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第7章 The GORKと大女と透明な探偵

69: 集合的無意識仮想現実 ワールド・ワイド・ウェブ

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 先ほどまでホームレスが横たわっていた公園のベンチの側に、A6判の文庫本が捨ててあった。
 おそらくホームレスが何処からか拾ってきて、暇つぶしに読んだのは良いけれど、その内容に飽きて捨ててしまったのか、彼が何者かに追われ、ベンチを立ち去る時に忘れたものなのか、、、。
 風がひとしきり吹いて、その文庫本のあるページを開いた。

『私?私は江夏由香里。
 大脳生理学の臨床医、自分で言っちゃなんだけど大天才。
 人間の脳領域を結ぶさまざまなシナプスネットワークの連結を、最新技術で感知分析、そこにコンピュータを繋いで、他人が被験者のインナーワールドに関与出来るようにしたシステムの開発者なの。

 この技術を駆使すると、特殊なケースに陥った植物人間状態の患者さんとも接触が可能なのよね。
 例えば、香代ちゃん見たいな特殊なケースだと、そのインナースペースは、現実より精緻で、しかも現実を書き換えるチカラまで持ってる事が解るの。

 そう、香代ちゃんは単純な植物人間なんかじゃないのよ。
 偉大なる「The GORK」なの、そして私は、真理の探求者。 
 そんな私のことを、あのポンコツオカルト探偵は、「こいつの正体は、全身整形の性転換で美女に化けた何処かのデブなオタク野郎」って思ってたらしいけど、そんなだから脳みそに探針刺し込まれて、私の仮想空間GORKに送り込まれるのよ。

 でも仮想空間GORKには、香代ちゃんの第二人格である探偵助手の女装高校生リョウがいるから、地獄に転生ってわけでもないんでしょうけどね。
 まあ、せいぜい転移先で頑張って、植物人間状態になってる香代ちゃんを助けてあげることね。向こうには、煙猿なんていう化け物の殺人鬼がいるみたいだし。
 とにかく目川純。あんたが助かる方法は、昏睡状態の香代ちゃんが、現実世界に目覚める事しかないんだから。
 でもその前に、世界に悲観した香代ちゃんの力で、現実の方が書き換わっちゃうかもね、、。』

・・・そんな文章だった。
 だが風は、気ままだ。
 再び吹いた一陣の風が、そのページを閉じ、また新たなページをめくり上げていた。


    ・・・・・・・・・


 俺は現在の窮状打破の為に、ゴォークシステムの基盤となっているcuvr・w3からのアプローチでなんとかならないかと、cuvr・w3開発者である保海源次郎を探してみた。
 だが彼は完全に失踪していた。
 昔の帝都怨霊事件で、一度顔を会わせた事のある保海氏の許嫁の元まで出向いたというのに、その行方は掴めなかった。

 もっとも俺の方も、あの頃とは姿形が変わって、今やすっかり怪しい男になっていたから、許嫁の忍さんが俺のことを警戒したという事はあるだろうが、他から当たってみても、保海氏が通常世界から居なくなったのは事実だろう。
 俺なら、こんな出来の良い別嬪さんが、許嫁なら絶対に失踪・蒸発なんかしないが、、。
 まあそれは、人それぞれだ。

 第一、有名大学教授の職を捨てて、自ら製作したプロトンパックレーザーを武器に、幽霊退治屋を始めるような男なのだから、何をしでかすか判ったもんじゃない。
 しかしあの帝都怨霊事件は、酷かった。
 俺のオカルト探偵歴の中でも一、二を争う糞ぶりの仕事だった。

 依頼主自体が、同じ幽霊退治屋のチームメンバーである立門主水だという時点で妙な匂いが漂っていたのだ。
 立門主水博士は、学者と言うよりも、超常現象オタクと呼んだ方が良い人物なのだが、一応、学者の中では幽霊を科学的側面で研究している人間という位置づけだった。
 まあ立門主水の立場からすると、学者仲間の保海氏にそそのかされて、幽霊退治屋の開業資金のために、自分の実家を担保に入れたのだから、諸々心配になって俺に調査を頼んだのは判る。
 当然、保海氏に裏がないのか、調べたくなるだろう。
 しかしだ、それより先に、自分が人一倍恐がりなくせに、何故、幽霊退治屋なんかになったのかって話だ。

 ところで保海氏は、心理学と超心理学等の数多くの博士号を取得し、更にコンピュータサイエンス学の鬼才とも呼ばれた男だが、幽霊退治の武器を作る才能はなかったようだ。
 そちらを担当したのが、筆倉阿含博士だった。
 この武器、プロトンパックレーザー等という名前からは、インチキ科学を連想しがちだが、後に俺が確認したところによると、最先端の知識と技術で作られたちゃんとしたものらしい。

 この幽霊退治の武器を作った人物とも何度か話をしたが、丸縁の眼鏡を着用し常にスーツで身を整えているメンバーの中では一番の堅物だった。
 つまり筆倉阿含博士も、立門主水博士も、ひとたらしの保海氏に乗せられて幽霊退治屋を始めたという事になる。

 そう、キーワードは「人たらし」だった。
 実際に、保海氏に会って判った事だが、この人物はダンディだが、どちらかというと気難しい印象のある男だった。
 そんな彼が、どうやって人を誑し込むのかというと、人の心の中の「希望」なり「夢」を掘り起こし、それを全力で是認するという手口を使うのだ。
 決して、彼が自分自身の夢を語って、その夢で人を惹き付ける訳ではないのだ。

 人は人生の上り坂では、いやと言うほど夢をみるが、下り坂になると、そんなものはどんどん消えてい、やがてなくなってしまう。
 、、と本人は思っている。
 だが実際は、「夢」というものは消滅したりはしないのだ。
 人の心の中での居場所がなくなり、縮こまっていたり、ドライフーズみたいになっていたりする訳だが、なくなる訳じゃない。
 それを保海氏は、本人の中から掘り返し、見つけ出し、生き返らせる。
 そして言うのだ、実は私にも君と良く似た夢がある、どうだ一緒にやってみないか?と、、。

 で結局、帝都怨霊事件の方なのだが、結論から言えば、幽霊は実在し、三人の幽霊退治士は、見事にその仕事を果たしたわけだから、俺が頼まれた保海氏の裏の顔を暴くという仕事も、その時点で完了、立門主水博士の心の中では俺の調査結果を聞くまでもなく、保海氏への疑惑はその事実によって晴れ、無罪放免のお墨付きという形に収まった筈なのだが、、。
 まあ、そっちはそれで、いいのだ。

 それに「幽霊」の定義など色々ある。
 人が他人から、ある悪しき烙印を押され一生苦しむ事があれば、その「烙印」は実体がないのに、人に力を及ぼしているわけであって、俺から言わせれば「烙印」も又、立派な悪霊だ。
 、、、あの時までは、そう思っていた、だが今は状況が違っていた。

 問題は、何故、オカルトとは、畑違いの保海源次郎が、なぜ「幽霊」なんぞに、興味を持ったかと言うことにある。
 俺がその事に拘らざるを得なかったのは、保海源次郎がcuvr・w3の原型を完成させたのが、この帝都怨霊事件の1年後だったからである。


 幽霊退治士三人が、背中に背負ったプロトンパックレーザーで、深夜の帝都劇場の怨霊を退治した翌日、俺と保海氏の最終対決みたいな場面になったあの時、彼は俺にこう語っていた。

「貴方のような人が、本気で幽霊退治をしようと考えて、行動を起こすはずがないと思うんですがね。」
 俺は昨夜の怨霊が青白く消えていく姿を思い出しながら、保海氏に最後の詰めを仕掛けた。

「ほう、面白い事を仰る。貴方はオカルト探偵なんでしょう?だから立門君が、貴方にこの仕事を頼んだ。それに貴方は、ご自分の目で、アレをご覧になった筈だ。それを私達が退治したんだ。」

「俺から言わせれば、あんなものは幽霊なんかじゃない。確かに、見たこともないようなモノだったが、アレは自然現象というか、起こりうる事象だ。本当の幽霊とは、この世に、あり得ない、モノだ。」

「、、、ほうアレを起こりうる事象だと、おっしゃるのか?」
 保海氏はいかにも楽しそうに言った。

「あの怨霊について、俺はうまく説明できない、、。が、オーロラは科学で説明できる。だから、あんな凄い現象でも、あれはただの光景にしか過ぎない。帝都のアレもそうだ。今の俺達には、アレを説明できる言葉がないだけの話で、あれは絶対に、幽霊みたいなものじゃない。」

「まいりましたな、その根拠を仰らないのに、貴方が言うと、何故か説得力がある。私とは、ああいうモノを見てこられた量が、違うのでしょうね。」
 保海氏は、意外にも俺の仕掛けた最後の勝負に乗るつもりになったらしい。

「、、判りました。本当の事を言いましょう。私の幽霊の定義と、貴方の定義はほぼ同じようなのでね。確かにあれは、幽霊じゃない。というか、私は幽霊などいないことを、証明するために、この事業を立ち上げたんですよ。」

「、、仰ってる事が、わかりませんね。」
 その答えに、今度は俺が面食らった。

「私は随分前から、人間の精神領域に関わる、あるシステムを作ろうと構想を練ってきた。私の能力なら、グランドデザインさえ決まれば、後は一気に完成まで持って行ける。逆に言えば、そのデザインがないものを作っても、意味がない。デザインというのは、それを作る目的と言ってもいいかも知れない、、まあ、そのシステムの名前を仮に、集合的無意識仮想現実とでも呼んでおきましょう。ただ、それを考えている内に、一つ引っかかる出来事が起こりましてね。」

「集合的無意識?そのシステムとやらは、ユングと関係あるんですか?」

「その通り、これは話が進めやすいですね。私が引っかったのは田崎修の幽霊ですよ。」

「田崎修って、あの無差別大量殺人事件の?」

「そう最近、この手の事件が、我が国でも多く発生するようになった。相手は誰でもいい。自分も死ぬ、道連れに出来るだけ多くの人間を殺す。つまり自分は死ぬんだから、何も怖くない、他の人間を殺しても良いという思考ですね。無茶苦茶だが、とても判りやすい理屈だ。だが普通の人間はそのハードルをおいそれと越えたりしない。それを阻止しているのは、意外にも、倫理・論理・宗教・道徳観・法律といったハードルだけだ。田崎修が起こした事件は、その典型のようなもので、彼はなんと47人を殺して最後は自殺した。」

「、、憶えています。」

「ところがその事件現場で、その田崎修の幽霊が出るという噂話が出始めた。これはおかしいですよね。田崎修の幽霊ですよ。彼に無惨に殺された人々の幽霊じゃないんだ。彼にゆえなく殺された人々の恨みが、出口を失って幽霊となって彷徨い出るんなら、話はわかるが、、。」

「、、、。」
 なんなく俺はこれから保海氏が何を言い出すのか判るような気がした。

「貴方のその疑問は、貴方の作ろうとする集合的無意識システムと、関係あるんですね?」

「、、、そう、残念ながらね。だから私はどうしても、本当に田崎修の幽霊がいるのかどうかを確かめたくなった。それを確かめない限り、私の考えているシステムには、手が着けられない。下手をすると、原爆を作るようなものですからね。で私は、その幽霊が出るという現場に足繁く通った。でも一度も、幽霊にはお目にかかれなかった。だから、その幽霊を見たという人物と一緒にそこにいったんですよ。、、すると彼は、田崎修の幽霊が見えたと言った。」

「つまり田崎修の幽霊は、人々が無意識のうちに、それを望むから見えるのだと、あなたは結論づけられたのですね?あなたはそれを最初から否定している人間だから、幽霊が見えなかったと。」

「そうです。つまり、やはり人々は、無意識の内に田崎修のような存在、いや行動を望んでいる、そんな地平に容易に辿り着けるようなシステムに、手を着けていいものかどうか、私は迷いましたよ。それと勿論、サンプル数の問題も残ります。田崎修の幽霊だけではね。」

「だから貴方はゴーストバスターズを始めたのか、、。」

「そうです。しかし今度の帝都事件で、踏ん切りがつきました。答えは貴方が言ったとおりだ。あんなモノは幽霊でもなんでもない。ただの現象だ。もし私がシステムを組み上げたら、ゆくゆくはアレと同じような事を、人為的に起こせる。、、結論、幽霊はいない、、、だが、『田崎修の幽霊』は人々の中に、いる、、。」
 対決はそこで終わった。
 ただし保海氏は、結局、彼が危惧したそのcuvr・w3を組み上げている。
 あの後、保海氏にどんな事情と変化があったのか、俺は知らない。
 それが保海氏の失踪と繋がっているような気もするが、それは判らない。


 江夏由香里が精神医療補助システムであるゴォークの基礎OSに、cuvr・w3を選んだ意味や、結果を、俺はもう少し早い段階で、注視すべきだったのだ。
 いや江夏由香里は、世界がこうなる事までは、考えていなかったのかも知れない。
 最初は純素に植物人間状態に陥った人間の精神状態を把握する、それによって治療の一助とする、その為のゴォークだったのかも知れない。
 つまり、この今の現状は、江夏由香里さえも予想していなかった世界なのだ。



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