気高き翼に手を伸ばす

幽月 篠

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初めての理不尽な怒り

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我が悪いとは分かっているが、それでも腹が立つ



 次の朝、風琴が目覚めると一人であった。身動ぎしてみると、情交の名残であろう感触は感じられない。あれは夢だったのだろうか。身体を起こした途端、腰に痛みが走った。

「くっ……」

 思わぬ痛みに腰を擦る。二日酔いのように頭もずきずきと痛い。痛む頭を覆ってじっとしている内に昨晩の出来事を思い出した。

「……あのたわけが」

 本当は我があやつを抱いていた筈だったのだ。我が悪い部分もあるとは言え、話も聞かずに我の身体をあのように乱暴に暴くとは、何様のつもりか。
 風琴は苛立ち、頭をぐしゃぐしゃと掻く。思い出すだけで屈辱で目頭が熱くなってきた。

「あの……師匠……おはようございます。朝餉が出来ましたよ」

 いつもと違って部屋の外から声を掛けられる。声だけでも月夜がしおらしくなっているのは分かる。だが怒りが収まらない。

「……そこに置いておけ。今日は一人で食べる」
「え……!? ですが……」
「聞こえなかったのか。一人で食べると言っている」

 顔を合わせてしまえば、罵詈雑言を吐きかねない。あのようなことをされたが、愛しい存在であることは変わらないのだ。なので、怒りが収まるまでは顔を合わせたくない。

「はい……承知いたしました」

 とぼとぼと足音が遠ざかっていく。肩を落として歩く様が目に浮かぶようだ。風琴は障子越しに月夜を見る。このように苛立ちを向けることが初めてなせいか、風琴は胸がつきりと痛んだ。
 しばらくして月夜が持ってきてくれた朝餉を口にする。いつも通りに美味い。

「美味いのだが……はあ……」

 1人で食べるだけで味気ない気がするのは、気のせいか。食べ終えて食器を洗い縁側に並べると、部屋に籠って横になった。
  今日は剣と天狗の秘術の鍛練は中止して、ただぼんやりと部屋で過ごす。本当に腹立たしい。月夜だけでなく、自分の浅慮な考えとその結果が。

「……琴でも弾くか」

 腹が立って仕方がない時は琴に限る。風琴は寝間着のまま、琴を爪弾いた。昔母がよく爪弾いていた琴は、今ではすっかり手に馴染んでいる。琴を爪弾いている時は何も考えずに済む。天狗の並外れた持久力もあり、気がつけば二刻程琴を弾いていた。
 少し疲れたので弾くのを止めると、障子の向こうの縁側に誰かが座っていることに気がついた。

「何を盗み聞きしている。東雲」
「ようやく終わったか、風琴」

 東雲は翼をしまうと、部屋にどかっと腰を下ろした。

「月夜君が落ち込んだ顔で掃除をしていたから、事情を聞けばお前さんを怒らせてしまったと言っていた。……率直に聞くが閨で何かあったのか?」

 昔からこの男は察知することには長けているが、我に対して遠慮が無さすぎる。風琴は舌打ちをした。

「我が思いもよらぬことはあった。だが貴様に話して何かが解決するのか? ただの興味で訊いているのであれば、その舌を切り落とすぞ」

 東雲は軽く瞠目する。普段は我がここまで奴に言うことなどない。不機嫌なのを察したか。

「………………もしや、月夜君に抱かれたのか?」

 察した上で聞くこやつは阿呆なのか。風琴の堪忍袋の緒がぶちりと切れる。そして虎の尾を踏んだ東雲は、怒りで我を忘れた風琴に投げ飛ばされた。
 東雲は鮮やかに弧を描いて空中を舞うと、ぎりぎりのところで着地した。

「ちょっと、いきなり酷すぎるだろ!?」
「これでも加減はしている。失せろ」

 風琴は妖力で障子を戻すと、ぴしゃりと閉める。風琴は誰も入って繰ることがないように、妖力で強固な結界を張った。

「俺はどうこうされようが平気だけど、月夜君には手は上げていないだろうな」
「上げるわけが無かろう。それくらいの配慮はある」

 配慮した結果が、これだ。反撃しようと思えば出来たが、月夜を傷つけたくないあまりに録な抵抗出来なかった。

「だけど、月夜君がすごく落ち込んでいた。勘当擬きも、数日以内で止めといたほうが良い」

 東雲はそう言い残すと、翼を羽ばたかせて去る。分かっておると風琴は二度目の舌打ちをした。

 東雲は木の上に腰掛けると、風琴のいる屋敷というよりも庵同然の建物を見下ろした。

「……まあ、あんな美人を放って置くわけがないよな」

 風琴は、仙女と謳われる程の美貌の持ち主であった彼の亡き母親に瓜二つであった。
 本人は己の美醜に無頓着であるが、彼の顔を拝んだ者ならば無理矢理組み敷いてでも、自分の物にしたいと思わせるのである。
 こんなことを本人に言わないが、同胞達に抱かれるよりは慈しんだ月夜に抱かれるのが、ましなのではないか。

「いや、でもあいつ矜持が高いしなあ……」

 矜持が高い彼にとっては最大の侮辱行為だったのだろう。だが、妙薬を持ったであろうのはあいつだし自業自得では。……これからどうなるだろうか。
 東雲は面の下で顔をしかめた。


 一方、離れていた月夜は薪割りをしていた。師匠は何に怒っていたのだろう。欲のままに抱いてしまったから? それとも私は抱く側ではなかったということか? 悩んでも師匠の口から聞かなければ分からない。何がそんなに怒らせてしまったのか教えてほしい。
 あの方は素顔を面で隠すが如く、いつも本心を隠している。師匠のお怒りが収まったらすぐにでも理由を聞かねば。
 師匠の昨夜と今朝の言動を思い出そうとすれど、真っ先に思い出すのは自分の下で乱れる師匠の顔ばかり。面よりも淡い紅色に染まった頬にうねる美しい御髪。そして初めて耳にした師匠の甘ったるい声音。

「っ……」

 思い出しただけで自分の顔がかっと熱くなるのを感じる。いけない、もう一度あの声を聞きたいと思ってしまう自分がいる。あの人の肢体をこの腕に留めたいと願ってしまう。

「私の阿呆が……」

 自分の激しい情欲を打ち消す為に斧を振るう。その度に、薪がいとも容易く割れた。
 実は数日前に東雲殿に男同士の交わりの書物を一冊気紛れにと頂いた。どうしてだろうか。捲った時には二度と読むものかと思ったが、結局一晩で全部読み終えてしまった。そして昨日、師匠から誘われて、そのまま抱いてしまった。

「今晩は師匠が好きなもの尽くしにしなければ」

 それで少しは機嫌も良くなればいいが。月夜は風琴がいつもの調子に戻ってほしいと願うしかなかった。



  月夜と暮らし始めてから、初めて別々に夕飯を食べる。どれもこれも我の好物ばかりだ。だというのに美味しくない気がする。風琴は無言で箸を動かす。
 出会ったばかりの頃は、まだ我は天狗の長を引退し、一人暮らしに慣れ始めた頃であった。里を離れて暮らすのは自分の意思であったが、それでも寂しかった。
 月夜の存在は、そんな孤独な我の心を癒してくれた。初めて一緒に食べた薄味の粥でさえ、こんなに美味いのかと驚いたのである。

「……明日、謝罪しよう」

 そもそもの発端は我なのだ。我が最初に謝罪して次はどうすべきか伝えよう。今までだって、叱ることはすれども今日のように怒ったのは無かったのだ。上手くいく。だが……月夜は我を抱くことの味を覚えてしまった。今更、抱かれることになるのを許容出来ようか。我が抱かれるのを許容出来ないように。月夜が嫌がることはしたくない。だが我も女役は嫌だ。自分があのような声を出すことや、快楽に心が溺れるのが怖い。
 だがそれで交わるのを避けては…………彼は此処・・にいられない。彼の出自は恐らく人としては高い身分の追われる者。人の世に出しては晒し首か切腹か。親の業は子の業。昔は子だけなら追放で済まされていたが、今は人は残酷な時代なのだ。そんな荒波に月夜を出せる訳がない。どうすべきか。風琴は答えを出せずにいたままだった。


 風琴はあまり眠れないまま夜を明かす。井戸で顔を洗おうとふらふらと寝間着で素顔を晒したまま出ると、はったりと月夜に遭遇した。月夜は驚いた表情のまま固まる。

「……月夜、おはよう」
「……おはようございます。師匠」

途端に月夜の瞳が潤む。月夜は震える声で、我に挨拶を返した。
 必死に涙が出ぬように堪えている月夜を見ていると、幼き頃の月夜を思い出す。気づけば、もう風琴は己の上背を越えている月夜を抱き締めていた。

「師匠……師匠……」

 ぐすぐすと泣き始める月夜の背を軽く叩く。

「1日離れたくらいで泣くな。お前はもう立派な男子おのこだろう」
「ですが…私は片時も、貴方の傍を離れたくないのです。貴方を怒らせるようなことをしてしまったのに……」

  しゃくりあげる月夜を宥めながら、この子にすまないことをしてしまったと自覚した。

「いや、我も妙薬を飲ませる前に、ちゃんと話し合えば良かったのだ。我が発端であるのに、突き放してすまぬ」

 やっと謝ることが出来て、胸の内のわだかまりが解消する。月夜は涙を拭きながら、首を横に振った。

「いいえ、師匠が謝らないでください。ただ、仰りたいことを、お隠しにならないでください。貴方のお気持ちを汲んで差し上げられない愚かな私なのです。何も分からないまま一人になるのは寂しい」

 お前に八つ当たりして傷つけたくなかっただけなのだが、言わねば分からなかったか。いや、言わなくても分かるのは妖のさとりぐらいなのだ。同胞でも我の気持ちを分かってくれる者など、居なかったのだから、酷な真似をしてしまった。

「ちゃんと言う。だから今日は一緒に食べよう」

 お前と一緒に食べなければ美味しいと感じられぬ程、お前を愛してしまっているのだから。月夜ははいと大きく頷くと、朝食の準備に取りかかった。


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