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第二部
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マザー・グレイスが去った後、公爵邸のレオの寝室は、かつてないほど濃密な「甘い監禁室」へと変貌を遂げていた。
ノアによる、レオの脳を一切働かせないための徹底した排除が始まったのである。
柔らかな午後の光がカーテンの隙間から差し込み、室内には心を落ち着かせる最高級のアロマが焚きしめられている。
レオが所在なさに枕元の本へ指を伸ばそうとした、その時だった。
「……おっと、いけないね」
背後から、影が落ちる。
ノアが、レオの華奢な体を軽々と掬い上げた。
そのまま慣れた手つきで自らの膝の上へと連行し、レオを厚い胸板の中にすっぽりと閉じ込める。
「レオ、本を読みたいのかい?……私が読もう。君はただ目を閉じて、私の声だけを楽しんでいればいいよ」
耳元で響くのは、心臓にまで直接振動が伝わってくるような、最高に耳に心地よいバリトンボイス。
ノアはレオの視界をその逞しい腕で覆うように抱き込み、代わりに「朗読」を始めた。
だが、それは物語を読み上げるというより、もはや催眠に近い。
「かつて、あるところに、世界で一番美しい少年がいた。彼は何もせず、ただ愛されるためだけに生まれてきた。……そう、今の君のように。彼は賢明すぎたが、今日からは私が彼の代わりにすべてを考え、すべてを決定し、すべてを与えよう……」
物語の続きは、いつの間にかノアの即興によって作り替えられていく。
物語の筋書きは霧散し、それはいつしか「レオがいかに愛されているか」を綴る、熱を帯びた愛の詩へとすり替わっていた。
(……あー、これ。朗読っていうか、ノア兄様の『理想のニート計画』の洗脳教育になってないか……?)
レオは抗おうとしたが、ノアの指先が絶妙な力加減でレオのこめかみをマッサージし、耳朶を甘く弄るたび、脳内のロジカルな思考が霧散していく。
(……あー、もう。これの、何が……物語……なのか……)
抗おうとする意志は、ノアの深い愛撫とバリトンの子守唄によって、あっけなく溶かされていく。
レオは心地よい敗北感の中で、微睡みの淵へと落ちていった。
「レオ、おやつは何がいい? ……いや、答えなくていい。君の瞳の動きで分かったよ。苺のババロアだね。疲れないように、特別に滑らかに作らせようね」
(……ノア兄様、僕の瞳で何が分かるっていうんだ。でも確かにババロア、今の気分に完璧に合ってるな。……悔しい)
レオに「選ぶ」という最小の知的労働すらさせない。
ノアの献身は、レオの脳を「快楽と安らぎ」だけで満たし、知恵を絞る隙をミリ単位で潰していく。
そんな「天国(?)」が二日続いた頃、レオの魔力容量はグレイスの予言通り回復を見せ始めた。
目眩は消え、アイスブルーの瞳に活気が戻る。
しかし、それと比例するように、王宮からの悲鳴も限界に達していた。
「ノア兄様……。もう僕は大丈夫です。そろそろ、お仕事に行かないと。……国王様が泣いてますよ」
「嫌だ。君がまた、私のいないところで命を削ってしまうかもしれない。私は君のそばを離れない」
ノアの過保護は、もはや公務を凌駕しかけていた。
これでは「ホワイトな環境」を作るどころか、ノアが「ニートの同伴者」になってしまう。
レオは一つ、ため息をついた。
ここは知恵ではなく、わがままで解決するしかない。
レオはノアのシャツの裾をギュッと掴み、上目遣いで彼を見つめた。
「……ノア兄様。僕、ノア兄様がお仕事で無双して、早く帰ってきてくれるのを待っている時間が、実は結構好きなんです」
ノアが戸惑ったように目を瞬く。
「……待っている、時間……?」
「はい。窓からノア兄様の馬車が見えたら嬉しくなって……あ、今夜はノア兄様に何をしてもらおうかな、って考えるのが、僕の贅沢なんです」
「考える」という言葉にノアが眉を寄せたが、レオは素早く続けた。
「あ、難しいことじゃないですよ。マッサージとか、あーんとか、……添い寝とか、そういうことです。……それも、ダメですか?」
完璧な一撃だった。
ノアの脳内で「レオの健康管理」と「レオからの甘え」が天秤にかけられ、後者が勝利を収めた。
「……分かった。午後の早い時間には、必ず戻る。……レオ、君は、決してペンを握ってはいけないよ。私が戻るまで、ただ私の帰りを待つことだけを考えていておくれ」
「はい、ノア兄様。いってらっしゃい」
ようやく馬車に乗り込んだノアを見送りながら、レオは日当たりのいいソファに身を沈めた。
(……ふぅ。これでよし。残業はさせないけど、ノア兄様には外で、その溢れる力を発揮してもらった方がいいもんね。で、僕はここで帰る場所を守りつつ、最高の報酬(甘やかし)を受け取る。……うん、やっぱり今世は、僕の完全勝利だな)
窓から差し込む午後の光を浴びながら、レオは再び、抗いようのない甘やかな怠惰の底へと沈んでいった。
ノアによる、レオの脳を一切働かせないための徹底した排除が始まったのである。
柔らかな午後の光がカーテンの隙間から差し込み、室内には心を落ち着かせる最高級のアロマが焚きしめられている。
レオが所在なさに枕元の本へ指を伸ばそうとした、その時だった。
「……おっと、いけないね」
背後から、影が落ちる。
ノアが、レオの華奢な体を軽々と掬い上げた。
そのまま慣れた手つきで自らの膝の上へと連行し、レオを厚い胸板の中にすっぽりと閉じ込める。
「レオ、本を読みたいのかい?……私が読もう。君はただ目を閉じて、私の声だけを楽しんでいればいいよ」
耳元で響くのは、心臓にまで直接振動が伝わってくるような、最高に耳に心地よいバリトンボイス。
ノアはレオの視界をその逞しい腕で覆うように抱き込み、代わりに「朗読」を始めた。
だが、それは物語を読み上げるというより、もはや催眠に近い。
「かつて、あるところに、世界で一番美しい少年がいた。彼は何もせず、ただ愛されるためだけに生まれてきた。……そう、今の君のように。彼は賢明すぎたが、今日からは私が彼の代わりにすべてを考え、すべてを決定し、すべてを与えよう……」
物語の続きは、いつの間にかノアの即興によって作り替えられていく。
物語の筋書きは霧散し、それはいつしか「レオがいかに愛されているか」を綴る、熱を帯びた愛の詩へとすり替わっていた。
(……あー、これ。朗読っていうか、ノア兄様の『理想のニート計画』の洗脳教育になってないか……?)
レオは抗おうとしたが、ノアの指先が絶妙な力加減でレオのこめかみをマッサージし、耳朶を甘く弄るたび、脳内のロジカルな思考が霧散していく。
(……あー、もう。これの、何が……物語……なのか……)
抗おうとする意志は、ノアの深い愛撫とバリトンの子守唄によって、あっけなく溶かされていく。
レオは心地よい敗北感の中で、微睡みの淵へと落ちていった。
「レオ、おやつは何がいい? ……いや、答えなくていい。君の瞳の動きで分かったよ。苺のババロアだね。疲れないように、特別に滑らかに作らせようね」
(……ノア兄様、僕の瞳で何が分かるっていうんだ。でも確かにババロア、今の気分に完璧に合ってるな。……悔しい)
レオに「選ぶ」という最小の知的労働すらさせない。
ノアの献身は、レオの脳を「快楽と安らぎ」だけで満たし、知恵を絞る隙をミリ単位で潰していく。
そんな「天国(?)」が二日続いた頃、レオの魔力容量はグレイスの予言通り回復を見せ始めた。
目眩は消え、アイスブルーの瞳に活気が戻る。
しかし、それと比例するように、王宮からの悲鳴も限界に達していた。
「ノア兄様……。もう僕は大丈夫です。そろそろ、お仕事に行かないと。……国王様が泣いてますよ」
「嫌だ。君がまた、私のいないところで命を削ってしまうかもしれない。私は君のそばを離れない」
ノアの過保護は、もはや公務を凌駕しかけていた。
これでは「ホワイトな環境」を作るどころか、ノアが「ニートの同伴者」になってしまう。
レオは一つ、ため息をついた。
ここは知恵ではなく、わがままで解決するしかない。
レオはノアのシャツの裾をギュッと掴み、上目遣いで彼を見つめた。
「……ノア兄様。僕、ノア兄様がお仕事で無双して、早く帰ってきてくれるのを待っている時間が、実は結構好きなんです」
ノアが戸惑ったように目を瞬く。
「……待っている、時間……?」
「はい。窓からノア兄様の馬車が見えたら嬉しくなって……あ、今夜はノア兄様に何をしてもらおうかな、って考えるのが、僕の贅沢なんです」
「考える」という言葉にノアが眉を寄せたが、レオは素早く続けた。
「あ、難しいことじゃないですよ。マッサージとか、あーんとか、……添い寝とか、そういうことです。……それも、ダメですか?」
完璧な一撃だった。
ノアの脳内で「レオの健康管理」と「レオからの甘え」が天秤にかけられ、後者が勝利を収めた。
「……分かった。午後の早い時間には、必ず戻る。……レオ、君は、決してペンを握ってはいけないよ。私が戻るまで、ただ私の帰りを待つことだけを考えていておくれ」
「はい、ノア兄様。いってらっしゃい」
ようやく馬車に乗り込んだノアを見送りながら、レオは日当たりのいいソファに身を沈めた。
(……ふぅ。これでよし。残業はさせないけど、ノア兄様には外で、その溢れる力を発揮してもらった方がいいもんね。で、僕はここで帰る場所を守りつつ、最高の報酬(甘やかし)を受け取る。……うん、やっぱり今世は、僕の完全勝利だな)
窓から差し込む午後の光を浴びながら、レオは再び、抗いようのない甘やかな怠惰の底へと沈んでいった。
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