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第35話心臓が飛び出る程
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「(本当にそんな戦い方で行けるのか?)」
物陰に隠れ、ジャックの動向を確認しながらルスヴンへと質問する。
ルスヴンの指示に歯向かうつもりはない。しかし、聞き返してしまったのはルスヴンの口から出たのが作戦なのかどうかも怪しかったからだ。
ルスヴンが口にしたことは一言。
——マニュアル通りの撤退戦をすればいい。である。
相手を攪乱して戦い、味方が逃げるまでの時間を稼ぐ。常に追われる側であるレジスタンスには入隊する前に必ずこの戦い方を仕込まれる。
約300年、吸血鬼相手に戦い続け、受け継がれてきた戦い方は生き残ることを重視され、効率的だ。それを新人に覚えさせるのは、レジスタンス内で最も価値が低く、最も弱いからである。
レジスタンス内で価値が低いからこそ囮にされ、最も弱いからこそ生き残ることだけに注視した戦い方を徹底的に叩き込む。それこそ、トラウマになるレベルまで。
だからこそ新人は囮にされた際に全員ではないものの一定の生存率を保っていた。破れ続けていたが、積み重ねたものまで無駄とは限らないのだ。
北條も勿論その訓練を受けている。ルスヴンの力が出せなくなった際はその戦い方で生き残ったこともある。無論、死にかけたが。
『何だ? もう反発か?』
「(いや、違うって……これは反発じゃなくて質問だよ)」
ムスッとした声が返って来たことに焦りつつも北條はキチンと理由を話してくれと頼み込む。
レジスタンスの撤退戦は生き残ることに特化した戦い方だ。今回の辻斬り犯討伐とは合わないのではと思ったからこそルスヴンに尋ねたのだ。
ルスヴンがそういうことかと納得する。
『確かに撤退戦を仕掛ける相手ではない。今回の仕事は彼奴の始末だからな。だがな、それならば彼奴が死ぬまで撤退戦を仕掛ければいいだけの話ではないか』
「(え……いや、確かにその通りなんだけどさ)」
『マニュアル通りの戦い方しか出来ぬようではお主も成長はできんぞ?』
「(……分かった。危険だと思ったらサポートしてくれ)」
『無論だ』
相手が死ぬまで撤退戦。つまり、ヒットアンドウェイ戦法で戦えば良いと判断して銃器を握り締める。
念のため自分が間違っていた際の保険をルスヴンに頼み、ジャックの様子を確認する。
「(ルスヴン。あれが立体緑園で見た映像みたいにジャックを映し出してる可能性とか武器を隠し持っている可能性とかあるか?)」
自分と同じように体を隠しこちらを窺っているジャックを見る。
自分では背中に隠し持っていた刀も見破ることはできなかった。だが、ルスヴンは口調からして武器を隠し持っていることを見破っていたようだった。自分では分からなくともルスヴンならば分かるかもしれない。そう考えて北條は尋ねる。
北條の考えていた通り、ルスヴンは当然とばかりに答えを口にする。
『デコイという線はないな。立体緑園のものは人間の五感を騙せはするが、吸血鬼を騙せる程優れておらんから断言できる。そして、武器を隠し持っている可能性だが、当然隠し持っているだろうな』
「(なるほど。隠してるのは……やっぱり背中?)」
『いや、戦闘衣の膨らみからして腕だろうな』
「(う、腕かぁ……)」
背中ならば武器の1つや2つもっと隠せそうだと思っての発言だったが、ルスヴンにあっさり否定されてしまい少し落ち込む。
いつ戦闘衣の膨らみ何て見たんだと思ってしまう。やはり、強者は観察眼からして違うらしい。
気を取り直し、北條は再び質問する。
「(それって銃器の類か?)」
『その可能性は高い』
「(俺がここから出てそれに撃たれる可能性は?)」
『ほぼないな。彼奴の性格上、お主との戦いを楽しんだ後に出すはずだ』
「(そうか、分かった)」
現状の不安はなくなった。
息を吸い、ゆっくりと吐く。戦いへの覚悟は決まった。
物陰から1歩外へと出てジャックが物陰から出てくるのを待つ。これもルスヴンによる指示だ。
ジャックにとって北條は街に待った相手。自分の欲を満たすために必要な遊び相手だ。また、北條を認める様な発言をしていた以上、自分と同じことをした北條の誘いに乗ってこないはずはない。そう言われたのだ。
その言葉通り、ジャックは北條が物陰から出てくると笑みを浮かべて柱の陰から出てきた。
楽しそうな表情をして近づいてきたジャックは友人に語り掛けるように北條に語り掛ける。
「仕切り直しってか。今度は何を見せてくれるんだ? それとももう終わりか?」
「安心しろ。心臓が飛び出る程驚かせてやるよ」
「ハッハッハ!! そりゃ楽しみだ!!」
友人であれば何てことのない会話のやり取り。しかし、ここは戦場であり、互いに殺そうとしている相手。表情も一方は愉し気に、もう一方は殺伐としており、違和感しかない。
視線を逸らさず、張り詰めた空気が漂う。
ジャックは北條に先手を譲るつもりだった。元から楽しむことが目的だ。娯楽を提供してくれるのならばそれを見てからでも良いと思っていた。
それは絶対的な自信であり、驕り、慢心だった。
湧き出てくる不快感を抑える。
相手が待ち構えていることぐらいは北條でも察することが出来た。装備も一流の近接戦闘用のものを揃えていて防御の方にも自信があるのかもしれない。腕も欲望のために磨き上げたため、己惚れる程度にはあるのだろう。
だけど、勝つのは自分だ。そう心の中で自分自身に宣言する。
冷静さを保ち、ゆっくりと息を吐く。
——動く。
僅かな気配の変動から北條が動くことを察したジャックは刀を握る力を強める。
その気になれば銃弾すら斬って捨てられる。それを披露すればどんな顔をしてくれるのか。そして、それを躱してどんな反撃をしてくれるのか。無意識にどこまでも期待を高めていく。
しかし、その期待は呆気なく裏切られる。
僅かに沈んだ北條の体。一気に距離を詰めるのかと考え、対処をしようとした時——目を見開く。
北條は、そのまま後ろへと飛び、暗い下水道の通路へと消えて行ったのだ。
「——は?」
思わず間抜けな声が口から洩れる。
期待が大きかった分だけ、思考が上手く回らずにいた。そして、相手が逃げたのだと理解すると激怒する。
これでは無様に逃げる犯罪者達を負うのと変わりがない。1対1の戦いを、殺し合いを、殺害を望んでいたジャックにとってそれは我慢ならないものだ。
詰まらない相手ならばここで逃げることもできた。だが、一度は認めた相手だ。認めた相手が見下す相手と同じ行動をしたことに失意よりも怒りが勝った。
自分の手でぶち殺してくれる。
自分の情報識別機を身に着け、走り出す。
ルスヴンの予想通り、今度はジャックが冷静さを欠いたのだった。
「このクソ野郎が!! テメェ待ちやがれ!!」
部下に怒声を浴びせていた時よりも酷く怒りに満ちた声、ギラギラとした眼光で追って来るジャックに北條は狙い通りだとほくそ笑み、速度を抑える。
目的は逃げることではない。適度な距離を保ったまま戦うことだ。距離を開けすぎて追うのを諦められても困るのだ。
ある程度距離が近づいてくると北條は足を止めてAAA突撃銃を構え、引き金を引く。
「——チィッ」
コンクリートの壁が破壊される音、水飛沫で響く中、僅かにジャックの舌打ちが耳に入る。
情報識別機から送られるジャックの姿は五体満足で、表情は怒りで満ちていた。
怒りに満ちている状態で先程の銃撃を躱したのかと呆れながら、北條は銃弾の雨で挑発を行う。
「凄い顔だ。あれでこっちの攻撃を躱す何てどういう反射神経だ」
距離を取り、銃撃。距離を取り、銃撃。
弾数が限られているため無駄撃ちはできない。だが、銃弾を躱すことと言い、あの男の反射神経は馬鹿にはできない。
ただ大雑把に狙うのではなく、比較的足の部位、ジャックの体では守りづらい箇所を狙うことでジャックの苛立ちを高め、失敗を誘発させるように苛立ちを募らせるために挑発を行う。
「(ルスヴン。もうそろそろか?)」
そして、十分挑発が出来たと判断すると北條がルスヴンに確認を行う。
北條に確認を求められたルスヴンは特に否定もせずに同意を示す。
『あぁ、もう良いだろう』
ルスヴンの同意を得た北條が笑みを浮かべ、目晦ましのために下水道の壁をAAA突撃銃で狙撃し、粉塵を巻き上げる。
巻き上がった粉塵にジャックは警戒を示すが、それも一瞬。勢いを緩めずに粉塵を突破し、曲がり角を曲がった北條の背中を追いかける。
「隠れようたって無駄だぞ!! テメエの動きぐらいすぐに分かる!!」
壁に手をめり込ませて遠心力を利用して減速せずに角を曲がる。曲がった瞬間に目にしたのは北條が銃口を向ける瞬間だった。
「——じゃあな」
曲がった瞬間に頭部を目掛けて弾丸が放たれる。常に足に集中して銃撃をしたおかげでジャックの意識は下に行っており、遠心力で重心が外に行っているため回避も間に合わない。
当たる。そう北條は確信する。だが——。
「効くかぁ!!」
「——マジかよッ」
確実に額に当たると思われた弾丸。それは間違いなくジャックの頭部を捉えた。
しかし、飛び散ったのは血肉ではなく金属の破片だった。
僅かに額に血を流して突進してくるジャックの姿を見て冷や汗を流す。そんな北條とは違い、ルスヴンは特に焦る様子もなく、むしろ呆れた声を出した。
『ふむ、頭部に迷彩付きの防弾装備を施していたか。これは予想外だ。確かに頭を守ることは大事だな。迷彩機能も付ければ相手の油断も誘える。吸血鬼との戦いでは役に立たんが、人間相手には有効か』
「(余裕だな!! これ、計算違いじゃないか!? 防弾装備って予想外過ぎるぞ!!)」
『何を言っておる。この程度、誤差の範囲にすらならん。思い出してみろ。お前は今まで何を相手にしていた?』
決定的な一撃を防がれたことで撤退の足が速くなった北條にルスヴンは落ち着かせるように問いかける。
銃弾が斬られた。確かに予想外。だから何だ。その程度、吸血鬼相手に銃弾が効かないことと何か変わりがあるのか。
その問いかけに北條はこれまでのことを思い出す。
「(確かにそうだな。ごめん。誰が相手とかは関係なかった。吸血鬼と同じように対応すれば良いんだった)」
『その通りだ。そら、早く走れ、このままだと距離が縮まる方が速いぞ』
「(——了解ッ)」
一々動揺するな。落ち着け。対処しろ。戦い方は変わらない。
焦った思考を落ち着かせ、無駄な動きを制限した北條は再び距離を取り、銃口をジャックへ向けた。
「オラァ!!」
今度の銃弾はジャックによって斬り落とされる。銃弾を斬り落とすという行為に目を見開く——が、北條は焦らない。
冷静に、何故銃弾が防がれたのか、何故斬り落とせたのかを考える。
防弾装備と言っても少しでも逸れれば頭部が傷つくことになる。斬り落とす際も同じだ。最初から弾道を知っていなければこんな芸当は出来はしない。
つまり、相手はこの暗い下水道の中でこちらの銃弾の弾道を知る術があるということ。
追ってくる際ジャックは「動きぐらいすぐにわかる」と言った。何故、動きが分かるのか?
肉眼でこの通路を見渡すことはできない。北條も情報識別機のサポートでようやく見渡せるぐらいだ。
監視カメラが仕掛けられている様子もない。そもそも、映像を見た後で動き出すのでは間に合わない。
では、一体どうやってこちらの動きを把握しているのか。
情報識別機?戦闘衣のハッキング?それともAAAの方か?
もし、その2つの内どちらかが当たりだとして、自分にはそれを覆すことはできるか?
様々なことが頭の中を駆け巡り、自問自答を繰り返す。
ルスヴンに人間の兵器のことは聞いても意味がない。これは北條自身が考えなければならないことだ。
そして、答えを出すとルスヴンに相談するために口を開いた。
自分の装備に細工がされている可能性。弾丸が残りが少ないこと。それを踏まえた次の一撃。そして、全てはルスヴンに掛かっていることを説明する。
ルスヴンが嫌がるならば別の手も考えるつもりで北條は尋ねる。なんせ、隠れる場所は北條でも顔を顰める場所なのだ。それを相棒に強制することはできない。
しかし、それを聞いたルスヴンは、予想外にも反対はしなかった。
『————ふむ、良いのではないか? 泥臭く、人間らしいや(殺)り方だ』
そう言って北條の案に賛成を示したのだ。
「——ッ!?」
北條を追いかけていたジャックの表情が曇る。
それは視界の隅に映っていた北條一馬の情報識別機が捉えていた映像が真っ白な光で包まれたことが原因だ。
北條の予想通り、ジャックは北條の装備に細工をしていた。
と言っても北條と戦うことを予測したものではない。北條が捕まり、装備がジャックの手元に届いた際、ジャックは戦闘すら予測していなかった。
だからこれは成り行きである。装備を勝手に持ち出されても分かるようにAAA突撃銃と戦闘衣に発信機を取り付け、情報の共有ができるよう北條の情報識別機と自分の情報識別機をリンクさせていた。
戦闘衣に付けた発信機で位置を割り出し、親機として設定した自分の情報識別機に子機として設定した北條の情報識別機の情報を一方的に取っていたのだ。
だからこそ情報識別機の情報で弾道を割り出して弾丸を斬るなどの芸当ができていたのだ。
頭部の防弾装備を吹き飛ばされることもあって、ジャックは先程よりも多少警戒して進んでいる。そのせいで北條との距離が開いてしまっていた。それでもジャックが戸惑うことはない。
何故ならAAA突撃銃と戦闘衣に付けている発信機で位置は把握できるからだ。
ジャックが端末を出して北條の位置を確かめる。情報識別機とは違い、AAA突撃銃と戦闘衣に付けた発信機は機能している。だが、それを見ても表情は晴れない。
これまでずっと動き続けていた北條の位置がずっと止まっているのだ。
「(諦めた? いや、まさか気付かれたのか?)」
その可能性が高いと考える。
この状況で諦めれば、あの少年がやったことは自分がレジスタンスだと漏らしたことだけだ。
レジスタンスはこの街最大の最大反政府組織。政府に情報を持って行くだけでもかなりの額が約束されている。
顔もバレてしまっている以上、口留めをするためには全員を殺すことが最善だ。
「ふん。また待ち伏せか」
呆れて溜息をつく。
もう曲がった瞬間に弾丸を喰らうという愚行は犯さない。
相手の情報識別機の情報が無くなったとしても、こちらには暗器がある。十分に対応できる。してみせると意気込んで北條が待ち伏せている場所へ急ぐ。
「オラァ!! 何処に嫌がる糞餓鬼ィ!?」
情報識別機で視界を広げ、判別させる。
隠れているであろう北條を見抜くならば十分な性能を発揮する情報識別機。しかし、そこには北條の反応はない。
「……どういうことだ?」
当たりを見渡し、再度反応を探す——が、ジャックの望む反応は示されなかった。
「クソッ。やっぱり逃げやがったのか? 援軍を呼ばれたか?」
援軍を呼ばれたならば流石に逃げなければならない。
大きく舌打ちをし、北條への失望を大きくした時、情報識別機と発信機の反応が止まった原因が判明する。
ジャックの視線の先には北條が地下通路を通る際に使っていた手持ちのライトと情報識別機。情報識別機のカメラにライトの光源を突き付け、視界を妨げられていた。
そして、その近くにはAAA突撃銃、少し離れた場所には脱ぎ捨てられた戦闘衣があった。
装備を捨てたということはやはり細工をしていたことに気が付いたのだろう。余程慌てたのか個人端末まで放り出されている。
取り敢えず連絡を出していたのか確認しようと思い、端末を手に取る。
ジャックの胸の中に失意が湧き出る。
レジスタンスでも重要な装備である3つの装備を捨てるということは戦いを放棄したということだ。
予測が現実になったことでジャックは大きく溜息をつく——その時だった。
「————へ?」
乾いた音が響く。
何があったのか分からず、後ろを振り向けばそこにいたのは下着姿の北條。
北條が手に持っているのはいつの間に拾っていたのかAAA突撃銃がある。
いつからそこに、何処に隠れていたのか。迷彩機能の装備を持っていたのか。疑問が湧き出てくるが、それよりもまずは刃を振りぬき斬りかかろうとする。
だが、気付く。自分の腕が肘から下がないことに。
千切れた腕はどこにもない。AAA突撃銃によって吹き飛ばされ、衝撃で肉片となり下水の中へと消えていってしまった。
先程の発砲音。それが自分の肘を消し飛ばしたのだと理解する。いつの間にか口からは悲鳴が出ていた。
流れる血を抑えようと残った片方の腕で傷口を抑えるが、血は止まることなく溢れてくる。
「い、ったい……どうやって」
「それは何処に隠れていたかってことか? それならこの下水の中だよ。情報識別機の反応も誤魔化すためにそこにある泥も被ったおかげで汚物まみれになったけどな」
気持ちが悪いと手足を振って体に着いた泥を払う。
思いもよらない所に隠れていたことに目を見開くジャック。思考が足りなかった。考えが及ばなかった。泥に塗れても勝つという思想がなかった。
強者との戦いをジャックは知らない。常に有利な状況でしか戦ってこなかったジャックは劣勢に立たされた者の戦い方を知らない。
だからこそ、そんな場所に北條が隠れているなど思いもしなかった。
北條が戦闘衣なしでもAAA突撃銃を撃つために壁に背を当てて、銃底を肩に当てる。
「もうその状態だと隠してた武器も使えないだろ?」
これから何が起こるのか予想がついたジャックは顔を引き攣らせる。
生涯初めての恐怖をジャックは味わっていた。
北條が全く表情を変えずにジャックの目を見詰める。その表情がジャックの恐怖をより煽った。
「そう言えば、心臓が飛び出る程驚かしてやるって言ったよな?」
「や、やめ——」
「断る————死にな」
懇願するジャックを相手に今回は戸惑うことなく引き金を引いた。
対吸血鬼用の弾丸がジャックの左胸を捉える。弾丸はジャックの体を大きく抉り、大きな穴を開けた。
物陰に隠れ、ジャックの動向を確認しながらルスヴンへと質問する。
ルスヴンの指示に歯向かうつもりはない。しかし、聞き返してしまったのはルスヴンの口から出たのが作戦なのかどうかも怪しかったからだ。
ルスヴンが口にしたことは一言。
——マニュアル通りの撤退戦をすればいい。である。
相手を攪乱して戦い、味方が逃げるまでの時間を稼ぐ。常に追われる側であるレジスタンスには入隊する前に必ずこの戦い方を仕込まれる。
約300年、吸血鬼相手に戦い続け、受け継がれてきた戦い方は生き残ることを重視され、効率的だ。それを新人に覚えさせるのは、レジスタンス内で最も価値が低く、最も弱いからである。
レジスタンス内で価値が低いからこそ囮にされ、最も弱いからこそ生き残ることだけに注視した戦い方を徹底的に叩き込む。それこそ、トラウマになるレベルまで。
だからこそ新人は囮にされた際に全員ではないものの一定の生存率を保っていた。破れ続けていたが、積み重ねたものまで無駄とは限らないのだ。
北條も勿論その訓練を受けている。ルスヴンの力が出せなくなった際はその戦い方で生き残ったこともある。無論、死にかけたが。
『何だ? もう反発か?』
「(いや、違うって……これは反発じゃなくて質問だよ)」
ムスッとした声が返って来たことに焦りつつも北條はキチンと理由を話してくれと頼み込む。
レジスタンスの撤退戦は生き残ることに特化した戦い方だ。今回の辻斬り犯討伐とは合わないのではと思ったからこそルスヴンに尋ねたのだ。
ルスヴンがそういうことかと納得する。
『確かに撤退戦を仕掛ける相手ではない。今回の仕事は彼奴の始末だからな。だがな、それならば彼奴が死ぬまで撤退戦を仕掛ければいいだけの話ではないか』
「(え……いや、確かにその通りなんだけどさ)」
『マニュアル通りの戦い方しか出来ぬようではお主も成長はできんぞ?』
「(……分かった。危険だと思ったらサポートしてくれ)」
『無論だ』
相手が死ぬまで撤退戦。つまり、ヒットアンドウェイ戦法で戦えば良いと判断して銃器を握り締める。
念のため自分が間違っていた際の保険をルスヴンに頼み、ジャックの様子を確認する。
「(ルスヴン。あれが立体緑園で見た映像みたいにジャックを映し出してる可能性とか武器を隠し持っている可能性とかあるか?)」
自分と同じように体を隠しこちらを窺っているジャックを見る。
自分では背中に隠し持っていた刀も見破ることはできなかった。だが、ルスヴンは口調からして武器を隠し持っていることを見破っていたようだった。自分では分からなくともルスヴンならば分かるかもしれない。そう考えて北條は尋ねる。
北條の考えていた通り、ルスヴンは当然とばかりに答えを口にする。
『デコイという線はないな。立体緑園のものは人間の五感を騙せはするが、吸血鬼を騙せる程優れておらんから断言できる。そして、武器を隠し持っている可能性だが、当然隠し持っているだろうな』
「(なるほど。隠してるのは……やっぱり背中?)」
『いや、戦闘衣の膨らみからして腕だろうな』
「(う、腕かぁ……)」
背中ならば武器の1つや2つもっと隠せそうだと思っての発言だったが、ルスヴンにあっさり否定されてしまい少し落ち込む。
いつ戦闘衣の膨らみ何て見たんだと思ってしまう。やはり、強者は観察眼からして違うらしい。
気を取り直し、北條は再び質問する。
「(それって銃器の類か?)」
『その可能性は高い』
「(俺がここから出てそれに撃たれる可能性は?)」
『ほぼないな。彼奴の性格上、お主との戦いを楽しんだ後に出すはずだ』
「(そうか、分かった)」
現状の不安はなくなった。
息を吸い、ゆっくりと吐く。戦いへの覚悟は決まった。
物陰から1歩外へと出てジャックが物陰から出てくるのを待つ。これもルスヴンによる指示だ。
ジャックにとって北條は街に待った相手。自分の欲を満たすために必要な遊び相手だ。また、北條を認める様な発言をしていた以上、自分と同じことをした北條の誘いに乗ってこないはずはない。そう言われたのだ。
その言葉通り、ジャックは北條が物陰から出てくると笑みを浮かべて柱の陰から出てきた。
楽しそうな表情をして近づいてきたジャックは友人に語り掛けるように北條に語り掛ける。
「仕切り直しってか。今度は何を見せてくれるんだ? それとももう終わりか?」
「安心しろ。心臓が飛び出る程驚かせてやるよ」
「ハッハッハ!! そりゃ楽しみだ!!」
友人であれば何てことのない会話のやり取り。しかし、ここは戦場であり、互いに殺そうとしている相手。表情も一方は愉し気に、もう一方は殺伐としており、違和感しかない。
視線を逸らさず、張り詰めた空気が漂う。
ジャックは北條に先手を譲るつもりだった。元から楽しむことが目的だ。娯楽を提供してくれるのならばそれを見てからでも良いと思っていた。
それは絶対的な自信であり、驕り、慢心だった。
湧き出てくる不快感を抑える。
相手が待ち構えていることぐらいは北條でも察することが出来た。装備も一流の近接戦闘用のものを揃えていて防御の方にも自信があるのかもしれない。腕も欲望のために磨き上げたため、己惚れる程度にはあるのだろう。
だけど、勝つのは自分だ。そう心の中で自分自身に宣言する。
冷静さを保ち、ゆっくりと息を吐く。
——動く。
僅かな気配の変動から北條が動くことを察したジャックは刀を握る力を強める。
その気になれば銃弾すら斬って捨てられる。それを披露すればどんな顔をしてくれるのか。そして、それを躱してどんな反撃をしてくれるのか。無意識にどこまでも期待を高めていく。
しかし、その期待は呆気なく裏切られる。
僅かに沈んだ北條の体。一気に距離を詰めるのかと考え、対処をしようとした時——目を見開く。
北條は、そのまま後ろへと飛び、暗い下水道の通路へと消えて行ったのだ。
「——は?」
思わず間抜けな声が口から洩れる。
期待が大きかった分だけ、思考が上手く回らずにいた。そして、相手が逃げたのだと理解すると激怒する。
これでは無様に逃げる犯罪者達を負うのと変わりがない。1対1の戦いを、殺し合いを、殺害を望んでいたジャックにとってそれは我慢ならないものだ。
詰まらない相手ならばここで逃げることもできた。だが、一度は認めた相手だ。認めた相手が見下す相手と同じ行動をしたことに失意よりも怒りが勝った。
自分の手でぶち殺してくれる。
自分の情報識別機を身に着け、走り出す。
ルスヴンの予想通り、今度はジャックが冷静さを欠いたのだった。
「このクソ野郎が!! テメェ待ちやがれ!!」
部下に怒声を浴びせていた時よりも酷く怒りに満ちた声、ギラギラとした眼光で追って来るジャックに北條は狙い通りだとほくそ笑み、速度を抑える。
目的は逃げることではない。適度な距離を保ったまま戦うことだ。距離を開けすぎて追うのを諦められても困るのだ。
ある程度距離が近づいてくると北條は足を止めてAAA突撃銃を構え、引き金を引く。
「——チィッ」
コンクリートの壁が破壊される音、水飛沫で響く中、僅かにジャックの舌打ちが耳に入る。
情報識別機から送られるジャックの姿は五体満足で、表情は怒りで満ちていた。
怒りに満ちている状態で先程の銃撃を躱したのかと呆れながら、北條は銃弾の雨で挑発を行う。
「凄い顔だ。あれでこっちの攻撃を躱す何てどういう反射神経だ」
距離を取り、銃撃。距離を取り、銃撃。
弾数が限られているため無駄撃ちはできない。だが、銃弾を躱すことと言い、あの男の反射神経は馬鹿にはできない。
ただ大雑把に狙うのではなく、比較的足の部位、ジャックの体では守りづらい箇所を狙うことでジャックの苛立ちを高め、失敗を誘発させるように苛立ちを募らせるために挑発を行う。
「(ルスヴン。もうそろそろか?)」
そして、十分挑発が出来たと判断すると北條がルスヴンに確認を行う。
北條に確認を求められたルスヴンは特に否定もせずに同意を示す。
『あぁ、もう良いだろう』
ルスヴンの同意を得た北條が笑みを浮かべ、目晦ましのために下水道の壁をAAA突撃銃で狙撃し、粉塵を巻き上げる。
巻き上がった粉塵にジャックは警戒を示すが、それも一瞬。勢いを緩めずに粉塵を突破し、曲がり角を曲がった北條の背中を追いかける。
「隠れようたって無駄だぞ!! テメエの動きぐらいすぐに分かる!!」
壁に手をめり込ませて遠心力を利用して減速せずに角を曲がる。曲がった瞬間に目にしたのは北條が銃口を向ける瞬間だった。
「——じゃあな」
曲がった瞬間に頭部を目掛けて弾丸が放たれる。常に足に集中して銃撃をしたおかげでジャックの意識は下に行っており、遠心力で重心が外に行っているため回避も間に合わない。
当たる。そう北條は確信する。だが——。
「効くかぁ!!」
「——マジかよッ」
確実に額に当たると思われた弾丸。それは間違いなくジャックの頭部を捉えた。
しかし、飛び散ったのは血肉ではなく金属の破片だった。
僅かに額に血を流して突進してくるジャックの姿を見て冷や汗を流す。そんな北條とは違い、ルスヴンは特に焦る様子もなく、むしろ呆れた声を出した。
『ふむ、頭部に迷彩付きの防弾装備を施していたか。これは予想外だ。確かに頭を守ることは大事だな。迷彩機能も付ければ相手の油断も誘える。吸血鬼との戦いでは役に立たんが、人間相手には有効か』
「(余裕だな!! これ、計算違いじゃないか!? 防弾装備って予想外過ぎるぞ!!)」
『何を言っておる。この程度、誤差の範囲にすらならん。思い出してみろ。お前は今まで何を相手にしていた?』
決定的な一撃を防がれたことで撤退の足が速くなった北條にルスヴンは落ち着かせるように問いかける。
銃弾が斬られた。確かに予想外。だから何だ。その程度、吸血鬼相手に銃弾が効かないことと何か変わりがあるのか。
その問いかけに北條はこれまでのことを思い出す。
「(確かにそうだな。ごめん。誰が相手とかは関係なかった。吸血鬼と同じように対応すれば良いんだった)」
『その通りだ。そら、早く走れ、このままだと距離が縮まる方が速いぞ』
「(——了解ッ)」
一々動揺するな。落ち着け。対処しろ。戦い方は変わらない。
焦った思考を落ち着かせ、無駄な動きを制限した北條は再び距離を取り、銃口をジャックへ向けた。
「オラァ!!」
今度の銃弾はジャックによって斬り落とされる。銃弾を斬り落とすという行為に目を見開く——が、北條は焦らない。
冷静に、何故銃弾が防がれたのか、何故斬り落とせたのかを考える。
防弾装備と言っても少しでも逸れれば頭部が傷つくことになる。斬り落とす際も同じだ。最初から弾道を知っていなければこんな芸当は出来はしない。
つまり、相手はこの暗い下水道の中でこちらの銃弾の弾道を知る術があるということ。
追ってくる際ジャックは「動きぐらいすぐにわかる」と言った。何故、動きが分かるのか?
肉眼でこの通路を見渡すことはできない。北條も情報識別機のサポートでようやく見渡せるぐらいだ。
監視カメラが仕掛けられている様子もない。そもそも、映像を見た後で動き出すのでは間に合わない。
では、一体どうやってこちらの動きを把握しているのか。
情報識別機?戦闘衣のハッキング?それともAAAの方か?
もし、その2つの内どちらかが当たりだとして、自分にはそれを覆すことはできるか?
様々なことが頭の中を駆け巡り、自問自答を繰り返す。
ルスヴンに人間の兵器のことは聞いても意味がない。これは北條自身が考えなければならないことだ。
そして、答えを出すとルスヴンに相談するために口を開いた。
自分の装備に細工がされている可能性。弾丸が残りが少ないこと。それを踏まえた次の一撃。そして、全てはルスヴンに掛かっていることを説明する。
ルスヴンが嫌がるならば別の手も考えるつもりで北條は尋ねる。なんせ、隠れる場所は北條でも顔を顰める場所なのだ。それを相棒に強制することはできない。
しかし、それを聞いたルスヴンは、予想外にも反対はしなかった。
『————ふむ、良いのではないか? 泥臭く、人間らしいや(殺)り方だ』
そう言って北條の案に賛成を示したのだ。
「——ッ!?」
北條を追いかけていたジャックの表情が曇る。
それは視界の隅に映っていた北條一馬の情報識別機が捉えていた映像が真っ白な光で包まれたことが原因だ。
北條の予想通り、ジャックは北條の装備に細工をしていた。
と言っても北條と戦うことを予測したものではない。北條が捕まり、装備がジャックの手元に届いた際、ジャックは戦闘すら予測していなかった。
だからこれは成り行きである。装備を勝手に持ち出されても分かるようにAAA突撃銃と戦闘衣に発信機を取り付け、情報の共有ができるよう北條の情報識別機と自分の情報識別機をリンクさせていた。
戦闘衣に付けた発信機で位置を割り出し、親機として設定した自分の情報識別機に子機として設定した北條の情報識別機の情報を一方的に取っていたのだ。
だからこそ情報識別機の情報で弾道を割り出して弾丸を斬るなどの芸当ができていたのだ。
頭部の防弾装備を吹き飛ばされることもあって、ジャックは先程よりも多少警戒して進んでいる。そのせいで北條との距離が開いてしまっていた。それでもジャックが戸惑うことはない。
何故ならAAA突撃銃と戦闘衣に付けている発信機で位置は把握できるからだ。
ジャックが端末を出して北條の位置を確かめる。情報識別機とは違い、AAA突撃銃と戦闘衣に付けた発信機は機能している。だが、それを見ても表情は晴れない。
これまでずっと動き続けていた北條の位置がずっと止まっているのだ。
「(諦めた? いや、まさか気付かれたのか?)」
その可能性が高いと考える。
この状況で諦めれば、あの少年がやったことは自分がレジスタンスだと漏らしたことだけだ。
レジスタンスはこの街最大の最大反政府組織。政府に情報を持って行くだけでもかなりの額が約束されている。
顔もバレてしまっている以上、口留めをするためには全員を殺すことが最善だ。
「ふん。また待ち伏せか」
呆れて溜息をつく。
もう曲がった瞬間に弾丸を喰らうという愚行は犯さない。
相手の情報識別機の情報が無くなったとしても、こちらには暗器がある。十分に対応できる。してみせると意気込んで北條が待ち伏せている場所へ急ぐ。
「オラァ!! 何処に嫌がる糞餓鬼ィ!?」
情報識別機で視界を広げ、判別させる。
隠れているであろう北條を見抜くならば十分な性能を発揮する情報識別機。しかし、そこには北條の反応はない。
「……どういうことだ?」
当たりを見渡し、再度反応を探す——が、ジャックの望む反応は示されなかった。
「クソッ。やっぱり逃げやがったのか? 援軍を呼ばれたか?」
援軍を呼ばれたならば流石に逃げなければならない。
大きく舌打ちをし、北條への失望を大きくした時、情報識別機と発信機の反応が止まった原因が判明する。
ジャックの視線の先には北條が地下通路を通る際に使っていた手持ちのライトと情報識別機。情報識別機のカメラにライトの光源を突き付け、視界を妨げられていた。
そして、その近くにはAAA突撃銃、少し離れた場所には脱ぎ捨てられた戦闘衣があった。
装備を捨てたということはやはり細工をしていたことに気が付いたのだろう。余程慌てたのか個人端末まで放り出されている。
取り敢えず連絡を出していたのか確認しようと思い、端末を手に取る。
ジャックの胸の中に失意が湧き出る。
レジスタンスでも重要な装備である3つの装備を捨てるということは戦いを放棄したということだ。
予測が現実になったことでジャックは大きく溜息をつく——その時だった。
「————へ?」
乾いた音が響く。
何があったのか分からず、後ろを振り向けばそこにいたのは下着姿の北條。
北條が手に持っているのはいつの間に拾っていたのかAAA突撃銃がある。
いつからそこに、何処に隠れていたのか。迷彩機能の装備を持っていたのか。疑問が湧き出てくるが、それよりもまずは刃を振りぬき斬りかかろうとする。
だが、気付く。自分の腕が肘から下がないことに。
千切れた腕はどこにもない。AAA突撃銃によって吹き飛ばされ、衝撃で肉片となり下水の中へと消えていってしまった。
先程の発砲音。それが自分の肘を消し飛ばしたのだと理解する。いつの間にか口からは悲鳴が出ていた。
流れる血を抑えようと残った片方の腕で傷口を抑えるが、血は止まることなく溢れてくる。
「い、ったい……どうやって」
「それは何処に隠れていたかってことか? それならこの下水の中だよ。情報識別機の反応も誤魔化すためにそこにある泥も被ったおかげで汚物まみれになったけどな」
気持ちが悪いと手足を振って体に着いた泥を払う。
思いもよらない所に隠れていたことに目を見開くジャック。思考が足りなかった。考えが及ばなかった。泥に塗れても勝つという思想がなかった。
強者との戦いをジャックは知らない。常に有利な状況でしか戦ってこなかったジャックは劣勢に立たされた者の戦い方を知らない。
だからこそ、そんな場所に北條が隠れているなど思いもしなかった。
北條が戦闘衣なしでもAAA突撃銃を撃つために壁に背を当てて、銃底を肩に当てる。
「もうその状態だと隠してた武器も使えないだろ?」
これから何が起こるのか予想がついたジャックは顔を引き攣らせる。
生涯初めての恐怖をジャックは味わっていた。
北條が全く表情を変えずにジャックの目を見詰める。その表情がジャックの恐怖をより煽った。
「そう言えば、心臓が飛び出る程驚かしてやるって言ったよな?」
「や、やめ——」
「断る————死にな」
懇願するジャックを相手に今回は戸惑うことなく引き金を引いた。
対吸血鬼用の弾丸がジャックの左胸を捉える。弾丸はジャックの体を大きく抉り、大きな穴を開けた。
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