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前編
始まりは、雨の降る日?(過去)
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霧のような小雨の降る日だった。
おじ様が北の方の王家直轄地の視察に出掛けた日。例外なく私も連れ回される事になっていて、特に疑問も持たずに私は用意された馬車へと乗り込んだ。
相席するのは、公爵家からずっと付き従ってくれている侍女二人。残りの侍女は別の馬車。おじ様は国王専用の馬車に、私のお墨付きの信頼出来る侍従と文官と共に乗っていた。
他愛もないお喋りを侍女達と共に続けていたけれど、途中で馬車が止まって、馬に乗る騎士が外から声を掛けてくる。
「アリサ様。そろそろ雨が本降りになりそうなので、今日は近くの宿で一泊すると、陛下からのご命令です」
「分かった。ありがとう」
本来ならばそこそこ大きな街で一泊する予定だったけれど、その手前の小さな街で一行は足を止める事になった。
国王陛下を護衛する事だけあり、馬車の周りはかなりの数の護衛騎士達が囲んでいる。
小さな街は国王陛下の一行で随分と賑やかになっているようだ。実際外に出なくても、私の耳にはしっかり届いていた。
馬車の旅で少し疲れていたのだろう。私はなんだか外に出る気すら起きなくて、街で一番高級な宿の窓から、音を立てて降り続ける雨をぼんやりと眺めているだけだった。そんな私を慮ってか、侍女は紅茶と茶菓子を出してくれる。
それに手を付けながら、まだ昼のはずなのに鈍い色に染まった空を眺めていた。
「土砂崩れ?」
夕食時。侍女に持ってきてもらった質素な食事を食べながら、護衛騎士の一人が私に進路について説明してくれていた。
国王陛下御一行だ。普段は付き従う優秀な文官や武官が進路を決めてくれる。私が口を挟む事は無い。だから、食事中も基本的には騎士の説明を受けているだけのはずだった。
だけれど、不穏な響きに私は思わず問い返した。
「はい。実は予定していた進路の途中で土砂崩れが発生したようで、迂回する事になりました」
「そうなんだ……。土砂崩れで怪我人はいない?」
「はい。幸いにも人の通りがない時間帯と、人の住む場所ではなかったので怪我人はいないようです」
「それはよかった。……迂回したら予定よりどのくらい時間が掛かるの?」
「半日ほどかと」
半日、と口の中でその言葉を反芻した。少しだけ馬車の旅が長引いた事にうんざりする。でも護衛騎士に当たるつもりもないので、「ありがとう」と言ってそのまま帰した。
スープに口をつける。野菜の沢山入ったスープにほんのりと身体を温められながら、未だに降り止まないどころか激しさを増していく雨音を聞いていた。
「雨、酷くなってきたのに予定通りに出発出来るのかな?」
部屋の隅に控えていた侍女に問い掛けると、侍女も「そうですね……」と苦笑混じりに口を開く。
「このまま激しい雨が降り続ければと難しいかと。アリサ様と私は馬車の中にいますが、護衛の騎士達は皆様外ですから……」
「そうよね。……雨は地面もぬかるんでしまうし。早く帰りたい」
「国王陛下はアリサ様を重用なさっておいでですから……」
重用、という言葉に黙り込んでしまった。
国王陛下に重用はされている。けれど、それは歪な関係だった。それを、この侍女は知らない。
最近、ポツポツと私の立場についての疑問が他の人から湧いている。やはり王太子ルーカスの婚約者に内定しているのだろう、と最初は思っているようだったけれど、ルーカスを差し置いて私を連れ回す歪さに段々皆が首を傾げつつある。
おじ様に怪しまれないように、余計な事は言わないようにと、口を噤む事が多くなった。まだルーカスと起こした小さな反乱は継続中。いつ終わるかも分からない。気が遠くなりそうだった。
それでもおじ様が、私が、新たに道を踏み外す未来の方が怖かった。
「……もう、お風呂に入って寝るね。きっと明日も早いだろうし」
「分かりました」
食事を食べ終え、狭い浴室に入った。この小さな街で一番の宿だと言っていたけれど、王城や公爵家の暮らしに慣れている私には随分と質素なものに見える。
あまり寝心地の良くない布団に入って目を閉じる。
初日から土砂崩れは幸先の悪いな、なんて呑気な事を思いながら。
二日目は予定通りに出発した。雨は夜中のうちに止んでいたらしい。相変わらず空は薄汚れた厚い雲が掛かっていたけれど、地面は湿っぽい位。雨の匂いが残る道を一行は進んでいた。
迂回するという事だったが、天気があまり良くない予想なので、一日遅れで大きな街の宿に泊まる計画らしい。だからそれ程距離はなかった為か、雨が降り出す前に一行は大きな街についた。
タイミング良く、宿に着いた所でポツリポツリと雨が降り出す。街に住んでいるここ一帯の領主と、おじ様が歓談している部屋の隅に控えながら、私はうんざりしていた。
この領主、おじ様を全く敬っていない事が私にはバレバレだった。それどころか、彼はどちらかと言うと軽蔑している。でも領主自身、おじ様に危害を加えるようなものでは無かったので、そのまま聞き流した。
歓談は表面上は始終和やかな雰囲気で終わった。私は早々に宛てがわれた宿の一室に、侍女数人と共に引きこもる。まだ昼時なのに外は薄暗かった。
今日はもう何も無い、そう思ってくつろいでいた。
けれど、突然前触れもなくドアノックをされて、おじ様が姿を見せる。
「また別の場所で土砂崩れが起こったらしい。怪我人はいないが、同じ場所で何度も起こっているそうだ。度々隣国との交易の道を寸断するから一度視察して、国から復興と予防の援助をしてくれと領主に言われてね」
「すごく急な話だね」
「そうだね。だけど……、文官も資料に目を通して、1回見に行った方がいいかもしれない」
「分かった。おじ様いってらっしゃい」
私は大人しく頷いた。私は宿で待機して、おじ様だけが行くのかと思っていたからだった。
でも、おじ様が穏やかな顔つきを一変させる。
「何を言っているんだい?アリサも来るんだよ?」
「私が?なんで?」
「今回は領主も来るからね。領主に反逆の意思がないか確かめて欲しいんだ」
胸が嫌な音を立てた。まさか領主がおじ様の事を軽蔑していたのが、バレたんじゃないかって。
「……分かった。用意するね」
私の答えに満足したらしいおじ様は、そのまま部屋から出て行く。侍女達が慌ただしく身の回りの用意をし始める。私も冷や汗をかきながら、準備に取りかかった。
一応宿に数人の護衛騎士を待機させ、おじ様、領主、侍女、私を乗せた馬車がそれぞれ一列になって出発する。王城の護衛騎士だけでなく、領主の護衛騎士も合わさって大所帯。領主の護衛騎士は王城の人達と比べて、あまり動きは洗練されていないらしく、ほんの少しだけおじ様と私の馬車から距離をとっていた。
雨足はどんどん強くなって、遠くの方の景色は見えなくなる。窓の硝子から外を見るのは諦めて、侍女二人と向かい合った。
「ねえ。こんなに雨が降っているのに土砂崩れの現場に向かうの?危なくない?」
外では外套を纏った騎士達が雨に打たれながら、馬を走らせている。馬も人も随分と大変そうに見えた。
「確かにそうですね……」
「このままですと、土砂崩れの二次被害は懸念されますが……」
侍女二人もこの状況に訝しげな表情を見せる。でも、おじ様の決定に面と向かって異を唱える事は出来ない。
「一体どうしたのかな……」
重大な何かがあったのだろうか?急がなければいけない何かが。二次被害すら起きても厭わないくらいの何かが。
それならばおじ様が私を連れ出した時、その強い感情が少なからず私に伝わっていたはずだ。だけれど、全く感じ取れないくらいにおじ様の心は穏やかだったのだろう。
不思議に思いつつも、馬車の揺れに身を任せていた。
――雨音に混じって、金切り声が聞こえてくるまでは。
おじ様が北の方の王家直轄地の視察に出掛けた日。例外なく私も連れ回される事になっていて、特に疑問も持たずに私は用意された馬車へと乗り込んだ。
相席するのは、公爵家からずっと付き従ってくれている侍女二人。残りの侍女は別の馬車。おじ様は国王専用の馬車に、私のお墨付きの信頼出来る侍従と文官と共に乗っていた。
他愛もないお喋りを侍女達と共に続けていたけれど、途中で馬車が止まって、馬に乗る騎士が外から声を掛けてくる。
「アリサ様。そろそろ雨が本降りになりそうなので、今日は近くの宿で一泊すると、陛下からのご命令です」
「分かった。ありがとう」
本来ならばそこそこ大きな街で一泊する予定だったけれど、その手前の小さな街で一行は足を止める事になった。
国王陛下を護衛する事だけあり、馬車の周りはかなりの数の護衛騎士達が囲んでいる。
小さな街は国王陛下の一行で随分と賑やかになっているようだ。実際外に出なくても、私の耳にはしっかり届いていた。
馬車の旅で少し疲れていたのだろう。私はなんだか外に出る気すら起きなくて、街で一番高級な宿の窓から、音を立てて降り続ける雨をぼんやりと眺めているだけだった。そんな私を慮ってか、侍女は紅茶と茶菓子を出してくれる。
それに手を付けながら、まだ昼のはずなのに鈍い色に染まった空を眺めていた。
「土砂崩れ?」
夕食時。侍女に持ってきてもらった質素な食事を食べながら、護衛騎士の一人が私に進路について説明してくれていた。
国王陛下御一行だ。普段は付き従う優秀な文官や武官が進路を決めてくれる。私が口を挟む事は無い。だから、食事中も基本的には騎士の説明を受けているだけのはずだった。
だけれど、不穏な響きに私は思わず問い返した。
「はい。実は予定していた進路の途中で土砂崩れが発生したようで、迂回する事になりました」
「そうなんだ……。土砂崩れで怪我人はいない?」
「はい。幸いにも人の通りがない時間帯と、人の住む場所ではなかったので怪我人はいないようです」
「それはよかった。……迂回したら予定よりどのくらい時間が掛かるの?」
「半日ほどかと」
半日、と口の中でその言葉を反芻した。少しだけ馬車の旅が長引いた事にうんざりする。でも護衛騎士に当たるつもりもないので、「ありがとう」と言ってそのまま帰した。
スープに口をつける。野菜の沢山入ったスープにほんのりと身体を温められながら、未だに降り止まないどころか激しさを増していく雨音を聞いていた。
「雨、酷くなってきたのに予定通りに出発出来るのかな?」
部屋の隅に控えていた侍女に問い掛けると、侍女も「そうですね……」と苦笑混じりに口を開く。
「このまま激しい雨が降り続ければと難しいかと。アリサ様と私は馬車の中にいますが、護衛の騎士達は皆様外ですから……」
「そうよね。……雨は地面もぬかるんでしまうし。早く帰りたい」
「国王陛下はアリサ様を重用なさっておいでですから……」
重用、という言葉に黙り込んでしまった。
国王陛下に重用はされている。けれど、それは歪な関係だった。それを、この侍女は知らない。
最近、ポツポツと私の立場についての疑問が他の人から湧いている。やはり王太子ルーカスの婚約者に内定しているのだろう、と最初は思っているようだったけれど、ルーカスを差し置いて私を連れ回す歪さに段々皆が首を傾げつつある。
おじ様に怪しまれないように、余計な事は言わないようにと、口を噤む事が多くなった。まだルーカスと起こした小さな反乱は継続中。いつ終わるかも分からない。気が遠くなりそうだった。
それでもおじ様が、私が、新たに道を踏み外す未来の方が怖かった。
「……もう、お風呂に入って寝るね。きっと明日も早いだろうし」
「分かりました」
食事を食べ終え、狭い浴室に入った。この小さな街で一番の宿だと言っていたけれど、王城や公爵家の暮らしに慣れている私には随分と質素なものに見える。
あまり寝心地の良くない布団に入って目を閉じる。
初日から土砂崩れは幸先の悪いな、なんて呑気な事を思いながら。
二日目は予定通りに出発した。雨は夜中のうちに止んでいたらしい。相変わらず空は薄汚れた厚い雲が掛かっていたけれど、地面は湿っぽい位。雨の匂いが残る道を一行は進んでいた。
迂回するという事だったが、天気があまり良くない予想なので、一日遅れで大きな街の宿に泊まる計画らしい。だからそれ程距離はなかった為か、雨が降り出す前に一行は大きな街についた。
タイミング良く、宿に着いた所でポツリポツリと雨が降り出す。街に住んでいるここ一帯の領主と、おじ様が歓談している部屋の隅に控えながら、私はうんざりしていた。
この領主、おじ様を全く敬っていない事が私にはバレバレだった。それどころか、彼はどちらかと言うと軽蔑している。でも領主自身、おじ様に危害を加えるようなものでは無かったので、そのまま聞き流した。
歓談は表面上は始終和やかな雰囲気で終わった。私は早々に宛てがわれた宿の一室に、侍女数人と共に引きこもる。まだ昼時なのに外は薄暗かった。
今日はもう何も無い、そう思ってくつろいでいた。
けれど、突然前触れもなくドアノックをされて、おじ様が姿を見せる。
「また別の場所で土砂崩れが起こったらしい。怪我人はいないが、同じ場所で何度も起こっているそうだ。度々隣国との交易の道を寸断するから一度視察して、国から復興と予防の援助をしてくれと領主に言われてね」
「すごく急な話だね」
「そうだね。だけど……、文官も資料に目を通して、1回見に行った方がいいかもしれない」
「分かった。おじ様いってらっしゃい」
私は大人しく頷いた。私は宿で待機して、おじ様だけが行くのかと思っていたからだった。
でも、おじ様が穏やかな顔つきを一変させる。
「何を言っているんだい?アリサも来るんだよ?」
「私が?なんで?」
「今回は領主も来るからね。領主に反逆の意思がないか確かめて欲しいんだ」
胸が嫌な音を立てた。まさか領主がおじ様の事を軽蔑していたのが、バレたんじゃないかって。
「……分かった。用意するね」
私の答えに満足したらしいおじ様は、そのまま部屋から出て行く。侍女達が慌ただしく身の回りの用意をし始める。私も冷や汗をかきながら、準備に取りかかった。
一応宿に数人の護衛騎士を待機させ、おじ様、領主、侍女、私を乗せた馬車がそれぞれ一列になって出発する。王城の護衛騎士だけでなく、領主の護衛騎士も合わさって大所帯。領主の護衛騎士は王城の人達と比べて、あまり動きは洗練されていないらしく、ほんの少しだけおじ様と私の馬車から距離をとっていた。
雨足はどんどん強くなって、遠くの方の景色は見えなくなる。窓の硝子から外を見るのは諦めて、侍女二人と向かい合った。
「ねえ。こんなに雨が降っているのに土砂崩れの現場に向かうの?危なくない?」
外では外套を纏った騎士達が雨に打たれながら、馬を走らせている。馬も人も随分と大変そうに見えた。
「確かにそうですね……」
「このままですと、土砂崩れの二次被害は懸念されますが……」
侍女二人もこの状況に訝しげな表情を見せる。でも、おじ様の決定に面と向かって異を唱える事は出来ない。
「一体どうしたのかな……」
重大な何かがあったのだろうか?急がなければいけない何かが。二次被害すら起きても厭わないくらいの何かが。
それならばおじ様が私を連れ出した時、その強い感情が少なからず私に伝わっていたはずだ。だけれど、全く感じ取れないくらいにおじ様の心は穏やかだったのだろう。
不思議に思いつつも、馬車の揺れに身を任せていた。
――雨音に混じって、金切り声が聞こえてくるまでは。
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