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#013 エンジェルフェイス
しおりを挟む「別れよう」
薄暗いバーの店内、もう客は私たち2人しかしない中で、彼はこの言葉を口にした。
私は、それに対して特に返事もせず、ただ黙って彼の方を見つめたが、彼は私の方を見ようとはせず、財布の中から取り出した2枚の1万円札をカウンターテーブルに叩きつけて席を立つと、そのまま店をでていってしまった。
カランカラン…と、ドアベルが鳴るのを背中で聞きながら、私はカクテルグラスを持ち上げて笑う。
「……また、か」
彼の口からあの言葉を聞いたのは、もう5回目になる。
半年に1回のペースで別れ話を切り出す彼とは、付き合ってもうすぐ2年が経とうとしているが、今思えばよくもまぁダラダラと続いているものだと思う。
1回目は私のわがままに付き合いきれないと言い、2回目は私のことを幸せにできる自信がないからと言い、3回目は自らの命を絶とうとまでした。4回目は、私との未来が考えられないと言って泣いていた彼だが、結局別れずじまい。
別れを切り出すのは彼だったが、少しの時間を与えれば、彼の方からやっぱり別れたくない。と泣きついてくる。
私が彼と一緒に泣いたのは3回目までで、4回目の時にはもう何も言わなくなった。
まだ彼と別れたくないという気持ちがあったからこそ、彼を引き留めた1回目。
突然告げられた別れを受け止めきれず、真夜中にヒステリックを起こした2回目。
彼が命を絶とうとする現場に駆け込み、必死に止めながら泣き喚いた3回目。
流石に付き合いきれないと、なんだか冷静になってしまった4回目。
そして今に至る。
今思えば、2回目の別れ話の時点で私はもう彼と付き合っていけない。と思っていたのに、結局ここまで関係が引き伸ばされている。
今回だって、私の方から連絡をしなくても、彼からまた泣きついてくるに違いない。
連絡を待たずに私の方から別れてしまえばいいのに、私は彼の連絡先を消すことは出来ずにいた。
何故かと聞かれてしまえば、それはまだ私が彼を愛しているからだと返すしかない。
彼のどこが良いのかと聞かれれば、全部だと答えることもできる。
愛しているからこそ、彼のことを受け止めたいと思ってしまう。
例え別れ話をされようと、私は彼が自分の元へ戻ってくることを信じて待ってしまう。
あぁ、一体いつになったら、私の彼に対する恋心は燃え尽きるのだろう。
他人から見れば、そんな関係早く終わらせればいいのに。と言われるに違いない。
でも、もうしばらくの間は、彼を手放そうとは思っていないのだ。
彼が、本気で私に別れ話をする時が来る、その時までは。
フッと笑みをこぼして、カクテルグラスの中身を飲み干し、バーテンダーに声をかけようとすると、バーテンダーは何やら新しいカクテルを差し出してきた。
「これは?」
「エンジェルフェイスでございます」
「頼んでいないと思うけど…」
「えぇ。ですが、今のお客様にぴったりなカクテルですよ」
バーテンダーの言葉に、私の口からもフッと笑いが零れる。
「そうね」
私は差し出されたカクテルに口をつけた。
フルーティーな甘さは、私好みの味で飲みやすい。
「……これ飲んだら帰るわ。あ、今日のお代はこれで」
私は彼が置いていった2万円を手に取り、バーテンダーに渡した。
「いつもありがとうございます」
「いいの。今日は嫌なとこ見せちゃったし」
「いえいえ。是非、またいらしてくださいね」
「フフッ…そうね、そうするわ」
今頃、彼は1人寂しく家に向かいながら、私のことで頭をいっぱいにしているんだろう。
悩んで、苦しんで、それでもまだ愛を求めて縋り付く彼の姿は本当に可愛らしい。
私がそうさせているのだと思うと、堪らなく興奮する。
「それじゃあ、いくわね」
「お気をつけて」
優しく微笑むバーテンダーに手を振って、私はまだまだ長い夜の街へと続くドアを開けた。
ー完ー
今回のカクテル 「エンジェルフェイス」
ウォッカベースのカクテル
ドライジン、アップルブランデー、アプリコットブランデーで作られる。
度数は高めだが、林檎と杏の芳醇な香りと甘みで飲みやすい。
意味は「移り気な心」
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