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日常編
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金曜日の仕事は普段よりも気楽な気がする。陽波はパソコンに向かって疲れた目を擦っていた。同僚が近付いて来て、陽波の肩を叩く。
「陽波、黒須部長が呼んでるよ」
「ん……え? 部長が?」
陽波は困惑した。何か不手際でもあっただろうか。同僚の織部梨奈は、そっと陽波に耳打ちをする。
「もし部長に飲みに誘われたりしたらちゃーんと教えてよね」
「な、無いって! 無い無い!」
「怪しいなあ。だって会議室に来いって言ってたよ?」
「何で?」
「さあ~? 陽波さ、彼氏いないんでしょ? この際部長とかどう?」
陽波の一つ年上の織部は、意地悪く笑みを浮かべた。
織部は何かとすぐ陽波をからかう。そして彼氏持ち故の余裕を見せつけてくるので、陽波はその度に苛ついていた。仲が良いのか悪いのかよく分からない間柄である。
陽波は織部を睨んだ。
「あのねー、大体部長からしたら私なんてこう、そこら辺の石ころと変わんないわけよ」
「私はそうは思わないけど? なんかー、匂うんだよねえ」
「匂うとは」
陽波は、にやにやしている織部を見つめる。織部は顎に指を当て探偵のように目を細めた。
「黒須部長ってさ、陽波を見る時だけなーんか違うんだよね、目が」
「なんじゃそりゃ。織部の言うことは当てにならん」
陽波はさっさと立ち上がって織部を追い払うと、会議室へと向かった。僅かな期待を胸に抱いて。
「失礼します」
会議室に入ると、黒須が窓にかかったブラインドを操作しているところだった。陽波が入って来たのを見るなり、振り向いて笑みを浮かべる。
「ごめんね急に呼び出したりして。来てくれてありがとう。どう? 眩しくない?」
「はい。ありがとうございます」
日が強い時間だ。しかもこの会議室、謎に日当たりが抜群なのである。それも今はブラインドに遮られ、室内は薄暗い。
本当に飲みに誘われたらどうしようか、陽波の心は揺らいでいた。
「じゃあそこに座って」
「はい」
陽波は黒須と向かい合わせに座った。改めて二人きりということを意識してしまう。どうしよう。間違いでも起こったらどうしよう。陽波は澄ました顔をしながら、脳内では色々と暴れていた。
黒須は少し間を空けてから、陽波の目を見ながら切り出した。
「早速本題を伝えてもいいかな。本当に、言い辛いことなんだけれどね。実はお願いがあって――」
**
――現実のバカヤロー。
陽波はコピー機の前で溜め息を吐いた。本日は土曜日。昨日の黒須からの“お願い”は、『他部署で風邪が流行していて、人手が足りず仕事が片付かないので、悪いけど休日出勤してヘルプをお願いしたい』だったのだ。
「ふっ……」
そんなことだろうとは思っていた。昨日の終業後に聞いた織部の失笑を胸に、陽波は熱心に仕事をしていた。昨日は幸いにも怪物が出なかったので良かったが、今の陽波は怪物に当たり散らしたい気持ちでいっぱいだった。
「いいんだ、別に……私には家族サービスどころか彼氏もいないし、仲間もいないし、孤独な独り身だしさ……」
「僕もそうだよ」
「そうですよね……って、え!? ぶ、部長!?」
隣に黒須が立っていた。黒い目で穏やかに陽波を見つめている。思い切り愚痴を聞かれてしまった! 陽波は目を泳がせた。
「あの、違うんですよ。休日出勤が嫌とかじゃないんですよ、ええ。はい。ええと、何故黒須部長がここにいらっしゃる……?」
「部下にだけ仕事をさせるわけにはいかないよ。それに、僕も寂しい独り身だしね」
「え。彼女とかいないんですか」
「いないよ。そういうのには縁が無くてね」
黒須はコピーされた紙を手に取って、「これはどこに持って行けばいいかな?」と陽波に聞いた。陽波は頭が真っ白なままで場所を教えると、黒須は礼を言い去って行った。そのスマートな背中を見送りながら、陽波は思わず呟く。
「いないんだ……彼女……」
黒須は人当たりもいいものの、何となく近寄り難い雰囲気があって、今まで特に踏み入った会話をしたことがなかった。陽波的には、学生時代から付き合っている彼女がいそうだなあと勝手に思っていたのだ。いわゆるそういう順風満帆な人生を送っていそう。
知ったからといって別に何ということもないが。何ということもないが、陽波の脳内では“彼女がいない”という言葉がぐるぐる回った。
「陽波、黒須部長が呼んでるよ」
「ん……え? 部長が?」
陽波は困惑した。何か不手際でもあっただろうか。同僚の織部梨奈は、そっと陽波に耳打ちをする。
「もし部長に飲みに誘われたりしたらちゃーんと教えてよね」
「な、無いって! 無い無い!」
「怪しいなあ。だって会議室に来いって言ってたよ?」
「何で?」
「さあ~? 陽波さ、彼氏いないんでしょ? この際部長とかどう?」
陽波の一つ年上の織部は、意地悪く笑みを浮かべた。
織部は何かとすぐ陽波をからかう。そして彼氏持ち故の余裕を見せつけてくるので、陽波はその度に苛ついていた。仲が良いのか悪いのかよく分からない間柄である。
陽波は織部を睨んだ。
「あのねー、大体部長からしたら私なんてこう、そこら辺の石ころと変わんないわけよ」
「私はそうは思わないけど? なんかー、匂うんだよねえ」
「匂うとは」
陽波は、にやにやしている織部を見つめる。織部は顎に指を当て探偵のように目を細めた。
「黒須部長ってさ、陽波を見る時だけなーんか違うんだよね、目が」
「なんじゃそりゃ。織部の言うことは当てにならん」
陽波はさっさと立ち上がって織部を追い払うと、会議室へと向かった。僅かな期待を胸に抱いて。
「失礼します」
会議室に入ると、黒須が窓にかかったブラインドを操作しているところだった。陽波が入って来たのを見るなり、振り向いて笑みを浮かべる。
「ごめんね急に呼び出したりして。来てくれてありがとう。どう? 眩しくない?」
「はい。ありがとうございます」
日が強い時間だ。しかもこの会議室、謎に日当たりが抜群なのである。それも今はブラインドに遮られ、室内は薄暗い。
本当に飲みに誘われたらどうしようか、陽波の心は揺らいでいた。
「じゃあそこに座って」
「はい」
陽波は黒須と向かい合わせに座った。改めて二人きりということを意識してしまう。どうしよう。間違いでも起こったらどうしよう。陽波は澄ました顔をしながら、脳内では色々と暴れていた。
黒須は少し間を空けてから、陽波の目を見ながら切り出した。
「早速本題を伝えてもいいかな。本当に、言い辛いことなんだけれどね。実はお願いがあって――」
**
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陽波はコピー機の前で溜め息を吐いた。本日は土曜日。昨日の黒須からの“お願い”は、『他部署で風邪が流行していて、人手が足りず仕事が片付かないので、悪いけど休日出勤してヘルプをお願いしたい』だったのだ。
「ふっ……」
そんなことだろうとは思っていた。昨日の終業後に聞いた織部の失笑を胸に、陽波は熱心に仕事をしていた。昨日は幸いにも怪物が出なかったので良かったが、今の陽波は怪物に当たり散らしたい気持ちでいっぱいだった。
「いいんだ、別に……私には家族サービスどころか彼氏もいないし、仲間もいないし、孤独な独り身だしさ……」
「僕もそうだよ」
「そうですよね……って、え!? ぶ、部長!?」
隣に黒須が立っていた。黒い目で穏やかに陽波を見つめている。思い切り愚痴を聞かれてしまった! 陽波は目を泳がせた。
「あの、違うんですよ。休日出勤が嫌とかじゃないんですよ、ええ。はい。ええと、何故黒須部長がここにいらっしゃる……?」
「部下にだけ仕事をさせるわけにはいかないよ。それに、僕も寂しい独り身だしね」
「え。彼女とかいないんですか」
「いないよ。そういうのには縁が無くてね」
黒須はコピーされた紙を手に取って、「これはどこに持って行けばいいかな?」と陽波に聞いた。陽波は頭が真っ白なままで場所を教えると、黒須は礼を言い去って行った。そのスマートな背中を見送りながら、陽波は思わず呟く。
「いないんだ……彼女……」
黒須は人当たりもいいものの、何となく近寄り難い雰囲気があって、今まで特に踏み入った会話をしたことがなかった。陽波的には、学生時代から付き合っている彼女がいそうだなあと勝手に思っていたのだ。いわゆるそういう順風満帆な人生を送っていそう。
知ったからといって別に何ということもないが。何ということもないが、陽波の脳内では“彼女がいない”という言葉がぐるぐる回った。
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