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第6章 煙の如き狂猿

59: ファンキー・モンキー

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「君の所長さんは、煙猿にかなり肉薄していたようだな。煙猿は一時期、この国で半島のスパイもやっていたようだ。、、そこまで調べ上げている。私が、こうやって短時間のウチに煙猿にたどり着けたのは所長さんの足跡をたどってのことだ。」
 剛人さんは、そう言ってくれたけど、僕にはそれが慰めの言葉のように思えた。
 あの、憎めないけれど探偵としての実力は今ひとつの所長が、半島がらみの男の身元に、そうやすやすと調査の手を届かせられたとは思えなかったからだ。

 僕自身の置かれた状況は、ある程度、剛人さんに話してあった。
 と言うよりも、先の夢殿事件の責任をとって、鷹匠家のボディガード件運転手の職を辞した剛人さんには、トラブルの原因を作った僕から、事情を聞く権利が当然あったのだ。
 けれど、そう考えて話をしたのは僕の方で、剛人さんから僕への質問はなかった。
 全てを、自分一人で抱え込んで黙って処理をする、それがこの男性の生き方のようだった。

「煙猿のことを調べてくれたんですね、、どうして私の為にそこまでしてくれるんですか?」
 パンク少女から、ごく普通の少女に衣替えした僕が尋ねた。
 こうやって剛人さんと僕が二人並んで歩くと、仲の良い親子のように見える。

「君の為にと言うことではないな。私は私の失点を取り戻さなければならない。澄斗様の目の前に、あの見せ物小屋の連中の雁首を並べる。煙猿はそこに至る過程のようなものだ。いや、もしかしたら、奴こそ今回のトラブルの元凶である可能性がある、、。」
 、、それは違うと、僕は思った。
 鷹匠君が巻き込まれた厄災の本当の元凶はこの僕だった。

「でも剛人さんは、もう責任を取って鷹匠家の仕事を辞めたんでしょ。」

「元から、雇った雇われたの関係じゃなかったんだよ、鷹匠家とはね。澄斗様の最初の父親を死なせたのは私だ。それでも鷹匠の大親父は、私に澄斗様の世話を頼まれた。澄斗を一人前の男にしてやってくれとね、それがお前の取るべき責任だとも仰った。・・それが、あの様だ。」

「でも澄斗クンは、親父がどうとか、自分とはそりが合わないような事を言ってたけど?」

「大親父は何より家の形を大事にされる方だった。そしてその一方で、策略家でもあられた。澄斗様の今の父親は二人目だよ。澄斗様の思いとは関係なく、鷹匠家の勢力拡大の為に養子縁組で迎え入れられた方だ。二人の間には何の意思疎通もなかった。澄斗様は大親父の手前、この義理の父親を表面上受け入れてはいたがね。澄斗様は今でも、私が殺めた最初の人物を本当の父親だと思い込んでいる。」
 言葉少なに、剛人さんはそれだけの事を語った。

 喋る気になれば、もっと詳しく教えてくれるのだろう。
 でも僕はそれ以上、剛人さんや澄斗クンの事情を知りたくなかった。
 特に話の流れを変えようと意識したわけではないのだけれと、僕は自分の手を剛人さんの腕のくぼみに突っ込んで自然に腕を組んだ。
 剛人さんは、特にそれを拒まなかった。

 夢殿の事件後、二週間ほど経ってから、僕に会わないかと誘ってくれたのは、そんな剛人さんの方だった。
 僕は正直嬉しかった。
 その嬉しさは、所長という存在の欠落を埋めてくれる男性からの誘いというのではなく、純粋に剛人さんに対する好意からくるものだった。


    ・・・・・・・・・


 息を潜めて小倉庫の動きを見張っている俺の足元に、小さな風が古新聞の端切れを運んできた。
 俺の足首あたりに絡みついた新聞紙に視線を落とすと、皮肉な偶然か、そこにチンパンジーの写真が見えた。
『本当は危険なチンパンジー』の見出しが読める、、、。
 チンパンジーは愛嬌のある動物として一般的に知られているが、その実体は戦闘力の高い極めて獰猛な生き物だ。
 俺は煙猿にまつわる噂話を集めている内に、その怪物ぶりにこそ、奴の素性を知る秘密があるのではないかと思ったことがある。

 噂話には尾鰭が付きものだが、まったく根拠のない事象からは、その話自体が生まれない。
 煙猿の通り名通り、奴は煙のように去り、やって来る、そして猿のように身が軽く凶暴である。
 只の人間が、超人のように振る舞う為には、それこそ超絶的な鍛錬を長期間積み上げ、何かの体術を会得する必要がある筈で、そこから煙猿の経歴がもっと詳しく判ると考えたのだ。
 しかし俺が裏十龍に潜入するまで、煙猿の経歴は、一時期芸能人を目指し、最後は死体を冷蔵保存するリリアルコー日本支社という際物的な会社に務めていた事までしか判っていなかった。

 それが、「ある可能性」を示しだしたのは、一人の裏十龍の住人との会話からだった。
 その男は、裏十龍が現在の独立国の様相を見せ始めた頃からの住人で、何度かは、裏十龍運営の表舞台にも出たことがあったようだった。
 しかし彼から直接、煙猿の秘密を聞き出したわけではなかった。
 潜入先の裏十龍内で、煙猿のことを、根掘り葉掘り聞いて回るのは、自殺行為に等しかったからだ。
 全ては、その男から聞き取った、茫漠とした話の印象の継ぎ接ぎにしか過ぎない。

 件の住人によると、裏十龍が生み出す闇の富と、その源泉である闇の流通経路に、「半島」が興味を持って接触して来たことが、過去にあったらしい。
 むろん裏十龍は、権力を利用する事はあっても決してそれに従属しないという、その独立性こそが絶対的な存在価値だったから、独裁国家の典型である「半島」の接触は、頭からはねつけていた。

 結局は、半島との交渉は決裂に終わったのだが、その過程で「君たちの中には、自ら我が半島のスパイになると志願した日本人もいるではないか。その男とは、今でも有益なギブアンドテイクが続いているし、彼は君たちに何の迷惑もかけていない。それ所か、彼は君達に利益をもたらしている。今でも共に、腐った世界の体制に向かって、革命の旗を掲げる同志なのだ。目的を成し遂げる意志があれば、多少の矛盾など何とでも出来るはずだ。」というような話が余談としてあったらしい。

 男は、半島が引き合いに出したその人物こそが煙猿だと思っていると言った。
 男は、裏十龍に出入りし始めた煙猿にあまり良い感情を抱かなかったらしい。
 話に聞く煙猿のそのやり口が、執拗であまりに、残酷過ぎたからだ。

 男はある時、煙猿と直接口をきく機会があって、「何故、お前はそんなに神出鬼没なのだ、何か武術でもやっているのか?」と尋ねた。
 「ナニもやってはいない。人には元から人を越える力が秘められている。俺はその力を解放する鍵を手に入れただけだ。なんなら、お前も俺の仲間になるか?」とそう答えたという。
 男は、いずれ煙猿を凹ますつもりでいたから、その時は情報を集める為に、話を合わせたらしい。

「鍵とはなんだ?」
「薬だよ」
「薬ならここで、ありとあらゆるモノを扱ってる」
「いや無いものがある。それは半島にあるんだよ。裏十龍は、半島とコネクションを持とうとしないからな。」
「いや、自慢ではないが、半島にある薬は、みんなここにある。」
「それは民間レベルでの話だ。」

 煙猿はそこで話を切り上げたらしいが、この男はそれを良く覚えていて、やがてある一つの噂話とその記憶を結びつけ合わせる事に成功したのだ。

「半島の軍には、普通の人間を、一夜にして超人戦士に仕立て上げる薬があるらしい。ただし薬が切れたら、その人間は廃人。薬を切らすことなく使い続けたら発狂するか早死。しかも恐ろしい程の依存性がある。さすがに人々への洗脳の効いた半島でも、この薬を自分に使ってくれという兵士はいないらしい。」
 話だけを聞くと、荒唐無稽のうわさ話だが、要するに軍事用に特化させた覚醒剤を、国が兵士に投与しているという、いかにも外貨の多くが麻薬の売り上げだという半島らしい現実的な情報だった。

 俺はこの情報を一度だけ、「眉唾ものだが」という前置き付きで、蛇喰に連絡している。
 煙猿にまつわる様々なヨタ話の一つでは済まされない何かを、俺はこの話に感じていたからだ。




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