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第3章 光の壁
30: 追いかけてきた女
しおりを挟む室内の蒸し暑い空気をかき回すように、天井に取り付けられた巨大な扇風機がゆっくりと回っている。
その扇風機の回りでは、透明の羽根の生えた海老の様に見える得体の知れない昆虫が、飛び回っていた。
巨大羊歯の薄暗がりでよく見かける奴だ。
今日は珍しく外の日差しが強いから、影がありヒンヤリとしたホテルの中に迷い込んで来たのだろう。
その扇風機の下で、名ばかりのロビーのカウンター席に陣取った葛星が、カクテルをちびりちびりと舐めている。
葛星の相手をしているのは、このバリノホテルのオーナー兼、従業員であるケースだった。
ケースは生粋の外界人である。
勿論、外界人といっても日常的に外界で生命を維持できる訳ではない。
バリノホテルが建てられた立地のような、比較的汚染度合いが少ない場所で生活をし、時々はアクアリュウムに帰って自分の身体のメンテナンスを受けて、生活が出来るという程度だ。
だが代謝機能が外界に上手く適応しているのか、その肌には汗一つ浮かんでいない。
ホテルの開け放たれた入り口からアロハシャツを着たひょろ長い男が入って来た。
アレンだ。
アレンは葛星の隣の席に座り込むと、ケースにこの場を外すように目配せした。
「どうしたアレン。ケースがいるとまずいのか?」
葛星はけだるげに聞いた。
彼らがアクアリュウムを出て外界の緩衝地帯に来てから約2ヶ月が経つ。
その間、アレンは、今はキャプテンKの遺産となったランドクルーザーの整備に追われていたが、葛星は、何をすることもなく、この『外界の特異点』と呼ばれる緩衝地帯で無為な日々を送っていた。
「準備が整った。明日にでも出発できる。」
「混沌王のルーツ探しか、、余り意味のある事とは思えないがな。」
周騎冥の襲撃を受け、アレンは重傷を負わされていた。
そして彼らの、キングと李警備保障に対する叛旗の印であると同時に毒饅頭でもある「プラグとプラグイン者名簿」の送付があった。
送付時の添付書に、葛星たちは一切の「命乞い」を書き込まなかった。
書いたのは、たった一行の言葉、「糞食らえ!」だった。
諸星達には、その時、怒りという激情があった。
だが周騎冥が彼らに与えた肉体のダメージは大きく、そのダメージは激情を上回った。
そしてその身を癒そうにも、キングに反旗を翻した彼らが待避できる場所は、もうアクアリュウムの何処にもなかった。
そういった諸々が重なって、葛星達は、アクアリュウムを一時退去せざるを得ない状況にあったのだ。
しかし、この『外界の特異点』まで届く、アクアリュウムの動乱の状況を聞くにつれ、状況打破の糸口が見えない葛星の苛立ちは静かに高まっていた。
そんな状況の中で、アレンから持ち出されたのは混沌王のルーツ探しの提案だった。
「なあダンク。この戦争状態の中で、混沌王の秘密を知っているのは、俺達だけだ。もし混沌王が起こした戦争の目的が、アクアリュウムの解放以外にもあったらどうするんだ?今度の戦争の責任の一端は俺達にもあるんだぞ。俺たちは混沌王の正体を暴く義務があるんだよ。」
そう勢い込むアレンに対して、葛星は酒の精を吐き出すように言った。
「お前、チャリオットの言葉を忘れたのか?俺達があのメッセージを送っても、送らなくても今度の戦争は始まっていたさ。それに混沌王の正体が掴めたからと、いってどうするつもりだ?今更、キングの味方面は出来まい。今、俺達に出来ることは、あのくそ忌々しいアクアリュウムに帰る事なんだよ。そこで俺達が為すべきことを見つけ出すんだ。キングをどうぶっ潰すのか、あるいは思い切ってゲヘナにつくか、いずれにして、もここで粘っていても答えはでやしない。お前のやろうとすることは遠回り過ぎる。なぁアレン。毎日、クルザーの整備をやっているんだ。もう傷は十分癒えたんだろう?」
「、、、だからだな。」
アレンが言葉を重ねる前に、バリノホテルに一人の女が入って来た。
女は全身黒ずくめのスキンタイトなラバースーツを着込み、更にその上からラバーコートを羽織っていた。
典型的なアクアリュウム人の外界スタイルだ。
「やっと見つけたわ。」
女は自分の顔を覆った防護マスクを取らないので、その声はどこか遠くから響いてくる様に聞こえた。
「お嬢さん?そのマスクを取ったらどうだね?ここは外界でも特異点だ。そんな重装備でなくとも二・三週間なら命に別状はない。」
葛星はカウンターのテーブルに背を持たせかけながら、目の前に近づいている女に微笑んだ。
一つ一つの息が酒臭い。
「暫くの間に、随分だらしなくなったのね。探偵さん。」
女はヘルメット状に頭部全体を覆っていたガスマスクを首の根本からはぎ取った。
おそらくガスマスクが押さえ込んでいたのであろう女の豊かなブロンドが花のように広がった。
「シャーロット!」
驚きを現したのは、葛星の隣に座っていたアレンだった。
「歓迎してくれるんなら、シャワーをご馳走してくれないかしら?」
「もちろんだとも、なっダンク。」
アレンが同意を求めるように、葛星の方を見つめた。
「俺達にすれば、このホテルもなかなかのものだが、君には満足がいくまい。俺達のクルザーに来るといい。シャワーも空調装置もある。このアレンが、手塩に掛けて整備したんだ。アクアリュウムの安宿ぐらいの環境が手に入る。」
葛星は、あまりに身体に密着したラバースーツゆえに、全裸に見えるシャーロットのプロポーションに見とれているアレンの肩を叩いてから、スツールを降りた。
「ここまで来るのに苦労しただろう?」
シャーロットの横に並んで歩きながら、葛星はそっけなく尋ねた。
「やさしいふりは止めて。」
シャーロットの声は固かった。
ホテルのドアで二人を手招きしているアレンの顔は、喜びで今にも解け崩れそうだ。
「何の用件で、俺達を尋ねて来たのか知らないが、アレンを道化にしないでくれ。」
葛星はアレンに聞こえないように小声で囁いた。
「あなたって最低ね。」
「いつもそうだ。」
「、、、馬鹿野郎。」
葛星は、そんなシャーロットのつぶやきを無視する様に、ホテルの外に輝く緑に目を細めた。
特異点の上空では、この星を隅々まで覆う雷雲が奇跡の様に薄くなる日がある。
そんな日はアクアリウムと違って本物の陽の光がここにはあるのだ。
そして、更にここには、奇妙で異様に大きなシダや苔類ではあるが、本物の緑があった。
「嘘みたい。」
シャーロットもそんな緑の輝きに目を細めながら言った。
「ああ、何もかもな。」
三人三様の思いを引きずりながら、彼らは、数分後、キャプテンKが残したランドクルザーに到着した。
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