気高き翼に手を伸ばす

幽月 篠

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空を駆けるか、地で待つか

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自分の保身など考えたくもない


 とうとう1ヶ月が経過した。話し合いも何とか長と取り纏め戦への準備をし、半月後に我が筆頭として率いることになる。最近では1日おきに戦える者達の指導などを凩達と共に行っていたので、多少は平和呆けが抜けていると思う。ただ心配なのは実戦で慌てずに臨機応変に対応できるかということ。
 数人程、我に不満を抱いている者がいるようで、鍛練中にうっかりと嘯いて我の首や脳天を刃で狙いに来た者がいた。腕の骨をへし折ってやろうかと思ったが、関節を固めて殺気を浴びせたらすぐ大人しくなった。
 またある時は、休憩の際に渡された水に毒が混入されていたので、守り神の力を少しだけお借りして稲妻を叩きつけた。
 本当はそんなことなどしたくもないが、やられたら徹底的に叩きのめさなくてはならない。そうしなければ、殺されることをよく知っている。
 原因である義母を討たなければ、意味など無い。だがそんなことをすれば長である義弟が悲しむであろう。あやつを悲しませたくないので、小手先程度の抵抗しか出来ないのが現実である。
 そんなことを悩んでいる我の心の内を知らないであろう長は、我の隣で笑みを作っていた。

「いよいよ、ご隠居のお弟子殿の手合わせの日ですか。それにしても、よくあんなことを許しましたね」

 紅月との手合わせの件を話したら、長はすぐに反対した。それは当然であろう。生まれながらの我はともかく、天狗になって1年も経たぬ者を実戦に出すなど殆ど無い。
 それに、あまり面識もないのに長は月夜のことを気にかけてくれていたのである。今は長が忙しいが、日を改めて対面させてやりたい。

「手加減無しの蛇神の奴を相手に出来れば、戦に出しても恥ずかしくは無いだろう。あやつ、今度主君から『紅原』という名字を賜る程、鬼との戦場での武勲を立てている」
「紅原? それは瞳から取ったのでしょうか」
「いや。……国境での防衛戦で、奴が斬った鬼の血で野原が真っ赤に染め上がった光景が美しかったので『紅原』らしい。『玻璃野』の主君というのに、玻璃が血で染まって喜ぶとは変わり者よなあ」
「え、ええ。………最近の人間というものは恐ろしいですね」

 長の声が恐怖が混じっているせいか、長の引きつった顔が目に見えるようだった。
 此度の手合わせで我以外の観客は長、東雲、そして六合殿の3名のみ。それ以外は審判役の松風だけである。
 下手に観客が多いと野次を飛ばしてくる輩なぞいるだろう。その場合、我がうっかり蹴り飛ばすかもしれないので、人払いをしてもらったのである。手合わせの場所は前回と同じ我の部屋の前。
 爆風が起きてもいいように、風の結界で周囲を囲んでいる。二人とも準備が出来たようなので、松風が片手を上げた。いよいよ始まるのか。風琴はごくりと生唾を飲み込んだ。

「いざ尋常に……勝負!」

 凛とした合図の声とともに二人が駆け出す。前回と違って紅月は呪符を投げる。炎の編みと化した呪符が月夜に覆い被さろうとするが月夜はそれを妖力を注いだ木刀で真っ二つにする。
 そして後方に飛ぶと、先程まで月夜の居た位置に紅月の刀が弧を描いた。そこに月夜急接近して木刀を振り下ろすが紙一重で紅月が避ける。両者一歩も譲らぬ戦いぶり。刀だけでなく妖気と霊気がぶつかり合って、火花が周囲に舞っている。
 明らかに俊敏になった月夜の成長ぶりに、風琴は困惑しつつも喜びを隠せなかった。たった1ヶ月でこうも変わるものなのか。いや……我が長年教えてきた型は変わっていない。ただ、教えてきた型を状況で瞬時に応用し、妖力も巧みに使いこなせているようになっているのだ。以前は煽るように軽口を叩いていた紅月であったが、今回は一切何も言わない。
 月夜が振り下ろした木刀を紅月が受け止め、受け流そうとしたその時、何かがひび割れる音がした。紅月は今までに無いほど、両目を大きく見開くと、刀をその場に置いて後方に下がる。まさかと思い風琴がその置かれた刀を見ると、大きな亀裂が入っていた。
 紅月は無言で月夜を睨みつける。紅月の奴、怒っているな。紅月の周囲では陽炎の如く霊気が揺らめいている。嫌な予感がして、風琴は袖の下で印を組むと、紅月の瞳が大蛇の如く輝く。そして一気に紅月の身体から神気が噴き出した。

「これはまずい……!」

 傍にいた六合殿は顔を青ざめさせ、刀の柄に手をかけている。天将が動揺する程とは、紅月の元の神はやはり危険な存在なのではないか。風琴の心の臓は早鐘を打っていた。

 よっぽど紅月にとって、あの刀は大切な物だったのだろう。命にすら執着を見せぬ男が、怒りを露にしている。紅月は苦無を素早く投擲するだけで、雷の如き轟音が耳につんざく。苦無の軌跡は炎の鮮やかさ。月夜は地を蹴って妖気の翼を生成し、宙に逃げながら妖気の風で神気を弾き落とす。

「喰らいつけ」

 地を這う低い声がしたかと思うと、紅月の身体から噴き出る妖力が赤い大蛇の形となって宙にいる月夜を追いかける。
 月夜は巧みに宙を飛び回り、紙一重で避け続ける。追いつかれそうになった時は木刀を振るって迎撃するが、その度に木の軋む音が聞こえる。
 天狗の目でようやく分かる程度だが、こちらも少しずつヒビが入っている。月夜は距離を詰めようとしているが中々詰められず、紅月は際限なく神気を溢れさせていた。このままでは双方とも危険なのでは。風琴は雷を落とすべく、祝詞を唱えようとする。

「師匠! 剣をお貸しください!」

 祝詞を遮られ風琴が月夜を見ると、月夜は我に目で必死に訴えかけていた。今の状況に恐怖は隠しきれずにいる。無理もない。今の紅月はいつもの演技ではなく、純粋な殺気と怒りを向けているのだ。
 しかし、今の月夜は怯えで硬直などしていない。いや、出来ないと言うべきか。風琴が剣を鞘ごと腰から抜くと同時に、木刀が真っ二つになる。もう迷っている暇はない。

「どうか……二人を守ってくれ……」

 風琴が剣に願うと、剣は応えるように淡い光を放った。風琴が勢い良く投擲すると、剣は翼が生えたが如く一直線に月夜に向かう。月夜が剣に手を伸ばすと、剣の柄が吸い込まれたように月夜の手の中に収まった。
 月夜が剣を赤き大蛇に振るうと、ほどけるように神気が消滅している。紅月が神気の大蛇を再生するが、斬られる早さに追いついていない。
 紅月は高く跳躍して短刀で月夜を狙う。だが月夜は怯える様子もなく、我の剣でそれを受け止めた。妖力と神気がひときわ激しくぶつかる。あまりの衝撃のせいか風琴の視界が白い光に覆われた。
 視界が明瞭になると、立っている者と倒れている者が見えてきた。立っているのは月夜で、倒れているのは紅月である。月夜の手の中にある剣は鞘に入ったまま。我が駆け寄る前に、六合殿が音もなく紅月を抱き抱える。

「外傷による出血はございませんが、過剰な神気の放出による負担で血を吐いています。長殿、申し訳ありませぬが、薬師を呼んでいただけると助かります」
「あ、ああ……。分かりました」

 長は困惑しつつも、薬師を呼びに行った。月夜は無事な様子で安堵しているが、紅月が心配である。

「月夜、大丈夫だったか」
「はい、大丈夫です。それよりも紅月殿が……」

 大丈夫と言っているが髪や翼が焦げており、神気の衝撃で衣が裂けて腕や足の皮膚が裂けている。強がっているのか、戦闘の昂りで痛みに気づいていないのかのどちらかであろう。

「神気が暴走しておったから、身体に負担が掛かっていたのだろう。魂の光は消えかかっている訳でもないので命に別状はないが、処置は早めにした方がいいな」

 風琴は六合の腕の中で目を瞑る紅月の頭に手を翳すと、小声で呪を呟いた。六合殿は我と紅月を交互に見る。我が悪意が無いのを瞬時に悟り、無言で見守っていた。

「風琴殿、今のは縛魔の術ですか」
「似たような物だな。これ以上人の器に負担がかからぬように神気を抑えたまでよ。こやつ自体はあまり気に食わぬが、恩義がある上に報酬もやらねばならぬからな」

 微かに放たれていた神気が完全に止まったことで、紅月の呼吸が落ち着く。丹田の機能を封じたが、何とか効いたようだ。そこに薬師と共に長が此方に戻ってきたので、紅月を抱えた六合殿は彼等と紅月が寝泊まりしている部屋に共に移動する。

「東雲、念のために着いていってやれ」
「了解。風琴も月夜君の傍から離れないようにね」

 軽口を叩く東雲を見送ると、我らも部屋に戻る。人気が無いのを確認すると、風琴は月夜を引き寄せた。

「ああ……お前が無事でよかった……」

 震える声を繕うことなく、風琴は月夜を抱き締める。勝利などどうでもいい。あの状況で月夜が怪我をしつつも無事だったのが嬉しかった。

 紅月は日が暮れてから目を覚ました。容態はあまり芳しくないものの、起き上がれはするようだ。また頭に血が昇ると厄介なので、我だけで奴の顔を見に行った。

「風琴殿じゃないですか。……先程は申し訳ありませんでした」
「別に謝るな。ところで調子はどうだ」

 髪を下ろした紅月は、血の気があまりないせいか病人そのものに見える。病の床に着いた両親を思い出して、風琴はつきりと胸が痛んだ。

「数日休めば大丈夫です。それにしても月夜殿には申し訳ないことをいたしました」

 反省している様子の紅月に我は首を横に振った。

「気にするな。あやつもようやく、殺意を浴びても動けるようになったしな。……それよりも、あの刀。大切な物だったのだろう。手合わせとはいえ、此方も申し訳ないことをした」

 我が頭を下げると、紅月は目を軽く開く。苦笑して誤魔化そうとしたが、ぽたりと紅月の目から雫が溢れた。

「すみません。……気にしないでくださいと言おうとしたのに。でも……あれは、殿から下賜された物で……いや、我がちゃんと家に置いておけば……」

 涙を止めようとも、逆に堰を切ったように涙を流す紅月。こやつでも泣くことがあるのか。まるで幼子ではないか。手合わせの様子からして、あの刀は手が馴染むまで使い込んでいたのだろう。
 主から下賜された物を酷使したのは迂闊であるが、肌身離さず持っていたいほど主への忠義に固いのではないか。そう考えると、あの反応も頷ける。風琴は手拭いを渡した。

「泣きたいなら存分に泣け。ただ、あんまり泣きすぎると腫れるから泣き止んだらそれを水で濡らして冷やすといい」
「……ありがとうございます」

 手拭いで顔を覆って、しゃくりあげる紅月の背を擦ってやる。しばらくして泣き止むと、我は約束よりも多めに髪を切った。

「慰めにならぬが、せめてもの詫びだ。……後日、他にも詫びとして渡す」

 そう言い残して、我は紅月の部屋を立ち去った。何も慰めも出来ぬ罪悪感のせいか、美しい月の光が少し冷たく見えた。

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