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第2章 「左巻き虫」の街
26: 「左巻き虫」のまじない
しおりを挟むクラブ・アポカリプスの正面玄関に飾られた巨大なネオンサインの光に、得体の知れない羽虫が群がっていた。
この羽虫は、赤と緑のネオン管にしか集まってこない。
それに右体側には脚が三本、左体側には脚が二本しかない。
拡大してみれば判るが、別に脚がもげている訳でも退化しているわけでもない。
特異点が気まぐれに吐き出したものだと言われているが、それも定かではないし、昆虫学者達もこれを研究しようとはしない。
特異点に関わるものは、総てタブーになっているし、裏の世界でも金にならない特異点テクノロジーは、見向きもされないからだ。
この羽虫は這う時には、どうしても左に旋回してしまうので「左巻き虫」と呼ばれている。
クラブの前で張り込みを続けている車の中で、丹治が何気なくフロントガラス越しに見えるネオンサインに向かって人差し指を突き出し左にまわして見せた。
「なんだ?それ、、、。」
「・・ん、ああこれか、まじないみたいなもんだ。娘が時々これをやってた。」
当の丹治も無意識にやってしまったようで、少し照れたような表情を浮かべた。
護は丹治のような男でも、こんな表情を見せることがあるのかと一瞬意外に思ったが、その感想を口に出そうとは思わなかった。
たった昨日一日のつきあいで、丹治のドス黒さが、十分理解できたからだ。
「もう一時間は経つ、なんで踏み込んで、ジェミニって野郎を揺さぶらないんだ?あんたらしくないじゃないか。」
「このクラブはジェミニの縄張りだ。本気でやるんなら、こちらも頭数をそろえる。」
「本気じゃないのか、、。」
護は虚を突かれたような表情を浮かべ、次に軽蔑の眼差しで丹治を見た。
そして一瞬でも、丹治に人間らしさを感じた自分の未熟さを恥じた。
「私自体はな、、。クラブから出てきたジェミニを逮捕するのは、警視殿の役目だ。警視殿は本気でやってくれ。」
「逮捕?ちょっと待ってくれよ。逮捕って、あの長髪野郎の密告を聞いただけだろ。令状っていうのがいるんじゃないのか、そんなので逮捕なんか出来るわけない。素人の俺だって判る。」
「そりゃそうだろう、だから警視処遇殿がやるんじゃないか。とにかく逮捕するって言って、ワッパかけてやれ。後は私がなんとかする。どうだレッスン3は、素敵な実習だろ?」
「・・ふざけるな。俺はそんな低脳の噛ませ犬になるつもりはない。」
「教官に反抗してる場合じゃないぞ。ほら、奴ら出てきた。同じダークスーツ着て、サングラスかけた金髪・銀髪の二人組がいるだろ。あれがジェミニだ、双子だよ。糞野郎が二人分いる意味がわからんがな。後の三人は、ジェミニの取り巻きだ。レスラー崩れで、本人達はジェミニのボディガードを気取ってるが、大した奴らじゃない。」
クラブから出来てきた五人は、相当アルコールが入っているのか、身体全体から騒乱の気の湯気をたちのぼらせている。
だが護は運転席から動こうとしない。
五人はクラブの玄関前で立ち話を始めた。
どうやらまだ飲み足りないようで、次の行き先を相談しているような風情だった。
しかしそんな中、銀髪の男が一人、めざとくも、自分たちを監視している車の存在を感知したようで、時折、丹治達の乗った車に視線を飛ばしてくる。
「カルロスは、この街では、どうしようもない狂ったちんぴらだった。奴が特異点に飛び込んだのは、この街でのし上がる為だ。だが、いくら力があったって勢力分布がガチガチに出来上がってるこの街では、兵隊として拾ってもらうのが関の山だ。、、のし上がるなんて、夢の又、夢なのさ。だが、もしその勢力バランスを崩そうとする新興勢力があったらどうだ?そこに己の力を担保にして食い込んでいければ、のし上がるチャンスがなくもない。」
護はハンドルの上にかけて置いた腕を曲げて、自分の右手を、口に持っていき、軽く折り曲げた人差し指の第二関節を噛んだ。
・・・そうかカルロスか、、この丹治が俺を機構から引っ張り出したのはカルロス逮捕の為だった。
まさか、この一連の茶番が、カルロスに繋がっているとは、、。
しかし、これほどの男がなぜカルロスなどに執着する。
確かに現世では、特異点能力者は珍しいだろうが、今のところカルロスが犯罪者ビップであるようにも思えないのだが。
「あんた、本当にカルロスの動きの目星がついているのか?」
「カルロスはチャンスを伺って、この街のどこかに潜り込んでる。おそらくジェミニの筋だ、間違いない。他の組織に潜り込めば、必ず私の情報網に引っかかっている。ジェミニってのは、最近、碇で急速に伸してきた修羅王って奴の配下だ。しかも半ナリだよ。」
「半ナリ?」
「なんだ知らないのか?リペイヤーさんは呑気でいいな。中途半端な特異点能力者の事だよ。その多くは、機構内部の汚職者の手引で力を手に入れてる。安全に特異点に潜り込んで安全に特異点から帰って来れる。そのせいかどうかは知らんが、こいつら大した力は手に入れてない。」
ゲッコの顔がすぐに思い浮かんだ。あり得ない。
マップの情報を金の為に流すという事まではするかも知れないが、特異点内部世界の特殊性を知っている彼が、手引きなどする筈がない。
だが管理管制官は全部で10人いる。
それに巷に流れ出すダイビングスポットの元ネタは一体どこから来る?
素直に考えれば、管理管制官か操作するマップだ。
だから護は、ゲッコにもマップ密売の可能性を考えてきたのだ。
護は口元から指を離して、その指で脇の下に付けているブロンコの銃把をなぞった。
丹治が分析したように、ジェミニ以外の男達は素手でなんとかなりそうだった。
リペイヤーとしての戦闘能力にも自信があったが、それ以上に付け替えられた左手が力を発揮するはずだった。
だが、「半ナリ」だという、ジェミニの実力が計り知れなかった。
拳銃が必要になるかも知れない。
刑事としての「逮捕」など、法律上も実質上も無理なのは判っている。
第一、自分が刑事といえるのか?
今やり合ったら、単なる乱闘にしかならないだろう。
それでも丹治は、やれと言っているのだ。
「揺さぶってやるんだ。揺さぶり続ければ、カルロスが向こうの切り札として出てくる。・・・揺さぶるには、首輪に国家権力のでかいプレートがぶら下がった手に負えない狂犬がいる。私では無理だ。私は狂犬じやないからな、」 丹治は自分で言った最後の台詞が気に入ったのか、にやりと笑った。
「もし撃ち合いになったら、あんた、俺を助けてくれるのか?」
「どう思う?」
丹治の目の色は、野獣のように輝くか氷のように冷徹であるか、そのどちらかしかない。
この時見せた目の色は、冷酷にすこしあざけりの色が混じっていた。
「ちっ!!」
護は丹治も顔も見ず、車のドアを開けて外にでた。
そんな護の動きをジェミニの片割れがじっと眺めていた。
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