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第五章
強化兵3
しおりを挟む「おい、火事だ!! 誰か、人を遠ざけた方が良いんじゃないか!?」
「うぉっ、くっせぇ……匂いが届いてくる」
「でも、燃えてるのってスラムだろ? 別にいいじゃないか、あんな所燃えたって……」
漂ってくる焦げた匂いに顔を顰めながら街の住民はそれぞれの反応を示す。
街が危ないと危機感を抱く者、脅威は自分の所には来ないだろうと楽観視する者、薄汚い場所がなくなり喜ぶ者。他の者達も似たような感じだ。
助けようと思う者など少数で、スラムの住人を心配する者など殆どいない。危機感を持つ者がいないのは、騎士が近くにいることが主な原因だ。
スラムが燃えていることに少しは戸惑いを見せたものの、すぐさま自分達の役割を全うしようと、これまで同様に人を近づかせないようにする。
助けを呼ぶに行く様子もなく、慌てて避難を呼びかけようともしない。戸惑い、避難をした方が良いのか、それともこのまま過ごしても良いのかが分からない。
だが、騎士達の堂々とした立ち振る舞いを見た住民達はしばらくして、戸惑いながらも普通の生活に戻り始める。騎士達が何も言わないのなら大丈夫だろう。危険になったのなら、声を掛けてくれるだろう。それまで安全な家の中に閉じこもっていよう。
そう考えるようになる。
そんなこと、誰も保障などしていないというのに…………。
炎がスラムを包む。
燃えるものがなくても術式の通りに燃え続ける魔術の炎。小雨が炎に降り注ぐが意味がない。炎の勢いは増していき、範囲を拡大する。
黒い煙が昇り、カビ臭さの代わりに焦げた匂いが風によって街へと流される。
「――――」
その匂いに顔を顰める騎士が一人、鉄槌を両手で持ち、まだ炎に包まれていない路上を歩く。視線を右、左――再び、右へ。
探るように視線をあちこちにやる様子は完全に標的を見失った狩人だった。
あらゆる痕跡が炎で焼けている。追跡能力を持った騎士がいてもこの状況では、普通は諦めるしかないと考えるだろう。
そう――普通は。
普通ではない彼は獲物を逃がしはしない。鎧が熱を持ち、肌を焦がそうともそんなことはどうでもいい。
抗えないのだ。忠誠欲を増幅させられた騎士は自身の中から無限に湧き出てくるその感情に反発できない。
全ては帝国のため、皇帝のため――その思いが自身の中で膨れ上がっていき、満たさないと満足できない状況に陥る。
鼻息を荒げ、目を血走らせる。これまで幾度もミーシャを追い続けられたのは、彼の持つ能力のおかげだ。
熱源感知――人間の体温を感知する能力。最近では、珍しくもなくなった能力だ。例え、家の中に隠れようとも範囲内に入っているだけでどこにいるかが判明できる力だ。上手く使えば、暗殺者などの襲撃を防ぐにも、幻術を見破ることにだって使える。
道を塞ぐ邪魔な焼け落ちた家を鉄槌で破壊する。その影響で、バランスを取っていた瓦礫が騎士の上に降り注ぐ。
もう熱源感知は使えない。炎のせいで視界全てが、赤い絵の具を真っ白なキャンパスに塗りつぶしたような光景で埋まってしまう。これではどこに獲物がいるかも分かりはしない。
鉄槌を握る手が強くなり、苛立ちを収めるために近くの壁に叩き付ける。だが、脆い土の壁が破壊されるだけで、苛立ちは募っていくばかり。重くもなかった鎧も段々と重量を増しているようにも感じる。
少しずつ、少しずつではあるが、スラムを包む炎は騎士の体力を削っていった。
最初に比べればそれは蝸牛の歩みとも言ってよかった。前に進もうとするが、脚がついていかずに、地面に擦れる。武装の総重量に加えて、自身の体重だって支えている脚はもう限界に近かった。
――ニヤリ、と嗤った。
紅い炎の中で微かな笑い声が騎士の耳に届いた。
侮辱されている。騎士の脳内に、この状況を作った張本人が嘲笑うように笑みを作る様子が浮かび上がる。
我慢ならない。正々堂々と正面から戦うこともできない臆病者が、疲弊していく戦士を面白がっている。
こんなことは断じてあってはならない。栄えある帝国の騎士がコソ泥のような存在に手こずり、あまつさえ見下されるなど、帝国の国旗に泥を塗られるようなものだ。
怒りが天井を突破し、逆に騎士は冷静になる。
視界も嗅覚もダメになったのならば、頼りになるのは聴覚だけだ。
居場所が分かればすぐに駆け付け、鉄槌で叩き潰してやる。嘲笑する声も今度は聞き逃さないように全神経を耳に集中させる。
――だが、彼は分かっていない。五感に頼るような戦い方では魔術師にはまず勝てないのだ。
「針が重なる」
自身の心臓の音まで聞こえるまで集中していた騎士の耳に入ったのは少女の声だ。熱源感知で分かるのは相手の輪郭のみ、相手が少女だと初めて知るが、こちらを嘲笑したことに変わりはない。
声がする方向へと移動し、鉄槌を振るう。
少女ごと瓦礫を叩き潰す勢いだ。しかし、そこに少女の姿はなかった。騎士の耳に再び少女の声が届く。
「黒い月が獣の枷を外し、獣は野に放たれる。」
騎士の後ろ、炎に包まれた家の方向から、翻弄しているのかと、見極めるために立ち止まるがそれは逆効果――今度は全方位から少女の声が反響して届く。
「大地を駆け抜け、爪牙を赤く染め、血肉を貪る」
「――⁉」
今度こそ騎士は戸惑い、立ち尽くしてしまう。
思わず、視覚を使って標的を探そうとするが、炎の膜がミーシャを守り、居場所を悟らせない。そうしている間にも詠唱は続く。
「疾走は終わらない――風を切り、光を追い越し、ついにかの獣は天へと至る」
未だに右往左往して、姿を捉えられていない騎士――その真後ろでミーシャは詠唱を完成させる。
腕を持ち上げ、掌を騎士へと向ける。
獲物と狩人の立場は変わった。翻弄されている騎士は少し前までの自身のようだった。
「――アルヴィス・イコルス」
無防備な騎士の背中に魔術が放たれる。
魔力が、敵を消滅させる死の光になり、大きな牙を持つ狼の形へと変貌する。騎士の背中へと食らいついた光の狼は威力を衰えさせることはなく、肉体を貫通し、直線状にあった障害物を巻き込んでいく。
疾走、光、相乗、破壊の四つのルーンを使用した一点突破に秀でた破壊魔術。一撃必殺、という言葉が正しいこの魔術は、瞬間的な威力だけならムスペル・ナグルファルにも劣らないミーシャの自慢の魔術だ。
炎を真面にくらっても生きていた騎士。おまけにこちらを追跡する能力まで持っている。そんな未知数な相手にちまちまと戦っている余裕はない。
目的はあくまでも情報屋を探すことだ。敵を殺すことではない。だから、確実に殺せるであろう魔術を使用したのだが――。
「これは……少しやり過ぎたかな」
スラムの街に残された破壊跡、一直線上に抉られた地面を見てミーシャは魔術を放つ位置を考えるべきだったとほんの少しだけ反省するのだった。
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