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第2章 追跡

29: 宣戦布告

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「土産代わりと言ってはなんだが、受け取って貰えるかな?」
 チャリオットは葛星達から数メートル離れた位置で立ち止まって、小さな光る物を葛星に投げてよこした。
 葛星はそれを受け取って、目を見開いた。
 彼の手の中には、直径一センチほどの保管用シリンダーの中に封入されたプラグがあった。

「我々が仕掛けた罠に掛かった大物達の首に埋まっているものと同じプラグだ。」
「どうしてこれを俺達に?」
 葛星は訝しげに尋ねた。
「君たちが『愛の繭』から盗み出した顧客リストと共に、それをキングの元に送りつけてもらおうと思ってね。」
「そ、そんな事をすれば、あんたらの目論見が、ご破算になっちまうじゃないか?」
 アレンが思わず不服そうに言った。

「ほほう。君たちは我々を支援してくれるのかね?」
 チャリオットは破顔して答えた。
 その物腰は、葛星が初めて見た時と同じ海千山千の営業マンのままだが、どこかに懐かしさを感じさせるものがあった。
 それは「父親」が息子に見せる笑顔だった。

「キングが、先にプラグイン装着者の存在を知って、どう手だてを打とうが、我々は予定を変えるつもりはない。プラグを仕込まれたものは、我々のプログラム通りに既に動き始めている。彼らを止めるには、彼らを殺すしかない。だが、あれだけの大物たちだ。彼らを失っては、この世界は混乱する事だろう。それで十分だ。我々は、こそこそと、人間を入れ替えて、地上世界を乗っ取ろうなどとは思ってはいない。義は我々にあるのだからな。これは我々の側からの宣戦布告だ。但し、我々の敵は地上世界の人間ではない。自らの保身の為に、未来を投げ捨てようとする怠惰な人間の精神だよ。」
「でも、そのメッセンジャーの役目がなぜ俺達なんだ?」
 アレンが至極当たり前の疑問を口にした。

「あれから後、君たちの経歴を調べさせて貰った。一言で言えば、君たちへの愛着だろうな。私からの個人的なプレゼントと思ってくれて良い。君たちは若い頃の、私とネロによく似ている。この情報、伝え方次第では、君たちのキングに対するポイントがあがるだろうし、私たちにして見れば、このことを誰が伝えようが、影響はないんでね。」
「ゲヘナのサルベージマン、いや工作員のあんたから、そんな甘ったるい言葉を聞くとは思わなかったぜ。あんた、この地上世界で、一体何人の人を殺して来たんだ?」
 葛星が冷たい声で言った。

「荒事からは、サルベージマンから足を洗ってから手を引いた。信じられんだろうが、ここ十数年、人に手を掛けたことはない。他の者がやるぶんに私は責任はとれない。」
「じゃ、ジュニアはどうなんだ?」
 葛星の口から激しい詰問の言葉が出た。
 彼自身、なぜ怒っているのかが良く理解できずにいた。
 その怒りは、心の奥深くでゲヘナの指向に賛同し始めている自分の姿とは相反する心の動きだったからだ。
 地上のゴミくずのような支配者の女装趣味の坊ちゃんの死などどうでもいいはずだった。

 しかし、葛星は、長い捜査の中で、知らず知らずの内に、ジュニアへの肩入れの気持ちを育ていたのかも知れない。
 ジュニアは人工皮膚の虜となったまま、断頭台に乗せられ、葛星はバトルスーツを纏ったまま、何度も生死を彷徨った来たのだ。
 人は運命に翻弄される。
 だが、それに抗う人間もいるし、その権利もある。
 葛星は運命にただ流される事が、正解だとは思っていない。
 ジュニアには、そのチャンスが与えられなかった。
 その事への、あてどもない怒りだったかも知れない。

「別にキングの息子を初めから狙っていたのではない。我々が、プラグの罠を仕掛ける為に『愛の繭』を始めたら、そこにたまたまジュニアが引っかかったという事だ。ジュニアをあの格好のまま断頭台に送るアイデアは後から思いついた。結果的にキングの喉元に短剣を突きつけるには、一番いい方法だった。思いついたのはゲザウェイ女史だ。」
「娘の敵討ちではないのか?あんたは娘を殺された。だからキングの息子をやった。」
 葛星が静かに聞いた。
 チャリオットの顔が歪んだ。
 もちろん、罪の意識からではあるまい。
 娘への追憶がそうさせたのだろう。

「知っていたのか、、、、。だが違う。私はあのやり方についてゲザウェイに反対した。私なら、直接キングの命を狙う。これからもだ。」
 チャリオットの顔から営業マンの仮面が剥がれ、荒々しいサルベージマンの素顔が覗いた。
 サルベージマンたちには、共通する気質が二つある。
 荒ぶる魂と、常に誇りを失わぬ魂だ。
 まだサルベージマンになり切れていない葛星とアレンは、そんなチャリオットの表情を、半分憧れの眼差しで見つめた。

 だが、その瞬間、チャリオットの首は、激しい血しぶきを上げて跳ね飛んだ。
 チャリオットを襲った襲撃者の侵入者たちは、すでにその場に居合わせていたのだ。
 誰にも感知できなかった。
 それほど素早く激しい攻撃だったのだ。
 首を失っても暫く立ち続けていたチャリオットは、噴水の様にケーブ中に血をまき散らしながらやがてゆっくりと倒れた。

「のこのこ地上に出てきて、一人で動き回るからだ、、地底のまぬけ野郎。オイ!そいつの首を取ってこい!」
 ケーブの片隅で勝ち誇ったように怒鳴ったのは周騎冥だった。
 その側にレザースーツ姿の男がもう一人いる。
 周騎冥の右手には抜き身の日本刀が握られていた。

 ・・・李の野郎!キングの脅しに負けやがったな!
 葛星の怒りは、目の前の周にではなく、周騎冥の背後にいる李に向けられていた。
 葛星は、血だまりの中に立っている周騎冥に向けて拳銃を数発打ち込んだ。
 だが周騎冥は、着弾のショックで、少しはそのがっしりとした身体をゆらしはしたものの、葛星の攻撃をものともしなかった。

「そっちの眼鏡ネズミは、殺すんじゃないぞ!上からのお達しだからな。今日のところはまぬけな地底人野郎の首だけ持って帰りゃいいんだ!」
 興奮のあまりつり上がった周の目は、アレンの方に向かったレザースーツのガスマスクの男には目もくれず、葛星を燃えるように睨み付けていた。

「この前は世話になったな。この世の地獄とやらをたっぷりと味合わせてくれたよ。今度はお前の番だ。こんな気持ちのままじゃ、俺はこの世界でやっていけねぇんだよ!」
 周が跳んだ。
 鎧をつけていない葛星に勝ち目はなかった。
 相手はマシンマンなのだ。
 第一、周がケーブに侵入した気配さえ、葛星は捉えられなかったのだから。
 それからの数分間、葛星は周が与える暴力の嵐に耐えるしかなかった。
 最後に葛星は、周が倒れた彼の顔の上に靴を乗せて踏みつけても、身動きが出来ないほどのダメージを受けていた。

「俺達が、暴力のプロであった事を感謝するんだな。死にはしないし、骨も折れちゃいない。最も、手加減するには気が狂うほどの自制心が必要だったがね。感謝するなら、李にすることだ。李に言いつけるんなら、言いつけてもいいんだぜ。約束が違うよママァってな。」
 周騎冥の口振りは、彼の行動が本部からの命令以上のものである事を臭わしていた。
 葛星を殺さなかったのは(李の掟)があるからだ。
 李は、葛星たちをキングに対する生け贄にするつもりではなかったようだ。

 葛星の視線からは、血だまりの向こう側に、これも同じく床に倒れているアレンの姿が見えた。
 その横にはチャリオットの首をぶら下げて持っている李の戦闘員の姿が見えた。
 そしてその奥には、壁際にチャリオットのまき散らした血を浴びてひっそりと突っ立っている死神の姿が見えた。
 大蜘蛛もいた。
 だがこの時の大蜘蛛はただの置物のようだった。

「ふん。何を見てやがる。あの鎧か?あの蜘蛛か?上は鎧に関心を持ってるようだが、俺はそんなの関係ねぇ!その内、この俺がぶっ壊してやるさ。覚えておけ。あの鎧がなけれゃ、お前は唯の塵屑だって事をな。さあいくぞ豪。このままここにいたんじゃ、俺は上からの命令が守れそうにない。この糞野郎を見ていると掟を忘れそうになる。」
 周達は、侵入した時と同じ早さで、ケーブから立ち去った。

 『奴らは、まだプラグのからくりを、全部知っちゃいない、、。、、まだ出し抜ける。』
 葛星は薄れゆきそうな意識を必死に掻き込みながら、血だまりのフロアーを這いずって、アレンに近づいた。
 アレンは葛星と違って手ひどいダメージを受けていた。
 李の戦闘員は、周ほどには己の力を制御して手加減が出来なかったのだろう。
 葛星の右手の拳には、周騎冥の暴力を受け続けていた中でも、決して離さなかったプラグが握りしめられている。

「アレン、、。しっかり、しろ。今直ぐ、こいつをキングに送るんだ。リストと一緒にな、、、、。勘違いするな。これは俺達の側のキングへの宣戦布告だ。李を使うような奴に、やられ放しでたまるかよ。どうせアクアリュウムとゲヘナの戦争が避けられないなら、その戦いの中で、キングを俺達が潰してやる。」
「、、ああ、判った。やってやる!あの蟹野郎もろともな!奴はキャプテンの仇だ!」
 アレンが腫れ上がったボールのような顔で言った。
 二人には、アレンと葛星を見下ろすかのように立っていた死神のむき出しの歯茎がニヤリと笑った様に見えた。



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