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71:ある雨の日の放課後に(9)
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「とにかく日向がピンチだってのはわかったけどさ。お願いしただけでおれが言うことを聞くと思ってるなら、戸川さんも甘いね。何事にも対価は必要でしょ? 無給で働けって言われて働くサラリーマンがいると思う?」
「何が欲しいの? 私が差し出せるものはそんなにないけど、最大限努力はする」
再び踊り場に戻り、私は保坂くんを見上げた。
何か面白いことでもあったのか、二年生の教室がある二階で笑い声が弾ける。
窓の外で降る雨は勢いを増し、吹き荒れる風が窓を叩いていた。
「じゃあおれと付き合ってよ」
保坂くんは軽薄な笑顔を浮かべて、予想通りの台詞を吐いた。
「……。私、好きな人がいるって言ったよね?」
中身のない、薄っぺらい彼の笑顔を見つめて言う。
「うん。戸川さんは日向のことが好きなんだろ? 知ってるよ。でも、だから、おれは戸川さんが欲しいんだ」
「……? それは――」
「玲央」
どういう意味なのかと私が聞くより早く、神谷さんが保坂くんの名前を呼んだ。
「もう止めなさいよ。日向くんから戸川さんを奪ったって空しいだけよ。そんなことをして何になるっていうの。わかってるんでしょう? たとえ日向くんを絶望の底に叩き落したとしても、あなたは救われない。何の意味もないわ」
神谷さんの表情は暗く沈んでいる。
私はどうして彼女がそんな表情をしているのか、何を言っているのかすらもわからなかったけれど、ただ黙ってその言葉を聞いた。
「お願いだから、もう止めてよ。勝手な執着で日向くんを不幸に巻き込むのは間違ってる。あたしも、今日限りでくだらない演技は止める。日向くんが無事戻ってきたら、ちゃんと話すわ。あやかしが見えるなんて嘘だった、ごめんなさいって。だから、もうあなたの協力は要らない。五年も付き合ってくれてありがとう。あなたには本当に感謝してる。それに……幸せになってほしいとも思ってる。難しいかもしれないけど……」
「………………」
ふっ――と。
蝋燭の火を消すように、保坂くんの表情から一切の感情が消失した。
その表情を見て、私は息を飲んだ。
普段は軽薄な笑顔の仮面を被っているから周囲にそう悟らせなかっただけで、これが彼の素顔なのだろうか。
――こんな、心を失った、虚ろな人形のような顔が?
胸に穴が空いてしまったような気がして、私は無意識に自分の胸を押さえていた。
月曜日の夜。
悠紀くんに見せてもらった中等部の卒業アルバムの中に、まだ黒髪だった頃の保坂くんがいた。
フレームのない眼鏡をかけた彼は、見覚えのある学園の図書館で本を広げ、はにかんだような笑顔を浮かべていた。
何故あの真面目で、優しそうな少年はここまで変わってしまったんだろう。
中二の夏休み、一体何があったというのだろう?
「でも、最後にもう一度だけ力を貸して欲しい。あたしは日向くんを助けたいの。お願い」
神谷さんは真摯に頭を下げた。
「私も。お願いします」
何一つわからないままだけれど、この流れはチャンスだ。
私は神谷さんの隣で頭を下げた。
「……はあ。仕方ないなあ、わかったよ」
保坂くんはがりがりと頭を掻き、その金髪をかき混ぜた。
顔を上げてみれば、彼は拗ねたような顔をしていた。
彼の表情が戻ったことに、私は心から安堵した。
たとえ拗ねたような顔であっても、死んだような無表情よりはよっぽどいい。
「ありがとう!」
「いや、そんなに喜ばれても、期待には添えられないと思うよ? おれにあやかしを感知する力はない。おれにできるのは触れた対象の過去を読み取ることだけだから」
「うん、それは神谷さんから聞いてる。早速、ここで起こったことを読み取ってほしいんだけど。できる?」
私は手のひら全体で踊り場を差した。
「多分」
保坂くんは視界に誰もいなくなったタイミングを見計らってしゃがみ、階段の床に右手を当てて目を閉じた。
お腹の上で手を組み、私は祈りながら待った。
数秒して、保坂くんは立ち上がった。
「何が欲しいの? 私が差し出せるものはそんなにないけど、最大限努力はする」
再び踊り場に戻り、私は保坂くんを見上げた。
何か面白いことでもあったのか、二年生の教室がある二階で笑い声が弾ける。
窓の外で降る雨は勢いを増し、吹き荒れる風が窓を叩いていた。
「じゃあおれと付き合ってよ」
保坂くんは軽薄な笑顔を浮かべて、予想通りの台詞を吐いた。
「……。私、好きな人がいるって言ったよね?」
中身のない、薄っぺらい彼の笑顔を見つめて言う。
「うん。戸川さんは日向のことが好きなんだろ? 知ってるよ。でも、だから、おれは戸川さんが欲しいんだ」
「……? それは――」
「玲央」
どういう意味なのかと私が聞くより早く、神谷さんが保坂くんの名前を呼んだ。
「もう止めなさいよ。日向くんから戸川さんを奪ったって空しいだけよ。そんなことをして何になるっていうの。わかってるんでしょう? たとえ日向くんを絶望の底に叩き落したとしても、あなたは救われない。何の意味もないわ」
神谷さんの表情は暗く沈んでいる。
私はどうして彼女がそんな表情をしているのか、何を言っているのかすらもわからなかったけれど、ただ黙ってその言葉を聞いた。
「お願いだから、もう止めてよ。勝手な執着で日向くんを不幸に巻き込むのは間違ってる。あたしも、今日限りでくだらない演技は止める。日向くんが無事戻ってきたら、ちゃんと話すわ。あやかしが見えるなんて嘘だった、ごめんなさいって。だから、もうあなたの協力は要らない。五年も付き合ってくれてありがとう。あなたには本当に感謝してる。それに……幸せになってほしいとも思ってる。難しいかもしれないけど……」
「………………」
ふっ――と。
蝋燭の火を消すように、保坂くんの表情から一切の感情が消失した。
その表情を見て、私は息を飲んだ。
普段は軽薄な笑顔の仮面を被っているから周囲にそう悟らせなかっただけで、これが彼の素顔なのだろうか。
――こんな、心を失った、虚ろな人形のような顔が?
胸に穴が空いてしまったような気がして、私は無意識に自分の胸を押さえていた。
月曜日の夜。
悠紀くんに見せてもらった中等部の卒業アルバムの中に、まだ黒髪だった頃の保坂くんがいた。
フレームのない眼鏡をかけた彼は、見覚えのある学園の図書館で本を広げ、はにかんだような笑顔を浮かべていた。
何故あの真面目で、優しそうな少年はここまで変わってしまったんだろう。
中二の夏休み、一体何があったというのだろう?
「でも、最後にもう一度だけ力を貸して欲しい。あたしは日向くんを助けたいの。お願い」
神谷さんは真摯に頭を下げた。
「私も。お願いします」
何一つわからないままだけれど、この流れはチャンスだ。
私は神谷さんの隣で頭を下げた。
「……はあ。仕方ないなあ、わかったよ」
保坂くんはがりがりと頭を掻き、その金髪をかき混ぜた。
顔を上げてみれば、彼は拗ねたような顔をしていた。
彼の表情が戻ったことに、私は心から安堵した。
たとえ拗ねたような顔であっても、死んだような無表情よりはよっぽどいい。
「ありがとう!」
「いや、そんなに喜ばれても、期待には添えられないと思うよ? おれにあやかしを感知する力はない。おれにできるのは触れた対象の過去を読み取ることだけだから」
「うん、それは神谷さんから聞いてる。早速、ここで起こったことを読み取ってほしいんだけど。できる?」
私は手のひら全体で踊り場を差した。
「多分」
保坂くんは視界に誰もいなくなったタイミングを見計らってしゃがみ、階段の床に右手を当てて目を閉じた。
お腹の上で手を組み、私は祈りながら待った。
数秒して、保坂くんは立ち上がった。
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