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一章
【16】スコーンとジャムと、猫の君 1
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「ふぅん、たいそう殿下に気に入られたね。ヤシュ」
湯気の立つ紅茶を一口啜りながら、ユリシャスがにやにやと口の端を上げた。
「ヨルバにも懐かれてるんだって? 両手に花状態だね」
「こっちは慎ましやかに生きてたのに、誰が巻き込んだせいでこうなったと思う?」
「はいはい、ワタシのせいですね」
冒険者協会の執務室。
午後の陽光が窓越しに差し込む柔らかな空間で、ふたり並んでソファに腰を下ろしていた。
目の前のテーブルには淹れたての紅茶が注がれたティーカップと、スコーンを載せた皿が並んでいる。
「でも安心したよ。いつかはそのMPの問題を解決しなくちゃなって思ってたからさ。その短剣、大事にしなよ」
「事務員はMPがなくても生活できるんだけどな……」
「甘いねぇヤシュ。君みたいな美味しい人材を野放しにするとでも? もう覚悟した方が良いよ」
スコーンにジャムを塗る仕草は優雅だが、その癖言っていることは油断ならなかった。
ユリシャスはフィリク殿下並みに手回しがはやい。俺が二日間寝ている間にも今回の事件の全てを片付けてしまっていた。シエンヌ嬢のことも、フィリク殿下への説明も。
俺はというと、ほんとうにただ、寝ていただけだ。
仕事ができるのってこういう人なんだろうな。
「……ま、でも。ヤシュにはかなり無理をさせちゃったからね。ワタシだって反省してる。何かして欲しい事でもあったらいってよ。叶えられる範囲だったら手を貸すからさ」
「何かして欲しいこと……?」
「そ。欲しいものとか、高級レストランに食べ行きたいとか、昇進したいとか」
とはいわれても、今のところは特に何も思い当たらない。
そもそもユリシャスは塔の件も舞踏会のことも、仕事の一環として俺に声をかけただけで何も悪くない。
そこで俺がどう行動したかは、俺の責任だ。MP暴走をさせた原因だって自分にある。MPが低いなりにもっと対策をしていれば、あんなことにはならなかったかもしれないし。そこは俺の管理不足だ。
だから――
「そんなの気にしなくていいよ。それにユリシャスにはいつもお世話になってるし。あれは仕事の一部だったんだし」
素直な気持ちを返すと、ユリシャスはほんの一瞬だけ目を見開く。それからふっと笑った。
「……ヤシュってばほんと、お人好しだね。そんなんじゃ誰かに懐へ入り込まれて骨の髄までしゃぶられても文句言えないよ?」
「それはさすがの俺でも勘弁願いたい……」
「そのあたりの危機感はちゃんと持ってるんだから、不思議だよねぇ」
ユリシャスはかぷりとスコーンを齧って「うーん」と美味しそうに目を細める。
あまりにも美味しそうに食べるものだからと、俺も手を付ける。
スコーンをひとつ手に取ってふんわりとした生地に歯を立て齧る。もぐもぐとゆっくり味わうように。外はほろりと崩れるような軽やかさで、中はしっとりとしている。口の中で優しい甘さが広がってつい頬が緩んだ。
これは確かに、美味しい。
「ね、これ美味しいよね。有名店のなんだけど、朝一で部下を並ばせたかいがあったよ」
「……それって職権乱用では?」
「あ、ジャム塗った方が美味しいよ」
小皿に添えられていたジャムを差し出されてスプーンで少しすくう。スコーンの切れ目にそっと塗り広げてもうひと口。甘酸っぱい果実の風味が加わって、一層豊かな味わいになる。
たまらず、もう一口頬張った。
甘いものに目がない俺にとっては至福の時間だ。
「それで、リオットは大丈夫だったの?」
スコーンを口にしながら話題を変える。
実はリオットもあの現場――舞踏会の混乱のさなかにいたらしい。
少し気弱な彼のことが心配で、様子を確認するためにこうして冒険者協会へ戻った。しかし彼は入れ違いで出かけたらしく、代わりにちょうどその場に居合わせたユリシャスに半ば強引に執務室に引っ張り込まれ、今こうして紅茶とスコーンをご馳走になっている、というわけだ。
「うん、平気だったよ」
ユリシャスはスコーンをもう一口齧りながら続けた。
「それどころかあの場で良い人を見つけたみたいでね。今じゃ毎日、恋する乙女だよ」
「えっ恋人が……?」
「いいや、あれはまだだね。ほら恋ってさ、実るまでが楽しかったりするじゃん。このジャムのように甘酸っぱい恋の駆け引きってやつ。今のリオットには何を話しても上の空だよ」
まさか、あの場でリオットにそんな運命の出会いがあったとは思いもしなかった。彼は噂話が好きで、特に恋話が大好きだ。恋多き青年なのだろうとは思っていたが、でも、それよりも驚いたのは――
「ユリシャスって、恋がわかるんだ?」
「……なにそれ。ワタシを誰だと思ってんの?」
呆れた顔をされた。
「いつも忙しそうにしてるから仕事が命って感じがしてた」
「……まあ、仕事は恋人かもしれないね。向こうでも人の上に立つ仕事してたし。……でもワタシだってモテるんだからね?」
「もしかして恋人いるの?」
「……今は、いないね」
事実、ユリシャスは冒険者協会内でもかなり慕われている。
本部長という立場も彼の魅力を後押ししているが、仕事ぶりは的確でどんな案件にも冷静に対応する。知的な雰囲気がありながらも柔らかな顔立ちは親しみやすさを与えていて。中性的な容姿と落ち着いた物腰が、性別を問わず多くの人を惹きつけているのだろう。
「ユリシャスの方こそ、殿下とかと一緒に立ってると絵になると思うけどな」
さっきのお返しにからかい半分でそう言ってみせると、ユリシャスは露骨に顔をしかめた。
「……仕事ができるのは好ましいけど、顔がイケメンすぎてちょっとね。しかも王族だし、性根も意地悪だし」
遠慮のない言い草だ。このふてくされからしてどうやら相当フィリク殿下に対して思うところがあるらしい。
ユリシャスは何かと殿下と連絡を取り合っているようだった。とはいえあくまで本部長と王子としての関係であり情報共有の範囲にすぎないのだろう。
実際、殿下が最初からプレイヤーの存在を知っていたのも、冒険者協会とアモイラ国の上層部との取り決めによって一定の人間には情報共有がされていたからだった。
それをもっと早く知っていれば、あの塔の中で殿下に脅されることもなかったんだけど……でも、あの塔の視察自体は急なものだった。ユリシャスも忙しく動いていたし、まさか俺たちが直接塔の中に潜るとは思っていなかったのだろう。
今にして思えばあれは事故のようなものだった。
「まあ、ちょっと似てるもんね、ユリシャスと殿下。同族嫌悪ってやつ?」
「……ワタシ、アレと似てるの?」
「人を掌の上で転がすところとか」
「へぇ、ヤシュからはワタシと殿下は同列に見えてるんだ……? はっきりと言うじゃん」
「えっ、あっ……人の上に立ってる人ってすごいなぁってさ……!」
ユリシャスがじと目で睨んでくる。
やばい。余計なことを口走ってしまったみたいだ。
「はぁー…そもそも、ワタシは元の世界に戻るつもりだから、正直この世界の人と恋するのもアレなんだよね。でもプレイヤーも美男美女多いからさ、ちょっと飽きてるんだよ。もっとこう塩分マシマシのラーメン二杯目みたいな人いないかな」
「どんな人だよ……」
呆れつつもつい笑ってしまう。
くだらない会話だが、ここ最近目まぐるしい事ばかりが起きたせいかこんな他愛もない会話が心地よく感じた。
「そう言うヤシュはどうなのよ」
「俺?」
「うん。ヨルバ。舞踏会ですっごい匂わせてたでしょ。ワタシちゃーんと見てたよ。令嬢たちはきゃあきゃあ言ってたし。確かにあれは絵になる二人だったねぇ」
紅茶を吹き出しそうになった。
まさかリオットのようなことを聞かれるとは思わなかった。ここに彼がいれば恋話にもっと盛り上がっているだろう。
「あっれ? もしかしてお呼びでない……?」
「……俺は女の子が好きだから。そういうのはちょっとわからなくて」
「ふぅん、女の子に軍配があがったか。ヤシュ狙いの男の子たちも泣いちゃうね」
どういうことだと眉をひそめると、ユリシャスはまた、にたり、と笑う。
「それも知らないの? アンタってば顔も普通に良いし、性格も物腰が柔らかくて良いし、冒険者の中でも狙ってる子は結構いるんだよ。気付かなかった?」
「……知らない」
「あっは。それなら気を付けた方がいいよ。最近ヤシュ受付にいないから、悶々としてアタックしてくる子が出るかもねぇ」
そんな馬鹿なと思いつつも、以前のリオットの「無自覚」発言からもまったくの冗談と言い切れないところが、少し怖かった。
「ああ、そうそうヤシュ。アンタたちあのレリーフを調べてるんだって?」
「中階層の? うん、一応。でも殿下もずっと忙しそうでなかなかそこまで手が回ってない状態みたいなんだ。呼び出しもないし俺も勝手には動けないし」
塔から戻ってすぐの舞踏会の事件。それに殿下は他にもいろいろ抱えているようでなかなか呼び出しはかからなかった。
ヨルバもヨルバで塔から帰ってきてからずっと外に出っぱなしだ。
俺は一度寮に戻った方がいいんじゃないかとも思った。でも、あれだけ忙しいなら、呼び出されたときにすぐ応えられる場所にいたほうがいい、そう判断してしばらく城にいることにしている。
「フィリク殿下って、ほんと働きすぎだよね。他の貴族や王族は何やってるんだか。……平和ボケしてるなとは思ってたけどさ」
ユリシャスはあきれたようにため息をついたあと、ふと何かを思い出したように続けた。
「あ、そうだ。もし塔にまた行くことになったら、ワタシもついて行くからね」
「ユリシャスも忙しいんじゃ……?」
「優秀な部下にばかり任せっきりってのもどうかと思ってね。それに元の世界に戻るルートとして、そのレリーフの解読が一番早い気がしてる。グレン団長も頑張ってるみたいだけど、あの人ちょっと考える頭ないっぽくてさ。……ま、塔に調査に行くくらいの時間は、またなんとか捻り出すよ」
さっきユリシャスは「元の世界に戻りたい」と言っていた。その言葉に嘘はないのだろう。何か手がかりがあるのなら、自分の手で確かめたい。そう言っているように聞こえた。
「……俺に手伝えることある?」
「ないね。ヤシュはちゃんと休むこと。MPの暴走ってかなり体に負担かけてるんだよ。数日は絶対安静。それにヨルバがいなかったら、マジで危なかったんだよ、あれ」
そんなに危なかったのか。
確かにあのときは体が火照って高熱を出し、意識も朦朧としていた。ずっと頭の中がぐるぐると回って、地に足がつかないような気持ち悪さがずっとあった。でもそれはヨルバがどうにかしてくれて、すぐに落ち着いた。――あの冷たい指の感触は今でも覚えている。
「殿下から聞いたんだけど、あの子――ヨルバって、自由にMPを扱えるみたいだよ。自分のも他人のも。龍血族特有の能力なのかね?」
言われてはっと思い出す。
以前、塔の中で脅された時のことだ。服の上から腹部に沿ってきた手に急に身体の力が抜け、まるで魂を吸い取られるような感覚に襲われた。
あれはMPを奪っていたのか。どうりで――
――って、ちょっと、待て。
思考が、あらぬ方向へと進む。
……だとしたら、服の上からでも可能なのだとしたら、――キス、とかする必要はなかった……って――
ごつん、と自分の額を拳で叩く。痛くて顔をしかめたが、今の俺は痛みに悶える暇などない。
「うわ、びっくりした。急にどうしたの」
「…………いや、ちょっと」
俺もそこまで馬鹿ではない。
ヨルバから向けられている「何か」には薄々感づいてはいた。けれどそれはずっとはっきりとしなかった。彼はいつも何を考えているかわからなくて、口数も少なかったから。
だが彼と出会ってから、そう、王城へと行くことになったあたりから俺に対する距離感はあきらかに近すぎていた。はじめはこの世界ではそう言うものなんだと割り切っていたのだが、……どうも、それだけではない気がする。
それは、もしかしたら――かつて「俺」が「彼」だったことが何か関係しているのかもしれない。
まるで雛鳥の刷りこみのように。俺に対して無意識に「何か」を求めている可能性がある。
――じゃあ、俺がこのままずっとヨルバの傍に居続けるのは、彼のためにならないんじゃないか。
ようやく親鳥の元から離れて自由に飛び立ったというのに、それはあんまりだ。
それだけは、絶対に――避けたい。
湯気の立つ紅茶を一口啜りながら、ユリシャスがにやにやと口の端を上げた。
「ヨルバにも懐かれてるんだって? 両手に花状態だね」
「こっちは慎ましやかに生きてたのに、誰が巻き込んだせいでこうなったと思う?」
「はいはい、ワタシのせいですね」
冒険者協会の執務室。
午後の陽光が窓越しに差し込む柔らかな空間で、ふたり並んでソファに腰を下ろしていた。
目の前のテーブルには淹れたての紅茶が注がれたティーカップと、スコーンを載せた皿が並んでいる。
「でも安心したよ。いつかはそのMPの問題を解決しなくちゃなって思ってたからさ。その短剣、大事にしなよ」
「事務員はMPがなくても生活できるんだけどな……」
「甘いねぇヤシュ。君みたいな美味しい人材を野放しにするとでも? もう覚悟した方が良いよ」
スコーンにジャムを塗る仕草は優雅だが、その癖言っていることは油断ならなかった。
ユリシャスはフィリク殿下並みに手回しがはやい。俺が二日間寝ている間にも今回の事件の全てを片付けてしまっていた。シエンヌ嬢のことも、フィリク殿下への説明も。
俺はというと、ほんとうにただ、寝ていただけだ。
仕事ができるのってこういう人なんだろうな。
「……ま、でも。ヤシュにはかなり無理をさせちゃったからね。ワタシだって反省してる。何かして欲しい事でもあったらいってよ。叶えられる範囲だったら手を貸すからさ」
「何かして欲しいこと……?」
「そ。欲しいものとか、高級レストランに食べ行きたいとか、昇進したいとか」
とはいわれても、今のところは特に何も思い当たらない。
そもそもユリシャスは塔の件も舞踏会のことも、仕事の一環として俺に声をかけただけで何も悪くない。
そこで俺がどう行動したかは、俺の責任だ。MP暴走をさせた原因だって自分にある。MPが低いなりにもっと対策をしていれば、あんなことにはならなかったかもしれないし。そこは俺の管理不足だ。
だから――
「そんなの気にしなくていいよ。それにユリシャスにはいつもお世話になってるし。あれは仕事の一部だったんだし」
素直な気持ちを返すと、ユリシャスはほんの一瞬だけ目を見開く。それからふっと笑った。
「……ヤシュってばほんと、お人好しだね。そんなんじゃ誰かに懐へ入り込まれて骨の髄までしゃぶられても文句言えないよ?」
「それはさすがの俺でも勘弁願いたい……」
「そのあたりの危機感はちゃんと持ってるんだから、不思議だよねぇ」
ユリシャスはかぷりとスコーンを齧って「うーん」と美味しそうに目を細める。
あまりにも美味しそうに食べるものだからと、俺も手を付ける。
スコーンをひとつ手に取ってふんわりとした生地に歯を立て齧る。もぐもぐとゆっくり味わうように。外はほろりと崩れるような軽やかさで、中はしっとりとしている。口の中で優しい甘さが広がってつい頬が緩んだ。
これは確かに、美味しい。
「ね、これ美味しいよね。有名店のなんだけど、朝一で部下を並ばせたかいがあったよ」
「……それって職権乱用では?」
「あ、ジャム塗った方が美味しいよ」
小皿に添えられていたジャムを差し出されてスプーンで少しすくう。スコーンの切れ目にそっと塗り広げてもうひと口。甘酸っぱい果実の風味が加わって、一層豊かな味わいになる。
たまらず、もう一口頬張った。
甘いものに目がない俺にとっては至福の時間だ。
「それで、リオットは大丈夫だったの?」
スコーンを口にしながら話題を変える。
実はリオットもあの現場――舞踏会の混乱のさなかにいたらしい。
少し気弱な彼のことが心配で、様子を確認するためにこうして冒険者協会へ戻った。しかし彼は入れ違いで出かけたらしく、代わりにちょうどその場に居合わせたユリシャスに半ば強引に執務室に引っ張り込まれ、今こうして紅茶とスコーンをご馳走になっている、というわけだ。
「うん、平気だったよ」
ユリシャスはスコーンをもう一口齧りながら続けた。
「それどころかあの場で良い人を見つけたみたいでね。今じゃ毎日、恋する乙女だよ」
「えっ恋人が……?」
「いいや、あれはまだだね。ほら恋ってさ、実るまでが楽しかったりするじゃん。このジャムのように甘酸っぱい恋の駆け引きってやつ。今のリオットには何を話しても上の空だよ」
まさか、あの場でリオットにそんな運命の出会いがあったとは思いもしなかった。彼は噂話が好きで、特に恋話が大好きだ。恋多き青年なのだろうとは思っていたが、でも、それよりも驚いたのは――
「ユリシャスって、恋がわかるんだ?」
「……なにそれ。ワタシを誰だと思ってんの?」
呆れた顔をされた。
「いつも忙しそうにしてるから仕事が命って感じがしてた」
「……まあ、仕事は恋人かもしれないね。向こうでも人の上に立つ仕事してたし。……でもワタシだってモテるんだからね?」
「もしかして恋人いるの?」
「……今は、いないね」
事実、ユリシャスは冒険者協会内でもかなり慕われている。
本部長という立場も彼の魅力を後押ししているが、仕事ぶりは的確でどんな案件にも冷静に対応する。知的な雰囲気がありながらも柔らかな顔立ちは親しみやすさを与えていて。中性的な容姿と落ち着いた物腰が、性別を問わず多くの人を惹きつけているのだろう。
「ユリシャスの方こそ、殿下とかと一緒に立ってると絵になると思うけどな」
さっきのお返しにからかい半分でそう言ってみせると、ユリシャスは露骨に顔をしかめた。
「……仕事ができるのは好ましいけど、顔がイケメンすぎてちょっとね。しかも王族だし、性根も意地悪だし」
遠慮のない言い草だ。このふてくされからしてどうやら相当フィリク殿下に対して思うところがあるらしい。
ユリシャスは何かと殿下と連絡を取り合っているようだった。とはいえあくまで本部長と王子としての関係であり情報共有の範囲にすぎないのだろう。
実際、殿下が最初からプレイヤーの存在を知っていたのも、冒険者協会とアモイラ国の上層部との取り決めによって一定の人間には情報共有がされていたからだった。
それをもっと早く知っていれば、あの塔の中で殿下に脅されることもなかったんだけど……でも、あの塔の視察自体は急なものだった。ユリシャスも忙しく動いていたし、まさか俺たちが直接塔の中に潜るとは思っていなかったのだろう。
今にして思えばあれは事故のようなものだった。
「まあ、ちょっと似てるもんね、ユリシャスと殿下。同族嫌悪ってやつ?」
「……ワタシ、アレと似てるの?」
「人を掌の上で転がすところとか」
「へぇ、ヤシュからはワタシと殿下は同列に見えてるんだ……? はっきりと言うじゃん」
「えっ、あっ……人の上に立ってる人ってすごいなぁってさ……!」
ユリシャスがじと目で睨んでくる。
やばい。余計なことを口走ってしまったみたいだ。
「はぁー…そもそも、ワタシは元の世界に戻るつもりだから、正直この世界の人と恋するのもアレなんだよね。でもプレイヤーも美男美女多いからさ、ちょっと飽きてるんだよ。もっとこう塩分マシマシのラーメン二杯目みたいな人いないかな」
「どんな人だよ……」
呆れつつもつい笑ってしまう。
くだらない会話だが、ここ最近目まぐるしい事ばかりが起きたせいかこんな他愛もない会話が心地よく感じた。
「そう言うヤシュはどうなのよ」
「俺?」
「うん。ヨルバ。舞踏会ですっごい匂わせてたでしょ。ワタシちゃーんと見てたよ。令嬢たちはきゃあきゃあ言ってたし。確かにあれは絵になる二人だったねぇ」
紅茶を吹き出しそうになった。
まさかリオットのようなことを聞かれるとは思わなかった。ここに彼がいれば恋話にもっと盛り上がっているだろう。
「あっれ? もしかしてお呼びでない……?」
「……俺は女の子が好きだから。そういうのはちょっとわからなくて」
「ふぅん、女の子に軍配があがったか。ヤシュ狙いの男の子たちも泣いちゃうね」
どういうことだと眉をひそめると、ユリシャスはまた、にたり、と笑う。
「それも知らないの? アンタってば顔も普通に良いし、性格も物腰が柔らかくて良いし、冒険者の中でも狙ってる子は結構いるんだよ。気付かなかった?」
「……知らない」
「あっは。それなら気を付けた方がいいよ。最近ヤシュ受付にいないから、悶々としてアタックしてくる子が出るかもねぇ」
そんな馬鹿なと思いつつも、以前のリオットの「無自覚」発言からもまったくの冗談と言い切れないところが、少し怖かった。
「ああ、そうそうヤシュ。アンタたちあのレリーフを調べてるんだって?」
「中階層の? うん、一応。でも殿下もずっと忙しそうでなかなかそこまで手が回ってない状態みたいなんだ。呼び出しもないし俺も勝手には動けないし」
塔から戻ってすぐの舞踏会の事件。それに殿下は他にもいろいろ抱えているようでなかなか呼び出しはかからなかった。
ヨルバもヨルバで塔から帰ってきてからずっと外に出っぱなしだ。
俺は一度寮に戻った方がいいんじゃないかとも思った。でも、あれだけ忙しいなら、呼び出されたときにすぐ応えられる場所にいたほうがいい、そう判断してしばらく城にいることにしている。
「フィリク殿下って、ほんと働きすぎだよね。他の貴族や王族は何やってるんだか。……平和ボケしてるなとは思ってたけどさ」
ユリシャスはあきれたようにため息をついたあと、ふと何かを思い出したように続けた。
「あ、そうだ。もし塔にまた行くことになったら、ワタシもついて行くからね」
「ユリシャスも忙しいんじゃ……?」
「優秀な部下にばかり任せっきりってのもどうかと思ってね。それに元の世界に戻るルートとして、そのレリーフの解読が一番早い気がしてる。グレン団長も頑張ってるみたいだけど、あの人ちょっと考える頭ないっぽくてさ。……ま、塔に調査に行くくらいの時間は、またなんとか捻り出すよ」
さっきユリシャスは「元の世界に戻りたい」と言っていた。その言葉に嘘はないのだろう。何か手がかりがあるのなら、自分の手で確かめたい。そう言っているように聞こえた。
「……俺に手伝えることある?」
「ないね。ヤシュはちゃんと休むこと。MPの暴走ってかなり体に負担かけてるんだよ。数日は絶対安静。それにヨルバがいなかったら、マジで危なかったんだよ、あれ」
そんなに危なかったのか。
確かにあのときは体が火照って高熱を出し、意識も朦朧としていた。ずっと頭の中がぐるぐると回って、地に足がつかないような気持ち悪さがずっとあった。でもそれはヨルバがどうにかしてくれて、すぐに落ち着いた。――あの冷たい指の感触は今でも覚えている。
「殿下から聞いたんだけど、あの子――ヨルバって、自由にMPを扱えるみたいだよ。自分のも他人のも。龍血族特有の能力なのかね?」
言われてはっと思い出す。
以前、塔の中で脅された時のことだ。服の上から腹部に沿ってきた手に急に身体の力が抜け、まるで魂を吸い取られるような感覚に襲われた。
あれはMPを奪っていたのか。どうりで――
――って、ちょっと、待て。
思考が、あらぬ方向へと進む。
……だとしたら、服の上からでも可能なのだとしたら、――キス、とかする必要はなかった……って――
ごつん、と自分の額を拳で叩く。痛くて顔をしかめたが、今の俺は痛みに悶える暇などない。
「うわ、びっくりした。急にどうしたの」
「…………いや、ちょっと」
俺もそこまで馬鹿ではない。
ヨルバから向けられている「何か」には薄々感づいてはいた。けれどそれはずっとはっきりとしなかった。彼はいつも何を考えているかわからなくて、口数も少なかったから。
だが彼と出会ってから、そう、王城へと行くことになったあたりから俺に対する距離感はあきらかに近すぎていた。はじめはこの世界ではそう言うものなんだと割り切っていたのだが、……どうも、それだけではない気がする。
それは、もしかしたら――かつて「俺」が「彼」だったことが何か関係しているのかもしれない。
まるで雛鳥の刷りこみのように。俺に対して無意識に「何か」を求めている可能性がある。
――じゃあ、俺がこのままずっとヨルバの傍に居続けるのは、彼のためにならないんじゃないか。
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