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第六章
被害被る権力者
しおりを挟むこれ以上ない程に冷や汗を流しながらコルベールは早足で廊下を進んで行く。
今のコルベールは軽いパニック状態だ。手に入れた怪物の脱走から始まり、食糧庫の放火、そして北門の襲撃。
二転三転する状況を受け入れられず考えを止めてしまいそうになる。だが、このまま動かなければ責任を問われる立場にいることは分かっているので思考は止めても体だけが自然に動いていた。
「うぅ。何でこんなことにっ」
嘆くように頭を抱える。
何でこんな目に。早く手配犯を捕まえろ。食糧庫の被害状況はどうなっているのか。北門の爆発は一体何だ。
グルグルと頭の中で自問するが答えなど出てこない。
自信を持って指示した犯罪者達の拠点への襲撃は大勢の部下の損失しか出さず、挙句の果てに食糧庫を燃やされ、北門が爆発される始末。
皇帝がいる時期にこんなこと怒らなくて良いじゃないかと嘆きたくなる。周りに人がいなければ頭を搔きむしっていただろう。
いなければ何とでも言い訳は作れる。それなのに何故この時期に——。
爪が頭皮に食い込ませ、早く何とかしろと部下を呪う。
このままでは自身の就いている地位が揺らぐこととなる
帝国は実力主義。貴族であろうと実力が無ければ蹴落とされ、平民であろうと実力があれば上を目指せる。
現在皇帝の護衛で訪れている騎士団長が最も良い例だ。
農村出身の平民でありながら、帝国の武力の最高の地位である騎士団長の座に座っている。剣技も然る事ながら、礼節も弁えており貴婦人達の受けも良いという。
祖父、父から伯爵という地位を受け継ぎ、帝国の戦略重要拠点の一つであるこの街の都市長に登り詰めたというのにここから落ちるなどコルベールには耐えられない。
歯をギリギリと軋ませ、街に火を放った犯罪者達に災い荒れと拳を握って壁に叩き付ける。
「————っぅ」
しかし、一度も体を鍛えるようなことをせず、人を殴る際も物を投げつけることしかしなかったコルベールの拳は柔らかい。
硬い壁に当たった瞬間、拳に返って来た痛みに悶絶する。
「ぐぅ……くそっ。こんな、こんなはずではなかったのにっ——おい、貴様!!」
痛めた拳を抑えて早足で廊下を進む最中、偶然通りかかった部下を大きな声で呼び止める。
「犯罪者共はどうなっている!?」
「え——は、犯罪者ですか? も、申し訳ございません。私はそれに関してはあまり——」
残念ながらコルベールの視界に入ってしまった一人の気弱そうな男。コルベールが外の火災を起こした犯人について尋ねるが、当然ながら男も状況を把握できてはいなかった。
男の管轄は街の警備でも軍に携わることでもなく、街の環境設備なのだ。むしろ何が起きたかの情報を待っていた側である。
しかし、そんなことなど気にもしないコルベールは苛立ちを隠そうともせずに舌を打ち、唾を吐き散らす。
「何だと? さっさと確認して来いこのノロマめ!! 街の状況把握も満足にできていないのか!!」
「し、しかし——立て続けに事件が起きたせいで情報が混乱していて」
「だったら!! 猶更貴様が行ってこんか!! 何だ!? 貴様の足は飾りなのか? ならば、すぐにでも斬り捨ててやろうか!!」
「ヒィッ——申し訳ございません!! 直ぐに確認してまいります!!」
顔を真っ赤にしたコルベールから逃げるように男がその場から走り去る。
荒い息で呼吸を整えようとするが、状況が全く進んでいないことの焦りがコルベールを再び苛つかせ冷静にさせない。
「(クソクソクソッ。このままでは私は…………何とかしなくては、何とか)」
まずは食糧庫の炎を鎮火すべきか。
食糧庫はこの街の命綱。複数に別けてあるとは言え、一つでも消費は避けたい所だ。だが、また放火をされたらたまらない。
ならば、放火魔を捕まえるべきか。連続で食糧庫を燃やされてしまったら、この街の戦争継続能力は著しくなる。これ以上下げないためにも放ってはおけない。
暫くの間、歯を軋ませながら考え込むとコルベールは答えを出す。
「よ、よし。人員を半分に分けてまずは炎の対処と放火魔の逮捕を——えぇい!! さっきの奴はどこへ行った!?」
自分自身で行けと命じたにも関わらず、地団太を踏んで不満を露にするコルベール。コルベールから距離を取りたい一心で脚を動かしていた男は既に彼の近くにはいなかった。
ギリギリと歯を軋ませるコルベール。
窓から見える火災の景色を目にして、顔も知らない犯罪者達を怨む。
「後悔させてやるぞ。この私をこんな目に合わせてただで済むと思うなよっ」
「都市長!!」
絶対に後悔させる。地べたに這いずらせる。そう決意するコルベールの元に一人の騎士が訪れる。
綺麗に磨かれているはずの鎧は所々が汚れており、肩で息をしている様子からしてただ事ではない。だが、今のコルベールはそんなことに気が付ける様な状態ではなかった。
「貴様——何をしている!! そんな汚れた姿でここに上がり込むなど非常識であろう!! さっさと出ていけ!!」
「っ——はい。しかしながら、お伝えせねばならないことが」
「汚らしいぞ!! 騒ぐな!! えぇい、門番は何をしている。こんな輩を通すなど常識がないではないか。教育はどうなっている? ここはこの街を治める私のための仕事場なのだぞ。働く者も環境も一級品でなくてはならない。それなのに何たる様だ。こうなったら貴族たるべき姿をここで——」
「黄金への道を塞がれました!!」
事件のことなどほっぽり出して嘆くコルベールを騎士が現実に引っ張り上げる。
その情報はコルベールを現実に引っ張り上げるには十分だったが、それを耳にしてまず頭に浮かんだのは疑問。
——黄金亭。それは現在皇帝であるビルムベルが在中する場所だ。そんなことはコルベールも理解している。だから、いつもより警備を固めていた。犯罪者達を通さないために門の入口を固く閉ざし、内側にも人数を増加させた。何かがあっても直ぐ動けるように待機中の者もいた。
では、何故こんな簡単に道を塞がれた?
「なにを——何をしていた!? こんな時のために、いや、こんなことにはならないように貴様らを警備に回していただろう!?」
「ですが、その、例の酒場襲撃の際に多くの騎士が重症、もしくは死亡して犯罪者捕縛のための人員が足りなくなったため、警備から人員を回しまして……」
「な——い、一体誰がそんなことを!?」
「………………貴方です都市長」
俯きながら、噛み締めるように言葉を口にする騎士。
「警備の抜けた穴は待機していた人員で補充しなかったのか!?」
「はっ——補充したのですが、食糧庫で起きた連続火災で急遽人が必要になり」
「はぁ!? いなくなったのか!?」
「い、いえ。最低限の人数を残していましたが……それも犯罪者に」
「な、ぁ…………」
あまりのことに言葉が出なくなる。
回せる人員がいない。それだけで首元に刃を突き付けられている感覚に陥る。
名誉を挽回するなどの問題ではない。最悪の可能性が頭の中に過る。
「犯罪者の……現在位置は?」
「接触した者達の報告では、黄金亭へ続く道を次々に封鎖して回っていると」
騎士からの報告を聞いて確信する。犯罪者の目的は、帝国の皇帝であると——。
罠に嵌められ戦力を減らし、警備を偏らせてしまったことで出来た隙。
自分の管轄内で最悪の出来事が起きてしまうことを想像したコルベールの意識はここで途切れることになった。
瀬戸際に思ったのは唯一つ。
何で自分の代でこんなことが起こるんだという嘆きだった。
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