銀河高速夜行バスに乗り遅れる 僕が特殊風嬢であり続ける理由

Ann Noraaile

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 05: 僕が初めてハイヒールを履いた日

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  「初めての体験」って厳密に考えると、どれがソレに該当するのか難しい事柄もある。
 自分では自覚していないけれど、実際には既にずっと前に済んでしまっていた「初めての体験」だとかは、結構あるんじゃないかと思う。
 ファーストキスはいつ?って聞かれても、キスって行為自体を厳密に決めないと、小さい頃に大好きなおじさんにチュッとした事まで含めちゃうと、何時がファーストなのか判らない。
 自分史的には、それが「自覚を伴った」体験だったかどうかが重要だと思う。

 という事で、今日は鯉太郎が初めてハイヒールなるモノを履いた日の事を書いておこうと思う。
 今ではハイヒールどころか、普通の女性なら一生足を通さないようなハイサイブーツだとかラバーブーツなんかも身につけるようになってしまったのだけれど、初めてハイヒールに足を入れた時はさすがにドキドキしたのを憶えている。
 色は「この世にはこんな複雑な表情をした赤があるんや、、」と思わせる光沢のあるダークレッド。
 そしてワイングラスの長いステムみたいなピンヒール。
 足を飲み込む内側の皮の色は漆黒。
 一目見ただけで相当高額な商品なのだろうという事が判った。
 勿論、自前じゃない。

「鯉太郎もそろそろヒールを履きこなさないと一人前とは言えないよね。アタシのを貸してあげるから、一度履いてご覧なさい。たしか足のサイズ一緒だったでしょ。」という流れだった。
 この時点で、少しヒール高のある女性用パンプスは経験済みだったけれど、基本的にボーイッシュな少女ぽいファッションがメインだったから、ハイヒールは未体験ゾーンで履く必要性もなかった。

 パンティストッキングを履いた足で、ヒールにつま先を潜り込ませて立ち上がると、足裏が「滑り台の上から滑り墜ちるような」感覚に見まわれ、立ち上がった瞬間に、頭の位置が後に高くなり、背骨がズドンとした。
 「これアカン!やばい!」と動悸が速まった。
 鯉太郎は普段から、やや猫背気味だったから、ハイヒールの持つ姿勢矯正力(?)は強力だった違いない。
 全身を映し出す姿見の中の自分を見て2度びっくり、スタイルが俄然優雅になっている。
 一番際だって変わったのは、ふくらはぎの部分で、その形は自分で見てもほれぼれした。

 これでお尻を振って街を歩いたら、涎をたらした雄犬が一杯ついて来るだろうと思った。
 実際、暑い日にデニムの超ミニを履いて、すべすべの生脚にちょっとしたヒールの付いたサンダルで街を歩いた事が何度かあるが、あの時でさえ入れ食い状態だったから、こういうものをちゃんと手に入れて身に付けたら、それだけで世界が変わるかもと思った。

 でも、その喜びは束の間で、一旦、歩き始めると、折角手に入れた優雅なスタイルが台無しになるようなヨチヨチ歩きでしか前に進めない。
 ようやく馴れて来た頃は、足の痛みと披露がおそってくる。
 よくもまあこんな代物を、女性陣は日常的に履きこなしているものだと、この時ばかりは、女性のすごさを思い知らされたものだ。

 現在の鯉太郎?
 それなりに「ヒール付き」は、履きこなせるようにはなったけれど、普段履きは申し訳ないけどフェミニンなメンズが多い。
 あまり大きな声では言えないけれど、素足を使っての出番もあるお仕事なので「綺麗な素足」を保持する事も大事だからだ。
 人様の口に入る物は、形良く清潔でないとネ。
 勿論、ちゃんと自分の足に合った品質の良いハイヒールを用意すれば、随分足へのダメージが減らせるのだけれど、お値段は相当するので、その為だけに何足も買いそろえるワケにはいかないのだ。
 それに、なによりもメンズの方が圧倒的に「楽」だし。

 所で、こんな苦しいハイヒールを何故我慢して履くのか?って事なんだけど、これは答えが決まっている。
 履けば、魅力的になれるからだ。
 すべからくオシャレとは「我慢」である。
 特に自己主張の強いファッションは、その殆どが「身体」に悪い。
 仕事上、エナメルやPVC・ラバークロスの衣装を常用するけれど、全て身体に悪い。
 ラバーなどは普通の衣服の持つ身体保護機能とは正反対の機能を持っている。
 レザーだけが使い道を誤らなければ有用だけれど、鯉太郎が使うモノは極端に生地面積が広いか狭いかで、防寒や防傷の意味はほとんど無い。

 ハイヒールの歴史からして、ハイヒールが現在の目的を確立して世に普及しだしたのは、当時のファンションリーダーでもあったフランスの太陽王ことルイ14世が、これを愛したからで、彼の発信力は、自分の背の低さをカバーしようというせこい試みに、別の価値を付加する為に使われたのだ思う。
 千利休の目利きだけで、茶器の値段が跳ね上がる事と、千利休の感性の鋭さの相関みたいなものがここでも働いたのだろう。
 あり得ない事だけどもし時代が、ナポレオン(の戦い)を必要とせず、そのまま続いていたら、現代都市では、男も女もハイヒールを履いて、その街並みを闊歩していたに違いない。
 北の金正日・正恩がシークレットブーツの愛好者であり、同時にそれをはき続けた事による身体のダメージを背負ったと噂される事を合わせて考えてみると、これはとても興味深い歴史だと思う。



 ハイヒールの話ついでに、この世界で果たした、鯉太郎の美容院デビューにも触れておこう。
 美容院の体験は、元の世界ではない。
 時期的には、今の仕事に付く直前の話だ。
 最近の美容院は、年々、サービスや技術技能が充実・向上していくので、疲れ切った状態でいくと、下手をするとリゾートに行ったような気分になり、半分夢うつつの状態で気がついたら、全ての行程が終わっておる時がある。

 でも一昔前の、「任せて、あたしがあんたを綺麗にしてあげる」みたいなオーラが立ち昇っている、こじんまりしたお店が懐かしくなる時もある。
 女主人の人生と心意気がヒシヒシと伝わってきて、それが邪魔くさいような、元気になるようなお店だ。
 鯉太郎が知人の紹介で、初めて訪れた美容院はそんなお店だった。

 今は、男性をメインターゲットにした理髪店でも、仰向けで髪を洗う店は珍しくなくなっているが、当時はまだ、仰向けというその姿勢に奇妙なときめきを感じたものだった。
 「男の子時代」の理髪店での洗髪は、必ず俯いてされていたからだ。 
 鯉太郎はその知人に、ママ一人の小さな美容院に連れて行かれた。
 それでもその美容院は、かなりの高級店らしく、設備、調度品は充分に凝っていた。 

 ロングヘヤーが、既に男性でも一般的に定着した頃の話だ。
 鯉太郎も女装に、それを兼用するために髪を長く伸ばし、自分自身で手入れをしていた。
 しかし余り手を入れすぎると、それが女装用と知れるので、時には男モードに戻る必要上、ある程度伸びるに任せていた髪は、無造作に鯉太郎の首筋を覆い尽くしていた。
 それでも美容にあまり関心のない女性レベルで充分、通用したと思うが、着飾るのが仕事の一部になって来るといつまでも、そういうわけにはいかなかった。

 20分以上の長い時間を掛けての洗髪が凄く心地よかったのを今でも覚えている。
 洗髪後のドライされた髪は、フンワリと軽くなっていた。
 それが丹念にブラッシングされ、カットが始まった。  
 驚いた事に、完璧なストレート・ロングにされているようだった。
 背中に垂らされた髪をアップにすると、鯉太郎は襟足を丁寧に剃り上げられた。

「あら、この子の襟足って魅力的で綺麗だわ。うちのお客様の中でも、この子みたいな項・襟足の綺麗な女の子は滅多にいないわよ」
 お世辞と判っていても、こんな職業に付く女性からの、こういう褒め言葉は凄く効き目がある。
 続いて仰向けに寝かされると、顔の産毛を剃られた。
 ただ髭などのケアは普段から念入りにしていたから、この作業でもって、女子度が大幅にアップして大変身ということはなかっただろうと思う。  
 やがて眉の辺りに剃刀が当てられた。
 この時に女らしく細い山形の眉に形を整えられたのを後で気がついた。
 更に、眉の形で顔の印象が大きく変わるのだと、改めて思い知らされたのもこの時だった。

 いよいよメーキャップに移った。
 それを職業とする専門家の手でメークを施されたのは、この時が初めてだった。
 アイメークが中心で思ったよりも薄化粧だったので、少しほっとしたのを覚えている。
 この美容院デビューの頃は、まだ女性の姿でずっと生きていこうと思っていたわけではなかったから、無意識の内にそういった抵抗が働いたのかも知れない。
 当時は自分でお化粧をするのと、美容院で専門の女性から手を施されるとのでは意味が違ったのだ。
 ルージュを塗られる時も、自分ではなんともないのに不思議な抵抗感があった。

「口紅は嫌です。リップクリームぐらいにして・・」
「ダメよ。リップカラーはMさんから指定されてるのよ」  
 Mさんとは、普段良くお世話になっている知人の名前だった。
 おそらくMさんは、この時点で、鯉太郎にこの道への引導を渡すつもりだったのかも知れない。
 メイクが終わると、手足の指にマニキュアとペディキュアをされる事になった。  
 30分後、鯉太郎の手足の指の爪は恥ずかしくも真紅に染め上げられていた。
 それを見た鯉太郎は我が目を疑った。
 いつもより細く白くなったように見える指に赤いマニキュアが殊の外映えて見える。
 それは疑いもなく美しい女性の手足だった。
 こうやって鯉太郎の美容院初デビューは終了したのだ。

 美容院の鏡には鯉太郎の変身した姿が余す所なく映し出されていた。
 鯉太郎は息を飲んだ。
 そこには鯉太郎の想像を越えた、女らしい美女が現れたからだ。
 どっかに男の子の匂いを残した中性的な少女ではなく、非の打ち所のない女性。  
 唖然として鏡をひたすら見つめる鯉太郎に、何時現れたのかMさんが声を掛けてきた。

「思った通りにいい女になったわねぇ。これからは蓮っ葉な行動はしないでね。そうすれば黙ってたって高級な男が言い寄ってくるんだから」  
 鯉太郎は複雑な心境になった。
 確かにその姿で、外に出ると男の視線が一気に鯉太郎に集中したからだ。
 今までのように「ちょっと雰囲気の変わった可愛い子がいるぞ」みたいなタイムラグのない視線というのか、、それはちょっと怖いくらいだった。
 鯉太郎が「金と女は権力に集まる」の世界を本格的に知る事となったのは、これからの事だった。



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