気高き翼に手を伸ばす

幽月 篠

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戦準備 其の壱

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お前は成長しているというのに、我はお前を巣から出したくないと思ってしまうのだ


 何はともあれ、勝ったのは事実。約束をどうこう出来るものではない。だが風琴は複雑な気分でいた。
 というのも、戦場は危険が付き物。月夜を危険に晒したくないが、大蛇神に実力で買ってしまったのだ。戦場に出さざるを得なくなってしまったのは、正直に言って嬉しくないのである。
 それに、急に編成に組んでしまえば七光り扱いされる可能性もある。どうすればいい。今回の戦の編成の名簿を見ている内に、風琴は瞼が重たくなってきた。
 そういえば、紅月が泣き止むまでに半刻かかり、その後で情交をしたのだ。さらにその後に長の相談に乗って1刻しか寝ていない。はっきり言って、寝不足だ。
 今日は話し合いは休みだし、東雲や松風が同胞達の指導にあたるので、寝てしまおうか。風琴は面を取ると、その場でごろんと横になった。

「主……我が主、大丈夫か」

 知らぬ男の声が聞こえて風琴は目を開ける。頭上には白い長髪の男が我を見下ろしていた。風琴は男の膝を枕にしていたことに気づき、飛び起きた。

「なっ……うわああ!? 誰だ貴様は!」
「貴様とは冷たいなあ。俺は貴方に肌身離れずお守りしているというのに」

 肩を落として落ち込む男に風琴は剣を向けようとする。だが、腰に差している筈の剣が無かった。まさか……。風琴が己の腰と男を交互に見ると、男はにやりと笑う。

「そうですよ我が主、風琴様。俺は貴方の剣です」

 剣に魂が籠るとは本当だったのか。どうして出てきた。まさか投げたことに怒っているのか。

「いや……この度は投げてしまってすまなかった」
「まさか投げて渡すとはね。まあそれは良いんですよ。今日はお願いがあって」

 剣は我の手首を握ると、我を引き寄せた。

「いくら主とはいえ、あの小僧に下賜なんてしないでよ。俺の主は貴方だけ。貴方を独り占めしようとする小僧なんぞの物になりたくない」

 夢の中とはいえ、こやつの腕から離れることが出来ない。まさか人の形をとってまで我の考えを拒絶するとは。風琴は剣の忠誠心に困惑するしかなかった。

「お前……もしや嫉妬しているのか?」

 するとみるみる剣の顔が赤く染まった。

「はあ!? 嫉妬ではないですよ! ただ俺の方が貴方といる時間が長いのに、ぽっと出の小僧に下げられるのが嫌なだけです!」

 必死に誤魔化そうとする様が愛らしい。そんな感情を抱いてしまうのは、長年所有していた故の愛着なのだろうか。

「もし、それでも渡すと言ったらどうする?」
「貴方が意見を変えるまで、貴方に乱暴します」

 腕の力は強いが、こやつが本当に出来るかは別問題。怯えたような金色の目は我と合わないし、我の腕を掴む手が震えている。

「出来る筈もないのに言うな。お前の言い分は分かった。月夜には別の剣をやろう」
「やろうと思えば出来ますよ! ……はあ、でも良かった。あんまりそういうことしたくはないですから」

 ほっと胸を撫で下ろす剣を見て、風琴は笑いそうになるのを必死に堪える。我が月夜に下げ渡そうものなら、狼藉を働く覚悟はしていたのに、いざ口にしてみれば怯えを隠せぬと来た。ころころと表情が変わるさまが、月夜を思い出してしまう。

「それで、他に言いたいことでもあるか」
「そうでした。貴方の悩みに助言出来ればと思い夢に出てきたんです」

 悩みというのは月夜を編成のどこに組むかということか。剣とあらば、戦場のことには詳しかろうと、耳を傾けることにする。

「あの小僧は、陰陽師の土御門の連絡役や霊符の運搬役とするのは如何でしょうか」
「連絡役ときたか。だが、そちらの方が敵に狙われるのではないか」
「あの小僧は大蛇神のあぎとも軽々と避けたんですよ。戦場に出るまでの間、主が十分に妖力を与えれば大丈夫」

 確かにそれは言える。だが、念のために長が推薦する若人の天狗を同行させた方が良いだろう。我が頷くと、剣はにっこりと笑った。

「むしろ俺は主が心配なんです。だから貴方を守らせてくださいな」

 剣はそっと我の手を握ると、手の甲に口づけをする。唇ではないからいいが、何だかくすぐったい。

「お前を剣と呼ぶのは流石に雑であろう。近い内にお前の名前を考えておく」

 名前と聞いた途端、剣の顔が曇り空から日差しが差し込んだように明るくなった。

「本当ですか!? 嬉しいなあ。では楽しみに待ってますね」

 剣は笑うと、我を抱き締めた。しかし月夜といいこの剣といい、どうして我よりも体つきが良いのか。この野郎と悪態をつきたくなったが、剣の腕の中で瞼が重くなった。



 風琴が目覚めると、剣は寝る前と同じように自分の横にあった。風琴はそっと剣の鞘を撫でる。

「お前がそこまで我に忠義を誓っているとは思わなんだ。すまぬな。月夜が心配なあまり、渡そうなどと考えてしまって」

 そうですよと言うように剣が淡い光を放つ。風琴はふふっと笑うと、剣の手入れを始めた。
 剣の助言であることは伏せつつ長に月夜を運搬兼連絡役として使うことを提案してみると、長は悩みつつも頷いてくれた。

「問題は誰を同行させるかですね。あ、涼太はどうです」
「涼太? 誰だそれは」

 聞き慣れない名前に風琴は首を傾げる。するとご存知無いのですかと長は、驚いた様子であった。

「お弟子さんが助けた天狗ですよ。片足を失っておりますから、戦場には出ぬようにと言っているのですが、どうしても出たいと言って聞かないのです」
「あやつは腕が立つのか」

 天狗は翼があるのだから片足が無くてもあまり支障が無い。ただ最前線を任せるには心もとないか。問題は、そやつにどれだけの力量があるかである。

「ええ、松風の次くらいには」

 松風の腕前の次くらいならばそこそこ及第点と言ったところか。月夜にとっても悪くない人選なのだろう。だが気になることが一つだけある。

「涼太と契りを交わした同胞は、戦場へ行くことを認めているのか」
「最初は認めておりませんでしたが、最終的には長やご隠居が認めたら行っても良いと折れましたね」

 それはそうだろう。我がそやつの立場であれば、同じことをしかねない。

「ところで、涼太の契りの相手とは誰なんだ。我が知らないということは、我が隠居の身となった後であろう」
「そうですね。それと相手ですが、ご隠居には言ってくれるなと言われましたんで申し訳ございません。ただ、母の派閥ではないのでご安心を」

 そんなことを言うとは誰なんだ。東雲かと思ったが、あやつは間違いなく無垢だ。記憶を手繰っていくと、今まで忘れていた人物を思い出した。

 次の日、風琴は涼太の契り相手のことのついて東雲に聞いてみることにした。

「涼太の師匠とやらは、瑞煙ずいえんだろう」

 直球で聞いたせいか、東雲は飲んでいた茶を噴き出す。気管に入って咳き込む東雲の背を擦ってやると、東雲はようやく落ち着く。

「根拠は?」
「我に弟子を取っていると知られたくないが、義母に与していない奴なぞあやつ以外に思い当たらぬ」

 東雲の瑞煙は東雲の従兄弟で我よりも少し年下である。東雲は幼い頃から我に仕えていたが、我に兄同然の東雲を取られたと言って、数えきれぬ程我に嫌がらせをしてきた。我が母を喪って東雲の家に居候した当初は、我の変わりように酷く驚いていたが、共に鍛練を積み殴り合いの喧嘩などする内に気づけば友のように話せることが出来た。我が長になった同時期に、「お前の側近として相応しい天狗になって帰ってくる」などと言って里を飛び出したが、奴が帰ってきたのは我が隠居の身になってから。あやつが里を飛び出して以降は一切会っていない。

「まあ誰かとは明言しませんけど、涼太の師匠は無駄に義理堅く、御隠居が窮地の時にお助け出来なかったことを悔いて、顔を出さないだけだから。嫌いになったとかのご心配には及ばず」
「それは良かった。……待てよ、あやつもまさか女役なのでは」

 我が思い当たると、確かにと東雲はああと手を叩いた。

「どうだろう。……弟子には甘いから可能性はなきにしもあらずかな。御隠居に勝るとも劣らない矜持の持ち主だから一切言いたがらないけどね」

 本人に聞いたら、絶対に怒るだろうな。風琴は思わず苦笑いをする。女役や男役などの下世話な話は置いといて、瑞煙の弟子ならば騙し討ちの心配はせずに預けられるので、風琴はほっと胸を撫で下ろした。
 その夜に月夜に戦場での役割を伝えたところ、納得はしていない様子であったが渋々頷いた。

「運搬や連絡役自体には不満はございません。ですが貴方をお守りできないのが不安で仕方がないのです」

 我を心配してくれるのはありがたいが、お前が心配なんだが。風琴は月夜の頭を撫でた。

「お前の役割は隊の命綱同然だ。それに我の心配をしてくれるのは嬉しいが、役割を全うできるように励んで欲しい」

 もし義母の企みでお前を人質にされたら、我はなす術もないのだ。だからなるべく天狗達と関わらないのが我らにとっての最善。それが伝わったのか、泣きそうになりながらも月夜は首を縦に振った。

「ええ、師匠の一番弟子としてお役目を全うしましょう」

 月夜が納得してくれたようで何よりだ。風琴が良い子だと手を広げると、月夜は風琴の腕の中に飛び込むように押し倒す。そしてまた2人だけの甘い夜が更けていった。
 月夜に我の剣を渡すことが不可能となった為、代わりに元々作っておいた方の剣を渡すことにした。此方は我の剣を鍛えた鍛冶の者の息子の力作である。どの派閥にも属していないとはいえ、軽く確認してみる。剣には一切のひび割れは無く、我の剣にも劣らぬ出来映えだ。

「これを私が……よろしいのですか?」
「遠慮などいらん。試しに抜いてみろ」

 月夜は恐る恐る抜く。剣は一瞬だけ淡い光を放った。我の時もそうであったから、剣が月夜を認めたということであろうか。

「妖力を通しても違和感が無ければ、真にそれがお前の剣となる」

 やってみますと月夜は両手で掲げるように剣を持って目を瞑る。失敗すれば妖力の火花が散って火傷を負ってしまうらしいが。風琴が見守っていると、剣は不穏な気配を見せることはなかった。代わりに、薄衣の如く妖力を纏う。

「その様子だと成功したようだな。どうだ、木刀よりもすんなり通るだろう」
「はい……! 元々私の物であったかのようにしっくりと手に収まります」

 それは何よりだ。月夜は物を粗雑に扱う気性ではないから、剣もきっと月夜に応えてくれるだろう。月夜は安堵して剣を鞘へと戻す。

「これからは剣を使った鍛練もすべきだが、一番は剣の手入れだな。手入れ用の道具はお前の分も用意したから大切に扱えよ」
「お心遣い痛み入ります。そういえば……もうすぐ来られるのですか」
「ああ、そうだったな。お前は初めて会うのだったな。あやつは気性はそこまで悪くないから安心せよ」

 とは言え、我以外に素顔を見られるのはあまり嬉しくないのだろう。月夜は不安げな表情をしていた。
 それから半刻後に面彫りの天狗がやってきた。男の成りをしているが、女性の天狗である。こやつは仕事が細やかで面の肌触りが良いと評判であった。

「御隠居、お久しゅうございます」
「久しいな。前に文を出した通り、こやつの面を作ってもらいたい」

 面彫りは月夜に視線を向けると、軽く頭を下げる。

「お初にお目にかかる。私は霞。里の面彫りの一人だ。さて月夜殿。お顔を拝借してもよろしいかな」
「え……ええ。よろしくお願いいたします」

 月夜は面をゆっくりと取る。霞は目を細めると、しなやかな指で月夜の顔に触れた。

 天狗の顔をこうも触れられるのは身内と面彫りくらいではなかろうか。元服前に触れられた時は恥ずかしかったなあ。風琴は霞に触れられる月夜の様子にしみじみとする。

「やはり整った若人の顔は良いものですなあ。魂の色も清らかで若々しい」
「そ……そうですかね……」

 異性に触れられるのは気恥ずかしいのだろう。月夜は頬を赤くして目を伏せている。

「我が弟子に選んだのだから当然だ。霞、あまり月夜を照れさせるな。恥ずかしがっているだろうが」
「それの何が悪いのです? 美しいものは愛でて褒めることでより磨きがかかるのですよ」

 霞は我に目もくれず、指でそっと顔全体を写しとるが如く触れていく。顔を粘土に突っ込ませれば簡単に顔の型を取れるだろう。
 昔の我はそう思ったことがあったが、指で直に触れることで良い面が出来るのだという。霞は四半刻後に腕を下ろすと、何やら面に関しての簡単な記録を付け始めた。

「ところで御隠居、材質は何を使います?」
「そこに檜が生えているだろう。肌に触れることを考えるとそれが良い。それに霊脈の上に生えているのでな」

 庭にひょいと降り立った霞は傍の檜を見上げた。

「確かにあれは良い面となりましょう。では御隠居、木霊を鎮めてくださいませ」

 面選びは、長の家系が同伴して木霊を鎮めさせる必要がある。我は用意していた御神酒と塩を備え、祝詞を唱える。そして幹に触れると、清らかな波動が伝わってきた。

『あの子供の為の面を作るのだろう。どうぞ私を使って構わない。ただし、切り口が痛まぬように頼むよ』
『かたじけない。切り口は我の妖力で保護しよう』

 月夜の成長を見守っていたからか、木霊はすんなりと許可してくれた。霞は前に出て木に一礼すると、鋭い妖力で切った。
 面が完成するには、まず木材を乾かす必要があるから1年程かかる。戦の間は、このまま我の予備の面を着けさせればいいと思っていたが、霞に叱られた。

「まったく、御隠居ってば時間に関心が無いのですから。予備の面のままでは支障が出ます。それに妖力で編んだ面では妖力が枯渇した際がまずいです。報酬は香の物1ヶ月分で良いですから、私の倉にある木材で仮の物を作りましょう」
「香の物1ヶ月分だと!? 霞、貴様どこで我の漬け物のことを訊いた!?」

 霞はふふんと笑い、厨の方に視線を向けた。

「東雲さんが美味しそうに御隠居の漬け物を食べておられましたので、少しつまみ食いをしました。いやあ、御隠居は漬けるのがお上手ですなあ。女の私が嫉妬してしまう程ですよ」

 せっかく忙しい合間も様子を見ては、調合を変えて楽しんでいたというのに。風琴は悔しげに奥歯を噛む。

「仕方ない……。くれてやるから作ってやってくれ」
「承知いたしました。では、今持ち帰ってもよろしいでしょうか」

 前払いをしろときたか。……まあいい。こやつは仕事は最後まで責任を持つ奴だ。風琴は一ヶ月分の漬け物を与えるために、厨に向かった。
 霞を見送った後、風琴は面を外して俯せになった。剣を渡し、面を作る準備は整った。後は、戦への準備を進めるだけか。

「月夜、今までの座学で教えてやったが、日ノ本の地形や風図は分かるな」
「はい。師匠から教えて頂いたことは余さず覚えております」

 優秀な弟子を持ったと風琴は笑う。天狗は翼で自在に飛べる。だが、気流を覚えていないと最悪の場合流されて死ぬことがある。
 その為、風の流れの地図こと風図は下界に降りる際にしっかりと頭に叩き込まねばならない。覚えていると自信を持って言えるようなら大丈夫であろう。

「では明後日、紅月、六合殿と一旦山を下れ。土御門の邸にて話があるそうだ」

 月夜はこれ以上無いほど両目を大きく見開いた。

「ですが師匠……外は危険なのでは」
「安心しろ。我が先に見てきてやる。明日には我も数名供を連れて、京に行く必要があるのでな」

 本来なら我はまだ下界に降りる必要などない。だが戦まではもう少し時間があるので、下見がてらに下界を見ておきたいのだ。里の為だけではなく月夜の為にも。だが月夜の顔から心配そうな表情が消えない。

「何を心配する必要がある? お前が以前助けた天狗も同行するのだぞ」
「いえ……その……師匠と離れるのが不安で」

 立派になったと思ったが、まだまだ寂しがりやだな。風琴は苦笑するしかない。

「では、我の髪飾りとお前の髪紐を交換しよう。それがあれば互いに何かあった時に届く」

 暗かった表情が一気に明るくなる。こんな些細なことで喜ぶとは、嬉しいものだ。風琴はすぐに髪飾りのひとつを取った。

「ですがよろしいのですか。翡翠で作られた飾りですよね」
「構わぬ。ただし、お前だから渡すのだ。大切に扱ってくれ」

 月夜は首がもげそうな程首を縦に振った。

「おいおい、それでは首を痛めてしまうぞ。せっかくなら、この場で着けようか」
「はい……!」

 即答するとはよほど嬉しいのだな。風琴は櫛を手に取ると、月夜の背後に回る。月夜の髪は長さを揃えるくらいで殆ど手を加えていない。
 髪は思ったよりも指通しが良く、日に照らされると赤が混じったように見える。戦を終えたら、ちゃんと大人らしい髪型に整えてやるべきだな。風琴は器用に結っていくと、目立つ箇所に己の髪飾りを着けた。

「終わったぞ。次は我の髪を結ってくれ」

 月夜は頷いて、いつものように結っていく。その途中で、例の箇所に気づいた。

「師匠、もしや多めに与えられました?」
「ああ。どうせ髪は伸びるのでな」

 きっと月夜は申し訳なさそうな顔をしているだろう。だが我が与えたくて多めに切って渡しただけ。月夜が気にする必要などない。

「申し訳ないと思う暇があるなら、戦場で生き抜けるように鍛練を必死に励め。分かったな」
「はい……」

 月夜は小さく返事をすると、切った箇所が目立たぬように結い上げていった。
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