ボクのおじさん探偵は調子パズレでいつもヘトヘト 『ディドリームビリーバーとハードディズナイト』

Ann Noraaile

文字の大きさ
69 / 85
第6章 煙の如き狂猿

68: 無明の化学反応

しおりを挟む
 薄暗い地下室の床の上をネズミが堂々と走り回っている。
 人気があるとネズミの動きは大人しくなるものだが、どうやらコイツらは俺のことを「人間」とは思っていないようだ。
 車椅子に乗っかった、まだ腐っていない大きな肉の固まりという所だろうか、、。
 ネズミが動き回る大半の理由は、食い物の為だ。
 でも奴らは、俺の事を無視したままだ。
 ってことは、俺はまだ奴らに「食い物」とは見なされていないのだろう。

 ところで食い物と言えば、俺は料理をするのが好きだが、それがいつ始まったのかを考えると、決まって一つ思い出すことがある。
 俺が年端も行かぬガキの頃、本当にふとしたきっかけで、台所にあった二種類のジュースを混ぜて飲んでみた事があった。

 不思議な事に、それは今までにない味で、俺は「混ぜる」事にハマってしまった。
 グレープジュースとオレンジジュースをまぜてみる。美味い。
 じゃぁ、ピーチとだったらどうなる?
 次はその割合を変えてみる、という具合で、その組み合わせは、ジュースと炭酸飲料などという形にまで変化していった。
 おそらく、この組み合わせ行為が、俺の料理好きの原体験だと思うのだが、そんな俺がある日、衝撃的な体験をする事になった。

 その日、冷蔵庫を開けると牛乳パックとオレンジジュースバックが隣同士に並んでいた。
 あれ?なんでこの組み合わせをやってないんだろう、と俺は何気に思った。
『そうだ、コレでやってみよう。それに最近、炭酸飲料とジュースの組み合わせが結構美味しかったから、これはもう、オレンジと牛乳と炭酸の三つ混ぜで決まりだな』
 で、俺の頭の中では既に、凄く美味しい飲み物が出来上がっていて、ワクワクしながらこの三つの液体を混ぜた。
 でビックリしたのである。

 飲み物が一瞬の内に腐って、モロモロの塊が、コップの中に渦巻いているのである。
 俺は狼狽えた、いやそれ以上に、なぜか己の行為に罪悪感まで感じてしまったのである。
『僕は知らない内に、トンデモナイことをしでかしてしまったんだ。考えてもみろ、飲み物が混ぜて美味しくなるんなら、どんな飲み物だって、最初から混ぜてあるはずじゃないか?』とさえ、幼い頭で考えたのだ。

 まあこの現象は後に、牛乳中のタンパク質と炭酸水の酸、及び、オレンジジュースの酸が出会って『変性反応』が起き、タンパク質が沈殿したのだということを知ったのだが、あの時受けた衝撃だけは、今だによく覚えているのである。
 そして今、奇妙で嫌な衝撃に似たあの感覚が、正に炭酸飲料の泡のように、俺の意識の中で次々と浮き上がっては消えて行くのである。

 煙猿の説明によると、俺が受けたプラスティネーションの為の第一段階の注射では、身体の剥製化は、まだ始まらないのだそうだ。
 この段階では、極端な身体の不活性化だけが見られ、体内でプラスティネーションの準備だけが進められる。

 ただそれも、次の段階に進む為の第二液を使わずに、数週間この状態を放置しておくと、身体は元に戻ってしまうらしい。
 しかし、過去の複雑かつ、大仰なプラスティネーション技術と比べると、二薬の体内への注入だけですむネオ・プラスティネーション技術は、革命的なのだそうだが、浅学の俺にはそこのところはよく判らない。

 このネオ・プラスティネーションで、生きたままの人間に処され、生成される人体剥製は、触媒にあたる第二薬注入の段階で、その影響である苦痛の為に、ねじ曲がった苦悶のポーズをとるのだという。
 従って、煙猿のような非常に強力な深層催眠を施術出来る人間が、第二薬注入の段階で、被献体のポージングの為の様々な工夫をしないと、「良い作品」にはならないのだそうだ。
 矯正器具で無理矢理、大まかな形は整えられるが、恐怖に引きつった顔の筋肉や、手足のこわばりまでは誤魔化しきれないという事なのだ。

 触媒となる第二段階の注射で、人体剥製化は劇的に起こる。
 実際には、第一段階投薬と第二段階投薬の間には、もう少し複雑な処理があるのだが、要はこの二つのバランス、つまり大ざっぱに言えば、投薬の量とタイミングによって、投薬対象者の剥製化における苦しみの度合いや、出来上がりが変わってくるのだと言う。
 要は、それも技術の内の一つなのだ。
 煙猿は、この部分に失敗すると、彼の薬物を使った深層催眠でも限界があると言っていた。

 俺の場合は、第二段階の注射で、文字通り「一瞬」にして身体の硬化が始まるそうだ。
 そのスピードは、煙猿の深層催眠による外部からの人体への遠隔操作も受け付けぬ程の早さらしい。
 その為に、俺に施された処置は、第一段階の現段階で、大量の投薬と時間が必要だったとか。

 ただし、この前段階に重きを置いた方法の方が、トータルすると他のアプローチより遙かに剥製化の為の時間は短くて済むらしい。
 いわば瞬殺だ、、、生きたまま剥製にされるのなら、その方が良いのかも知れない。
 もしこの殺しの方法を、白目十蔵が煙猿にオーダーしたのなら、俺は十蔵に感謝すべきだろう。

 ・・・そういった諸々の、いずれ己に降りかかってくる死に至る認識を、俺はさほどの感情の揺れもなく受け入れ始めていた。
 この頃には、「目川」という存在は、俺の脳髄のほんの一部分にしか存在せず、残りの思考領域は全て煙猿の命令・指示を受け入れる為に宛がわれていたからだ。
 つまり俺は、この忌むべきネオ・プラスティネーション処置以外に、煙猿からの投薬と深層催眠によって、信じられない程、強力なマインドコントロールを施されていたのである。

 そして、今、煙猿によるたった一つの「待て」と言う命令で、自ら動くことすら止めた俺の視線の片隅で、ある光景が意味なく動いていた。
 それは、煙猿が従来の警備システムの配線をし直し、この隠れ家に引き直したという警備モニターに映し出された二つの影だった。

 場面は裏門の搬出入扉前。
 乏しい光量の中で、こちらを見上げているのは少女。
 ショートカットのエキゾチックな顔立ち。
 搬出入扉横の通用門に取り付いているのは、がっしりした体格の年かさの男。
 、、年格好は俺の兄貴によく似ている。

 俺はその少女の姿に、自分の胸の奥がチリチリと焦げ付くのを感じたが、その感情の正体が何であるかを考える事は出来なかった。
 今の俺が出来ることは、たった一つ、煙猿を「待つ」という事だけだったからである。




しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

異世界に転移してしまった私、古民家をもらったのでカフェを始めたら大盛況。国王陛下が頻繁に来るのですが、どうしたらいいですか?

来栖とむ
ファンタジー
ブラック企業で疲れ果てた30歳の元OL・美里(みさと)が転移した先は、見渡す限りの深い森。 そこで彼女が授かったのは、魔女の称号……ではなく、一軒の**「日本の古民家」**だった! 亡き祖母が遺したその屋敷には、異世界では失われたはずの「お醤油」「お味噌」「白いお砂糖」という禁断の調味料が眠っていて――。 「えっ、唐揚げにそんなに感動しちゃうの?」 「プリン一口で、国王陛下が泣いちゃった……!?」 おにぎり、オムライス、そして肉汁溢れるハンバーグ。 現代日本の「当たり前」が、この世界では常識を覆す究極の美食に。 お掃除のプロな親子や、お忍びの王様、さらにはツンデレな宮廷料理人まで巻き込んで、 美味しい香りに包まれた、心もお腹も満たされるスローライフが今、始まります!

夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い

青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。 神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。 もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。 生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。 過去世と同じ轍を踏みたくない……

侯爵家の婚約者

やまだごんた
恋愛
侯爵家の嫡男カインは、自分を見向きもしない母に、なんとか認められようと努力を続ける。 7歳の誕生日を王宮で祝ってもらっていたが、自分以外の子供を可愛がる母の姿をみて、魔力を暴走させる。 その場の全員が死を覚悟したその時、1人の少女ジルダがカインの魔力を吸収して救ってくれた。 カインが魔力を暴走させないよう、王はカインとジルダを婚約させ、定期的な魔力吸収を命じる。 家族から冷たくされていたジルダに、カインは母から愛されない自分の寂しさを重ね、よき婚約者になろうと努力する。 だが、母が死に際に枕元にジルダを呼んだのを知り、ジルダもまた自分を裏切ったのだと絶望する。 17歳になった2人は、翌年の結婚を控えていたが、関係は歪なままだった。 そんな中、カインは仕事中に魔獣に攻撃され、死にかけていたところを救ってくれたイレリアという美しい少女と出会い、心を通わせていく。 全86話+番外編の予定

さようなら婚約者

あんど もあ
ファンタジー
アンジュは、五年間虐げられた婚約者から婚約破棄を告げられる。翌日、カバン一つを持って五年住んだ婚約者の家を去るアンジュ。一方、婚約者は…。

(完結)姑が勝手に連れてきた第二夫人が身籠ったようですが、夫は恐らく……

泉花ゆき
恋愛
蘭珠(ランジュ)が名門である凌家の嫡男、涼珩(リャンハン)に嫁いで一年ほど経ったころ。 一向に後継ぎが出来ないことに業を煮やした夫の母親は、どこからか第二夫人として一人の女性を屋敷へ連れてくる。 やがてその女が「子が出来た」と告げると、姑も夫も大喜び。 蘭珠の実家が商いで傾いたことを口実に、彼女には離縁が言い渡される。 ……けれど、蘭珠は知っていた。 夫の涼珩が、「男女が同じ寝台で眠るだけで子ができる」と本気で信じているほど無知だということを。 どんなトラブルが待っているか分からないし、離縁は望むところ。 嫁ぐ時に用意した大量の持参金は、もちろん引き上げさせていただきます。 ※ゆるゆる設定です ※以前上げていた作の設定、展開を改稿しています

婚約破棄の代償

nanahi
恋愛
「あの子を放って置けないんだ。ごめん。婚約はなかったことにしてほしい」 ある日突然、侯爵令嬢エバンジェリンは婚約者アダムスに一方的に婚約破棄される。破局に追い込んだのは婚約者の幼馴染メアリという平民の儚げな娘だった。 エバンジェリンを差し置いてアダムスとメアリはひと時の幸せに酔うが、婚約破棄の代償は想像以上に大きかった。

五年後、元夫の後悔が遅すぎる。~娘が「パパ」と呼びそうで困ってます~

放浪人
恋愛
「君との婚姻は無効だ。実家へ帰るがいい」 大聖堂の冷たい石畳の上で、辺境伯ロルフから突然「婚姻は最初から無かった」と宣告された子爵家次女のエリシア。実家にも見放され、身重の体で王都の旧市街へ追放された彼女は、絶望のどん底で愛娘クララを出産する。 生き抜くために針と糸を握ったエリシアは、持ち前の技術で不思議な力を持つ「祝布(しゅくふ)」を織り上げる職人として立ち上がる。施しではなく「仕事」として正当な対価を払い、決して土足で踏み込んでこない救恤院の監督官リュシアンの温かい優しさに触れエリシアは少しずつ人間らしい心と笑顔を取り戻していった。 しかし五年後。辺境を襲った疫病を救うための緊急要請を通じ、エリシアは冷酷だった元夫ロルフと再会してしまう。しかも隣にいる娘の青い瞳は彼と瓜二つだった。 「すまない。私は父としての責任を果たす」 かつての合理主義の塊だった元夫は、自らの過ちを深く悔い、家の権益を捨ててでも母子を守る「強固な盾」になろうとする。娘のクララもまた、危機から救ってくれた彼を「パパ」と呼び始めてしまい……。 だが、どんなに後悔されても、どんなに身を挺して守られても、一度完全に壊された関係が元に戻ることは絶対にない。エリシアが真の伴侶として選ぶのは、凍えた心を溶かし、温かい日常を共に歩んでくれたリュシアンただ一人だった。 これは、全てを奪われた一人の女性が母として力強く成長し誰にも脅かされることのない「本物の家族」と「静かで確かな幸福」を自分の手で選び取るまでの物語。

処理中です...