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第1章 法廷のシーメール

07: ヘルマプロディトスの扉

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弁護人・・・「Mさんは、事件当日の行動について、どの程度覚えていましたか?」 
鑑定医指尻・「使用人小屋で2人でお酒を飲みながら食事をしていると、Aさんが飲み足りないということで、母屋の食堂にアルコールを分けてもらいに行ったと。」 
弁護人・・・「Aさんは、午前4時45分ごろに使用人小屋から出て行ったということですが、この点の記憶は?」 
鑑定医指尻・「あります。」 
弁護人・・・「指尻さん、貴方のお考えを聞きます。Aさんは、なぜ使用人小屋から出て行ったと考えますか?」 
鑑定医指尻・「お酒を補充に行ったというより、Mに対する暴力があり、Mが脳震盪で意識がないため、クーリングダウン(冷却期間)の目的で彼女から離れたと考えています。」 
弁護人・・・「Aさんが、家出をするようなつもりで、自分の衣類を持って行ったということは知っていますか?」 
鑑定医指尻・「知りません。」 
弁護人・・・「ではAさんが再び使用人小屋に戻ってきたのは、精神科医としてどう考えますか?」 
鑑定医指尻・「いつもならクーリングダウンして帰った後、セックスするというパターンがあるワケですが、この時はAさんは家に入るか入らないか躊躇していたのではないかと思います。」 
弁護人・・・「背中の傷の原因は?」 
鑑定医指尻・「ナイフによる切り傷と考えますが。」 
弁護人・・・「Aさん自身による自傷の可能性は?」 
鑑定医指尻・「(傷の位置が)自傷でできる場所でないため、最初から考えませんでした。」 

 はっきりとした口調で言い切る鑑定医指尻女史。
 弁護士からの繰り返しの質問に、多少苛立ちを感じているのだろうか?
 私には「何を今更」という指尻女史の内面の声が聞こえて来そうだった。

弁護人・・・「傷がAさんの自虐行為によるものとは考えませんか?」 
鑑定医指尻・「AさんがMに頼んだということですか?」 
弁護人・・・「そうです。」 
鑑定医指尻・「その可能性は考えました。」 
弁護人・・・「なぜ?」 
鑑定医指尻・「Aさんに抵抗の跡がないことと、性的なプレイで、Aさんが刃物に興奮するということなので、Aさんが頼んだ可能性はあると。」 
弁護人・・・「ところで朦朧状態は『せん妄』の中のひとつでしょうか?」 
鑑定医指尻・「せん妄は大きな状態で、朦朧はその中にあります。朦朧のほうが症状は軽いかもしれません。」 
弁護人・・・「朦朧の状態が顕著に出た場合、自分の行為の善悪を判断する能力を欠くことはありますか?」 
鑑定医指尻・「犯行時点では意識が清明であると考えるので、(判断能力が)ないということはないです。」 
弁護人・・・「なぜ?」 
鑑定医指尻・「犯行時点で意識が清明でなければ、できる傷口ではありません。」

 犯行時には記憶がなく、無罪であると主張したい弁護側にとっては、なんとしても犯行時には、M被告の意識が清明ではなかったと聞き出したいところだろう。
 だが、鑑定医指尻は、明確にそれを否定した。



 その下り階段は、決して急勾配ではないのだが、美馬の腕にしっかり掴まっていないと前につんのめって転げ落ちそうになる。 
 そもそも踵の高さが10センチを越えるピンヒールを履いて、階段を下りるなんて事自体が、無謀にもほどがあるのだ。
 平坦な道を歩くのでさえ、うっかりすると足首を挫いてしまいそうになるのだから。 
 小さな踊り場を経て、1階分の階段を下りきると、頑丈そうな鉄製の扉が待ち受けていた。
 金色の文字で『ヘルマプロディトス』と書かれた小さなプレートが貼られてある。 
 後で知ることになるが、『ヘルマプロディトス』は、ギリシャ神話に登場する神様の名前である。
 サルマキスという女性の「水の精」に、強姦された美少年の神様だ。
 今で言う「ショタ」なのか、サルマキスの「この子を私のものにしたい」という熱い思いの果てに、ヘルマプロディトスは、文字通りサルマキスと一つに合体されて、両性具有者となっている。

 人間は元々、両性具有の存在であって、それが二つに分割されたのが、男と女であり、故に男女はお互いを求め合うのだという神話が、実に平和的に思える話だ。
 美馬が、その『ヘルマプロディトス』のプレートにちらりと視線をやってから、扉の端にある呼び出しボタンを押した。 
 覗き窓のような矩形の枠が開き、濃いメイクをした目が美馬を確認し、その目の表情を和らがらせる。
 そいてギイィー、と蝶番の軋む音がして重そうな扉が内側に開いた。 

「いらっしゃいませ」 と、二人の美女に迎えられる。 
 胸のカップなしの赤いビスチェ風のトップ、赤いレザーの超ミニ、真っ赤の網タイツ、二人おそろいのショッキングでセクシーな衣装に、未知矢はびっくりさせられる。
 さらに衝撃的なのは、二人の股間から男性生殖器がぶら下がっているのが、すっかり丸見えになっていることだった。
 あらわになった胸には、量感たっぷりの乳房がある。
 艶やかにメイクした顔は、鼻があまりに尖角的に形良く整っているのが、いかにも整形という感じがした。
 一人は金髪で、もう一人は栗色の髪、どちらも背中までの長さがある。
 いかにも女性らしいというエレメントを身にまとっていながら、男性生殖器が太腿の間でぶらぶら揺れている。 
 目を見開いて、彼女たちの男性生殖器を見つめていた未知矢だったが、きらきらと金髪に髪を染めた女性が、「ようこそヘルマプロディトスへ」 と言ったので、あわてて彼は彼女の下腹部を見つめるのをやめた。
 男が「ズボンのチャックが開いているのを気付き慌てる」を、まったく逆の演出として「彼女」達は、それをやっているのだ。 
 わざとウルトラミニをはいて、垂れる男性生殖器を見せている、複雑で洒落た倒錯だった。

「コートを、お預かりします。」 
 赤いマニキュアの指の手が差し出され、美馬が背後にまわって未知矢のファーコートを脱がせてくれた。
 金髪の彼女は、未知矢に笑顔を向けている。 
 あなたも男なのね、わかってるわよ、 と、戸橋未知矢にはその目が語っているように思えた。 

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