【完結】今さら執着されても困ります

リリー

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16. 予感

 ワルツの旋律が途切れた。

 王宮から華やいだ笑い声が遠のき、庭園には再び、冬枯れの葉擦れの音だけが戻ってくる。
 宴は終わり、人々はすでに帰路についたのだ。夢の時間は終わる。魔法が解け、私はまた、色のない現実へと引き戻されていく。

 ふと、肩が震えた。ダンスの熱が引くと同時に、夜風の冷たさが薄いドレスを容赦なく突き刺す。私は思わず二の腕をさすった。
 視界が暗くなった。ふわりと、温かく重いものが肩に乗せられる。彼が羽織っていた、漆黒のジャケットだった。

「……っ、いけません」

とっさに拒もうとした。自分には重すぎる配慮だった。

「いいから着ていろ。見ていて痛々しい」

彼は短く遮った。私は温もりに包まれながら、空気を吸い込んだ。ジャケットからは白檀の香りがした。

「馬車を手配する。それで今日は帰るといい」

 フィンレイ様の声が、夜気に溶けた。

「ありがとうございます……」

 震える声で礼を言う。背を向けようとした私に、彼が言った。

「……またこちらから連絡をする。それまで待っていてくれ」

 振り返る。月光よりも冴えたブルーの瞳は、揺るがない。夢かウツツか。その言葉は祈りのように、私の耳の奥にこびりついた。低く、絶対的な響き。


 用意されていたのは、闇に溶け込むような、紋章のない黒塗りの馬車だった。座席に深く沈み込む。
 一時の間、馬車に揺られ、やがて車輪が止まる。

 クロシェード邸は静まり返っていた。いつも以上に。まるで息を潜める墓場のようだ。
 巨大な石造りの怪物が、私を見下ろしている。すでに正面玄関は閉ざされているだろう。私は泥棒のように、裏口の重い扉を押し開け、その腹の底へ潜り込んだ。
 廊下の突き当たり。私の部屋の前に、頼りない灯りが見える。揺れる影。侍女のカリナだ。ずっと、そこで待っていたのだ。

「お嬢様!ああ、よかった……!」

 私の姿を認めるなり、彼女が駆け寄ってくる。寒さから、ランタンを持つ手が震えていた。

「お帰りが遅いから、心配していました。馬車には……リアム様のほかにアリス様しかいらっしゃらなかったので」

 言い淀むカリナの言葉に、私は乾いた笑みを浮かべそうになった。当たり前だ。リアム様は私を探そうとはしなかった。私をあの場所に置き去りにし、愛人と二人、優雅に帰路についていた。

「乗り遅れてしまったの。親切な方が、別のものを用意してくださったわ」

「左様でしたか……。ご無事で、本当に何よりです」

 部屋に入る。カリナの手を借りて、重く湿ったドレスを脱ぎ捨てる。湯浴みをして、簡素な寝間着に着替え、硬いシーツに身を沈めた。目を閉じる。けれど、広がるのはいつもの空虚な闇ではなかった。
 そこに、彼がいた。私の名を呼んだ声。不敵な笑み。ブルーの瞳が、深淵から私の奥底を覗き込んでいた。私ですら知らない、何かを。

 予感があった。何かが変わる。歯車が、音を立てて回り始めたような。凍えた体の中で、心臓だけが、熱を帯びていた。



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