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第2章 「左巻き虫」の街
24: 苦い砂糖菓子
しおりを挟む「さあさ、皆の衆、これで今日の捕り物劇はお仕舞いだ。これ以上ここにいても、面白いことは何も無いぞ!」
そう言ってから丹治は護の方を向いて、車に顎をしゃくって見せる。
護は刑事という仕事が初体験な訳であって、決して勘の鈍い人間ではない。
車に乗り込み、歩道に突っ込んだままの車体を車道に戻し、丹治達の側まで車を寄せるまでなんの遅滞もなく、それらを流れるようにやってのけた。
そしてドアボーイよろしく、後部座席のドアまで開けて見せたが、その時、丹治は「後ろにはこいつと私が乗る。警視殿には引き続き運転をお願いするよ。つまりこれからレッスン2だ。」と護に告げた。
長髪男と丹治が後部座席に乗り込んだのを確認して、護はすぐに車のドアロックをかけた。
この辺りの流れというか勘所は、特異点で夾雑物を拿捕し連行するのとそう大差はない。
「今の所、合格だ。だが警視殿の事だから、これから署に車をまわそうとするおつもりだろうから言っておきますよ。それは、ノーだ。適当に車を流して、人通りの少ない場所があったら、そこに車を止めてくれればいい。そこでレッスン2だ。」
「・・・なっ何、言ってるんだ!?そのまま、まっすぐ警察に連れて行ってくれよ。」
長髪男は、一連の流れの中で、自分を掴まえた刑事が普通ではない事に気が付き初めているようだった。
「ほう、そんな事を言ってもいいのか?私はおまえにチャンスをやろうと思っているんだがな。第一、このお若い警視殿が、お前の言うことを聞くわけがないだろう。」
そういいながら丹治は再び長髪男の財布を取り出して、各種の証明書をしげしげと眺め始めた。
「なんなんだよぅ?」
その様子を見て長髪男は心細げな声を上げる。
「うむ、今、私の頭の中には色々なアプローチが浮かんでいるんだ。なんの為の?誰へのアプローチかって?そりゃ聞かんでも判るだろうさ。一流大学の生徒さんなら、揺さぶりがいがあるな。碇のちんぴらなんざ、豚の股ぐらから生まれたような奴ばかりだからな。」
抜き取った各種のクレジットカードで扇を作るように広げて見せる。
そしてその小さな扇の向こうから野獣のような目を覗かせて丹治が言った。
「どうやらお前は、例の後ろ盾と、この私と、どちらが厄介なのかっていう問題で困っているようだな。それにケリを付けてやるよ。お察しの通り、私は普通の刑事じゃない。それは判ってるよな。付け加えるなら、私はお前の思ってる、それ以上らしいぞ。」
護は、目ざとく改装中の店舗とその駐車場を見つけて車を乗り入れた。
駐車場には改装業者が乗ってきたバンが一台止めてあったが中に人影はなかった。
「・・お前を痛めつけるのには実に色々な方法がある。色々な理由をこじつけて法的な処罰を増やすってのは勿論だが、それに加えて、マスコミを利用して、おまえとおまえの家族を含めて社会的に抹殺するっていう方法もある、、、だがお前は、そんなんじゃ、応えないって顔してるな。薬の売買に手を染めるような人間だからな。それに、こっちもでっちあげには限界があるのは確かだし、お前には、それだけの労を執る値打ちがない。」
そんな内容を丹治は顔色一つ変えようとせず淡々と語る。
「やっぱり、命のやりとりまで持っていかないとピンとこないって顔だな。・・・そうかお前も、下手に動くと、命がやばいんだよな、その後ろ盾って奴の関係で。」
長髪男の顔はひきつったままだ。
相手はいくらあくどそうに見えても現役の刑事だ。
命までは取らないだろうという男の見込みが薄らぎ始めている。
「少し角度を変えてみよう。・・・ビターシュガーは、新種の合成麻薬だ。従来の麻薬が競合しようもないほどのな。碇の麻薬市場は安定していた。それがバランスを崩そうとしている。従来の組織の連中は必死だよ。だが今の所、この街にビターシュガーを送り込んでくる奴らは、自分の尻尾を掴ませないようだ。見つかるのはお前達のような、他の街からくわえこまれて来た、ど素人との売人だけ。しかし最近、奴らも方針を変えたみたいだぜ。相手がトカゲのしっぽしか見せないなら、その尻尾を、切って切って切りまくるつもりみたいだ。客がビターシュガーの味を覚えてしまう機会を、とにかくちょっとでも減らす。それだけ、切羽詰まってるんだな。お前、そういう状況知ってたか?」
「、、、、。」
「もし私が、お前の事を、ビターシュガーについて、かなり詳しいことを知っている男だと言って奴らに売ったら、どうなると思う。ちゃちな情報を吐いたって、許してくれないだろうな。奴らは、もっと知っている筈だと言って、お前を責めるだろう。だって刑事が売った男なんだからな。それなりに何かを知っている筈だと思うような。で、お前がそれ以上話すことがなくなって、それでも攻め抜かれて、くびれ死んだら、、、こいつは強情な野郎だった。よほど重要な情報を知っていたに違いないって事になるよな。」
「、、、。」
今度は長髪男のシガーケースを指先に挟んで男の眼前で振ってみせる。
「お前、本当にこの薬の元締め辺りが、自分の事を守ってくれるなんて考えてないよな。碇でビターシュガーに手をだそうかって悪どもは、大も小もみんな腹を括ってやるんだぜ。へたすりゃ、旧勢力と大戦争だ。売人なんてゴミみたいな末端の命は一瞬にして吹き飛ぶ。だからビターシュガーの売人の大部分は、他の街の出身で甘い言葉にすぐに騙されるど素人ばかりってわけなのさ。正真正銘の消耗品ってわけだ。これに、いっちょがみしてるプロは、絶対にしっぽを捕まえさせない。この私に対してさえもだ。」
実際、新勢力の実態に対する調査は、この丹治でさえもたいした成果を上げていなかった。
新勢力に相当な知恵者がいて、秘匿に優れているということも勿論あるのだろうが、それ以上に一番情報が得やすい末端の人間達の質が、あまりにも低すぎたのだ。
何も知らないで、ただ主人の単純な命令通り動いている犬に近い。
そういう意味で今日の丹治はついていたのだ。
この長髪男は、それなりに頭が回りそうだったし、自分の周囲を観察する目ぐらいは持っていそうだった。
「さあ、ここで提案だ。今まで説明して来たように、私には色々な選択肢がある。まっとうに法規に照らし合わせてお前を処理するってのも当然あるわな。それ以外に、なんと、ここで、今すぐ手錠を外してやるってもありなんだぜ。」
さすがにここまで事の成り行きを黙って運転席で聞いていた護が、驚いて後ろを振り向いた。
長髪男は顔面蒼白のまま、凍り付いたように丹治の隣に座っている。
丹治は長髪男の財布を、腕の動かせない男の代わりに、彼の胸ポケットに戻してやっている最中だった。
おまけに最後は財布の収まった胸ポケットの上をポンポンとたたいてやる。
「ここは私の街だ。お前が二度とこの街に顔を出さないと約束できるなら、今日の出来事は無かった事にしてやる。次に、お前が心がけるべき点はたった一つだ。ビターシュガーの奴らと完全に縁を切ること、まあその辺は判っているだろうが、、この国は広いんだ。奴らも消耗品に過ぎない、お前の事をわざわざ追いかけてはこんさ。さあ、喋ってくれるな?」
「しかし、あの囮捜査官はどうするんだ?」
「どうとでも。」
丹治が凄みを帯びてにやりと笑った。
長髪男がそれをどう理解したのか、、。
「、、、ビターシュガーを俺たちに卸して回る巡回車があるんだよ。俺がその存在をどうやって知ったかは、勘弁してくれ。俺だって、心底迷惑かけたくない人間がいる。そいつらは、俺と違って普通の奴なんだ。つまり、巡回車の存在含めて、これは周り回って掴んだ情報なんだよ。こっちにたぐり寄せる意志がない限り、情報元にはたどり着けない仕組みになってるんだ。」
「・・・・まあいい。それで?」
「巡回車は、ホットドック屋だ。それ以上言えない。」
「売り上げは、どう処理する?」
「指定された口座に振り込む。口座番号は毎回変わってる。」
「ブツと売り上げ、売値に買値、原価もろもろ、それらの管理をどうやってるんだ?お前の大学での専攻は経済だ。そいつらのやり口を見てるだけでも、多少は判るんだろ?」
「凄くいい加減だ。俺もその事を不思議に思ってた。こっちは、いくらでも誤魔化しが効くし、ピンハネをやろうと思えばヤリ放題だった、、けど今日あんたの話を聞いて理由が判った。今は、何もかもがお試し期間なんだって。」
やはり丹治は、ついていた様だ。
いつもは、はたいても、その頭から煙しか出てこないような売人を捕まえては、辟易していたものだが、今日は違う。
この長髪男は自分の扱っているビターシュガーが販路拡大の為の試供期間にある事を一瞬にして理解したのだ。
「確かにビターシュガーは、一度やれば完全無欠にはまっちまうって噂だからな。需要さえ作ってしまえば、始めは無茶苦茶でも後はなんとでもなる。で?」
「で?、ってなんだよ」
「この期に及んで、まだ隠すのか。それでお前に何かメリットがでてくるのか?お前だって、遊び半分でやって来たことで、命を失いたくはないだろう。今が、その引き際なんだよ。腹を決めろ。今までの情報を付録にして、お前を碇の旧勢力に売り飛ばす事もできるんだぞ。」
護には「碇の旧勢力・・売り飛ばす」その二つの言葉で、丹治という男のこの街での立ち位置が見えてきたような気がした。
「・・ジェミニだ。ジェミニが陣頭指揮を執っている。もっと後ろに大きな奴がいそうな気配だが俺にはわからない。お前は見込みがある、何かあれば俺達に言ってこいと、ジェミニがそう言ったんだ。」
「ジェミニか。。」
丹治にはその名前に思い当たる節があるようだった。
「・・・判った。手をこっちにむけろ。手錠を外してやる。車から出たらやることは判るな。すぐにこの街をでろ。トチ狂って、ジェミニに泣きつきに行ったりするんじゃないぞ。間違いなく、お前はその場で殺される。もうこれ以上、私たちの仕事を増やしてくれるな。」
長髪男は車からでて、駆け足と徒歩の入り交じったような奇妙な足取りで街の中に消えていった。
「密室での騙しと、脅しのオンパレードが、レッスン2か?」
「不良大学生相手に、やった事だ。あんなもの警視殿へのレッスンの内にはいらんよ。街で売春してる未成年者を説教する方がよほど難しい。しかし、意外に色々知ってやがった。今日は本当についていたんだ。」
そういって丹治は一端、言葉を区切った。
丹治は自分の部下達にその内面をほとんど見せたことがない、単に指示するだけだ。
しかし目の前の護を、今後とも動かしていくためには多少の説明が必要だと思い直したようである。
「警視殿、言いたいことは判るが、奴を普通に掴まえた所で、何の意味がある?取り調べの段階で、今聞いたような内容を供述する可能性もなくはないが、それには時間がかかる。それじゃ、余りに遅すぎるんだよ。」
「奴がビターシュガーとやらを売りつけた人間はどうなる。あんたの話じゃ、一発で薬中になるって言ってたじゃないか。奴が今までどれくらいビターシュガーを捌いたのか知らないが、その罪は問わなくて良いのか?」
「残念ながら薬に手を出す奴は、さっきの大学生が相手でなくても、遅かれ早かれビターシュガーに手をだすんだ。」
「まるであんたの話を聞いていると、麻薬を売る人間より買う人間の方が悪いように聞こえる。」
「・・・その通りだ。この街で生きている限りにはな・・だが警官の仕事は、麻薬を買う人間で牢獄を満杯にする事じゃない。それが理解が出来ないのなら、それでもいいさ。、、しかし、これで、次のレッスン内容が決まったな。明日にでもジェミニに会いに行こうじゃないか。」
「気の早い話だな、、。」
「そうでもない、警視殿が私の部下だったら、今すぐにでも行くところだ。一応、今日は初日だし、警視殿の宿の手配もしておかないとね。」
そう言われて、護はこの出向に対して自分がなんの準備もしていなかった事に気付いた。
機構本部にあるリペイヤー用居住区からでも、碇署に通い続ける事は可能だった。
ただし本格的に、刑事の仕事をするなら無理だろうとは思ってはいたが、実際の所、護には今度の出向が、そうなるのどうか、その見当が付かないでいた。
それを丹治は、いともあっさりと、答えを出したのだった。
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