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第五章
強化兵1
しおりを挟む血肉の混じった泥を飛ばし、スラム街を走り抜ける。
木材で作り上げられた家の中には、人の生活感のみが残っており、急いで逃げたことを感じさせた。周りには誰も居ない。スラムの住人も、騎士もおらず、ただ雨の音だけが耳に入ってくる。
その静けさに焦燥感に駆られ、更に速度を上げる。
どうしても諦めがつかなかった。こんな所で足踏みしている暇はない。一歩でも早く先に進みたい。こうしている間にもアイツ等はのうのうと生きているのだ。少しでも時間が惜しい時にまた、情報屋を探し始める何てごめんだった。
「くそっ――どこにいるんだよっ」
一度来た時に覚えていた情報屋の顔を思い出しながらも辺りを見渡すが、そう簡単には見つかることはない。先程までと変わらない光景がずっと続いている。何より気になるのは死体が何一つとしてないことだ。
血痕はある。血溜まりもある。だが、死体だけがない。それを異様に思うミーシャだったが、答えは直ぐに見つかる。
死体を引き摺ったような後が、ある方向に向けて続いていくのを発見したのだ。
「…………」
この跡を辿っていけば、騎士達がいることは明白。それでも、ミーシャは迷うことなく跡を辿ることを決意し、脚を向ける――――と同時に騎士の姿が目に入った。
「――ッ」
息が止まり、背中にヒヤリとした感覚が走る。
引き摺った跡が続いている通路の先で、鉄槌を背負った腹が出ている騎士が辺りを見渡していたのだ。まるで、生き残りがいないかと探すように。
誰も居ないと判断したのか、騎士が振り返る瞬間にミーシャは近くにある物陰へと身を寄せる。
雨で輪郭が浮き上がっている今は、姿隠しの指輪をしていても油断はできない。木材で出来たスラムの家の影に身を寄せ、騎士が通り過ぎるのを息を潜めて待つ。
ガチャガチャと金属音が大きくなっていき、物陰に隠れているミーシャの目の前で、騎士が脚を止める。
頬に妙に暖かい汗が流れる。雨で体温が下がっているせいで余計に違いが感じられた。胸がざわつき不安が押し寄せる。
大丈夫、アイツからは見えない。そう自分に言い聞かせ、自身の指に輝いている銀の指輪を撫で――騎士と目が合った。
「――――!!」
虫が這いあがってくるような嫌悪感が全身を駆け巡る。
勘違いでも何でもない。目の前の騎士は自分の存在に気付いていると確信する。そして、それは正しかった。
その体格からは似つかわしくない速度で、間合いを詰め、鉄槌を振るう。大振りの一撃がミーシャに襲い掛かる。警告も何もない行動。こちらが誰かも分からないというのに騎士は襲い掛かってくることに目を見開くが、今はそんなことを気にしている暇はなかった。
「盾!!」
咄嗟に魔術の障壁を展開し、騎士の一撃に備える。
鋼鉄の鉄槌は光の膜と拮抗するも直ぐに押しのけられ、騎士が後ずさる。鉄槌の重みにつられ、騎士の上半身は仰け反り大きな隙を作る。その隙をミーシャが逃すことはなかった。
「炎」
魔力の文字が、鉄すら溶かす火球となって放たれる。
大きな隙を生んでしまった騎士に避けることなどできなかった。火球が腹部へと直撃し、木材で出来た家の中へと吹き飛ばされる。
騎士が吹き飛ばされるとミーシャは一目散に走りだし、その場から離れる。
元々燃えにくいものなどない木材で出来ているスラムの家は直ぐに燃え上がる。騎士に直撃した火球が壁に、柱に、屋根に燃え移り、そこから更に隣の家にとどんどんと範囲を広げていく。
「(今ので戦いがあったことがバレた――ということは、すぐに騎士達が来るっ)」
情報だけ貰って帰ろうとしていただけなのに、事故とは言えない程の被害が出てしまったことに唇を噛む。
顔だけは見られる訳にはいかないと深くフードを被る。
どうやって見つかったのかは分からない。魔術破りの魔術道具でも持っていたのか、それを他の者達も持っているのか、どちらにしろ姿隠しの指輪の効力が破られ、居場所がバレてしまうことは判明した。できるのならば、あの男一人だけの能力であって欲しいのだが、そう上手くはいかない。
笛の音が響く。
その合図は敵を発見したという意味だ。鎧同士がぶつかる音が周囲から近づいてくる。その音は、確実にミーシャを追ってきており、理由は分からないものの動きを捕捉されていることだけは分かった。
肩越しに後ろを振り返る――そこには、まだ少ないが騎士が数人いる。そして、当然のようにミーシャを直視していた。
「早速使うことになるとはなっ」
ルーンを配置する時間もないミーシャは懐からルーン石が入った袋を取り出す。手に取ったのは、束縛と停滞二つのルーン石。それに囁くように、二つのルーンを繋ぐための術式を起動させる。
「鎖をここに、私が命ずる」
詠唱の途中で後ろに向かって投げつける。狙いも何も気にせずに、ただ石が距離を置いて落ちるように――。
二つのルーン石は両側の壁際へと捨て去られる。騎士達は当初は警戒したものの、ルーン石が何の反応も見せないことに、失笑し、姿を隠した逃亡者を捉えようとする。
ルーン石で作られた陣を通り越す際に僅かながら心配になるが、一人が先に通り、何もないと確信すると、笑みを深め、戦利品を求めて走り出す。
大人と子供、駆ける足の速さでの勝負で軍配が上がるのは大人の方だ。例えそれが鎧を纏った騎士であったとしても、日頃から鍛え上げている彼らはこの程度造作もない。
すぐさま捕まえ、その正体を明かそうと手を伸ばす。貴重な魔術道具を持っていることは明白。それを手に入れることができれば、どれだけ帝国のためになるだろう。暗殺者にとっては喉から手が出るほどの魔術道具だ。そんなものをゴミ溜めに住む者が使って良いはずがない。持っていて良いはずがない。
全ては忠誠を誓った主の望みを叶えるために――。
行き過ぎた忠誠心を持つ騎士の手が、ミーシャの頭を掴みそうになる。
子供だろうが関係ない。ここにいる者は全て負の遺産、排除することが決まっている。頭を掴み、叩き付ける。そして、魔術道具を手に入れる――未来を想像し、男が笑みを浮かべる。
その時、騎士の耳に少女の声が届いた。
「楔を打て」
たった一言。その意味が分からず、騎士は眉を顰める。聞き間違いか、と自身の耳も疑った。しかし、それが間違いではないと気付いたのは、自分が地べたに這いずることになってからだった。
「――は?」
間抜けな声が兜の下から漏れる。
走っていたはずなのに、いつの間にか視界に広がるのは茶色い泥だらけの地面。しばらく思考を停止した後、何が起こったかを遅れて理解する。
縛られている。それは、彼だけではなく、後ろにいた騎士全員も一緒だ。体に青く光り輝く鎖で縛りつけられており、芋虫のようにうねることが精一杯だ。
「こんなもの、一体いつの間にっ」
ギリッと誰かが歯を食いしばった。騎士達は自分が地面に倒れ込んでいるという状況に怒り心頭になる。自分達は強者であったはず、それなのに、何故こんな目に合っているのか。体の内から怒りが沸き上がり、この状況を作り出した元凶に恨みを募らせる。
「間抜けが、そのまま死んでおけ」
だが、そんな暇を与える訳がない。
本当ならば、帝国の奴らなど頭でも踏んで屈辱を味合わせてやりたい所だが、まだ、騎士が他にいる状態でそんなことはできない。
台詞を吐き捨てると同時に投げたのは、破壊のルーン石。綺麗に弧を描いた一つの小粒の石が、騎士達の中心に落ちる。
地面に転がる騎士達にとってそれを避けることなどできなかった。
ルーン石が地面に触れた瞬間――人の体を引き裂くのも容易な破壊の衝撃が、発生する。
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