【番外編】恋を煎じて、愛を呑む。

あぐつ

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父の心、子知らず

2.息子の父

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 白嵜家の客間。和洋折衷漂う空間だ。
 小さな暖炉、壁にかけられた絵画。カーテンは開けられ日差しが差し込んでいる。
 弥勒の向かいに座る勇は、落ち着いた着流しを着ていた。湯気の立つ珈琲に息を吹きかけると、恐る恐る口にしている。

「豊穣祭を前に腰を悪くしたと聞きました。大変でしたね」

 勇はカップを置き、白髪まじりの頭を掻く。

「いやぁ、参りましたよ。それでも店の皆がいてくれたんでね。助かりました」
「……橙司は神楽を断りました。それどころか私に顔も見せぬ始末で。何を考えているのやら」

 弥勒は言うと、勇は声量を抑えながら口を開いた。

「実はいうと、神楽の件については、橙司くんの好きにするといいと言いました」

 弥勒の眉間に皺が深く刻まれ、勇を見据えた。

「なぜですか……神楽を勧めなかったと?」
「橙司くんが決めることでしょう。俺が口出しできることじゃない」

 眉間を指で摘み、深く息を吐く。弥勒の頭は痛い。

「わかっておいでか? 舞台に立てばそちらの店にも箔がつく。白嵜の息子であり、矢尾板堂の跡取りでありながら、神楽を拒んだのですよ。とんだ馬鹿息子ではありませんか」

「弥勒さんは、その程度でうちが潰れるような店だとお思いか?」

 低く重い声が室内に響く。

 ソファーに座る勇は、真剣な顔つきでこちらを見つめている。こちらに有無を言わさぬ眼光に、弥勒は息を呑んだ。

「……申し訳ない」

 すると勇は目尻を下げる。

「橙司くんはうちの大切な跡取りだ。勤勉で、よく働く。娘とも上手くやっていますよ」

 勇は珈琲に砂糖を入れると、銀匙でくるくると回す。カップを持ち上げ再び口をつけた。

「女に無礼を働く男ではないとは思っていますが。恥ずかしながら、男として女を守れるほど強くはないのではとも思っていました。そちらの娘さんの方がしっかりしている」

 弥勒が思い浮かべたのは、店で懸命に働く菜佳の姿だった。
 何度か矢尾板堂に足を運んで生薬を卸したことがある。
 愛想も良く、よく動き、よく笑う。客からの評判も良かった。
 婚約はしておらず、それらしい男もいないと聞き、橙司をやるならそこしかないと思ったのだ。
 白嵜に置いても橙司は何もできない。
 せめて何処ぞに婿養子にやれば困らないだろうと。かといって、適当な場所へ行かすわけにもいかない。
 白嵜の名が劣るからだ。

 白羽の矢が立ったのが矢尾板堂。
 都合が良かったといえばそれまでだ。
 だが、勇の人柄も、四年前に亡くなった千鶴も弥勒は良く知っていた。
 信頼に足るところだ。その娘となれば、よく知らぬ店の娘にやるより余程良い。

 珈琲を飲み干したカップを勇は置く。

「うちの娘は商い一辺倒でしてね。橙司くんは優しい。気を遣いすぎて擦り切れてしまわないか心配した時期もありました。彼も男でしょう。好いた女には自分を見て欲しいものではないですか」

 語る勇の視線は、空になったカップの底へ注がれている。

「……それは実体験ですか」

 聞けば勇は苦笑した。

「うちの嫁は菜佳ほどじゃない。むしろ俺を支えてくれた良い妻だった──良い妻だ、今も」

 目を細め慈愛を含んだ瞳が揺れている。
 弥勒には橙司が菜佳にどう接しているのか見当もつかない。女に焦がれる姿を見たことがないからだ。
 手紙すら返さぬ息子など、どうしているのか想像も難しい。

「もう一杯、飲みますか」

 弥勒はテーブルに置かれたホーローポットを手に取る。

「ああ、それでは遠慮なく」

 勇からカップを受け取り、珈琲をそそいだ。
 黒い液体がカップに満たされ、白い湯気と共に煎た豆の香りが漂った。

  ◇

 男同士の話は終え、二人は屋敷の外にいた。
 黒塗りの車の前。運転手が助手席のドアを開ける。

「矢尾板堂までお送りしますよ。本日はありがとうございました」

 弥勒が丁寧に礼をすれば、皺の入った大きな手がこちらに向けられた。

「こうしてじっくり話す機会はありませんでしたからね。こちらこそ、ありがとうございました」

 勇と差し出された手を見比べ、弥勒は手を握る。
 カサついているが、指が太く、節がしっかりとしていた。職人の手、というやつか。
 手が離れれば、勇は車内に乗り込む。
 運転手も運転席へと座れば、車はエンジンがかかり弥勒から遠ざかる。
 その車の後ろを弥勒は見えなくなるまで見つめていた。

 自分の手のひらに視線を落とせば、傷の一つもない綺麗な手がそこにある。

「……」

 冷えた風が緩やかに吹き、弥勒の白髪が揺れた。

「あなた」

 声に振り返れば、妻が屋敷から出てきていたようだ。

「帰られたのね。ご挨拶だけでもと思ったのに」

 そう言いながら、きょろきょろと辺りを見回していた。

鞠江まりえ

「はい」と妻の視線がこちらに向く。

「私は幸せ者なのかもしれないな」

 少しばかり鞠江の目が見開いた。

「……貴方がそう思うのなら。幸せなのでしょう」

 弥勒は鞠江の細く小さな手をとった。
 口元に寄せてれば指先に口付けする。

「戻ろうか」

 妻の背中に手を優しく添え、共に屋敷の中へと戻っていく。

 ◇

 机に置かれた大量の手紙に、思わず息を吐く。
 やはり橙司からの手紙は一通もない。
 椅子に腰掛け、ぐるりと方向を変えれば、カーテンが開けられた窓の外を見つめた。
 どこで自分は育て方を誤ったのだろう。

 才がないのはもうどうしようもないことだ。
 白嵜は白蛇が祖。本来なら目利きの才が付くはずなのだが。橙司は著しく劣っていた。
 それならばと、せめてもと教養や勉学を叩き込んだ。
 どこに出しても恥ずかしくないようにと、育てたつもりだった。
 成長するにつれて橙司は口数少なく。控えめで、家の中にいても萎縮し始めたのだ。
 これは誤算だ。

「私の失態か……」

 橙司が矢尾板の息子であったらと考え始めてしまう。
 それとも、もっと早くに勇や菜佳に会わせていれば、何かが変わっていただろうか。
 萎縮しすぎて自ら進んで努力をしようとも動かぬ息子は、勇や菜佳を見て何を思ったのだろう。
 神楽をしなかった橙司は、それで何か変わったのだろうか。
 弥勒が橙司を知るには、まだ遠かったようだ。

 ****

 別邸の書斎室。橙司は手紙を凝視し、眉間に皺を寄せていた。

「橙司さん、難しい手紙なのですか?」

 テーブルに紅茶が置かれ、橙司は顔をあげた。
 怪訝な顔をする菜佳と目が合い、心配かけぬようにと笑みを作る。

「いいや、父からの手紙だ。大したことじゃない」

 そう言いながらも手紙を畳む手つきは急いでおり。足元の塵箱へ手紙を捨てた。

「そうですか……」

 何か言いたげな菜佳だったが、それ以上は口にはしなかった。
 豊穣祭の件以降、菜佳は白嵜家のことは触れぬようにしていた。
 気を遣わせていることに申し訳なさがありつつ。暫くはそっとしておいて欲しい気持ちも確かにある。


 手を伸ばして菜佳が持っている盆を奪う。それをテーブルに置いた。
 菜佳の手を引けば、橙司は椅子に座ったまま見上げるのだ。

「おいで」

 柔らかく甘えるように声をかける。
 菜佳は頬を染めながらも、遠慮がちに膝の上に腰掛けた。
 橙司は菜佳の体を支えながら、優しく頬に唇を寄せる。
 熱を帯びた頬に指先で触れ、今度は唇を重ねた。
 自分の弱さを菜佳の優しさで包んでいる。自覚はあっても、父と向き合うよりも菜佳と触れ合う方が気が逸れてしまっていた。

 橙司が白嵜家と向き合うことになるのは、もっと後のことだろう。
 今はただ、二人の幸福を噛み締めていたかった。
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