チキンライスは恋の味

谷地

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あーあ、最悪。

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あーあ、最悪。
目の前でしゃべりかけてくる男にため息を大げさにつく。

買い出しの帰りに声をかけられて振り返ってしまったのが悪かった。
メイド服にカーディガンだけ羽織った僕に立ち塞がった若い男は、ニヤニヤと笑いながら僕へ話しかけ続けている。

人を見た目で判断しちゃいけないことは分かっているけど、こいつは別だ。明らかにタチが悪い。

「ねえねえ、君どこのお店の子?」
「…早くお店戻らないと行けないので」
「え~、ノリ悪いなあ。せっかくのお客さん、逃しちゃっていいの?俺、行くよ?」
「僕、急いでて…」

この世界で生きていると、本当に来てくれる人とただの冷やかしの違いが分かってくる。

当然、目の前の男は来る気なんてサラサラないだろう。
こうやってメイド服で外に出ると冷やかしによく会うから間違いない。

「は?ノリ悪すぎじゃね?」

あ、と思ったときには遅かった。

突然ガラリと態度が変わった男に嫌な予感がする。逃げようと走り出そうとしたとき、強い力で引っ張られた。

「いった…」
「おい、可愛いからって調子乗ってるだろ」
「意味わかんない、離して」

遠慮なくつかまれた腕が痛い。

強く振り払っているつもりなのに全然外れなくて背中に冷たい汗が伝う。
早く逃げないといけないのに目の前の男は離す気配がなかった。それどころか、更に力を込めてきて痛い。

「も、離し…「離してください」

いきなり開放された腕がぶらりと宙へ放り出される。

あ、これ倒れるやつだ。

ぎゅっと目をつぶって衝撃に備えたのに、僕の背中に与えられたのは、地面に当たった痛みじゃなくて暖かい何かだった。

混乱したままゆっくりと目をあけると僕の体はたくましい腕の中で包まれていた。

「いたたたたっ、痛いっ」

その半面、さっきまで僕を無理やりつかんでいた男が地面で転がっている。

結構痛がっているところを見ると、余程強く投げられたのだろう。僕より少し遠い場所で涙目になっていた。

「お前誰だよ!」
「あなたこそ誰ですか?この人に乱暴するなんてあり得ません。今すぐ消えてください」
「あ?…」
「聞こえませんでしたか?それとももう一回投げたほうがいいですか?」
「…ちっ」

男は睨みながらもよろよろと立ち上がって引き下がった。心なしか顔色が悪い。
相当痛かったのか腕をかばうように歩いている。それをぼぅっと眺めていると、突然上から声がかかった。

「大丈夫ですか?」
「…え、っと、大丈夫です…助けてくれてありがとうございます…?」

あ、今、僕知らない人に抱きしめられているままだ。

自分の体に回された腕が、あまりに安定して僕を支えているから気づかなかった。
それにしてもこの人、見かけよりずっと鍛えているな。少しだけ触れた胸板がやけに厚いもん。

「いっちー、可哀想に。腕、痛くないですか?」
「なんで名前…もしかして、――中野くん?」

見慣れた黒いスウェットと聞き慣れた声で思い浮かんだ名前を呼んだ。

だけど、いつも彼の顔を覆っていた分厚い眼鏡は丸い瞳に変わって、長い前髪は後ろへ流されているから人違いかもしれない。
それでも、何故だか僕は確信していた。

彼は、僕の大ファンの中野くんだと。

「そうです。それより、いっちー大丈夫ですか?」
「あ、うん」

さっきまでの恐怖心はどこかへ飛んで行ってしまって、反対に恥ずかしさが襲ってくる。

まだ僕は彼の腕の中に収まっていた。

「えと、近いかも」
「あ…っ!!!ご、ごめんなさい!」

うん、この声の感じと慌てた仕草は見覚えがある。
前に、ちょこっとだけ手が触れたときも彼はこうやって慌てていた。

あのときは咄嗟に手を払われたことに少し傷ついたけど、真っ赤になって謝る彼を見てこっちが恥ずかしくなったんだっけ。

あ、この子僕のこと好きなんだなって。


「ううん、謝らなくていいよ。それより、ありがとう。…中野くんって、強いんだね。あと…」


かっこいいんだね。

そう、今まで隠されていた素顔の彼はとてもかっこよかった。一瞬、見惚れてしまうくらい整っている。

途中で言葉を切った僕を、彼が不思議そうに見つめてきたけど、僕は何故だかドキマキして上手く言葉を続けられなかった。

「えっと、いっちー…?ごめんなさい、僕、今から仕事に行かなくちゃいけなくて…」
「あ、そうなんだ…。じゃあ今日は来ないね」
「はい…すみません。でも、今日はいっちーのステージないですよね?あ、もちろんステージがなくてもいっちーには会いたいんですけど…今日は時間が合わなくて」

もごもごと口を動かすのは彼の癖。
彼が僕を好きな分だけ僕も彼を知っている。

…まあ、こんなにかっこよかったなんて知らなかったけど。


「でも、送るくらいならできるので…その、お店まで送ります。迷惑じゃなけば、ですけど」
「…いいの?」
「はい!」

いっちーを守ることが出来て光栄です。

そう言って彼は僕をお店の前まで送ってくれた。

お店で会う彼はいつも下を向いているから、太陽の下で歩く彼を見るのは新鮮だ。
チラチラと何度も彼を見てしまう僕に気付いているのか、いないのか、少しだけいつもより顔が赤い気がする。

中野くんの歩幅は小さくてお店に着くまでやけに時間がかかってしまった。
だけど、僕も同じくらい小さい歩幅で歩いたから文句は言えない。


「…無理はしないでくださいね」


メイド服で外出する機会が多い僕は、今日みたいなことを何度も経験してきた。
一人で対処できたときもあれば、今回みたいに助けて貰ったこともある。

なのに、どうしてだろう。ドキドキと鼓動がうるさい。今までこんなことなかった。


彼は、僕のことが好きな僕のファン。
しかも僕だけをずっと応援してくれるファン。


当然、感謝しているし好意を持っている。だけど、それはあくまでファンに対する感情で、それ以上の気持ちなんてなかったはずだ。

でも、思ったよりずっと厚かった胸板が、耳元で聞こえた声が、僕を心配してくれた瞳が、馬鹿みたいに回り続けている。



「いっちー、また明日会いに行きますね」


僕のことが大好きで、僕だけをずっと応援してくれて、その上僕を助けてくれたなんて…、



そんなの、そんなの…ずるいじゃん!



急転直下、頭の中で鐘が鳴る。

ピンク色に変わった思考回路のせいで頬が熱くてたまらない。

どうしよう、どうしよう、どうしよう!

高鳴る鼓動が苦しい。
ああ、ほんとにどうしよう。
こんなの、もうほんとずるい。




ぼく、恋、しちゃった。
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