学院の魔女の日常的非日常

只野誠

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金と欲望と私

金と欲望と私 その1

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 日差しが強く日光もじりじりと熱く地面を照り付ける。
 海から吹き込む湿った風が不快さをさらに押し上げる。
 ただただ蒸し暑い。
 これでまだ夏本番ではないというのだ。それどころか夏はまだ先だという。
 この地方の夏本番という時期が来れば、どうなるかミアには見当もつかない。
 今、滲む汗に耐え、ミアは講義を受けている。ただ暑いから、という理由だけでなくミアは渋い表情を見せながら講義を受けていた。
 講義を受けているのはミア一人だ。
 これはサンドラ教授の特別講義。神与知識。それに伴う権利。それを学ぶための講義で、その権利を得た者が受けるための講義だ。
 神から与えられた知識、あるいは技術、それらは特別な物だ。
 まだ未完成な世界で力を持たない人類が生きていく上で必要な知識。
 いや、もはやそれは昔のことで、現在では、まだ未完成な世界で力を持たない人類が快適に過ごすための知識、と言い換えても良い。
 この世界は未完成ながらに長い歴史を持ってしまった世界なのだから。
 一説には神から与えられる知識は、遠い未来に完成された世界で人類が発見する知識なのだという。
 それを神が、長い間、準備段階である世界で生きる人類に、先んじて教えられた知識なのだという。
 それが本当かどうか、それを知る者には、少なくとも人間に誰一人としてはいない。
 そんな知識を与えられた者は特別な権利を得る。
 神与権益とも言うべき物。
 神から与えられた知識は守られるべきもので、それに付随する権利と利益も知識を与えられた者の物とし守られるべき、というものがこの世界にはある。
 たとえ、それがこの世界で先に人によって発見されているような知識であったとしてもだ。
 だからなのか、この世界で発明家と呼ばれるような者は少数しか存在しないし、彼らが得られるものも少ない。
 例え必死に人間がなにかの知識を発見したとして、後から神により同じ知識を別の人間に与えられたとする。その場合でも、神から授かった知識の方が重要視され、全てにおいて優先される。
 知識を授かった人間が望めば、その知識を自力で発見した人間がその知識を用いることを法で禁止することができさえする。
 ミアはそのことに若干のわだかまりを感じつつも、そう言うものとして受け入れるほかなかった。
 ミアが授かったジュダ神より与えられた知識は、パンを作るためのもので、その調理法である。
 その中身は、大きく分けて三つ。天然酵母の作り方、乳から脂肪を凝固させたもの所謂バターの作り方、そしてそれらを使ったパンの作り方だ。
 どれもこれも既存の神与知識ともかち合うため、ミアが泥人形作りに奔走している間、サンドラ教授はこれらの知識を神から授かったことを申請するために色々とこちらも奔走していた。
 都の役所へ赴き、神から知識を預かったことを登録のための申請し、証拠を提出し、その権利を強く主張した。
 そして、都で絶賛大人気販売中のパンの製造元である商会にまで赴き、説明をしてきた。
 本来はここまでするようなことではないが、知識を与えたのが破壊神と呼ばれるような神であったためだ。その神より与えられた知識で、人間同士でのイザコザを避けるための対応だ。
 破壊神の機嫌を損なうという事は、それほど危険なことなのだ。
 一つの街が破壊神の怒りで滅ぼされるなどは簡単に起きることだ。もっとも怒らせてはいけない神の一つだ。
 サンドラ教授の尽力あって、シュトゥルムルン魔術学院でもかなり早い段階からパンが作り始められた。
 と言ってもパンを作ることが許されているのは学院の食堂で働くグランラ一人ではある。他に作れる権利があるのは知識を直接受け取ったミアくらいだ。
 とはいっても、ミアがジュダ神から与えられた知識の内容を知ったのは、この講義でだが。
 それを聞く限り材料さえあればミアでも作れるほどで、ミアにとってはそれほど難しい工程はないように思えた。
 ついでに値段は銅貨一枚。都で売られるパンの半額である。
 半額の理由としては、あくまでここは魔術学院であり、そこに住む者の大半は生徒で銅貨二枚も出してまで買える人間が少ないと言うことが最大の理由だ。
 それと都で売られている物とパンの種類も大きさも違う。学院で売り出された物は都で売っている物よりだいぶ小さい、という事もある。
 それでも学生からすればかなり高くはあるはずなのだが、毎日売り切れになるほどの人気なのだという。
 その値段に元々都でパンを売っていた商会は難色を示したが、ジュダ神から与えられた書状の中の一文によりその値段で、販売することを了承している。
 ミアはサンドラ教授の特別講義を受け、神与知識について学んだ後、何か漠然と釈然としないものを感じていた。
 しかも、来月から毎月金貨数十枚も受け取る権利があるのだという。
 学院内の売り上げだけで毎月それだけのお金が入ってくるのだという。人がにぎわう都でもし売りに出されたら、どれだけの利益が出るのかミアには見当もつかない。
 自分は何もしていないのに。ただ知識を受け取っただけなのに、そればかりか学院に多大な迷惑をかけ、泥人形の作成も優先して行ってもらえたのに、とミアは思った。
 そこにも何か釈然としない。
 ある意味、ミアはそれらすべてのことに納得していなかった。だから、行動にでた。
 ミアは特別講義を終えたその足で学院長室へ向かった。
 学院長室の扉の間で、深呼吸をし扉を叩こうとしたとき、扉が先に開いた。
 学院長室からちょうど出てきた人物、顔は左半分に大きな怪我の跡があり左目には眼帯を付けている不愛想な男、カーレン教授だった。
 ミアと目が合うと、カーレン教授は自ら端により、ミアを学院長室に招き入れた。
 その後で、視線だけでポラリス学院長に合図を送り、教授自体はそのまま無言で退室していった。
 ポラリス学院長はしばらく考え事をしたのちに、ただ茫然とたたずむミアに向かい声をかけた。
「何ようかな?」
「あ、あの、お願いがあってまいりました」
 ミアは意を決したようにそう言った。
 ポラリス学院長はそんなミアを見て全てを察するかの表情で、
「聴こう」
 と、だけ言った。

「おや、ミアちゃんお久しぶりだねぇ。ミアちゃんのおかげでおばちゃん大儲けだよ」
 昼過ぎに食堂へ行くといつもの食堂のおばちゃんが、いつにもましてニコニコの笑顔で話しかけてきた。
 笑顔の理由は、本人が言っている内容で間違いないだろう。
 もう昼の講義が始まっている時間で、食堂を利用している人もそれほど多くはない。だからこそ、食堂のおばちゃんもミアに話しかけてきたのだろう。
「あっ…… えっとグランラさん、で、よかったですよね?」
 ミアはうる覚えではあるが、そう何度か名前を他の人から聞いていたのを思い出す。
 確かこの名前であっているはずだ。
「そう言えば、まだちゃんと名乗っていなかったわね、そうよ。それがおばちゃんの名前よ。なんかごたごたがあったんだって? でも、もうすんだんだろ? どうだい? ミアちゃんのおかげで作れるようになった正真正銘のパン。食べていきなよ」
 そう言われて値段表を見る。今は払えなくはないが、先のことを考えると払うことは厳しい金額だ。
「いえ、いつも通り素のスァーナでお願いします」
 ミアは視線を伏せてそう言った。
 厨房から、何とも言えない良い匂いがしてくる。もう昼過ぎだが追加でパンを焼いているのかもしれない。
 聞いた話では日に何度もパンを焼いているのだという。
 それでも売れきれるほど今は大人気なんだとか。
「なんでだい? ミアちゃんも、もう昼食の金額なんて気にすることないんじゃないのかい?」
 と、不思議そうな顔でグランラさんは話しかけてくる。
 ミアは言うか言うまいか、一瞬迷いはしたものの、食堂のおばちゃんも当事者だ。
 伝えておくことにした。
「そのことなんですが、私のせいで学院は、神の社という大掛かりな施設を作らざるえなくなってしまいました。パンで得た私が受け取るはずの利益は全部、そのそちらの代金の足しにする様にしてもらいました。先ほどそのように学院長にお願いし受理されました」
 それを聞いたグランラは目を丸くして驚いた。
 まるで、信じられない、と言ったような表情だ。
「え? で、でも、いいのかい?」
 食堂のおばちゃんは慌てた様にミアに確認する。
「はい、元々私には大きすぎる大金です。そんな大金を得てしまったら自分が自分でいられない気がして…… っていう理由もあるし、何より私はこの学院に魔術を学びに来たのであって儲けに来たわけではないので」
「そ、そうなのかい…… ミアちゃん、あんた真面目だねぇ…… おばちゃんなんかは大はしゃぎで大喜びだよ。それもこれもミアちゃんのおかげだというのに……」
 と、グランラは少し心配そうにミアを見つめた。
 それと同時に、年甲斐もなく大はしゃぎしていた自分を恥じているようだ。
「それならよかったです」
 と、ミアが返すと
「んー、じゃあ、せめておばちゃんの作ったパンを食べておいきよ。これはおばちゃんのおごりだからさ。もうすぐ追加分が焼き上がるから、ねぇ? 食べておいきよ。その知識をくれた神様もミアちゃんが食べてくれることをきっと望んでいると思うよ」
 と言ってくれた。
 確かにせっかく神より授かった知識で作られたパンだ。一口は口に入れないとさすがに罰あたりなのかもしれない、とミアも思いなおす。
「良いんですか? でも…… 確かにそうですね。せっかく教えてくださったものですし、私も一口くらいは食べないといけませんよね……」
 ミアはそう言って自分に言い聞かせるように納得させる。
 ただ、パンは見るからにおいしそうだし、何よりその美味しそうな甘い匂いは食欲をそそる。
 正直食べてみたいとミア自身も思う。思うのだが、なぜか気が引けていた。
「そうさそうさ。それに、おばちゃんはね、豊穣を司る大地の女神様の信徒なのさ。飢えた者には糧を与えよ。っていうのが教えだからね」
「そういえば、そうでしたね。ありがとうございます。喜んでいただきます」

「あら、ミア。いいもの食べてるじゃない。もうお金には困ってないものね」
 声をかけられるまでミアはスティフィが近づいてきたことに気が付かなかった。
 ミアはスティフィの顔を見て、なぜだか安心した。
 自分の身に余るようなことが立て続けに続いていたし、未だその最中でもある。
 そんな中で自称親友でも、その顔はやはり安心させ、落ち着かせるには十分なのかもしれない。
 ついでに、食べている、とは言われたが、皿の上に置かれたパンを眺めているだけでミアは未だに手を付けれずにした。
「スティフィ、こんにちは。明日からはまた素のサァーナですよ。これは…… 恵んでもらった物です」
 そう言って手つかずにいたパンを見せた。
 美味しそうなのだが、どうしても手が出せないでいた。その理由はミア自身わかっていない。
「え? なんで?」
 と、スティフィが不思議そうな表情を見せた。
「破壊神がまた来た時のために、念のため学院で神の社という施設を作ることになったそうなんですが、私が貰うべき利益はそちらの足しにしてもらいました」
 と、正直にそう伝えた。
「ええー、なんで? もったいない。社だって別にミアのせいじゃないでしょ?」
 スティフィの言う通りだ。
 結局、破壊神が近くにいた、という事実には変わらないし、その事実から結局は神の社は作ることになったとも、ミア自身が学院長からも言われていることだ。
 それでもなお、ミアは自分がお金を受け取るのは何か違うと思い、自分が得るべき利益を学院への寄付というかたちにしてもらった。
「今思うと、少しくらい手元に残るようにしておけばよかったかなとも思いますけど、これで良かったんですよ。なんだかんだで魔力の水薬の売れ行きもいいですし、そちらだけでも、いずれおかず付きのサァーナを食べれるようになります。これからは荷物持ち君もいるので作れる本数も増えていくので、なおさらですよ。そうなれば自力でパンとやらも買えるようになります」
 とは言いつつも、その荷物持ち君の材料のほとんども学院持ちだ。
 それを考えると、泥人形を私物化していいものかどうか、ミアにはそれも踏ん切りがつかなかった。
 ただ荷物持ち君の運搬力があれば、魔力の水薬以外の水薬なども作り始めることができる。
 そちらの方を我慢することはミアにはできないだろう。水薬の作成も魔術の勉強の一環なのだから。
「あっ、その表の泥人形。なんだか人集りができてたわよ」
 粘土でできてはいるが、泥人形は泥人形だ。寮や食堂などの室内に入れるには不衛生だし、足跡で床を汚してしまう。
 屋内の用事があるときは、どうしても外で泥人形を待機させておかなければならない。
 つまり今、荷物持ち君は食堂の前に待機している。
「え? 何かあったんですか?」
 と、反射的にミアが聞き返すと、
「特に何にも。グランドン教授が泥人形としては世界有数って講義で自慢してたらしいから、その影響かも? 一目見たい人は多いんじゃないかしら?」
 と、伝えてきた。
 実際、朽木様の苗木、つまりは古老樹の苗木を使った使い魔など珍しい以外の何物でもない。
 また凝り性のグランドン教授がため込んでいた素材を惜しみなく提供してくれたおかげで、本当に世界でも指折りの泥人形となっている。
 もしかしたら、古老樹の苗木を核に使った泥人形は世界初の代物かもしれない。
 使魔魔術に興味がなくとも、魔術を学ぼうとするものなら、気になるのは当然だろう。
「そうなんです?」
 と、ミアは自覚なさげな返事を返す。
 ミアにとっては荷物持ち君が凄い使い魔、という認識はあっても世界有数の希少さまであるとは理解できていない。
「朽木様だっけ? 見せに行くのよね?」
 スティフィはミアの疑問には答えず、少し真剣な表情を見せて逆に聞いてきた。
「ええ、そうです。来週か再来週…… 辺りのはずです。まだ詳細は決まってませんけど。荷物持ち君の動作を見てからで、直せるところがあればなおして、それから見せに行くそうです。今は動作確認中と言った感じですね。見せに行くときは、一週間程留守にします」
 精霊王と朽木様がいる山までは片道三日ほどかかるそうだ。
 四つか五つ先の山らしいのだが、道らしい道もない山中を行くそうなので、それくらいかかるそうだ。
 途中に根拠地はあるものの、その道のりは厳しいという話を聞いている。
 この辺りで精霊魔術師になるための第一の試練、と言った感じなのだそうだ。
「あら、私もついて行くわよ。親友だもの」
 スティフィは当然と言った感じでそう言ってきた。
 今まで裏山にだけには付いてこなかったスティフィがそう言った。
「スティフィも来るんですか?」
 なぜ急に、とミアは違和感を感じたが、スティフィのことだ理由は一つしかないだろう。
「あら、ダメなの?」
「ダメじゃないですけど…… スティフィも物好きですね」
 ミアがそう言うと、スティフィはなんとも言えない笑みを浮かべて、その後何かをごまかすように話題を変えてきた。
「にしても、もったいない。せっかくお金持ちになれたのに。いや、まあ、私としてはミアが貧乏でいてくれた方が弱みを握りやすくていいんだけども、もったいないなぁ」
 そう言われるとミア自身でも、もったいなかったと再認識してしまう。
 少しくらい手元に残るようにしておけばよかったと、何度も思い返してしまう。
 けど、あの場は、なぜかその全額を学院に、いや、誰かに渡してしまいたい気持ちでいっぱいだった。
「良いんですよ、お金なんて。それはそうと、パン、二つあるので、一つどうですか? 何かとスティフィにはお世話になっているので、そのお礼です。まあ、先ほど言った通り、貰った物でなんなんですけど」
「一個、銅貨一枚するのよね、それ。確かに良い匂いだし美味しそうだけど……」
 こぶし大より、少し大きいまだ焼き立てと言って良いパンは見るからに柔らかそうで、何とも言えない良い匂いを放っている。
「都では銅貨二枚だそうですよ」
 ミアがそう付け加えると、スティフィは少し微妙な表情を見せた。
 もしかしたらスティフィは都で売られているパンを知っているのかもしれない。ミアがきいた話でも大分違う種類のものらしい。
「うーん、まあ、貰おうかな。せっかくの親友からの贈り物だし」
「はい、どうぞ」
 と、ミアが手渡すと、スティフィはパンを手に取り、まずはその匂いを嗅いだ。
「まだ暖かいし、本当に良い匂いね」
 そう言った後、そのまま一口かじりついた。ふわふわのそれは音もなく簡単にスティフィに噛み千切られた。
「あら、美味しい」
 と、スティフィから言葉がこぼれた。
 その表情からもつい言葉が出てしまったことが読み取れるほどだ。
 それを見て、ミアも意を決してパンにかじりついた。
 また暖かい。柔らかくてほのかに甘く、それでいて香ばしい。口の中に甘い熱気と牛乳から抽出された脂肪の旨味と風味が広がる。
 ミアが今まで味わったことのない食感と美味しさを感じる。
「本当にふわふわなんですね、そして、とっても美味しい……」
 ミアから出た言葉はそれだった。
「これが銅貨一枚か。たまに食べるにはいいわね。さすがに銅貨二枚にもなると早々手が出ないけど。たださすがに一個じゃお腹膨れないわね」
 スティフィは早々にパンを食べてそう感想を残した。
 確かに量の割には値段は高めだ。ただ後味も良くまた食べたくなる。
「ですね。ただ牛乳から得た脂肪分を使っているそうなのでお腹の持ち具合はいいんじゃないですかね」
「そうなんだ。ただ、まあ、この値段だと嗜好品の域よね」
 スティフィはそう言ってパンの余韻に浸っていた。
「都でもそう言った感じで売られているそうですよ。ただ都の物は外側が硬くてパリパリなんだそうですよ。そっちも一度くらいは食べてみたいですね」
「ミアが余計なことしなければ、いくらでも食べれたんじゃないの」
 スティフィはそう言って意地悪そうに微笑んだ。
 その顔を見たミアは、悩んでいるのもなんか馬鹿らしくなった、そんな気が少しだけした。
「いいんですよ。金額を聞いていただけで私はくらくらしていたので、今は逆に気が楽ですよ」
 これは本当のことだ。リッケルト村にいたときは貨幣というとリッケルト村以外、行商人や他の村との取引に使うもので個人が持つようなものではなかった。
 言ってしまうと、リッケルト村内だけで言うならば、物々交換が主流だったし、巫女の立場にあるミアは他の村人から捧げ物と言った感じで支援を受けて生活をしていたと言っていい。
 それでもミアの生活は貧しいものであったが、それはリッケルト村自体が貧しいので仕方のないことだ。
 それにリッケルト村基準で言えばだが、ミアの暮らしはまだましな方だった。
 そんな状態の貧乏な村からミアは路銀を貰い旅立っている。相当貴重なお金だったに違いない。
 それをロロカカ様の言いつけではあるが、その路銀を捻出してくれた村の人たちにミアは感謝しているし、その路銀以上の数倍にも呼ぶお金が毎月振り込まれてくると言うことはミアにとって気が気でない事なのかもしれない。
 ミアの中の今までの価値観を粉砕してしまう事だけは間違いがない。
 それを考えると、学院に寄付するという形を取ったのは、ミア自身にとっても正解だったのかもしれない。
「まあ、いいんだけど。今日はこれからどうするの?」
「今日は…… 夕方からの講義で受けたいものないんですよね。なので、荷物持ち君の試運転がてら裏山にでも行こかと。特に目的もないんですけどね。さすがに今から薬草採取だけはできても、水薬を作る時間はないですし」
 ミアがそう言うとスティフィは少し考えこんだ。
 そして、すぐに何か諦めた表情を浮かべ、
「久々の山ってことね? 同行してもいい?」
 と、聞いてきた。
「え? いいですけど、珍しいですね、スティフィが山にまで同行するだなんて」
 ミアがそう答えると、スティフィは隠さずに苦笑した。
「私にもいろいろあってさぁ。しばらくはミアにぴったり着くように言われたのよ。今晩はミアの部屋に泊まりに行くからそのつもりでね」
「え? それはいいですけど、なんでです?」
 ミアが聞き返すと、
「まあ、色々とね」
 と、スティフィは訳あり顔を見せた。
 とはいえ、スティフィのことだ。ダーウィック教授以外の理由は思い浮かばない。
 それをミアの一存で断ることは、さすがにスティフィが可哀そうだ。
 彼女にとってダーウィック教授の命令は勅命に等しいものなのだから。
「そう言われると断れないじゃないですか、にしてもスティフィは山とか平気ですか?」
「実はあんまり好きじゃないのよね……」
 と、心底嫌そうな表情をスティフィは見せてくれた。

 ミアが学院長室を訪れる少し前。カーレン教授が学院長室を訪ねてきていた。
「なにかな、カーレン教授」
 少し疲れた表情でポラリス学院長が先に口を開いた。
「冥界の神、デスカトロカ神の件でご報告があります」
 カーレン教授は不愛想ながらに丁寧な口調で物静かにそう告げた。
「聴こう」
 とポラリス学院長は短く返事をした。
「二点ほど。まずシキノサキブレですが、地脈を通じて死蝋化した死体に憑りつくことが冥界の神により確認されていました」
 その報告を聴いてポラリス学院長は若干だが驚きの表情を見せた。
 期待していなかったことだけに、この成果は驚きを感じているのかもしれない。
「それは本当か? いや、すまない。疑っているわけではない。しかし、なるほどな。では、学会に報告する事になるので、後ほど報告書を作ってくれ。で、もう一点は?」
「その冥界の神がかなりお怒りになられているそうです。信徒はクレンツという名の男なのですが、クレンツが言うには、術者であるマーカスと冥界の神の間になんらかの盟約が結ばれていたそうです。しかし、その対価が未だに支払われていないのでお怒りになっておられる、と言う話です」
「冥界の神との盟約……か。これまた面倒なものを残して…… その対価とは?」
 冥界の神は、生きている人間に対してあまり干渉しない。もちろん死者であれば話は別だが。
 そのためか、その神が怒っていても非常に分かりにくい。
 手遅れになる前に知れただけ、今回はましな方だろうか。
 これは別の冥界の神の話だが、手遅れになると、死者が蘇り辺りを闊歩し、生者を無差別に襲い冥界へ無理やり連れていこうとするのだという。
 死体をそのまま土葬するような地域では、その後疫病も発生することになるのでたまったものではない。
「それが不明ということで、クレンツ自身もかなり焦っています。事件のあらましを話し、クレンツが試しに犬三頭ほど神の元へと送りましたが、怒りは収まらなかったそうです。更に、死んでいるはずのマーカスを冥界から呼び出して確認しようとしたところ…… マーカスはまだ冥界に来ていない。とのことが判明しました。これを入れると報告事項は三つです」
「死霊術か。あまり関心はしないが…… にしても、マーカス訓練生が生きているということか、もしくは死を魔術的に避けているのか。これまた…… 一波乱ありそうだな。このことは他の誰かには?」
 ただ生きていれば問題はないのだが、死を誤魔化し生きる死者として、この世にとどまっているのであれば、それはもはや外道と変わらない魔物の類だ。
 そんなものを魔術師学院、しかも騎士隊科から出したとなれば大問題になることだ。
 ポラリス学院長にとっては頭痛の種である。
「いえ、伝えておりません」
「すまないが少しの間、口外しないでくれ。ただの行方不明であれば問題はないのだがな」
「承知」
 表情は不愛想のままだが、カーレン教授はそう固く強い意志で返事をしたように、ポラリス学院長には思えた。
 正直、得体のしれない男だ。ただ彼の推薦者がウオールド老なので、厄介者なのかも知れないが、心底性根の腐った人間ではない、おそらくは信頼のおける人間なのは確かなのだろう。
 なんだかんだでウオールド老の人を見る目は確かだ。
 またその使徒魔術の腕は確かなもので、太陽の戦士団の神官長を務めていたローラン教授にも劣らない。
 悪魔崇拝者。
 一般的な意味では邪神や悪神に仕える御使いを崇める者、魔術的な意味では、神に自由意志を与えられた御使いを崇める者。
 カーレン教授は後者だ。
 ただ悪魔崇拝者はとても珍しい。
 なぜなら、悪魔も御使いであり仕えている存在、神なり邪神なり存在するからだ。
 それなら、悪魔が仕えている神を崇拝したほうが合理的である。だからか悪魔崇拝者と呼ばれる人種は珍しい。
 そんな特殊な肩書がなければ、中央でも十分に一流の魔術師としてやっていける腕の持ち主だ。
 ウオールド老はどこでこれほどの人材を見つけて来るのか、長い付き合いだがポラリス学院長にもその点はわからない。
「その信者、クランツには引き続き冥界の神が何を求めているか、聞いてもらうことは可能か?」
「既にそのように伝えております」
「そうか、わかれば学院側でもできる限りのことはしよう。こちらで用意できる物であれば手配しよう。また、どうしても冥界の神の怒りが収まらないというのであれば、仲裁の手助けもすると伝えてくれ。デスカトロカ神の神格は高いがどうにかなるはずだ」
 ポラリス学院長はそう言ってはいるが、とても渋い表情を見せた。
 冥界の神の神格は高くその仲裁ともなると、恐らく自分かダーウィック教授が動かねばならないだろう。
 ただダーウィック教授が動いてくれるとは思えない。
「はっ、そのように伝えておきます」
「報告は以上か」
「はい」
「ありがとう。しかし次から次へと問題が出て来るな」
 そう軽く愚痴を漏らしてみるが、カーレン教授の表情は何一つ変わらない。
「では、これにて」
 要件は終わったとばかりに、カーレン教授は立ち去ろうとした。
 そのカーレン教授に向かいポラリス学院長は、
「ああ。進展があれば、頼む」
 と声をかけた。
「御意」
 そう言ってカーレン教授は退室していった。よくわからない男だ。とポラリス学院長が思っていると、カーレン教授が扉をあけたところで立ち止まった。
 何かと思いそちらに目をやると、最近何かと、本人の意志に関わらず悩みの種を作ってくれる新入生がいた。
 また厄介ごとが増えるのか。と、なんとなくそうポラリス学院長は予期してしまう。本人は至ってまじめで素直な娘なのだが、いささか数奇な運命に愛されているところがある。
 それは、まあ、魔術学院ではよくあることだ、とポラリス学院長はなんとなくそう考えていた。



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偶然神のガチャシステムに欠陥がある事を発見したノーマルアイテムハンター(最底辺の冒険者)ランナル・エクヴァル・元日本人の転生者。 獲得したノーマルアイテムの売却時に、偶然発見したシステムの欠陥でとんでもない事になり、神に報告をするも再現できず否定され、しかも神が公認でそんな事が本当にあれば不正扱いしないからドンドンしていいと言われ、不正もとい欠陥を利用し最高ランクの装備を取得し成り上がり、無双するお話。 俺は西塔 徳仁(さいとう のりひと)、もうすぐ50過ぎのおっさんだ。 単身赴任で家族と離れ遠くで暮らしている。遠すぎて年に数回しか帰省できない。 ぶっちゃけ時間があるからと、ブラウザゲームをやっていたりする。 大抵ガチャがあるんだよな。 幾つかのゲームをしていたら、そのうちの一つのゲームで何やらハズレガチャを上位のアイテムにアップグレードしてくれるイベントがあって、それぞれ1から5までのランクがあり、それを15本投入すれば一度だけ例えばSRだったらSSRのアイテムに変えてくれるという有り難いイベントがあったっけ。 だが俺は運がなかった。 ゲームの話ではないぞ? 現実で、だ。 疲れて帰ってきた俺は体調が悪く、何とか自身が住んでいる社宅に到着したのだが・・・・俺は倒れたらしい。 そのまま救急搬送されたが、恐らく脳梗塞。 そのまま帰らぬ人となったようだ。 で、気が付けば俺は全く知らない場所にいた。 どうやら異世界だ。 魔物が闊歩する世界。魔法がある世界らしく、15歳になれば男は皆武器を手に魔物と祟罠くてはならないらしい。 しかも戦うにあたり、武器や防具は何故かガチャで手に入れるようだ。なんじゃそりゃ。 10歳の頃から生まれ育った村で魔物と戦う術や解体方法を身に着けたが、15になると村を出て、大きな街に向かった。 そこでダンジョンを知り、同じような境遇の面々とチームを組んでダンジョンで活動する。 5年、底辺から抜け出せないまま過ごしてしまった。 残念ながら日本の知識は持ち合わせていたが役に立たなかった。 そんなある日、変化がやってきた。 疲れていた俺は普段しない事をしてしまったのだ。 その結果、俺は信じられない出来事に遭遇、その後神との恐ろしい交渉を行い、最底辺の生活から脱出し、成り上がってく。

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