一よさく華 -幕開け-

いつしろ十蘿

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第三章 手繰り寄せた因果

弐.人斬り椿

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 その夜、柚月は行燈あんどんの灯りを消しても落ち着かず、布団の上にごろりと寝転がった。
 胸が温かく、満たされた気持ちなのは、腹が満たされているからではない。

 天井が見える。
 他人の家だ。
 だが、安らいでいる自分がいる。

 ――他人の家だ。

 柚月は自分に言い聞かせた。
 その時だ。

 ふと、障子に人影が映り、柚月は跳ね起きた。
 すでに、刀は握っている。
 身をかがめ、様子をうかがった。

 影は、廊下を行くものではない。
 庭だ。
 柚月は静かに障子戸に近づくと、わずかに開け、覗き見た。

 庭を一人、男が歩いていく。
 いや、この気配の無さ。

 ――椿だな。

 男装をし、腰には刀を差している。
 人を、斬りに行く。
 柚月は直感した。

 椿は静かに庭をすぎ、裏木戸を出て行く。
 柚月はそっと部屋を出ると、後を追った。

 夜、椿を追うのは至難の業だ。
 なんせ気配がない。
 目だけが頼りだ。しかし、距離を詰めすぎると気づかれる。
 柚月は、ギリギリの距離を保ちながら後をつけた。

 月明かりが弱い。
 見失いそうだ。
 もどかしさを抑えて、懸命に追う。

 椿は音もなく、影のように進んでいく。
 都の東に向かい、寺町に入った。

 こんな所に、いったい誰がいるというのか。
 柚月がそう思い始めた時だった。
 突然、椿が駆け出した。

 柚月も家の陰から飛び出す。
 が、次の瞬間。
 再び陰に引き返し、身を潜めた。

 足音だ。
 数人。
 いや、一人を数人が追っているのか。
 近い。

 柚月はさらに耳を澄ました。
 道が入り組んでいるらしく、足音も複雑だ。
 椿も見失ってしまった。
 いったん離れよう、そう思って動いた時だった。

「…柚月」

 背後からの男の声に、柚月は咄嗟に振り向き、構えた。
 暗い。
 男が月を背にしていることも重なり、顔は見えない。
 が、帯刀していることは分かる。
 柚月は目を凝らしながら、すり足で横にずれた。

「生きてたんだな、お前」

 男の声に、感動のような響きが混ざっている。
 聞き覚えのある声だ。
 柚月の中で、記憶と、おぼろに見える姿が合致した。

「…永山さん」

 開世隊かいせいたいの者だ。
 それも、明倫館めいりんかんから一緒に過ごしてきた。
 そして、あの日、あの山小屋にいた一人だ。

 柚月は鯉口を切った。
 ためらいが、無かったわけではない。

「来るな!」

 制するような永山の声に、柚月は一瞬、ビクリと止まった。

「すまなかった。一華いちげ

 そう言うと、永山はぱっと駆け出し、家の間の小道に消えた。
 どういう意味だ。
 あっけにとられた柚月は、家の陰から永山が去った方を覗き見た。

 暗くて何も見えない。
 だが、遠ざかっていく足音が、わずかに聞こえてくる。

 足音が、一つ、増えた。
 続いて、争うような音。
 男の声も混ざっている。
 だが、すぐに収まった。

 不気味なほど静かだ。
 柚月は椿のことがよぎった。

 ――まさか。

 一つ息を吐くと、静かに、音がしていた方に向かった。
 家の陰に身を潜め、音を殺して歩を進める。

 目的の場所は、遠くなかった。
 隠れる様子もなく、人影が一つ立っている。

 その足元に、黒い山。
 おそらく人だ。

 柚月は家の陰に身を潜め、壁に背を当てた。
 そのまま息をひそめながらにじり寄る。

 じわりじわり。

 息を殺し、一歩。
 また一歩。
 草履が土を滑るかすかな音さえ、大きく感じる。

「誰だ」

 突然、影が声を発し、柚月はビクリとして固まった。
 影が、柚月の方へ向く。

 男だ。
 この声。
 知っている。
 染みついている。
 忘れるわけもない。
 柚月は、手が震えた。

 楠木だ。

 近づいてくる。
 どうする。
 斬るか。
 でなければ、斬られる。

 脅えたように、柚月の刀がカタカタと鳴り出す。
 迷っている間に、楠木はすぐそこまで来ている。
 刀を握り、歩を速めてきた。

 が、突然。

 楠木は素早い動きで振り返り、後ろからの一刀を払った。
 後ろから切りかかった者は体勢を立て直し、すぐに二刀目を繰り出す。
 刀がかち合う音が響いた。

 そこに数人、ほかの足音。
 近づいてくる。
 楠木は襲い掛かってくる刀を払いのけると、さっと立ち去った。

 柚月は、追おうとする襲撃者の腕を掴んで止めた。
 誰だか分かっている。
 そして思った通り、腕を掴まれた椿が振り向いた。

「追うな」

 楠木の剣の腕は一流だ。
 椿の腕がいかほどであっても、ただでは済まない。
 椿の腕を掴む手に、力がこもる。

 楠木の姿はもう見えない。
 椿はあきらめざるを得なかった。

 だが、椿が刀を納めるより先に数人の男が現れ、どういうわけか、先頭の一人が問答無用で襲い掛かってきた。

 柚月が受けた。
 刀で押し合う。
 互いに顔が見えた。

「柚月…っ!」

 忌々しそうに言う男に、柚月は見覚えがある。
 これも開世隊の者だ。
 だが、明倫館出ではない。
 確か、横田とかいったか。
 都に来てから開世隊に参加した者で、よく松屋に来ていた。

「お前のせいだ! お前さえ…‼」

 横田がはじいた。
 が、柚月の方が速い。
 瞬時に、横田の胴を左から右へ右薙ぎに切りはらった。

 横田は倒れ、ほかの者は逃げ出した。
 バタバタと、足音が遠のいていく。
 それを聞いて、柚月は刀を納めた。

「帰ろう」

 椿にそう声をかけて歩み出すと、後ろでゆらりと影が動いた。
 横田だ。

 足がふらつき、上体までゆらゆら揺れている。
 だがそれでもその目は、ギラリと柚月を捉えている。

「ユヅキィイ…‼」

 そう叫びながら、柚月に切りかかった。
 もはや執念。
 柚月が振り向きざまに抜刀しようとした、その瞬間。

 柚月の目の前で、椿の刀が、雷のように横田の額を割った。

 柚月は目を見開いた。
 時がゆっくりと流れ出したようだ。
 横田が額から血を吹き上げながら、背中から崩れていく。
 どさりと無抵抗に地に落ちると、動かなくなった。
 絶命している。

 柚月は、ゆっくりと椿の方を見た。
 椿は呼吸も乱さず、静かに横田を見下ろしている。
 今、目の前で起こったことは、幻だったのかと思うほど、平然と。

 だが、その手に握られた刀。
 そこから滴る血が、変えようのない事実を示している。

 柚月は目を見開いたまま、言葉が出ない。
 椿は、刀に付いた血を振り払うと、懐紙かいしでふき取り、納めた。

「帰りましょう」

 まるで、茶屋の席を立つような調子言う。
 微笑みさえ浮かべて。
 その頬には、横田の返り血が飛んでいるというのに。

 歩み出す椿の手を、柚月は引き止めるように掴んだ。
 刀を握っていた手。
 横田を斬った手。
 柚月はその手を、両手で包み込むように握った。

 そこに、ぽたりぽたり。
 温かい雨が降り落ちる。

 柚月は、椿の手をじっと見つめ、見つめながら、泣いていた。

 やしきまでの道中、柚月は椿の手を放さなかった。
 互いに一言も発せず、椿は柚月に引かれて帰った。
 邸に着き、裏木戸から入ると、柚月はすっと手を放した。

「おやすみ」

 椿の方を振り返りもせず、肩越しにそう言うと、部屋に戻っていった。
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