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第66話想定外

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 床に叩き付けられるのは何度目か。
 傷を負うのは何度目か。
 数えるのも馬鹿らしくなってしまう程、ボコボコにされたのは違いない。何度も死にかけ、その度にルスヴンに助けられる。それの繰り返しだ。
 ギリギリ、首の皮一枚で繋がっていた状態が7分間続いた。7分間しか持たなかった。7分間も持った。どのように捉えるかは北條次第。今回、北條は後者に捉えた。

 耳に付けてあった無線機から通信が入る。
 誰かなど問うまでもない。結城からだ。
 通信は短く、端的だった。だが、それでも結城が疲れていることは分かった。自分の指示に——実際はルスヴンが出したものを伝えただけだが——全力で取り込んでくれたのだろうと予想し、小さく笑みを浮かべる。

「始めるぞ」

 短く一言。通信機の向こうにいるであろう結城に告げる。返事はなかった。
 もう彼女は準備をしているのだろう。返事がないとはそういうことだ。自分自身よりも頭が回り、才能のある結城だから大丈夫だろうと思い、両腕を地面につく。
 ランスイルとジャララカスが何かをしようとする北條に気付く。
 ランスイルの叫びが北條の体を叩く。音の爆弾は容赦なく襲い掛かり、体を血塗れにする。
 防ぐことはしなかった。躱すことはしなかった。それをすれば距離を詰められると分かっていたから。覚悟してそれを体で受けた。おかげで耳は聞こえなくなり、体中が痛くなる。それでも地面についた両手は離さなかった。

『全力でやれ。宿主マスター

 中級の吸血鬼2体を相手に正面から戦って勝利することなどできない。真面に戦って勝ち目などない。ならば、真面じゃない状況を作り出すまで。

 ——その瞬間、冬が訪れた。

 全てが凍る。
 時が止まったかのように静かになる。辺りは白い景色に埋め尽くされ、一瞬にして幻想的な光景が作られた。
 北條の手から床に、床から他のものへと間接的に触れているもの全てを凍らせる力は、床に足を付けていたランスイルとジャララカスにも襲い掛かった。

 人を丸呑みできそうな巨大な蛇が動く。それが誰のものかなど確かめるまでもない。
 蛇がランスイルとジャララカスを囲み、冷気から守る。そのせいで、蛇は死に絶えるが、中にいた2体まで冷気は届かなかった。
 凍った蛇の囲いを破壊してランスイルとジャララカスの視線が北條射抜いた。
 冷や汗を掻きながらも北條はほくそ笑む。ここまでは全てルスヴンの予想通りだと。

「結城!!」
「今、やってる!!」

 通信機に向けて叫ぶと負けじと大きな声量が返ってくる。
 そして、天井が崩れた。




 その作戦を耳にした時はそれで上手く行く自信がなかった。
 作戦が滅茶苦茶だったこともあるが、一番の理由は自分自身。結城えりにそんなことが出来るのだろうかという不安から来るものだった。
 結城は失敗している。
 ラクシャサを殺そうとして失敗した。魔眼に対する知識を持っていたのに、気を緩めて殺されかけた。ジャララカスと不意に遭遇した時も、殺されかけた。

 作戦において結城の役割は
 巨大なドーム4つ分はありそうな大きさの天上を落とす。結城の異能の出力ではあんな質量のあるものを動かすことは出来ない。何より、作戦とは別で北條に頼まれたことが足かせになるかもしれなかった。
 チラリ、と後ろを見る。
 そこにはこの層に囚われていた囚人達がいた。

 ——戦いで巻き込まれるかもしれないから。彼らを助けてやって欲しい。

 北條と別れる際、そんなことを言われたのだ。
 本来なら、助ける通りなどない。彼らの中にはレジスタンスのメンバーも含まれている。けれど犯罪を犯して捕まった者もいるはずだ。そんな奴等を野放しにするのか。と不満を覚えるが、北條のモチベーション。これから憂いなどなく全力で戦って貰うためにも、結局結城はそれを承諾した。

 この層にいる全ての囚人を全て助け出すのは時間が掛かる。それを短時間でやれと言うのだから無理を言う。だが、北條の方が中級の吸血鬼2体を相手にしていると思うとまだ自分の方が達成する確率は高いと考える。
 命を懸けてくれた。ならば、それ相応に堪えなければならない。そう思って結城は急いで行動する。
 全力を尽くした。外に出ることに抵抗を覚える者、反対する者、勝手に行動しようとする者。説得する時間はなく、全てを叩き伏せて地面に投げ捨てる。
 そして、全ての目的を達して合図を送る。

 空気が変わる。景色が変わる。床は氷に覆われ、息は白くなり、天井に氷柱が出来る。
 まるで氷の洞窟。初めて見る景色に目を見開き、その寒さに体を震わせた。
 結城にも助け出した囚人達にも被害はない。冷気は床に接しているものにしか被害を齎さない。念力サイキックで空中に浮いている結城と囚人達は無事だった。

 珍しい光景に見惚れる結城だったが、無線から聞こえてきた音に我に返る。
 まだ、戦いは終わっていない。これほどの力を以てしても中級は倒せないのだと思い知り、集中する。

 狙うのはこの層を支える柱。
 たった1人で全ての柱を同時に破壊することは困難。結城もそれは分かっている。一番早く破壊に巻き込まなければいけないのは吸血鬼と北條。そして、最後に囚人を守る自分自身だ。
 だからこそ、計算する。建物内を飛び回り構造を把握し、どのように破壊すれば効率的に天井を落とせるかを精密に計算していく。
 そして、北條の合図が来ると同時に柱を念力によって破壊した。




 空間が震える。空気が震えているのではない。建物そのものが震えている。そう分かった時には遅かった。
 巨大な質量が落ちて来る。
 天上が崩れたことで4層のみ外壁も、中心にあった円柱も破壊される。まるで4層のみなくなったかのように、5層が上から落ちて来る。

 地獄壺の外壁はあらゆるものからの襲撃を想定し、これを防ぐために瞬間衝撃吸収壁を使用している。中心にある巨大な円柱も内部にいる怪物を抑えるために同じ素材が使われている。
 特殊な素材で出来ていたにも拘わらず、簡単に破壊できたのはルスヴンの異能によってその性質を停止させられていたためである。

「オ——オオオォォォ!!?」

 覚悟していたとは言え、それは恐ろしいものだった。
 降ってくる瓦礫を避ければ、更にその前には瓦礫が。降ってくる瓦礫に気を取られれば吸血鬼に命を取られる。
 気は抜けなかった。そして、手を抜いてはいけなかった。
 ランスイルとジャララカスを分断するためにも攻撃の手を緩めることはしなかった。
 ランスイルに狙いを定め、地面を蹴り、決死の覚悟で肉薄する。
 ランスイルとジャララカスの間に瓦礫が落ちてきた瞬間。互いに援護が簡単に出来ないタイミングで北條はランスイルをジャララカスから引き剥がした。

 一瞬。一瞬のことだ。
 だが、その一瞬を北條はルスヴンの言葉通りに再現してみせた。
 この層を冷気で満たし、天井を落とす。ランスイルをジャララカスから引き剥がし、各個撃破する。それがルスヴンの言葉だった。

 ランスイルへと突撃し、力で負けていようとも構うものかとランスイルの肌に歯を、爪を突き立てる。
 体全体を使ってランスイルに掴みかかる北條。そんな北條を引き剥がそうと動くランスイル。離れたことに気付き、距離を詰めるジャララカス。囚人を守るために念力の盾を展開する結城。

『——アッ』

 ルスヴンが声を上げる。それは明らかに自分が想定外の事態に驚いた者の声だ。
 だが、北條は今はそれどころではない。ランスイルと零距離での命のやり取りをしている真っ最中だった。
 吸血鬼達もこの事態を想定してはいなかった。
 冷気が満ちた4層でそれぞれが動く中、5層の熱が瓦礫と共に落ちて来る。摂氏3000度にもなる熱は4層の冷えた空気を膨張させた。
 その瞬間、爆発にも似た衝撃が4層にいる全ての生物に襲い掛かった。
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