16 / 51
16. 予感
ワルツの旋律が途切れた。
王宮から華やいだ笑い声が遠のき、庭園には再び、冬枯れの葉擦れの音だけが戻ってくる。
宴は終わり、人々はすでに帰路についたのだ。夢の時間は終わる。魔法が解け、私はまた、色のない現実へと引き戻されていく。
ふと、肩が震えた。ダンスの熱が引くと同時に、夜風の冷たさが薄いドレスを容赦なく突き刺す。私は思わず二の腕をさすった。
視界が暗くなった。ふわりと、温かく重いものが肩に乗せられる。彼が羽織っていた、漆黒のジャケットだった。
「……っ、いけません」
とっさに拒もうとした。自分には重すぎる配慮だった。
「いいから着ていろ。見ていて痛々しい」
彼は短く遮った。私は温もりに包まれながら、空気を吸い込んだ。ジャケットからは白檀の香りがした。
「馬車を手配する。それで今日は帰るといい」
フィンレイ様の声が、夜気に溶けた。
「ありがとうございます……」
震える声で礼を言う。背を向けようとした私に、彼が言った。
「……またこちらから連絡をする。それまで待っていてくれ」
振り返る。月光よりも冴えたブルーの瞳は、揺るがない。夢か現か。その言葉は祈りのように、私の耳の奥にこびりついた。低く、絶対的な響き。
用意されていたのは、闇に溶け込むような、紋章のない黒塗りの馬車だった。座席に深く沈み込む。
一時の間、馬車に揺られ、やがて車輪が止まる。
クロシェード邸は静まり返っていた。いつも以上に。まるで息を潜める墓場のようだ。
巨大な石造りの怪物が、私を見下ろしている。すでに正面玄関は閉ざされているだろう。私は泥棒のように、裏口の重い扉を押し開け、その腹の底へ潜り込んだ。
廊下の突き当たり。私の部屋の前に、頼りない灯りが見える。揺れる影。侍女のカリナだ。ずっと、そこで待っていたのだ。
「お嬢様!ああ、よかった……!」
私の姿を認めるなり、彼女が駆け寄ってくる。寒さから、ランタンを持つ手が震えていた。
「お帰りが遅いから、心配していました。馬車には……リアム様のほかにアリス様しかいらっしゃらなかったので」
言い淀むカリナの言葉に、私は乾いた笑みを浮かべそうになった。当たり前だ。リアム様は私を探そうとはしなかった。私をあの場所に置き去りにし、愛人と二人、優雅に帰路についていた。
「乗り遅れてしまったの。親切な方が、別のものを用意してくださったわ」
「左様でしたか……。ご無事で、本当に何よりです」
部屋に入る。カリナの手を借りて、重く湿ったドレスを脱ぎ捨てる。湯浴みをして、簡素な寝間着に着替え、硬いシーツに身を沈めた。目を閉じる。けれど、広がるのはいつもの空虚な闇ではなかった。
そこに、彼がいた。私の名を呼んだ声。不敵な笑み。ブルーの瞳が、深淵から私の奥底を覗き込んでいた。私ですら知らない、何かを。
予感があった。何かが変わる。歯車が、音を立てて回り始めたような。凍えた体の中で、心臓だけが、熱を帯びていた。
王宮から華やいだ笑い声が遠のき、庭園には再び、冬枯れの葉擦れの音だけが戻ってくる。
宴は終わり、人々はすでに帰路についたのだ。夢の時間は終わる。魔法が解け、私はまた、色のない現実へと引き戻されていく。
ふと、肩が震えた。ダンスの熱が引くと同時に、夜風の冷たさが薄いドレスを容赦なく突き刺す。私は思わず二の腕をさすった。
視界が暗くなった。ふわりと、温かく重いものが肩に乗せられる。彼が羽織っていた、漆黒のジャケットだった。
「……っ、いけません」
とっさに拒もうとした。自分には重すぎる配慮だった。
「いいから着ていろ。見ていて痛々しい」
彼は短く遮った。私は温もりに包まれながら、空気を吸い込んだ。ジャケットからは白檀の香りがした。
「馬車を手配する。それで今日は帰るといい」
フィンレイ様の声が、夜気に溶けた。
「ありがとうございます……」
震える声で礼を言う。背を向けようとした私に、彼が言った。
「……またこちらから連絡をする。それまで待っていてくれ」
振り返る。月光よりも冴えたブルーの瞳は、揺るがない。夢か現か。その言葉は祈りのように、私の耳の奥にこびりついた。低く、絶対的な響き。
用意されていたのは、闇に溶け込むような、紋章のない黒塗りの馬車だった。座席に深く沈み込む。
一時の間、馬車に揺られ、やがて車輪が止まる。
クロシェード邸は静まり返っていた。いつも以上に。まるで息を潜める墓場のようだ。
巨大な石造りの怪物が、私を見下ろしている。すでに正面玄関は閉ざされているだろう。私は泥棒のように、裏口の重い扉を押し開け、その腹の底へ潜り込んだ。
廊下の突き当たり。私の部屋の前に、頼りない灯りが見える。揺れる影。侍女のカリナだ。ずっと、そこで待っていたのだ。
「お嬢様!ああ、よかった……!」
私の姿を認めるなり、彼女が駆け寄ってくる。寒さから、ランタンを持つ手が震えていた。
「お帰りが遅いから、心配していました。馬車には……リアム様のほかにアリス様しかいらっしゃらなかったので」
言い淀むカリナの言葉に、私は乾いた笑みを浮かべそうになった。当たり前だ。リアム様は私を探そうとはしなかった。私をあの場所に置き去りにし、愛人と二人、優雅に帰路についていた。
「乗り遅れてしまったの。親切な方が、別のものを用意してくださったわ」
「左様でしたか……。ご無事で、本当に何よりです」
部屋に入る。カリナの手を借りて、重く湿ったドレスを脱ぎ捨てる。湯浴みをして、簡素な寝間着に着替え、硬いシーツに身を沈めた。目を閉じる。けれど、広がるのはいつもの空虚な闇ではなかった。
そこに、彼がいた。私の名を呼んだ声。不敵な笑み。ブルーの瞳が、深淵から私の奥底を覗き込んでいた。私ですら知らない、何かを。
予感があった。何かが変わる。歯車が、音を立てて回り始めたような。凍えた体の中で、心臓だけが、熱を帯びていた。
あなたにおすすめの小説
【完結】妹ばかり愛され追い出された姉ですが、無口な夫と暮らす日々が幸せすぎます
コトミ
恋愛
セラフィナは、実の親と、妹によって、家から追い出されることとなった。セラフィナがまだ幼い頃、両親は病弱なカタリナのため設備環境が良い王都に移り住んだ。姉のセラフィナは元々両親とともに住んでいた田舎に使用人のマーサの二人きりで暮らすこととなった。お金のない子爵家な上にカタリナのためお金を稼がなくてはならないため、子供二人を王都で暮らすには無理があるとセラフィナだけ残されたのだ。そしてセラフィナが19歳の時、3人が家へ戻ってきた。その理由はカタリナの婚約が上手くいかず王宮にいずらくなったためだ。やっと家族で暮らせると心待ちにしていたセラフィナは帰宅した父に思いがけないことを告げられる。
「お前はジェラール・モンフォール伯爵と結婚することになった。すぐに荷物をまとめるんだ。一週間後には結婚式だ」
困惑するセラフィナに対して、冷酷にも時間は進み続け、結婚生活が始まる。
幼馴染の生徒会長にポンコツ扱いされてフラれたので生徒会活動を手伝うのをやめたら全てがうまくいかなくなり幼馴染も病んだ
猫カレーฅ^•ω•^ฅ
恋愛
ずっと付き合っていると思っていた、幼馴染にある日別れを告げられた。
そこで気づいた主人公の幼馴染への依存ぶり。
たった一つボタンを掛け違えてしまったために、
最終的に学校を巻き込む大事件に発展していく。
主人公は幼馴染を取り戻すことが出来るのか!?
とっていただく責任などありません
まめきち
恋愛
騎士団で働くヘイゼルは魔物の討伐の際に、
団長のセルフイスを庇い、魔法陣を踏んでしまう。
この魔法陣は男性が踏むと女性に転換するもので、女性のヘイゼルにはほとんど影響のない物だった。だか国からは保証金が出たので、騎士を辞め、念願の田舎暮らしをしようとしたが!?
ヘイゼルの事をずっと男性だと思っていたセルフイスは自分のせいでヘイゼルが職を失っただと思って来まい。
責任を取らなければとセルフイスから、
追いかけられる羽目に。
選ばれたのは私ではなかった。ただそれだけ
暖夢 由
恋愛
【5月20日 90話完結】
5歳の時、母が亡くなった。
原因も治療法も不明の病と言われ、発症1年という早さで亡くなった。
そしてまだ5歳の私には母が必要ということで通例に習わず、1年の喪に服すことなく新しい母が連れて来られた。彼女の隣には不思議なことに父によく似た女の子が立っていた。私とあまり変わらないくらいの歳の彼女は私の2つ年上だという。
これからは姉と呼ぶようにと言われた。
そして、私が14歳の時、突然謎の病を発症した。
母と同じ原因も治療法も不明の病。母と同じ症状が出始めた時に、この病は遺伝だったのかもしれないと言われた。それは私が社交界デビューするはずの年だった。
私は社交界デビューすることは叶わず、そのまま治療することになった。
たまに調子がいい日もあるが、社交界に出席する予定の日には決まって体調を崩した。医者は緊張して体調を崩してしまうのだろうといった。
でも最近はグレン様が会いに来ると約束してくれた日にも必ず体調を崩すようになってしまった。それでも以前はグレン様が心配して、私の部屋で1時間ほど話をしてくれていたのに、最近はグレン様を姉が玄関で出迎え、2人で私の部屋に来て、挨拶だけして、2人でお茶をするからと消えていくようになった。
でもそれも私の体調のせい。私が体調さえ崩さなければ……
今では月の半分はベットで過ごさなければいけないほどになってしまった。
でもある日婚約者の裏切りに気づいてしまう。
私は耐えられなかった。
もうすべてに………
病が治る見込みだってないのに。
なんて滑稽なのだろう。
もういや……
誰からも愛されないのも
誰からも必要とされないのも
治らない病の為にずっとベッドで寝ていなければいけないのも。
気付けば私は家の外に出ていた。
元々病で外に出る事がない私には専属侍女などついていない。
特に今日は症状が重たく、朝からずっと吐いていた為、父も義母も私が部屋を出るなど夢にも思っていないのだろう。
私は死ぬ場所を探していたのかもしれない。家よりも少しでも幸せを感じて死にたいと。
これから出会う人がこれまでの生活を変えてくれるとも知らずに。
---------------------------------------------
※架空のお話です。
※設定が甘い部分があるかと思います。「仕方ないなぁ」とお赦しくださいませ。
※現実世界とは異なりますのでご理解ください。
婚約破棄ですか???実家からちょうど帰ってこいと言われたので好都合です!!!これからは復讐をします!!!~どこにでもある普通の令嬢物語~
tartan321
恋愛
婚約破棄とはなかなか考えたものでございますね。しかしながら、私はもう帰って来いと言われてしまいました。ですから、帰ることにします。これで、あなた様の口うるさい両親や、その他の家族の皆様とも顔を合わせることがないのですね。ラッキーです!!!
壮大なストーリーで奏でる、感動的なファンタジーアドベンチャーです!!!!!最後の涙の理由とは???
一度完結といたしました。続編は引き続き書きたいと思いますので、よろしくお願いいたします。
年下の婚約者から年上の婚約者に変わりました
チカフジ ユキ
恋愛
ヴィクトリアには年下の婚約者がいる。すでにお互い成人しているのにも関わらず、結婚する気配もなくずるずると曖昧な関係が引き延ばされていた。
そんなある日、婚約者と出かける約束をしていたヴィクトリアは、待ち合わせの場所に向かう。しかし、相手は来ておらず、当日に約束を反故されてしまった。
そんなヴィクトリアを見ていたのは、ひとりの男性。
彼もまた、婚約者に約束を当日に反故されていたのだ。
ヴィクトリアはなんとなく親近感がわき、彼とともにカフェでお茶をすることになった。
それがまさかの事態になるとは思いもよらずに。
皇太子夫妻の歪んだ結婚
夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。
その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。
本編完結してます。
番外編を更新中です。