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人界からの訪問者
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ただの人風情に寒気を覚えた
それから数日後、東雲がいつものように文を携えてきた。長であり母違いの弟からの文だ。どうせ同胞達の小競り合いだの、同胞が稚児との契りを結んだなどということだろうと予想しながら目を通す。だがそこには意外なことが書かれてあった。
「陰陽師が里へ訪れただと……?」
陰陽師とは人のくせに神や仏の術を自在に操る奇怪な術師のことである。昔、安倍のなんとやらの弟子が訪れたらしいが、我が幼い頃らしいので知らぬ。
当然、長も陰陽師などの扱いが分からぬそうで、長老達とも話を勧めるという。……そして、一度我の元で面会させたいがどうかとのこと。返答に困っていると、月夜が茶と梅干しを持ってきた。
「師匠、どうなさいましたか。悩んでいらっしゃいますように見受けられますが」
「ああ、ちょっとな。……今回ばかりはお前も読んでみた方がいいな」
月夜は受け取ると、無言で目を通す。読み終えると、月夜も困惑している様子であった。
「……陰陽師ですか。私もあまり良くは知りませんが、万が一父の知り合いであった場合は困りますね。もし陰陽師が訪問する場合は、私は隠れていましょうか」
「そうしてもらいたいが、うっかり顔を合わせてしまう場合がある。そこで、その日は我の予備の面を被ってもらいたい。まだ契りがすんでおらぬからな」
天狗の面には邪を払う力が込められている。陰陽師が面妖な術を使おうとも、簡単にはね除けてしまうので月夜の素顔が晒される危険はなかろう。頷いた月夜は嬉しそうな顔をした。
「師匠の面を被れるなんて夢のようです。ところで契りが済めば、面が頂けるのですか?」
「勿論だとも。里には彫り師がおるのでな、その時にはお前専用の物を彫ってもらうように手配済みだ」
天狗の面は彫り師がその者の性情を見抜いて作るのである。本来は1枚なのだが、何故だか今は亡き父が過保護にも我が幼い頃と元服時にそれぞれ2枚ずつ彫るように命じたなどという例外があったか。思い出して少ししんみりとした気持ちになる。
「我は彫ることは不得手だが、せめてお前の面の材料となる木を選ぼう。これから長い間付けるのだからお前の肌に合ったものが良いだろうな」
「師匠が選んでくださるものなら、私はどんな物でも嬉しいですよ」
月夜は無邪気に笑う。契りを結べば月夜の素顔を見る機会も減ってしまう。それがほんの少しだけ残念だ。風琴は寂しげに目を細めると、月夜の頬を撫でた。
数日が経ち、人間を此方に向かわせることが決まったようだ。本当は嫌だがやむなしと、了承の返事を書く。今日は里で鍛練の指導が無いのか、ごろんと寝転がる東雲に目を遣った。
「ところで此方に来る人間とはどんなやつだ。土御門という奴と、護衛のやつということは文で知ったが性格も教えろ」
「土御門は陰陽師の名門の家系だそうだ。年は月夜君と変わらないくらいのやつ。見目は良いが堅苦しい。あと護衛の男が何か……変というか恐ろしいというか」
「恐ろしいだと? 天狗が人間を恐ろしいなどと笑わせる。
そうじゃないと東雲は起き上がる。その顔には恐怖が浮かんでいた。
「紅月という男なんだけどな、見目は土御門よりも美しいんだよ。お前に勝るとも……いや流石に言いすぎか。でも引けをとらないぐらいには絶世の美人。それと中身が人じゃない気がする。瞳は曼珠沙華のような真っ赤だったし。長なんてあやつらの目の前では平静を保っていたけど、終わってから手の震えが止まらなかったらしいぞ」
長は我ほどではないが、胆が据わっている。そんな彼がそこまで怖がるとは。一抹の不安を覚える。
「ほう、面白い。是非とも会ってみたいものだ」
だが我が人間になんぞ怯える筈がない。この時ばかりはそう思っていた。
それから3日程か。長老どもの意見も一致し、我のところに例の2名を寄越すことになった。当日は朝から月夜が我の面を被ることになったのだが、緊張のあまり鼻血が止まらないという。仕方なく、面の鼻から下の部分を継ぎ目から外し、口元が触れやすくなった物を月夜に渡す。
「血が止まるまでは懐紙でも入れてから鼻を押さえて安静にしておれ。結界を張っておくから、じっとしていること。分かったな」
「はい……すみません」
ぱたぱたと鼻血を溢す辺り、しばらく止まりそうにない。不幸中の幸いは月夜が我の髪を結い上げた後であったことか。
「月夜、せっかくの機会だ。書物でも読んでゆっくりと休むが良い。ただし、書物を汚さぬように気をつけよ。分かったな」
「承知いたしました。……師匠、お気をつけて」
月夜は鼻を押さえながら見送る。ああと頷いて、月夜の部屋を後にした。
人間どもが来たのは巳の刻。東雲と他の者に駕籠で乗せられ運ばれてきた。降りてきた者の内若い方は酔ったのか顔が真っ青になっている。もう1人は飄々とした面持ちであった。若い方が土御門という輩で、飄々とした方が紅月という輩であったな。
土御門はそこそこに力のある陰陽師のようであるが……。護衛の紅月はぱっと見ただけでも美形に違いないが、底知れぬ何かがある。土御門は具合が悪そうなまま挨拶しようとしたので、制止した。
「挨拶は落ち着いてからで構わぬ。そこのおぬし、介抱してやれ」
「はっ。有り難き幸せ」
紅月の方は土御門を支える。ついてこいと、彼らに目配せしてから我の部屋に案内した。
部屋に着くと東雲に水を汲んでくるように命じて、二人を観察する。土御門は元服したての青二才の餓鬼である。顔は悪くないが、我の好みではない。霊力はそこそこある方か。
それと紅月の方は、見れば見るほど美形だ。白絹の肌に濡れ羽色の艶やかな髪。それだけならば我の物にしただろう。だが……。風琴は背筋に寒気を覚える。鮮血の赤き瞳と、その身から漏れる神気の如き凄烈な霊力は、紅月が人の器を得た化け物であることを風琴に確信させた。
土御門は顔色が落ち着くと、我に顔を向けた。
「名乗るのが遅くなり申し訳ございませぬ。私は安倍晴明が子孫、土御門泰重と申します。そして隣の者は、今回我が護衛として参りました紅月です」
紅月は軽く頭を下げる。霊力の割には傍若無人という訳ではなさそうだ。紅月に警戒しながら、風琴は会話を続けた。
「泰重と紅月か。して、天狗の里に用とはなんだ」
「こ……今回は父、久脩の名代で参りました次第。長殿には一度お渡し致しましたが、先代である貴方様に返答を伺うようにとのことでした」
先代と言っても我は数十年程度しか長を務めていない。むしろ先代と言えば父上なのだがなと思うが、口に出すのは無粋だ。両手で差し出されたそれを受け取ると、目を通す。人の文字は天狗のそれと多少形が違うので読むのに時間がかかった。
1度最後まで読んでから、見間違いかと読み返す。だが、我の見間違いでないと確信し、怒りと笑いが込み上げてきた。
「…………なあ、貴様等。これは何かの冗談か?」
「冗談ではございませぬ。我々は、貴殿方に手を貸して頂きたく、参上致しました」
怒りのあまり風琴は苛烈な妖力を漂わせる。顔が真っ青になった泰重に代わって答えたのは、紅月であった。
「何故、貴様等に手を貸さねばならぬ。戦乱で血で染め上げられた結果、魑魅魍魎が跋扈してしまった日之本を救うのに力を貸せだと? 貴様等人間の尻拭いではないか!」
長年争いを繰り広げてきたのは人間の自業自得だ。風琴は怒りのあまり、紅月と泰重を睨む。紅月は涼しげな表情で風琴を見据えるだけであった。
「確かにそう思われましょうな。ええ、尻拭いですとも。某も流石にどうかと思いますが、日之本が滅んで困るのは貴殿方もでは?」
「我等は我等の領分を守る。何故、見境なく争いを繰り広げる人間どもを救わねばならぬのだ。救ったとして、貴様等が刃を此方に向けぬ保証が何処にある!」
風琴は激昂し抜刀すると、紅月の喉笛に剣先を向ける。
「心中お察し申し上げる。某は本来、玻璃野の若殿に仕える身。日之本を救うという重き責任は負いたくはござらぬ。それに某は頭領として、赤の他人の為に里の者達の大切な命が散る危険を侵さねばならぬことに対し、甚だ疑問を抱いておりまする」
紅月も人を率いる存在であるのか。それまでの飄々とした顔つきは失せ、赤き眼が真剣な眼差しで見据えてくる。似た感情を持っているのにどうして、土御門どもの提案を止めぬのか。まさか、泰重の味方が此処には居ない状況で謀反を侵すのではあるまいな。
「紅月殿!? まさか今更手を切るなど仰らないですよね!?」
泰重も同じことを思ったのか、蒼白な表情で紅月を見る。紅月は溜め息をついて首を横に振った。
「某が貴方に偽りを申して、何の得がありますのやら。謀反など致しませぬよ」
紅月は泰重から此方に視線を戻す。この赤い瞳を見るだけで、不快な寒気が背筋に走る。
「血で血を洗う権力者どもが死ぬのは大いに結構。ですが現実は、日々を懸命に生きる民の命ばかりが散るのです。特にか弱き童達が命を落としております。戦乱に巻き込まれた孤児を我が子同然に慈しむ貴方様に、それが理解出来ぬ道理がございませぬ」
「っ……」
風琴は舌打ちをする。里の者どもの誰かが、月夜のことを話したな。このような揺さぶりになど動じたくない。……動じたくないが、脳裏に浮かぶは枯れ木のように痩せ細った出会ったばかりの月夜の姿。
だが、里の同胞達を危険に侵すような真似が出来るわけがない。風琴は剣を下ろしたが、柄を強く握りしめていた。
「わ……私からもお願いいたします。どうかお力を貸して頂けないでしょうか」
紅月の横でただ見ていることしか出来なかった泰重が頭を下げる。
「私の父は先の関白によって尾張に流され、私もそこで数年過ごしました。庶民と接する機会がございましたが、とても温かな人達ばかりなのです。現在、妖が日之本中を食い荒らしておりますが、紅月が申した通り、犠牲になるのは身分と財に胡座をかいたものでなく、無辜の民なのです。顔見知りの者も数えきれぬ程亡くなりました。助けたくても限界がある。何度も自分の無力さに打ちのめされてきました。……ですが、もう諦めたくないのです」
泰重の顔からぱたぱたと雫が零れる。ただの青二才かと思いきや、我の前でここまで主張できるとは。萌葱色の瞳が軽く見開く。風琴は溜め息をつくと、剣を鞘にしまった。
「東雲、此方に来い」
「はっ」
客人の前ではきちんと従者面をして東雲が部屋に入る。東雲は片膝をついて、我に頭を垂れた。
「後で長に此処に来るように伝えよ。それと客人達は空き部屋にでも案内せよ」
「承知」
東雲はそう言ったものの、風琴の耳に囁いた。
「月夜君はどうする? 厠ぐらいはいかせないとまずいのでは」
「すぐに我が月夜の様子を見に行くから心配するな。おぬしは客人を見張っていろ」
東雲は頷くと、泰重と紅月を他の部屋に連れていく。紅月が部屋を出る直前、一瞬だけ目が合った。
紅月が去った後、風琴は大きく溜め息をつく。
「あの大蛇神の化身……。あやつだけで対処できぬ事態とは何だ」
赤い瞳は、断ればただでは済まぬと言っていた。あやつは神の化身ということもあり、数がいくら集まれど魑魅魍魎など敵にもならぬだろう。
だが、あやつが土御門の配下となり、天狗にまで頭を下げねばならぬ事態。そこまで危うい状態に至る程、この日之本はまずいのか。考えただけで肌が粟立った。
一旦、荒れた気持ちを落ち着かせるために月夜の部屋に入る。月夜は言われた通りに面を被り、側には書が積まれてあった。
「師匠、お疲れ様です。何やら疲れた御様子ですが、いかがいたしましたか」
「ああ、色々あってな。……お前にも関係しかねないから詳細は今晩話す」
色々あってと済まそうとしたら、月夜の口元が少し不機嫌そうだったので、すぐに付け加える。月夜の機嫌が治ったのを確認すると、鬱陶しい己の面を取り、月夜が被っている面も取った。
「月夜、厠に行かなくて大丈夫だったか」
「大丈夫ですよ。お客様が来られる前に、一度行きましたし」
月夜が微笑んだが、やがて不安そうに目を伏せる。元気の無さそうな顔がどうも気になる。
「月夜、どうしたのか」
月夜は言うか迷っているようであったが、恐る恐る口を開いた。
「お客様が来られてからどうも背筋に寒気が走るのです。師匠……人間の方達に曲者でも混ざっているのでは」
紅月のことか。あやつがどうして人間として振る舞っているのか不思議なくらいだ。月夜を安心させるため、風琴は頭を撫でる。
「客人に少々厄介な者がおってな、奴の気配を感じ取ったのであろうよ。大丈夫だ。我がお前を守るから」
「いえ、守られてばかりでは弟子として務まりません。私が師匠を守れるように頑張ります」
ほう。昔は我に守られる側だったのに、言うようになったじゃないか。思わず笑みが溢れる。
「たわけ、お前は半人前だ。我から一本取れるようになってから言え」
風琴は月夜の気持ちを素直に感謝を告げぬ代わり、額に軽く口づけた。
月夜は頬を赤く染めて額への口づけを受け入れる。我はどうなってもいい。だが同胞達とこの子だけは守らねば。この子が争いで傷つくようなことがあってはならない。風琴は強く月夜を抱き締める。月夜は驚いたようであったが、笑みを浮かべると目を閉じてされるがままになっていた。風琴が腕を下ろすと、月夜は目を開ける。
「師匠……貴方様と唇を重ねたいです」
「く……唇……!? まあ……そのくらいなら構わないが、どうして」
月夜は目を伏せて赤い頬を掻く。
「いやあ……何と言えば良いのでしょうね。どうしてもしたくなってしまって」
どうしてもしたくなったなど訳が分からぬ。もしや我の不安を無意識の内に察して、影響を受けたのか。もしそうだとしたら、我に責任がある。
「それでは説明になっておらぬぞ。……仕方ないな。ほら、照れておらず、さっさとしろ」
月夜の首に腕を回すと、眼前に顔を近づける。月夜は火が出かねない程に顔を赤くしていたが、己の唇を我の唇に重ねてきた。
「んんっ……」
柔らかい唇が当たったと思えば、隙間から舌が入り込んでくる。触れるばかりのかと思っていたが、ここまでするのか。素面だと此方も恥ずかしくて仕方ないのだが。風琴の頬まで赤くなる。
「ふ……んぅ……う……」
歯や上顎をなぞる舌がくすぐったくて堪らない。舌を絡められると、されるがままになるしかない。
「ん……はっ……あん……」
意識が真綿に包まれ、身を委ねる。いつまでもこうしていたい。恥ずかしいのにそう願ってしまう。どれくらい経った頃か。心地好さに眠りそうになってからようやく唇が離れた。
「はっ……あ……」
くらくらとして我は思わず月夜の胸に身を寄せて息を整える。そんな情けない我を月夜が黙って支えていた。
風琴が再び部屋を出ると、月夜は面を着ける。朝は面を着けることを考えただけで鼻血が止まらなくなっていたが、今ではすっかり止まっていた。
「師匠……」
口づけを終えた時の師匠は儚げに見えた。本当はそんなことなどない。師匠は強くしなやかな御方だ。矜持の高さも私には美点としか思えぬ。それなのに先ほど部屋に入ってきたときから、師匠がどこか泣きそうな気がしてしまった。
師匠が泣いたのを見たのは、私が抱いてしまったときぐらい。私以外が師匠を泣かせて良い筈がない。師匠が泣く顔が見たくなくて、口づけを所望した。私の予想通り、師匠は多少気が紛れたようだ。
部屋を出る頃にはいつもの師匠に戻っていた。一体、私が知らぬ間に何が起こっているのか。
分かっているのは、人間と話したことで師匠がああなってしまったこと。文にあったように天狗の里の長が師匠に人間達への判断を委ねたことぐらいか。
「……長と名乗るならば、判断なぞ自分ですれば良いのに」
月夜はぽつりと呟く。師匠は話したがらないが、師匠は天狗の里から若隠居として追いやられて此処に住んでいるようだ。師匠を追いやっておきながら判断を仰ぐとはこれ如何に。天狗達への苛立ちが募る。
師匠も隠居の身というからには、里のことなど気にしなくてもよいではないかと言いたくなってしまう。幼い頃に口に出したが、師匠は私を引き寄せてこう仰っていた。
『まだ小さきお前には分からぬであろうが、離れていても我は彼等が心配であるし、何かしら役に立ちたいと思ってしまうのだよ』
師匠の気持ちはいまだに変わっていないだろう。気高く冷たそうに見えて、情の深い貴方が私は大好きだ。全てを捧げたい。同じ時を歩みたい。
「師匠……お慕い申し上げております」
今晩どのような話を聞かされ、どのような判断を下されるのか分からない。それでも私は貴方についていく。それ以外の道などない。月夜は拳を握り締めた。
今晩は、月夜ではなく里から来た同胞によって料理が振る舞われた。月夜の安全の為でもあるが、やはり月夜の料理が食べたい。
いつもの面では顎の部分を外しても少し食べづらいので、妖力で烏面を編む。昼間は苛立ちやらで多少混乱していたが、月夜と口づけを交わしたお蔭で平常を保てそうだ。
「本当に贅沢なもてなしまでしてくださって何と礼をすればよいか」
「礼など要らぬ。貴様等の申し出は兎も角、過酷な山を乗り越えて里まで来た客人をもてなさないなど天狗の矜持が廃る」
仰々しく有り難き幸せなどと頭を下げる紅月に対し、泰重は緊張で箸があまり動いていない。
「小僧、無理して食べる必要などない」
「し……しかし、折角ご馳走を用意していただいたのですから……」
無理にでも食べようとする泰重を軽く睨んだ。
「無理に腹に流し込んで吐かれる方が迷惑だ。先に案内した部屋にでも帰っていろ。部屋の近くに同胞を配置しているから、腹が減ったら握り飯か湯漬けでも頼めば良い」
厄介な問題を持ち込んだとはいえ、こやつは月夜とさほど変わらぬ年頃だ。少々憐れでもある。妖力で威嚇すると、泰重は一度深く頭を下げて、部屋へと去っていった。それを見送っていた紅月は我の方に視線を戻す。
「申し訳ござませぬ。あの坊っちゃんは、貴族の出のせいか、貴方様程の妖力の持ち主とこう顔を合わせてじっくりと話すという機会がないのです」
「……貴様程の、大蛇神の傍に四六時中いるのにか」
紅月は赤い瞳を見開くと、にやりと笑みを浮かべる。
「流石、この辺りの天狗随一の力量を持つ風琴殿だ。霊力はまだしも、某を大蛇神の分御霊と見抜くとは」
寒気がするほどの艶やかな微笑。風琴が冷や汗をかきながら睨むと、紅月は膳の横にあった天狗酒を飲み始める。人には強い天狗の酒を水を飲むが如く飲む紅月。飲み込む度に動く喉は蛇が獲物を嚥下する姿を思い起こさせる。気づけば息継ぎなどせずあっという間に酒瓶一本飲み干していた。
「はあっ……」
紅月の唇からぽたりと雫が落ちた。酒が滴る唇をしなやかで骨張った指が拭う。紅月が再び此方に向けた表情は、人らしい笑みではなかった。
「貴方様が顔を面で隠すように、我も人らしい振る舞いで正体を隠しているのですよ」
紅月はうっそりと微笑む。他の者ならこの笑みに心を奪われたであろうが、我には人を取り殺す女郎蜘蛛にしか見えぬ。思わず柄に手をかけた。
「そんな怖い顔をしないでくださいよ。我は貴方様のことが気に入っているのですから」
「気に入っているだと? 貴様、何のつもりだ」
まさか無理矢理にでも我を式に下す訳ではあるまいな。こんな得体の知れない輩に頭など下げたくない。風琴は抑えていた妖力を解放した。
「ですから警戒などなさらなくても大丈夫ですってば。我はまだ天狗の中ではお若い貴方が隠居の身であるにも関わらず、長としての器と矜持、それに見合った妖力の持ち主であることに尊敬を抱いているのです。我は頭領としてはまだまだ若輩者ですので」
「世辞は止めろ。そのようなことは聞き飽きた」
皆、上辺で世辞を口にしながら我を追い出した。恨みなぞないが、あの子以外の言葉は耳障りでしかない。
「世辞ではないです。ただ我は貴方様程の御方がどうして長の座を降りたのかが知りたいだけですよ」
「降りたくて降りたわけではない。我はただ……っ」
苛立ちに任せて色々言いたくなったが、長の妖力を感じ取って口をつぐむ。我は盃の酒を飲むと、紅月を威圧した。
「たった今、長が来た。死にたくなければ今の発言はせぬように」
「分かっておりますよ。某も、まだ無駄死にはしたくないですから。ですが、話をなさりたい時はいつでもおいでくださいな」
人の表情に戻った紅月は、ただ上辺の微笑を浮かべた。
風琴は紅月が部屋に戻ったのを確認すると、普段の面に付け替えて部屋を出る。空に目を遣ると、供を数人連れた天狗の若者が此方に降り立つところであった。
ほんの少し胸が痛く、喉に魚の骨がつっかえたような気分になる。風琴は面の下で苦虫を噛んだ顔をすると、片膝を突いて頭を垂れた。
「先代、お久しゅうございます。お顔を上げてくださいな」
若者は風琴の目の前に降り立つ。風琴は視界に移る若者の足先を見ながら視線をゆっくりと上げた。
「長殿、わざわざご足労頂き感謝いたします。息災でございましたか」
「ええ……まあ……」
長の目が僅かに強張る。今更気になどしなくて良いのに、まだ引き摺っているようだ。我に頼るのは結構だが、上下関係はしっかりとしなければ同胞達もついていかんぞ。
「早速ですが、どうぞ此方に」
「ええ、ありがとうございます。……お前達は下がれ。用がある時以外は見張りに徹しろ」
部下に指図すると、我と共に部屋に入った。東雲が気を利かせて茶と菓子を用意すると部屋を出る。長に座るように促してから、音が洩れぬように結界を張る。向かい合って座ると、長はぎこちなく面を外した。
我ほどではないにしろ、美しい顔立ちに成長している。しかし若草色の泣きそうな双眸は昔と変わらない。長にならって我も面を外した。
「兄上、本当に申し訳ございません。人間などを招き入れたばかりに……」
「よりにもよって、人のふりをした大蛇が訪れるなんぞ前代未聞だ。ところで、あやつらの話は本当なのか」
長はええと頷き、茶を啜る。
「里の者に偵察に行かせましたが、山の結界を出たところで其処らじゅうから邪気を感じたとのこと。風を起こして進まなければままならぬ場所もあり、数名が体調を崩して帰還しました。その内2名が羽根を傷つけられ、這々の体で帰還いたしました」
天狗は他の天狗の里と交流する以外は、山から下ることがない。それ故、人界のことになると殆ど知らぬ。ましてやここ数十年は戦乱が酷かったのだ。天狗同士の交流も無い為、まさかそのような事態が起こっていることを察知出来なかった。
今は無事でも、これからの里の命運は長が握っているに他ならない。我が進言したとて、責任は長にある。人間の年頃で言えば、弟は泰重や月夜と変わらぬ。どうして若者ばかりに重荷を負わせるのか。風琴は眉間に皺を寄せた。
「それで、里の者達はどう考えている」
「偵察前は人間と手を組むものかという者が大半でしたが、偵察後は人間と組むべきという意見が半数以上になりました」
それはそうだろう。我達のような純粋な天狗と同じくらい、元人間の者は多くいるのだから。風琴は腕を組んだ。
「ただ、人間と組んだ後が問題だ。近頃の人間どもは上下関係を付けたがる。いや、人間以外を下にしたがるといえばいいか。特に陰陽師どもは人外を式にしたがる」
知り合いには術師の式になったものもいる。本人は好きだからやっているという風情であったが、今回は里の命運が懸かっている。慎重に見定めなければ。すると長は、それは心配ないかと茶器を置いた。
「陰陽師は言霊と契約に重きを置いているようです。血判でも押させ、盟約の書状を書かせるのがよろしいかと」
言葉と契約に重きを置いているならば、それで陰陽師の動きを封じるということか。まあまあな策と言いたいが、相手に書かせるのはまずかろう。今回は相手の願いを聞き入れる側なのだから。
「裏をかかれる危険がある。書状の内容は同胞達とも話し合いながらでも書く方いい。それよりも、貴方はこの人間達と手を組もうと思っているのか。此方に多少なりとも益が無ければ、此方は損害ばかりを負うことになるぞ」
長は悩ましげに顔をしかめる。決めることが容易でないからあやつらを此方に来させたのは知っているが、長自身に意見がなくては意味がない。お飾りのままになってしまう。長はしばらく悩んでいたが、口を開いた。
「……正直、我等に出来ることがあるか分かりませぬし、損害ばかりが多いように思えます。ですが、泰重殿の真剣な思いを受け止めて、力を貸したいと思ってしまいました。それに……此処で人間に恩を売っておけば、後々里が危機に見舞われ際に、手を貸せと問答無用で言えるかと」
感情論に任せただけのものかと思ったが、恩を売っておくという考えもあるとは。少しだけ感心する。
「恩か。天狗に貢献出来るほどの恩返しが陰陽師に出来るのか?」
「まずは泰重殿が従えるあの大蛇神の眷族。そして、此処にはいない十二天将です」
「…………は? どうして、十二天将がそこに出てくる」
十二天将は海の向こうの文献等で知っている。だがあれは異国の神であろう。紅月はともかく、何故十二天将が絡んでくる。我が唖然としていると、長が少し得意気な顔をした。
「泰重の先祖である安倍晴明が十二天将を式神にしたのですが、今も十二柱とも契約が継続しているようなのです。彼等を借り受ける機会が得られるかと」
確かに十二天将は強力な存在だと記されてはいる。まあ見ておらぬからどれだけの力量かは知らぬが。
「……我達に頼らずとも、十二天将に任せては良いのでは?」
「邪気と魑魅魍魎が沸く範囲が広すぎて十二天将の手に余る上に、全員が全員とも戦いに向いているという訳ではないそうです」
それならば仕方あるまいか。とはいえ、もし借り受けるとして天狗以上の力量が無ければ意味など無い。
「術師の器は式神の力量を左右すると聞く。盟約を結ぶかはさておき、天将数名と手合わせをして、その価値を証明させるとはどうだ」
手合わせという言葉に長は目を輝かせた。
「手合わせは良いですね。ですが、誰にいたします」
「そこは里の者達に意見を委ねよう」
我がしようと言いたいが、でしゃばると面倒な目に遭う。東雲も我と共に研鑽を積んだのだからあやつに任せたいところだが。皆血気盛んなので、誰にするか揉めそうだな。これからのことを考えると、暗い気持ちになるが、それと同時に十二天将という者がどのような姿と力量なのか、少し楽しみであった。
それから数日後、東雲がいつものように文を携えてきた。長であり母違いの弟からの文だ。どうせ同胞達の小競り合いだの、同胞が稚児との契りを結んだなどということだろうと予想しながら目を通す。だがそこには意外なことが書かれてあった。
「陰陽師が里へ訪れただと……?」
陰陽師とは人のくせに神や仏の術を自在に操る奇怪な術師のことである。昔、安倍のなんとやらの弟子が訪れたらしいが、我が幼い頃らしいので知らぬ。
当然、長も陰陽師などの扱いが分からぬそうで、長老達とも話を勧めるという。……そして、一度我の元で面会させたいがどうかとのこと。返答に困っていると、月夜が茶と梅干しを持ってきた。
「師匠、どうなさいましたか。悩んでいらっしゃいますように見受けられますが」
「ああ、ちょっとな。……今回ばかりはお前も読んでみた方がいいな」
月夜は受け取ると、無言で目を通す。読み終えると、月夜も困惑している様子であった。
「……陰陽師ですか。私もあまり良くは知りませんが、万が一父の知り合いであった場合は困りますね。もし陰陽師が訪問する場合は、私は隠れていましょうか」
「そうしてもらいたいが、うっかり顔を合わせてしまう場合がある。そこで、その日は我の予備の面を被ってもらいたい。まだ契りがすんでおらぬからな」
天狗の面には邪を払う力が込められている。陰陽師が面妖な術を使おうとも、簡単にはね除けてしまうので月夜の素顔が晒される危険はなかろう。頷いた月夜は嬉しそうな顔をした。
「師匠の面を被れるなんて夢のようです。ところで契りが済めば、面が頂けるのですか?」
「勿論だとも。里には彫り師がおるのでな、その時にはお前専用の物を彫ってもらうように手配済みだ」
天狗の面は彫り師がその者の性情を見抜いて作るのである。本来は1枚なのだが、何故だか今は亡き父が過保護にも我が幼い頃と元服時にそれぞれ2枚ずつ彫るように命じたなどという例外があったか。思い出して少ししんみりとした気持ちになる。
「我は彫ることは不得手だが、せめてお前の面の材料となる木を選ぼう。これから長い間付けるのだからお前の肌に合ったものが良いだろうな」
「師匠が選んでくださるものなら、私はどんな物でも嬉しいですよ」
月夜は無邪気に笑う。契りを結べば月夜の素顔を見る機会も減ってしまう。それがほんの少しだけ残念だ。風琴は寂しげに目を細めると、月夜の頬を撫でた。
数日が経ち、人間を此方に向かわせることが決まったようだ。本当は嫌だがやむなしと、了承の返事を書く。今日は里で鍛練の指導が無いのか、ごろんと寝転がる東雲に目を遣った。
「ところで此方に来る人間とはどんなやつだ。土御門という奴と、護衛のやつということは文で知ったが性格も教えろ」
「土御門は陰陽師の名門の家系だそうだ。年は月夜君と変わらないくらいのやつ。見目は良いが堅苦しい。あと護衛の男が何か……変というか恐ろしいというか」
「恐ろしいだと? 天狗が人間を恐ろしいなどと笑わせる。
そうじゃないと東雲は起き上がる。その顔には恐怖が浮かんでいた。
「紅月という男なんだけどな、見目は土御門よりも美しいんだよ。お前に勝るとも……いや流石に言いすぎか。でも引けをとらないぐらいには絶世の美人。それと中身が人じゃない気がする。瞳は曼珠沙華のような真っ赤だったし。長なんてあやつらの目の前では平静を保っていたけど、終わってから手の震えが止まらなかったらしいぞ」
長は我ほどではないが、胆が据わっている。そんな彼がそこまで怖がるとは。一抹の不安を覚える。
「ほう、面白い。是非とも会ってみたいものだ」
だが我が人間になんぞ怯える筈がない。この時ばかりはそう思っていた。
それから3日程か。長老どもの意見も一致し、我のところに例の2名を寄越すことになった。当日は朝から月夜が我の面を被ることになったのだが、緊張のあまり鼻血が止まらないという。仕方なく、面の鼻から下の部分を継ぎ目から外し、口元が触れやすくなった物を月夜に渡す。
「血が止まるまでは懐紙でも入れてから鼻を押さえて安静にしておれ。結界を張っておくから、じっとしていること。分かったな」
「はい……すみません」
ぱたぱたと鼻血を溢す辺り、しばらく止まりそうにない。不幸中の幸いは月夜が我の髪を結い上げた後であったことか。
「月夜、せっかくの機会だ。書物でも読んでゆっくりと休むが良い。ただし、書物を汚さぬように気をつけよ。分かったな」
「承知いたしました。……師匠、お気をつけて」
月夜は鼻を押さえながら見送る。ああと頷いて、月夜の部屋を後にした。
人間どもが来たのは巳の刻。東雲と他の者に駕籠で乗せられ運ばれてきた。降りてきた者の内若い方は酔ったのか顔が真っ青になっている。もう1人は飄々とした面持ちであった。若い方が土御門という輩で、飄々とした方が紅月という輩であったな。
土御門はそこそこに力のある陰陽師のようであるが……。護衛の紅月はぱっと見ただけでも美形に違いないが、底知れぬ何かがある。土御門は具合が悪そうなまま挨拶しようとしたので、制止した。
「挨拶は落ち着いてからで構わぬ。そこのおぬし、介抱してやれ」
「はっ。有り難き幸せ」
紅月の方は土御門を支える。ついてこいと、彼らに目配せしてから我の部屋に案内した。
部屋に着くと東雲に水を汲んでくるように命じて、二人を観察する。土御門は元服したての青二才の餓鬼である。顔は悪くないが、我の好みではない。霊力はそこそこある方か。
それと紅月の方は、見れば見るほど美形だ。白絹の肌に濡れ羽色の艶やかな髪。それだけならば我の物にしただろう。だが……。風琴は背筋に寒気を覚える。鮮血の赤き瞳と、その身から漏れる神気の如き凄烈な霊力は、紅月が人の器を得た化け物であることを風琴に確信させた。
土御門は顔色が落ち着くと、我に顔を向けた。
「名乗るのが遅くなり申し訳ございませぬ。私は安倍晴明が子孫、土御門泰重と申します。そして隣の者は、今回我が護衛として参りました紅月です」
紅月は軽く頭を下げる。霊力の割には傍若無人という訳ではなさそうだ。紅月に警戒しながら、風琴は会話を続けた。
「泰重と紅月か。して、天狗の里に用とはなんだ」
「こ……今回は父、久脩の名代で参りました次第。長殿には一度お渡し致しましたが、先代である貴方様に返答を伺うようにとのことでした」
先代と言っても我は数十年程度しか長を務めていない。むしろ先代と言えば父上なのだがなと思うが、口に出すのは無粋だ。両手で差し出されたそれを受け取ると、目を通す。人の文字は天狗のそれと多少形が違うので読むのに時間がかかった。
1度最後まで読んでから、見間違いかと読み返す。だが、我の見間違いでないと確信し、怒りと笑いが込み上げてきた。
「…………なあ、貴様等。これは何かの冗談か?」
「冗談ではございませぬ。我々は、貴殿方に手を貸して頂きたく、参上致しました」
怒りのあまり風琴は苛烈な妖力を漂わせる。顔が真っ青になった泰重に代わって答えたのは、紅月であった。
「何故、貴様等に手を貸さねばならぬ。戦乱で血で染め上げられた結果、魑魅魍魎が跋扈してしまった日之本を救うのに力を貸せだと? 貴様等人間の尻拭いではないか!」
長年争いを繰り広げてきたのは人間の自業自得だ。風琴は怒りのあまり、紅月と泰重を睨む。紅月は涼しげな表情で風琴を見据えるだけであった。
「確かにそう思われましょうな。ええ、尻拭いですとも。某も流石にどうかと思いますが、日之本が滅んで困るのは貴殿方もでは?」
「我等は我等の領分を守る。何故、見境なく争いを繰り広げる人間どもを救わねばならぬのだ。救ったとして、貴様等が刃を此方に向けぬ保証が何処にある!」
風琴は激昂し抜刀すると、紅月の喉笛に剣先を向ける。
「心中お察し申し上げる。某は本来、玻璃野の若殿に仕える身。日之本を救うという重き責任は負いたくはござらぬ。それに某は頭領として、赤の他人の為に里の者達の大切な命が散る危険を侵さねばならぬことに対し、甚だ疑問を抱いておりまする」
紅月も人を率いる存在であるのか。それまでの飄々とした顔つきは失せ、赤き眼が真剣な眼差しで見据えてくる。似た感情を持っているのにどうして、土御門どもの提案を止めぬのか。まさか、泰重の味方が此処には居ない状況で謀反を侵すのではあるまいな。
「紅月殿!? まさか今更手を切るなど仰らないですよね!?」
泰重も同じことを思ったのか、蒼白な表情で紅月を見る。紅月は溜め息をついて首を横に振った。
「某が貴方に偽りを申して、何の得がありますのやら。謀反など致しませぬよ」
紅月は泰重から此方に視線を戻す。この赤い瞳を見るだけで、不快な寒気が背筋に走る。
「血で血を洗う権力者どもが死ぬのは大いに結構。ですが現実は、日々を懸命に生きる民の命ばかりが散るのです。特にか弱き童達が命を落としております。戦乱に巻き込まれた孤児を我が子同然に慈しむ貴方様に、それが理解出来ぬ道理がございませぬ」
「っ……」
風琴は舌打ちをする。里の者どもの誰かが、月夜のことを話したな。このような揺さぶりになど動じたくない。……動じたくないが、脳裏に浮かぶは枯れ木のように痩せ細った出会ったばかりの月夜の姿。
だが、里の同胞達を危険に侵すような真似が出来るわけがない。風琴は剣を下ろしたが、柄を強く握りしめていた。
「わ……私からもお願いいたします。どうかお力を貸して頂けないでしょうか」
紅月の横でただ見ていることしか出来なかった泰重が頭を下げる。
「私の父は先の関白によって尾張に流され、私もそこで数年過ごしました。庶民と接する機会がございましたが、とても温かな人達ばかりなのです。現在、妖が日之本中を食い荒らしておりますが、紅月が申した通り、犠牲になるのは身分と財に胡座をかいたものでなく、無辜の民なのです。顔見知りの者も数えきれぬ程亡くなりました。助けたくても限界がある。何度も自分の無力さに打ちのめされてきました。……ですが、もう諦めたくないのです」
泰重の顔からぱたぱたと雫が零れる。ただの青二才かと思いきや、我の前でここまで主張できるとは。萌葱色の瞳が軽く見開く。風琴は溜め息をつくと、剣を鞘にしまった。
「東雲、此方に来い」
「はっ」
客人の前ではきちんと従者面をして東雲が部屋に入る。東雲は片膝をついて、我に頭を垂れた。
「後で長に此処に来るように伝えよ。それと客人達は空き部屋にでも案内せよ」
「承知」
東雲はそう言ったものの、風琴の耳に囁いた。
「月夜君はどうする? 厠ぐらいはいかせないとまずいのでは」
「すぐに我が月夜の様子を見に行くから心配するな。おぬしは客人を見張っていろ」
東雲は頷くと、泰重と紅月を他の部屋に連れていく。紅月が部屋を出る直前、一瞬だけ目が合った。
紅月が去った後、風琴は大きく溜め息をつく。
「あの大蛇神の化身……。あやつだけで対処できぬ事態とは何だ」
赤い瞳は、断ればただでは済まぬと言っていた。あやつは神の化身ということもあり、数がいくら集まれど魑魅魍魎など敵にもならぬだろう。
だが、あやつが土御門の配下となり、天狗にまで頭を下げねばならぬ事態。そこまで危うい状態に至る程、この日之本はまずいのか。考えただけで肌が粟立った。
一旦、荒れた気持ちを落ち着かせるために月夜の部屋に入る。月夜は言われた通りに面を被り、側には書が積まれてあった。
「師匠、お疲れ様です。何やら疲れた御様子ですが、いかがいたしましたか」
「ああ、色々あってな。……お前にも関係しかねないから詳細は今晩話す」
色々あってと済まそうとしたら、月夜の口元が少し不機嫌そうだったので、すぐに付け加える。月夜の機嫌が治ったのを確認すると、鬱陶しい己の面を取り、月夜が被っている面も取った。
「月夜、厠に行かなくて大丈夫だったか」
「大丈夫ですよ。お客様が来られる前に、一度行きましたし」
月夜が微笑んだが、やがて不安そうに目を伏せる。元気の無さそうな顔がどうも気になる。
「月夜、どうしたのか」
月夜は言うか迷っているようであったが、恐る恐る口を開いた。
「お客様が来られてからどうも背筋に寒気が走るのです。師匠……人間の方達に曲者でも混ざっているのでは」
紅月のことか。あやつがどうして人間として振る舞っているのか不思議なくらいだ。月夜を安心させるため、風琴は頭を撫でる。
「客人に少々厄介な者がおってな、奴の気配を感じ取ったのであろうよ。大丈夫だ。我がお前を守るから」
「いえ、守られてばかりでは弟子として務まりません。私が師匠を守れるように頑張ります」
ほう。昔は我に守られる側だったのに、言うようになったじゃないか。思わず笑みが溢れる。
「たわけ、お前は半人前だ。我から一本取れるようになってから言え」
風琴は月夜の気持ちを素直に感謝を告げぬ代わり、額に軽く口づけた。
月夜は頬を赤く染めて額への口づけを受け入れる。我はどうなってもいい。だが同胞達とこの子だけは守らねば。この子が争いで傷つくようなことがあってはならない。風琴は強く月夜を抱き締める。月夜は驚いたようであったが、笑みを浮かべると目を閉じてされるがままになっていた。風琴が腕を下ろすと、月夜は目を開ける。
「師匠……貴方様と唇を重ねたいです」
「く……唇……!? まあ……そのくらいなら構わないが、どうして」
月夜は目を伏せて赤い頬を掻く。
「いやあ……何と言えば良いのでしょうね。どうしてもしたくなってしまって」
どうしてもしたくなったなど訳が分からぬ。もしや我の不安を無意識の内に察して、影響を受けたのか。もしそうだとしたら、我に責任がある。
「それでは説明になっておらぬぞ。……仕方ないな。ほら、照れておらず、さっさとしろ」
月夜の首に腕を回すと、眼前に顔を近づける。月夜は火が出かねない程に顔を赤くしていたが、己の唇を我の唇に重ねてきた。
「んんっ……」
柔らかい唇が当たったと思えば、隙間から舌が入り込んでくる。触れるばかりのかと思っていたが、ここまでするのか。素面だと此方も恥ずかしくて仕方ないのだが。風琴の頬まで赤くなる。
「ふ……んぅ……う……」
歯や上顎をなぞる舌がくすぐったくて堪らない。舌を絡められると、されるがままになるしかない。
「ん……はっ……あん……」
意識が真綿に包まれ、身を委ねる。いつまでもこうしていたい。恥ずかしいのにそう願ってしまう。どれくらい経った頃か。心地好さに眠りそうになってからようやく唇が離れた。
「はっ……あ……」
くらくらとして我は思わず月夜の胸に身を寄せて息を整える。そんな情けない我を月夜が黙って支えていた。
風琴が再び部屋を出ると、月夜は面を着ける。朝は面を着けることを考えただけで鼻血が止まらなくなっていたが、今ではすっかり止まっていた。
「師匠……」
口づけを終えた時の師匠は儚げに見えた。本当はそんなことなどない。師匠は強くしなやかな御方だ。矜持の高さも私には美点としか思えぬ。それなのに先ほど部屋に入ってきたときから、師匠がどこか泣きそうな気がしてしまった。
師匠が泣いたのを見たのは、私が抱いてしまったときぐらい。私以外が師匠を泣かせて良い筈がない。師匠が泣く顔が見たくなくて、口づけを所望した。私の予想通り、師匠は多少気が紛れたようだ。
部屋を出る頃にはいつもの師匠に戻っていた。一体、私が知らぬ間に何が起こっているのか。
分かっているのは、人間と話したことで師匠がああなってしまったこと。文にあったように天狗の里の長が師匠に人間達への判断を委ねたことぐらいか。
「……長と名乗るならば、判断なぞ自分ですれば良いのに」
月夜はぽつりと呟く。師匠は話したがらないが、師匠は天狗の里から若隠居として追いやられて此処に住んでいるようだ。師匠を追いやっておきながら判断を仰ぐとはこれ如何に。天狗達への苛立ちが募る。
師匠も隠居の身というからには、里のことなど気にしなくてもよいではないかと言いたくなってしまう。幼い頃に口に出したが、師匠は私を引き寄せてこう仰っていた。
『まだ小さきお前には分からぬであろうが、離れていても我は彼等が心配であるし、何かしら役に立ちたいと思ってしまうのだよ』
師匠の気持ちはいまだに変わっていないだろう。気高く冷たそうに見えて、情の深い貴方が私は大好きだ。全てを捧げたい。同じ時を歩みたい。
「師匠……お慕い申し上げております」
今晩どのような話を聞かされ、どのような判断を下されるのか分からない。それでも私は貴方についていく。それ以外の道などない。月夜は拳を握り締めた。
今晩は、月夜ではなく里から来た同胞によって料理が振る舞われた。月夜の安全の為でもあるが、やはり月夜の料理が食べたい。
いつもの面では顎の部分を外しても少し食べづらいので、妖力で烏面を編む。昼間は苛立ちやらで多少混乱していたが、月夜と口づけを交わしたお蔭で平常を保てそうだ。
「本当に贅沢なもてなしまでしてくださって何と礼をすればよいか」
「礼など要らぬ。貴様等の申し出は兎も角、過酷な山を乗り越えて里まで来た客人をもてなさないなど天狗の矜持が廃る」
仰々しく有り難き幸せなどと頭を下げる紅月に対し、泰重は緊張で箸があまり動いていない。
「小僧、無理して食べる必要などない」
「し……しかし、折角ご馳走を用意していただいたのですから……」
無理にでも食べようとする泰重を軽く睨んだ。
「無理に腹に流し込んで吐かれる方が迷惑だ。先に案内した部屋にでも帰っていろ。部屋の近くに同胞を配置しているから、腹が減ったら握り飯か湯漬けでも頼めば良い」
厄介な問題を持ち込んだとはいえ、こやつは月夜とさほど変わらぬ年頃だ。少々憐れでもある。妖力で威嚇すると、泰重は一度深く頭を下げて、部屋へと去っていった。それを見送っていた紅月は我の方に視線を戻す。
「申し訳ござませぬ。あの坊っちゃんは、貴族の出のせいか、貴方様程の妖力の持ち主とこう顔を合わせてじっくりと話すという機会がないのです」
「……貴様程の、大蛇神の傍に四六時中いるのにか」
紅月は赤い瞳を見開くと、にやりと笑みを浮かべる。
「流石、この辺りの天狗随一の力量を持つ風琴殿だ。霊力はまだしも、某を大蛇神の分御霊と見抜くとは」
寒気がするほどの艶やかな微笑。風琴が冷や汗をかきながら睨むと、紅月は膳の横にあった天狗酒を飲み始める。人には強い天狗の酒を水を飲むが如く飲む紅月。飲み込む度に動く喉は蛇が獲物を嚥下する姿を思い起こさせる。気づけば息継ぎなどせずあっという間に酒瓶一本飲み干していた。
「はあっ……」
紅月の唇からぽたりと雫が落ちた。酒が滴る唇をしなやかで骨張った指が拭う。紅月が再び此方に向けた表情は、人らしい笑みではなかった。
「貴方様が顔を面で隠すように、我も人らしい振る舞いで正体を隠しているのですよ」
紅月はうっそりと微笑む。他の者ならこの笑みに心を奪われたであろうが、我には人を取り殺す女郎蜘蛛にしか見えぬ。思わず柄に手をかけた。
「そんな怖い顔をしないでくださいよ。我は貴方様のことが気に入っているのですから」
「気に入っているだと? 貴様、何のつもりだ」
まさか無理矢理にでも我を式に下す訳ではあるまいな。こんな得体の知れない輩に頭など下げたくない。風琴は抑えていた妖力を解放した。
「ですから警戒などなさらなくても大丈夫ですってば。我はまだ天狗の中ではお若い貴方が隠居の身であるにも関わらず、長としての器と矜持、それに見合った妖力の持ち主であることに尊敬を抱いているのです。我は頭領としてはまだまだ若輩者ですので」
「世辞は止めろ。そのようなことは聞き飽きた」
皆、上辺で世辞を口にしながら我を追い出した。恨みなぞないが、あの子以外の言葉は耳障りでしかない。
「世辞ではないです。ただ我は貴方様程の御方がどうして長の座を降りたのかが知りたいだけですよ」
「降りたくて降りたわけではない。我はただ……っ」
苛立ちに任せて色々言いたくなったが、長の妖力を感じ取って口をつぐむ。我は盃の酒を飲むと、紅月を威圧した。
「たった今、長が来た。死にたくなければ今の発言はせぬように」
「分かっておりますよ。某も、まだ無駄死にはしたくないですから。ですが、話をなさりたい時はいつでもおいでくださいな」
人の表情に戻った紅月は、ただ上辺の微笑を浮かべた。
風琴は紅月が部屋に戻ったのを確認すると、普段の面に付け替えて部屋を出る。空に目を遣ると、供を数人連れた天狗の若者が此方に降り立つところであった。
ほんの少し胸が痛く、喉に魚の骨がつっかえたような気分になる。風琴は面の下で苦虫を噛んだ顔をすると、片膝を突いて頭を垂れた。
「先代、お久しゅうございます。お顔を上げてくださいな」
若者は風琴の目の前に降り立つ。風琴は視界に移る若者の足先を見ながら視線をゆっくりと上げた。
「長殿、わざわざご足労頂き感謝いたします。息災でございましたか」
「ええ……まあ……」
長の目が僅かに強張る。今更気になどしなくて良いのに、まだ引き摺っているようだ。我に頼るのは結構だが、上下関係はしっかりとしなければ同胞達もついていかんぞ。
「早速ですが、どうぞ此方に」
「ええ、ありがとうございます。……お前達は下がれ。用がある時以外は見張りに徹しろ」
部下に指図すると、我と共に部屋に入った。東雲が気を利かせて茶と菓子を用意すると部屋を出る。長に座るように促してから、音が洩れぬように結界を張る。向かい合って座ると、長はぎこちなく面を外した。
我ほどではないにしろ、美しい顔立ちに成長している。しかし若草色の泣きそうな双眸は昔と変わらない。長にならって我も面を外した。
「兄上、本当に申し訳ございません。人間などを招き入れたばかりに……」
「よりにもよって、人のふりをした大蛇が訪れるなんぞ前代未聞だ。ところで、あやつらの話は本当なのか」
長はええと頷き、茶を啜る。
「里の者に偵察に行かせましたが、山の結界を出たところで其処らじゅうから邪気を感じたとのこと。風を起こして進まなければままならぬ場所もあり、数名が体調を崩して帰還しました。その内2名が羽根を傷つけられ、這々の体で帰還いたしました」
天狗は他の天狗の里と交流する以外は、山から下ることがない。それ故、人界のことになると殆ど知らぬ。ましてやここ数十年は戦乱が酷かったのだ。天狗同士の交流も無い為、まさかそのような事態が起こっていることを察知出来なかった。
今は無事でも、これからの里の命運は長が握っているに他ならない。我が進言したとて、責任は長にある。人間の年頃で言えば、弟は泰重や月夜と変わらぬ。どうして若者ばかりに重荷を負わせるのか。風琴は眉間に皺を寄せた。
「それで、里の者達はどう考えている」
「偵察前は人間と手を組むものかという者が大半でしたが、偵察後は人間と組むべきという意見が半数以上になりました」
それはそうだろう。我達のような純粋な天狗と同じくらい、元人間の者は多くいるのだから。風琴は腕を組んだ。
「ただ、人間と組んだ後が問題だ。近頃の人間どもは上下関係を付けたがる。いや、人間以外を下にしたがるといえばいいか。特に陰陽師どもは人外を式にしたがる」
知り合いには術師の式になったものもいる。本人は好きだからやっているという風情であったが、今回は里の命運が懸かっている。慎重に見定めなければ。すると長は、それは心配ないかと茶器を置いた。
「陰陽師は言霊と契約に重きを置いているようです。血判でも押させ、盟約の書状を書かせるのがよろしいかと」
言葉と契約に重きを置いているならば、それで陰陽師の動きを封じるということか。まあまあな策と言いたいが、相手に書かせるのはまずかろう。今回は相手の願いを聞き入れる側なのだから。
「裏をかかれる危険がある。書状の内容は同胞達とも話し合いながらでも書く方いい。それよりも、貴方はこの人間達と手を組もうと思っているのか。此方に多少なりとも益が無ければ、此方は損害ばかりを負うことになるぞ」
長は悩ましげに顔をしかめる。決めることが容易でないからあやつらを此方に来させたのは知っているが、長自身に意見がなくては意味がない。お飾りのままになってしまう。長はしばらく悩んでいたが、口を開いた。
「……正直、我等に出来ることがあるか分かりませぬし、損害ばかりが多いように思えます。ですが、泰重殿の真剣な思いを受け止めて、力を貸したいと思ってしまいました。それに……此処で人間に恩を売っておけば、後々里が危機に見舞われ際に、手を貸せと問答無用で言えるかと」
感情論に任せただけのものかと思ったが、恩を売っておくという考えもあるとは。少しだけ感心する。
「恩か。天狗に貢献出来るほどの恩返しが陰陽師に出来るのか?」
「まずは泰重殿が従えるあの大蛇神の眷族。そして、此処にはいない十二天将です」
「…………は? どうして、十二天将がそこに出てくる」
十二天将は海の向こうの文献等で知っている。だがあれは異国の神であろう。紅月はともかく、何故十二天将が絡んでくる。我が唖然としていると、長が少し得意気な顔をした。
「泰重の先祖である安倍晴明が十二天将を式神にしたのですが、今も十二柱とも契約が継続しているようなのです。彼等を借り受ける機会が得られるかと」
確かに十二天将は強力な存在だと記されてはいる。まあ見ておらぬからどれだけの力量かは知らぬが。
「……我達に頼らずとも、十二天将に任せては良いのでは?」
「邪気と魑魅魍魎が沸く範囲が広すぎて十二天将の手に余る上に、全員が全員とも戦いに向いているという訳ではないそうです」
それならば仕方あるまいか。とはいえ、もし借り受けるとして天狗以上の力量が無ければ意味など無い。
「術師の器は式神の力量を左右すると聞く。盟約を結ぶかはさておき、天将数名と手合わせをして、その価値を証明させるとはどうだ」
手合わせという言葉に長は目を輝かせた。
「手合わせは良いですね。ですが、誰にいたします」
「そこは里の者達に意見を委ねよう」
我がしようと言いたいが、でしゃばると面倒な目に遭う。東雲も我と共に研鑽を積んだのだからあやつに任せたいところだが。皆血気盛んなので、誰にするか揉めそうだな。これからのことを考えると、暗い気持ちになるが、それと同時に十二天将という者がどのような姿と力量なのか、少し楽しみであった。
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