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第7章 The GORKと大女と透明な探偵
70: 透明人間とコンシーラ
しおりを挟む江夏由香里が組み上げたゴォークシステムのせいで、俺達の意識世界は分裂、そして現実と融合し始めていた。
もちろん本来のゴォークシステム自体には、そんな力はない筈だ。
ゴォークは単なる医療用補助システムにしか過ぎない。
内視鏡なら切除器具も兼用するが、ゴォークは単に意識を探査し、それを具体的なバーチャル世界に組み立てて見せるだけの代物だ。
世界は堅牢だ。
自分が死んでも世界はあり続ける。
自分が生まれる前にも世界はあった。
自分の知らない土地では、信じられない大量の虐殺行為があり、信じられない程の裕福な生活と貧困がある。
つまり世界は残酷で堅牢で、俺達人間は、その上で這い回っているちっぽけなゴミ虫に過ぎない。
だが今、この世界をゆるめ、柔らかくし、徐々に何か違うモノへと変化させる、信じられない力が発生してる。
ゴォークに、驚異的な世界変容の力を与えたのは、ゴォークに接続された香代だ。
だがその香代にしたって、植物人間状態に陥るまでは、多少メランコリックではあるが普通の女子高校生だったのだ。
あの忌まわしいレイプ事件と、ゴォークシステムへの接続が、香代の中に秘められていた能力を覚醒させたのだろう。
人間が初めて知る事になった、電子器機と電子データと人の意識の化学反応が、今此処で、ひっそりと、そして驚異的な威力を秘め、始まっているのだ。
そして、このゴォークに自らを繋いで、神のような視点で、他人のインナーワールドを弄ぶ江夏由香里の存在や、そこに無理矢理、結節された俺という存在も、香代の力の覚醒と行使に一役買っている可能性があった。
俺は、この混乱を収束させるには、香代が現実的に目覚めるか、あるいは何らかの形で、自分の状態との折り合いを付ける必要があると考えていたが、こればかりは、香代本人の問題であり、俺には何ともしがたい問題だった。
だから俺に出来る最低限の事は、香代に対する江夏由香里の関与を取り除いてやる事だけだった。
当然、俺と香代との結節も問題なのだろうが、香代自らがゴォークへの接続が断ち切れないのと同じで、それはゴォークに繋がれてしまっている俺にはどうしようもない事だ。
だが、別の可能性の世界、分裂世界の俺が、香代の為にそれなりに頑張っているように、ここでの俺もベストを尽くすしかないのだ。
・・・・・・・・・
この世界の「大女」に会うために、俺は街を歩いている。
今の俺は、「透明」ではない。
俺の歩く姿を、ショーウィンドウのガラス壁が映し出している。
透明ではないが、どこからどう見ても怪しい奴だ。
出来るだけ素肌が露出せずに済むようにと着込んだ長袖ハイネックの黒セーター、サングラスと目深に被ったニット帽。
素肌には透明を誤魔化す為のコンシーラを塗っている。
コンシーラを顔にべったり塗って、スーツを着ると返って怪し過ぎるから、「怪しい」のが自然に見えるようなファッションにしてるわけだ。
下はスリムジーンズに、上着はレザージャケット。
レザージャケットは、この季節には、やや暑くるしい。
普通ならもっと楽な衣服を選ぶのだろうが、今の俺には余りそういう欲求がない。
見てくれ重視でオーケー、暑さ寒さを感じないからだ。
それは、俺が透明人間だと言う事に関係している。
透明になったから皮膚の温度センサーが壊れているんだろうって?
そうじゃない。
俺の透明は光学的なものではないからだ。
あえて言えば、次元差による透明と言ってよいのか。
この世界とは、ちょっとだけずれた次元にいる俺は、自分が肉体的に所属している元の次元の外気温を常に感じている。
でもここで言う次元とは、SF小説とかに登場する次元でもないので、これまた説明が難しいんだが。
だってSFワードの「次元」に、体感温度の話は余りに出て来ないだろう?
つまりそれは、病院内の快適温度だ。
俺の本当の身体は病院のベッドの中にある。
大元の身体は、別の次元に所属している人間が、この世界に紛れ込んでいる、感じだ。
まあ、真っ昼間の幽霊ってところか?
そこにいるんだが、いない。いそうでいて、見えない。
その理屈で、この世界の人間には俺が見えない、そういう事だ。
ところで透明である事は、「犯罪」を有利に運ばせる一大要素でもある。
透明になった!さあこれから人の役に立つ事をしよう!って人間は余りいないだろ?
大抵、人は悪さを考える。
もちろん、俺は探偵だから、探偵業務に応用できる事しか「透明」を利用しないが。
そして俺はこの世界で透明になった時点から、これまでの間、大いにこの「他人から見えない」特典を利用させてもらって来た。
だが、いつも便利ってわけじゃない。
こちらが他人とコミュニケーションを結びたいと思う時には、透明であるという事は最大の障害となる。
透明である事の利点と欠点は、コミュニケーションの断絶と欺瞞的成立にあるのだ。
当たり前の結果と言えば、至極当然の事象だが、俺はこの事には実は深い哲学的な意味があるのではないかと、最近考え始めている。
そこで俺が利用するのが、コンシーラや女性用ファンデーションだ。
眉墨や付け睫も、もちろん使う。
そして帽子で誤魔化しが効かないときはウィッグ。
こういった化粧品や小物は普通に世の女性達が使っているものだがら、俺が使っても何の問題もない。
ただ若干面倒なのは、「男が化粧する時代」と言われても、まだまだ素肌をコスメで塗りたくった男は少しばかり目立つという事実だ。
そして控え目な色ながらも、唇に塗ったリップや、つけまつげ、男装の麗人しかやらないような描いた太い眉、、。
俺とすれ違った初老のサラリーマンが、ちらりと俺を横目でみる。
男からは上等で渋いコロンの臭いがした。
男同士のモーションのかけあい。
上背があって痩せている。
最近の俺の好みだったから、俺の性癖の変化具合を確かめる意味でも、相手をしてみようかと思ったが、これから面会することになっている「大女」のことを思い出して、それは諦めた。
「大女」?つまり江夏由香里の事だ。
江夏由香里という女の本性を知るには、ハイスペックでスペシャルな神経科医という彼女へのアプローチより、こちらの「大女」という彼女の昔のあだ名から攻めて行った方が、より本質に近づける。
「大女」の名の由来は、後に話す事もあるだろうが、ニュアンスとしては、単に身体の大きさを指すのではなく、人が恐れと蠱惑を抱く「雪女」とかの、それに近いネーミングと思って貰っていい。
まあいわば「大女」は、江夏由香里という女の裏の顔だ。
江夏由香里攻略、その探偵活動の第一ビバークが、アーテック社だった。
アーテック社それは、「大女」こと、江夏由香里が顧問を勤めている会社だ。
彼女の収入は、例の総合病院で充分な筈だから、こちらの勤務は江夏の純粋な「社会貢献」なのだろう。
アーテックの本社建物は、一見、中規模の総合病院のようにも見えるし、町工場にも見えるといった不思議な雰囲気を持つものだった。
アーテック社は簡単に言ってしまえば、病気や事故で身体の一部を失ってしまった人々に、 医療用のシリコーン材を使用して、その欠損箇所を補う装具(エピテーゼ)を製作し提供する会社である。
大女は、そのアーテック社の成形技巧技師部門の外部顧問だった。
もちろん彼女の本職は、俺とも関わりの深いあの病院の女医だ。
攻め落とすべき本丸は、もちろん病院の方だったが、下手に彼女に病院で抵抗されては、俺の本体は病院にあるわけだから、こちらの身が危ない。
それに病院周辺で上手く立ち回ったとしても、彼女の社会的ステイタスと、しがない探偵とでは、端から勝負にならない。
従って、まずはアーテック社という外堀から、あわよくば兵糧攻めで、無血開城と行きたい所だった。
顔面補綴、義手、義足、人工乳房、義指、義肢装具、先天性奇形、性同一性障害、やけど痕などなど、大女がその需要の為に作り出す補綴物は、多岐に渡るのだが、それらはすべてオーダーメイドであり、患者との細かな対話を前提にして成立するものだった。
成形技巧技師の仕事は、単に「モノ」をつくっておれば良いというものではないのである。
相手の立場にたって、ものを考える能力や共感力が必要なのだ。
江夏由香里は、意外にもこの点でも優れていたようだ。
人間的要素をふんだんに持ったサイコパス、奇妙な存在だった。
・・例え、その共感力が「見せかけ」であるにしても、彼女のそれは精神科の同僚からも一目置かれる程のものだったのだ。
逆に言えば、その共感力は、江夏由香里の屈折がいかに尋常でないものなのかの証明ではあったが。
しかし大女の顧問業務の多くの時間が、そんな彼女の特性を生かした、職員への指導と相談に割り振られていたわけではない。
どちらかというと、大女の場合は、専用の制作室でエピテーゼを造形している時間の方が長いようだった。
アーテックの職員に対して、彼女は百の口での指導よりも、一つの試作品を作って、その道筋を見せる事を選んでいたようだ。
実際大女は、作り上げようとするエピテーゼの形状をイメージする速度が速く、又、その再現力も異様に高かったようで、その指導方法は有効だったようだ。
・・・もちろん、それらはただの見せかけだった。
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