝を小突いて注意するところだが、流した。
 小屋の中は、妙な緊張感が漂っている。

「皆知っているとは思うが、昨夜、江崎君が斬られた」

 男たちの顔が、悲しみにゆがんだ。
 皆、萩にいた頃からの仲間だ。
 苦楽を共にした。
 たくさんの思い出がある。

「だが、悲しんでばかりもいられない。いや、だからこそ、前に進まなければならない。我々には、果たすべき目的がある」

 杉は、演説のように声を張り上げる。

「随分待たせてしまったが、ようやく準備が整った。今、はぎから我らの同志達が、大量の武器を持って、都に向かっている」

 杉はいったん言葉を止め、声を潜めるようにぐっと前かがみになった。
 ろうそくの灯に照らされた目が、爛々らんらんと光る。
 不気味だ。

「海外から買い集めた武器だ」
「おお」

 杉の低い声に、男たちがじわりじわり高揚する。

「明日にも、羅山らざんに到着するだろう!」

 杉が声を張り上げ、小屋の中が沸き立った。
 羅山とは、都の三方を囲む山の内、西にある山だ。
 西側からの都の入り口。
 萩から陸路で都に入るには、必ず通る場所ではある。

 だが、柚月には話の筋が見えない。

 羅山なんかに、萩から同志達が来ているとはどういうことなのか。
 海外から武器を買い集めたとはいったい。

 分からない。
 分からないが、なぜか、鼓動が早くなる。
 嫌な鼓動だ。

すみやかに軍をすすめられたのは、ほかでもない、ここにいらっしゃる剛夕ごうゆう様のお力添えあってのことだ」

 小屋中の視線が、一斉に上座の男に注がれた。
 男は、静かに動じない。

 剛夕。

 将軍、冨康やすとみの弟。
 城内の革新派が推す人物だ。
 
 柚月は、あの方が、という驚きとともに、得体のしれない不安に襲われた。
 何か、自分の知らないうちに、知らないところで、何か、大きなものが動いている。
 何か――。

「三日後、都に総攻撃を仕掛ける!」

 杉が勢いよく立ち上がり、鼓舞するように声をあり上げた。
 小屋中の男たちが一斉に立ち上がり、拳を突き上げる。
 雄叫びのような賛同の声が上がり、小屋は、異様な空気に包まれた。
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