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第3章 光の壁

31: 亀裂

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「彼どうしたのかしら、遅いわね。」
 ランドクルザー内のコンパクトなダイニングルームにしつらえた食卓の前で、シャーロットが葛星に聞いた。
 食卓の上には携帯食が主だったが、一応は加工が施してある夕食が揃っていた。
 シャーロットはシャワーを浴びたばかりだったが、男達を待たせない為に、その後の身繕いに時間を割くことなく、テーブルについていた。
 しかい、こんな僻地でも小旅行用のこざっぱりしたカジュアルスーツに着替えているのは、シャーロットらしいといえばシャーロットらしかった。

「アレンの奴、今頃、君が脱いだラバースーツに顔を埋めているんじゃないか?」
 葛星は平然といい、シャーロットは顔を真っ赤にした。
 確かにシャーロットはシャワールームに案内されたときアレンから、外界の汚染物を流し落とすための特殊なランドリーへラバースーツを入れる様に指示を受けた。
 ただその後、ラバースーツの事は忘れてしまっている。
 ラバースーツの内側には彼女にとっては不浄なものもこびり付いているはずだった。

「酷いことを言うのね。」
「さっき言わなかったか?僕は最低の人間だ。恐らく、特に女性に対してはね。俺は別段、アレンの悪口を言っているつもりもない。奴は君に惚れている。中身がアレンを拒絶するなら、アレンが包み紙に執心しても不思議じゃない。それが悪いことなのか?」
「やっぱり来るんじゃ無かったわ、、。」
 シャーロットは秘書という仕事柄、物事がいくら表面上整合性があっても、本質に踏み込んだとたん(かみ合わないものは、いくらやっても、もがいてもかみ合わない)事を知っていた。
 だがそれは、他人の冷酷非情のビジネスの話だ、、。
 これとは違う、と思った。
「その意味では、その通りだ。」
 一瞬、崩れ落ちそうな表情をシャーロットは浮かべたが、彼女はかろうじてそれを押しとどめた。


「そうなの。、、それじゃ、私の本当の仕事を済ませてしまうわ。」
 その時、冷えたワインの瓶をぶら下げてアレンがダイニングルームに顔を覗かせた。
 そして葛星とシャーロットの間に流れる険悪なムードに気づいて、入室を躊躇った。

「何してるんだ。入って来いよ。これから食事を取りながら、彼女の来訪の目的を聞こうじゃないか?その前にまずは乾杯だ。」
 そうして3人は狭い円形のテーブルで顔を付き合わせながら食事を取り始めた。
 シャーロットは先ほどのショックの跡を感じさせないほど、ほれぼれするような食欲を見せた。
 恐らく、この特異点に来るまでの行程の中では、満足な食事も取っていなかったに違いない。
 そして食事が一段落した頃、アレンが葛星とシャーロットのどちらを見る風でもなく口を開いた。

「シャーロットが来てくれたんだ。明日の朝の出発を伸ばそうか?」
「どういう事?」
 シャーロットは怪訝そうに聞き返した。
「君がここにやって来た理由は大体の想像がつく。俺達をキングの居るアクアリュウムに連れて帰りたいんだろう?その俺達が、ここを離れてはどうしようもないな。」
 葛星がそう言った後、アレンの大きな目が解答を求めるように忙しなく動いた。
 アレンはシャーロットがここにやってきたのは、単純に彼女が葛星に会いにやってきたのだと思いこんでいる。

「まあいいさ。その事は後に回そう。アレン。シャーロットに説明してやるんだ。もうここまで来たんだ。何も隠す必要はない。今のシャーロットには、それを聞く権利がある。」
「何もかも見透かしたような事を言わないでよ!」
 激興しかけるシャーロットの様子を見て慌ててアレンが喋りだした。

「明日の朝、このクルザーで外界へ旅に出るつもりなんだ。目的は、、混沌王のルーツ探しだ。混沌王は人間じゃない。人間じゃない、何者かなんだ。彼は初め外界のどこかで眠っていた。それをゲヘナのあるサルベージチームが引き上げて来て、人間社会に送りこんだ。俺達は混沌王がどんな目的で創られて、どんな存在であるのかを解明しに行くんだよ。」
 シャーロットの全ての思考が止まった。
 この後に控えているであろう、二人の男たちとの駆け引きや、まだ捨てきれない(恋い患い)さえも、、。
 今自分たちが戦っている相手のトップが、人間ではないかも知れないという目も眩むような事実と好奇心の前では、全てが無効だった。

「信じられないわ。じゃ私たちは、人間以外の者がトップに立っている世界と戦争をしているというの?それってビニィの親戚じゃないの?ゲヘナの奴らはそれを知っているの?」
「どうだかな?少なくともコープレィ社はもちろん、アストラル社やアストラル・コアの有力メンバーの内、何人かはそれを知っている。第一、混沌王を引き上げて来たのはコープレィの彼らだ。」
 アレンはそう言った後から、一瞬、チャリオットのいかにも男らしい顔を思い浮かべ、それが胴体から離れていくとき見せた(空虚)すぎる表情を思い浮かべた。

「それをキングが知ったら、、。」
 シャーロットは綺麗な形をした眉を歪めた。

「どうだ?俺達をアクアリュウムに連れて帰らなくても、今のアレンの情報だけで、キングは君を許すんじゃないのか?」
 葛星が二人の会話に忍び込むように喋った。
 その顔はシャーロットが見せるどんな表情も見逃さないといったふうだった。
 葛星は、彼女がまだ色々と隠している事があると思っているようだった。

「待ってくれ。話が見えないんだ。俺に判るように言ってくれないか?俺達を連れて帰るって、俺達は、アクアリュウムで処刑されるのか?今の所、俺達は情報提供者の筈だぞ。まだ何もキングに刃向かっちゃいない。」
 アレンの顔が歪んだ。
 彼の想像の中では、今にもシャーロットが引き連れて来た地上軍の隠し部隊が、雪崩をうってこのクルザーに押し寄せて来そうだった。
 そして捉えられたアレンと葛星の二人は、地上世界の裏切り者として、ギロチン刑に掛けられる。

「落ち着いてよアレン。私がここに来たのは確かに貴方たちを、アクアリュウムに連れて帰るためだし、その命令を出したのはキングだわ。でも、その目的は、あなた達の未遂の裏切り行為への措置ではないわ。」

(あなた達の理屈を聞いていると、もし戦争がある一本の電話で始まるのだとしたら、その電話を取り次いだ交換手も立派な戦争責任を負わなくてはいけない事になるわ。本当は、あなた達が拘っているのは、そんな事じゃなく、地上と地下、どちらに着くかって事でしょ。特にアレン、あなたは葛星と違って、今でも迷ってる。第一、あなた達の「糞食らえ」なんてメッセージは、キングに届きもしていないのに、、。)
 もちろんシャーロットはこの事を口に出さなかった。

「第一それが目的なら、私がここに来る必要がないじゃないの。戦局が不利なの。今度の戦争は、狭い水槽の中、破壊力のある兵器は使えない。白兵戦なのよ。ずば抜けた殺傷力を持つ兵士と、みんなを奮い立たせる英雄というか、戦いのシンボルが必要なのよ。葛星、あなたのあの不思議な鎧の事は、キングも知ってる。キングは貴方たちがまだ持ってる地下の情報と、あの鎧を欲しがってるの。」
「李警備保障はどうしているんだ?」
 今度は葛星が聞いた。
 外界の特異点にいても、たまたま訪れるサルベージマンから、今度の戦争の大体の戦局はつかめるが、詳しいことまでは判らない。
 サルベージマンになる人間の殆どは、元からアクアリュウム世界に関心がないからだ。

「キングが組織し直した地上軍の中枢部隊に編入されているわ。良い戦いぶりをしているけど、彼らじゃヒーローになれない。第一、キング自身、李警備保障を信用していないもの。李は一度、キングの申し出を自ら断ったと聞いてるわ。」
「お笑いぐさだな。キングに最後のすかし屁をかましてやった俺達なら信用できるというのか?」
 李警備保障の名前を聞いて、俄然、アレンの声色が高くなった。
 李の男の登場によって一時、李警備保障の値打ちはアレンの中で、まずまずのものになったが、その後、再び周に叩きのめされてから、アレンは李の名前を聞くだけで興奮するようになっていた。
 もし単純に李が、あのタワーでの姿勢を翻した結果が、キングの執拗な圧力だったとするなら、李は周以上の変節漢という事になる。

「キングがあなた達を信用するのかって事?それは私という人間を担保にすればね、、、、。キングは私とあなた達が密接に繋がっていると思っている。それに、私はあなた達の協力を得られなければ、処分される状況下にいるわ。」
「処分?はっきり、そう言明されたのか?」
 葛星が乾いた声で聞いた。

「キングは、何よりも自分が弱みを握っている人間を信用、いえ、利用度の高い人間だと評価する男なの。彼にとっては相手の理想や信条など、何の意味もないの。それに私はここに一人で送り込まれた。鎧や情報が絶対必要なものなら、もっと人数を送り込んだでしょうね。つまりキングにとって見ればあなた達も、私もそんなに優先順位は高くないって事。、、でも私にすれば命の問題だわ。キングの本質はビジネスマンよ。さっき言ったような戦局打開の為の手だては、あちこちにしてある。」
 そういう冷徹なビジネス手法で、あの剛直な李もキングに絡め取られたのか、、。と葛星は思った。

「今は戦争の最中なのよ。もうママス&パパスは、今までの様な中途半端な権力を持つ企業体じゃない。一つの国家よ。そしてキングはビジネスマンである以上に、文字通り国王なの。李でも彼にたてつくことは出来ないわ。」
「だが君はアクアリュウムそのものから、逃げることも出来る。君次第だ。」
 葛星の声は冷めたままだ。

「さっきは、私にアクアリュウムへ帰れと言ったくせに。それどこに逃げればいいの?私は地上世界を愛しているわ。あなた達みたいに機械だらけの洞窟の中で、息を潜めて生活をしたり、毎日汗だらけになって不潔な虫たちと格闘しなければならない世界はごめんこうむるわ。」
「ケーブや外界の事を言っているのか?君はそんな目で俺達を見ていたのか?」
 アレンが悲しげに言った。

「止めろよ。興奮するなアレン。追いつめられているのは、俺達三人とも同じだ。」
「なんだよ。一人だけ、一人前の顔をするなよ。俺がせっせとこの車を整備している間中、何もせずに、ただアクアリュウムに帰るとほざいていただけなのは、お前じゃないか!このさい言わせて貰うぞ。お前の口から、地上と地下とどちらに味方をするのかはっきり聞いた覚えがない。お前が威勢の良いことを言ったのは、最初だけだ。そんな状態で帰ったって、居場所がないじゃないか!それなら、混沌王の正体を見極めてから、これからをどうするかを決めるのが正解じゃないのか!」
 アレンが一気にまくし立てた。
 彼が葛星に対して、ここまで言い切ったのは初めてのことだった。

「その事については何度も話をして来たろう。混沌王の正体が判ったからって、それが俺達の勝負を決める材料にはならない。とにかく帰って、アクアリュウムの状況を自分の目で見てから動くんだ。お前の言っていることは、引き延ばしの逃げだ。」

 『俺達の勝負、それはこの戦争のどちらに加担するという事ではないはずだ。ようはキングに代表されるような、やり方、生き方、制度そのものに一矢報いる、それが俺達のやり方だ』
 この結論で、いつもはアレンが身を引く。
 そして次の日には、再びアレンが混沌王の正体暴きの重要性を持ち出してくる。
 これがいつものお定まりだった。
 だが、今日はそうならないだろうという予感が葛星にはあった。

「逃げてるのはお前だろう!お前が決められない原因を、俺に振ってくるのはもう止めろ!」
 アレンの眼はギラギラと輝いていた。
 アレンの風刺漫画にでも出てくるような誇張された顔に、凶暴性が加味されると、それがアンバランスなだけにその顔がよけいに不気味に見えた。
 アレンの顔が唯一、本物のバンパイアに見える瞬間だった。

「止めてよ。最低ね。アクアリュウムにいた頃は、二人ともっと輝いていたのに!」
 三人の間に暫くの沈黙が続いた。
 沈黙を破ったのは葛星だった。

「シャーロット、キングから、きられた期限はいつだ?」
「特別には言われていない。戦局を判断しろとだけ、、。今は、ゲヘナから地上世界への侵入口を全部塞いだから、戦線をトワイライトゾーンまで押し下げる事に成功したけど。それはいつまでも持たないと思うわ。軍の知り合いに聞いたら、たぶん3週間で突破されるだろうって。」
「3週間か。アレン。キープ爺さんの地図が正確なら、あそこには何日で行ける?」
「正確に決まってるさ。このクルーザーなら片道1週間って所だろう。」
 アレンの口調が少し収まりかけている。
 葛星はアレンが、シャーロットの前でわざと興奮して見せたり、落ち着いて見せたりしている部分がある事に気づいた。

「俺達には、それぞれまだ時間が少しだけ残されているようだ。2週間で、ケリをつけよう。成果が出ても出なくても二週間。泣いても笑っても2週間だ。今夜は、これでお開きにしょう。明日の朝、一番で出発だ。アレンが言うように、混沌王が俺たちに答えを出してくれるだろう。、、違う角度でな。俺もその答えに従うよ、二人とも、それでいいな?」
 シャーロットは疲れ切ったような表情を浮かべて頷いた。
 そしてアレンは明後日のほうに顔を向けたままだった。

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