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やってきたのは
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待ち合わせ場所は、圭悟さんの店にした。圭悟さんにも話をすると快く応じてくれたのだ。3人に会ってもらうことができるしちょうどいい。トキさんには店に直接来てほしいと伝えた。
お昼時の店内は混雑していて、座敷を陣取っているのが申し訳なくなってくる。一応これから注文するけど……。
「先にお二人の分注文しちゃいますか?」
「いや、いいよ?一緒に食べよ」
「すみません。もうすぐ来ると思いますので」
チラチラと入口の方を見ては違ったと落胆する。ガラッと引き戸が開く音がした。今度こそと期待を込めて、視線を向けた僕は予期せぬ人物の登場に目を疑った。咄嗟に隠れようとしたけれどそんな事はできるはずもなく、その人は真っ直ぐこちらへやってきた。
「聡真」
「史弥さん……」
「聡真くん、この方?」
「いえ、違……」
「夫の小林史弥と申します。彼と話がしたくて」
「え?夫?」
キョトンとする颯真さんに何といえば良いのか分からない。
「うーん……ここでは話しづらいかもだし、俺の家に来ます?あっ、もちろん、俺達は別の部屋におりますので」
「聡真?」
彼の顔を見ることができなくて、小さな声で「お願いします」と呟いた。
「うん、オッケー。じゃあ、行きましょうか」
「すみません。お手数をおかけします」
「とんでもない。紬希帰るよ」
「まんま、まんま」
「ご飯はお家で食べよう」
「やっ、まんま」
紬希ちゃんの目が潤み始めて、泣き出してしまった。
「ごめんね、紬希ちゃん。すみません、颯真さん」
「悪いけど、ふたりで行ってくれない?鍵渡すし」
「颯真さん!?」
「ご飯食べたら追いかけるから」
「いやいや……別の場所で話します」
何を言い出すんだ、この人は?
「はい。じゃあ、ごゆっくり」
「ちょ……颯真さん」
紬希ちゃんを宥める颯真さんに強く言えず、鍵を受け取って立ち上がった。
「行きましょう」
「あぁ、うん」
引き戸を開けて外へ出た。照りつける陽射しが眩しくて俯いて歩いた。理由はそれだけじゃないけど。史弥さんは何も言わず僕のあとをついてきた。
話ってなんだろう。罵られたりするんだろうか。史弥さんからしてみれば、僕は不貞を働いたやつだ。慰謝料のことを考えないといけなかったのではないか?離婚届だけ置いて、直接謝罪もせずに逃げ出した自分は最低な人間だと思われているのだろう。あっという間に颯真さんの家に着いてしまった。入りたくない。でも、もう逃げることはできない。意を決して史弥さんに声をかけた。
「ここです」
渡された鍵を使って戸を開けた。靴を脱いで、見慣れた部屋へ彼と一緒に入り、ダイニングテーブルに腰を下ろした。
「あの……」
「すまない。トキさんは悪くないんだ」
「はい……」
顔を上げて彼の方を見た。よく見るとヒゲが生えていたりして、いつもの彼らしくない姿に驚く。
「離婚届に不備があったんですか?それなら、僕が預かって出しますので……。それとも慰謝料のお話でしょうか?あの、本当に」
「離婚する気はないよ」
謝ろうとした僕に被せるように彼が口を開いた。
「はい?」
「離婚する気はないと言ったんだ」
「聞こえてます。意味が分からないから聞き返したんです」
「君と由弥の本当の関係を由弥から直接聞いた」
僕と由弥くんの本当の関係?由弥くんの名前で記憶がフラッシュバックして両腕を擦った。
「彼はなんて?」
「自分が一方的に好きになって、関係を強要しただけだと」
「由弥くんが?」
「つらい思いをさせてごめん。助けてあげられなくてごめん」
首を振った。何も言わなかった僕が悪いのだ。
「僕こそ何も言えなくてごめんなさい。あんな事になって……ごめんなさい」
「聡真が謝る必要はないから」
あの時の史弥さんの顔が浮かんで、申し訳無さでいっぱいになる。
「聡真、俺は……」
「でも、離婚はした方がいいと思う。こんな僕と一緒にはいられないでしょう?それに、史弥さんには……」
本当に好きな人がいる。その人に向いた矢印がこちらへ向く日なんて永遠に来ないのだ。
「何?」
「……好きな人がいるでしょう?ずっと想ってる人が」
史弥さんが息を呑んだ。
「どうして?」
「由弥くんが言っていたから」
彼はため息を付いて真っ直ぐに僕の方を見た。
「確かに、ずっと忘れられない人がいる」
やっぱり。史弥さんの口から聞きたくなかった。顔を見るのが辛くなって視線を落とした。
「でも、俺は聡真のことを想ってる」
……僕の事を想ってる?顔を上げて彼に聞き返した。
「今、何て?」
「聡真のことを愛してる」
都合の良い夢でも見ているのだろうか?彼が僕に向かって愛してると言うなんて、そんな事あるはずないじゃないか。
「そんなのあり得ない」
「ずっと由弥に嫉妬してた。結婚という形でしか聡真を繋ぎ止めるものはないと思っていたし、聡真は由弥のことを好きだと思っていたから言えなかった。君を失うのが怖い」
「今さら……」
そんな事を言われても、離婚するしかないのではないか?誤解が解けたとはいえ、由弥くんに抱かれているところを見られている。それに、由弥くんは彼の弟だ。これからどうやって顔を合わせればいいというのか。
「ごめんなさい。やっぱり」
「好きになってもらえるように精一杯のことをやる」
「え?」
「君が俺のことを好きじゃないのは重々承知しているんだ。でも、やっぱり諦められなくて……」
「待って……」
「ん?」
「そんな事ない」
「そんな事ないとは?」
「ずっと前から僕は史弥さんのことが好きだよ」
「聡真が俺のことを?」
「でも、史弥さんは他にも相手がいたし。君のことを愛することはないって言っていたし。一生言うつもりはなかったんだけど」
「いや、他には誰もいないし。君のことを愛することはないって言ったのは深入りするのが怖かったのと、嫌がられたら諦めようと思っていたからで」
「どういう事?」
「俺はたぶん、初めて会ったあの夜から君に惹かれていたんだよ」
「初めてって……」
「君の初めてを奪った日」
「覚えてたの?」
「覚えてる。本当はあの時もう一度会いたいと思った」
「でも、史弥さんいなかったよね?」
「もう二度と会わないほうがいいと自分に言い聞かせたんだ」
「そうなの?」
「それなのに見合いの時に聡真がいた。めちゃくちゃ動揺した」
「そうだったの」
そんな素振り微塵も感じさせなかったから驚いた。
「由弥から何を聞いているか分からないけど、さっき忘れられないと言ったその人は、高2のときに付き合っていた人なんだ」
「付き合っていた人……」
「また明日と言って別れたんだ。でも、彼は不慮の事故で帰らぬ人となった」
「そんな……」
「彼を失った喪失感はなかなか消えなくて、それから人を愛することが怖くなった。どうしても別れが頭に浮かんでしまって」
「怖かったのにどうして?」
「月に一度君を抱いて、たまに顔を見ることができるだけでいいと思っていた。でも、聡真が廊下で倒れていたあの日、君を失うかもしれないと思って猛烈に怖くなった。泣いている君を見て側にいたいと思った」
「泣いていた?」
「熱に浮かされていたから覚えていないかもしれないね」
あの日のことはあまりよく覚えていない。トキさんがいると思って何かを言った気はするけれど。
「一緒に暮らすようになって、さらに聡真に惹かれていって気持ちに蓋をすることをやめた。たとえ聡真が俺のことを好きじゃなくても一緒にいられるだけで幸せだった」
「僕も……幸せだった」
史弥さんと過ごした何気ない毎日はとても幸せだった。彼も同じように思っていてくれたことが嬉しくて、涙が零れ落ちた。
知らなかった彼の想いを聞いて心の底から嬉しくなった。だけど、由弥くんがいる。切っても切り離せない存在の彼が。
「でも、由弥くんが」
「由弥は海外に行くことになってる。二度と聡真の前に姿を現すことはないから」
「そんな……僕のせいで」
「聡真のせいじゃない。由弥がそうすると決めたんだ」
本当に二度と会うことはないのだろうか。
「お二人は知ってるの?」
「ふたり?」
「お義父さんとお義母さん」
「詳しくは話してない。話せなかった」
「そうだよね」
「でも、聡真を傷つけたから二度と会わせることはできないと話してある」
「そうなの。ご両親と由弥くんは会えるんだよね?」
「会おうと思えば会えるけど」
「そう」
僕が関わったせいでご両親が由弥くんに会えなくなるというのは嫌だった。
「結論はすぐに出さなくてもいい。聡真がどうしても離婚したいと言うなら応じる。でも可能性が少しでもあるなら、俺とやり直す事を考えてくれないか?」
「……少し考えてみる」
本当は彼とやり直したい。でも、本当にやり直すことができるのか不安はあるし、僕だけが幸せになってもいいのかという思いがつきまとう。
「この近くにね、住むことにしたんだ」
「そう……なのか」
「ここ気に入っちゃったから、もしやり直す事になってもここを離れたくないんだけど」
そう言うと優しく笑って「聡真が住みたいところに住めばいいよ」と言ってくれた。やっぱり史弥さんは優しくて、好きだと思ってしまう。
「今日は帰るの?」
「そうだね」
「そっか……」
「そういう顔をされると期待してしまうんだけど」
「どんな顔?」
「寂しそうな顔」
帰らないでほしい。ずっとそばにいたい。気持ちが溢れ出してしまいそうで口を噤んだ。
「聡真」
立ち上がった史弥さんが僕の近くに来て腰を屈めた。キスされる。反射的に目を閉じた。
「いいの?」
慌てて目を開けると史弥さんが困ったような顔をしていた。
「ごめん、涙を拭おうとしたんだけど」
「そうだよね。ごめんなさい」
離婚の話をしているのにキスされるわけがないじゃないか。
「俺こそごめん。紛らわしいことして」
首を振って否定する。彼の目を見つめてどうしようもなく好きなのだと思い知る。両親から関心を得られなくなってから、他人に関心を持たないようにしてきた。そうすれば、僕に関心を持ってほしいなんて思わなくていいから。でも、本当はずっと寂しくて誰かを愛して愛されたかった。初めてだった。どうしようもなく惹かれて、愛されたいと思ったのは。彼を手離したら、僕は一生後悔するのではないか。頭では迷いがあるのに、本能的に彼を求めてしまう。別れたくない。
「やっぱり、僕は史弥さんのこと好きだよ」
「聡真?」
「史弥さんと離婚せず、僕だけ幸せになっていいのか分からなかった。でも、ダメだ。別れたくない。ずっと一緒にいたい」
史弥さんが目を見開いた後に優しく微笑んでくれた。それを見てまた涙が溢れた。
「愛してる、聡真」
「僕も愛してる」
どちらからともなく顔を近づけて、触れるようなキスをした。
「帰ろう、一緒に」
「でも……」
「休みの間だけでいいから、聡真と一緒にいたい。これからの事を考えよう」
「分かった。颯真さんたちにも言ってから行きたいから少し待って」
「店にいた人?」
「うん。行くところがなかった僕にとても親切にしてくれた大切な人達なんだ」
「そうか。俺からもちゃんとお礼を言わないと」
「ねぇ」
「ん?」
「もう1回愛してるって言ってキスしてほしい」
「聡真……俺は結構我慢してるんだけど」
「お願い」
「はぁ……俺の気も知らないで……。愛してるよ、聡真」
彼の顔が近づくタイミングで戸が開く音がした。目を開けて史弥さんと顔を見合わせて笑ってしまった。物語でありがちなシチュエーション。「ただいまー」と窺うような声の颯真さんにまた笑ってしまう。立ち上がって玄関に向かい「おかえりなさい」と言って出迎えた。
「そまー」
「紬希ちゃん」
手を広げる紬希ちゃんを抱きかかえると「スッキリした顔をしてる」と言って颯真さんは笑った。
「ご心配おかけしました」
「あの、改めまして」
「とりあえず、部屋の中でお話しましょうか」
また玄関で話し出しそうな僕たちは「そうだね」と言い合って、颯真さんとリビングへ向かった。
お昼時の店内は混雑していて、座敷を陣取っているのが申し訳なくなってくる。一応これから注文するけど……。
「先にお二人の分注文しちゃいますか?」
「いや、いいよ?一緒に食べよ」
「すみません。もうすぐ来ると思いますので」
チラチラと入口の方を見ては違ったと落胆する。ガラッと引き戸が開く音がした。今度こそと期待を込めて、視線を向けた僕は予期せぬ人物の登場に目を疑った。咄嗟に隠れようとしたけれどそんな事はできるはずもなく、その人は真っ直ぐこちらへやってきた。
「聡真」
「史弥さん……」
「聡真くん、この方?」
「いえ、違……」
「夫の小林史弥と申します。彼と話がしたくて」
「え?夫?」
キョトンとする颯真さんに何といえば良いのか分からない。
「うーん……ここでは話しづらいかもだし、俺の家に来ます?あっ、もちろん、俺達は別の部屋におりますので」
「聡真?」
彼の顔を見ることができなくて、小さな声で「お願いします」と呟いた。
「うん、オッケー。じゃあ、行きましょうか」
「すみません。お手数をおかけします」
「とんでもない。紬希帰るよ」
「まんま、まんま」
「ご飯はお家で食べよう」
「やっ、まんま」
紬希ちゃんの目が潤み始めて、泣き出してしまった。
「ごめんね、紬希ちゃん。すみません、颯真さん」
「悪いけど、ふたりで行ってくれない?鍵渡すし」
「颯真さん!?」
「ご飯食べたら追いかけるから」
「いやいや……別の場所で話します」
何を言い出すんだ、この人は?
「はい。じゃあ、ごゆっくり」
「ちょ……颯真さん」
紬希ちゃんを宥める颯真さんに強く言えず、鍵を受け取って立ち上がった。
「行きましょう」
「あぁ、うん」
引き戸を開けて外へ出た。照りつける陽射しが眩しくて俯いて歩いた。理由はそれだけじゃないけど。史弥さんは何も言わず僕のあとをついてきた。
話ってなんだろう。罵られたりするんだろうか。史弥さんからしてみれば、僕は不貞を働いたやつだ。慰謝料のことを考えないといけなかったのではないか?離婚届だけ置いて、直接謝罪もせずに逃げ出した自分は最低な人間だと思われているのだろう。あっという間に颯真さんの家に着いてしまった。入りたくない。でも、もう逃げることはできない。意を決して史弥さんに声をかけた。
「ここです」
渡された鍵を使って戸を開けた。靴を脱いで、見慣れた部屋へ彼と一緒に入り、ダイニングテーブルに腰を下ろした。
「あの……」
「すまない。トキさんは悪くないんだ」
「はい……」
顔を上げて彼の方を見た。よく見るとヒゲが生えていたりして、いつもの彼らしくない姿に驚く。
「離婚届に不備があったんですか?それなら、僕が預かって出しますので……。それとも慰謝料のお話でしょうか?あの、本当に」
「離婚する気はないよ」
謝ろうとした僕に被せるように彼が口を開いた。
「はい?」
「離婚する気はないと言ったんだ」
「聞こえてます。意味が分からないから聞き返したんです」
「君と由弥の本当の関係を由弥から直接聞いた」
僕と由弥くんの本当の関係?由弥くんの名前で記憶がフラッシュバックして両腕を擦った。
「彼はなんて?」
「自分が一方的に好きになって、関係を強要しただけだと」
「由弥くんが?」
「つらい思いをさせてごめん。助けてあげられなくてごめん」
首を振った。何も言わなかった僕が悪いのだ。
「僕こそ何も言えなくてごめんなさい。あんな事になって……ごめんなさい」
「聡真が謝る必要はないから」
あの時の史弥さんの顔が浮かんで、申し訳無さでいっぱいになる。
「聡真、俺は……」
「でも、離婚はした方がいいと思う。こんな僕と一緒にはいられないでしょう?それに、史弥さんには……」
本当に好きな人がいる。その人に向いた矢印がこちらへ向く日なんて永遠に来ないのだ。
「何?」
「……好きな人がいるでしょう?ずっと想ってる人が」
史弥さんが息を呑んだ。
「どうして?」
「由弥くんが言っていたから」
彼はため息を付いて真っ直ぐに僕の方を見た。
「確かに、ずっと忘れられない人がいる」
やっぱり。史弥さんの口から聞きたくなかった。顔を見るのが辛くなって視線を落とした。
「でも、俺は聡真のことを想ってる」
……僕の事を想ってる?顔を上げて彼に聞き返した。
「今、何て?」
「聡真のことを愛してる」
都合の良い夢でも見ているのだろうか?彼が僕に向かって愛してると言うなんて、そんな事あるはずないじゃないか。
「そんなのあり得ない」
「ずっと由弥に嫉妬してた。結婚という形でしか聡真を繋ぎ止めるものはないと思っていたし、聡真は由弥のことを好きだと思っていたから言えなかった。君を失うのが怖い」
「今さら……」
そんな事を言われても、離婚するしかないのではないか?誤解が解けたとはいえ、由弥くんに抱かれているところを見られている。それに、由弥くんは彼の弟だ。これからどうやって顔を合わせればいいというのか。
「ごめんなさい。やっぱり」
「好きになってもらえるように精一杯のことをやる」
「え?」
「君が俺のことを好きじゃないのは重々承知しているんだ。でも、やっぱり諦められなくて……」
「待って……」
「ん?」
「そんな事ない」
「そんな事ないとは?」
「ずっと前から僕は史弥さんのことが好きだよ」
「聡真が俺のことを?」
「でも、史弥さんは他にも相手がいたし。君のことを愛することはないって言っていたし。一生言うつもりはなかったんだけど」
「いや、他には誰もいないし。君のことを愛することはないって言ったのは深入りするのが怖かったのと、嫌がられたら諦めようと思っていたからで」
「どういう事?」
「俺はたぶん、初めて会ったあの夜から君に惹かれていたんだよ」
「初めてって……」
「君の初めてを奪った日」
「覚えてたの?」
「覚えてる。本当はあの時もう一度会いたいと思った」
「でも、史弥さんいなかったよね?」
「もう二度と会わないほうがいいと自分に言い聞かせたんだ」
「そうなの?」
「それなのに見合いの時に聡真がいた。めちゃくちゃ動揺した」
「そうだったの」
そんな素振り微塵も感じさせなかったから驚いた。
「由弥から何を聞いているか分からないけど、さっき忘れられないと言ったその人は、高2のときに付き合っていた人なんだ」
「付き合っていた人……」
「また明日と言って別れたんだ。でも、彼は不慮の事故で帰らぬ人となった」
「そんな……」
「彼を失った喪失感はなかなか消えなくて、それから人を愛することが怖くなった。どうしても別れが頭に浮かんでしまって」
「怖かったのにどうして?」
「月に一度君を抱いて、たまに顔を見ることができるだけでいいと思っていた。でも、聡真が廊下で倒れていたあの日、君を失うかもしれないと思って猛烈に怖くなった。泣いている君を見て側にいたいと思った」
「泣いていた?」
「熱に浮かされていたから覚えていないかもしれないね」
あの日のことはあまりよく覚えていない。トキさんがいると思って何かを言った気はするけれど。
「一緒に暮らすようになって、さらに聡真に惹かれていって気持ちに蓋をすることをやめた。たとえ聡真が俺のことを好きじゃなくても一緒にいられるだけで幸せだった」
「僕も……幸せだった」
史弥さんと過ごした何気ない毎日はとても幸せだった。彼も同じように思っていてくれたことが嬉しくて、涙が零れ落ちた。
知らなかった彼の想いを聞いて心の底から嬉しくなった。だけど、由弥くんがいる。切っても切り離せない存在の彼が。
「でも、由弥くんが」
「由弥は海外に行くことになってる。二度と聡真の前に姿を現すことはないから」
「そんな……僕のせいで」
「聡真のせいじゃない。由弥がそうすると決めたんだ」
本当に二度と会うことはないのだろうか。
「お二人は知ってるの?」
「ふたり?」
「お義父さんとお義母さん」
「詳しくは話してない。話せなかった」
「そうだよね」
「でも、聡真を傷つけたから二度と会わせることはできないと話してある」
「そうなの。ご両親と由弥くんは会えるんだよね?」
「会おうと思えば会えるけど」
「そう」
僕が関わったせいでご両親が由弥くんに会えなくなるというのは嫌だった。
「結論はすぐに出さなくてもいい。聡真がどうしても離婚したいと言うなら応じる。でも可能性が少しでもあるなら、俺とやり直す事を考えてくれないか?」
「……少し考えてみる」
本当は彼とやり直したい。でも、本当にやり直すことができるのか不安はあるし、僕だけが幸せになってもいいのかという思いがつきまとう。
「この近くにね、住むことにしたんだ」
「そう……なのか」
「ここ気に入っちゃったから、もしやり直す事になってもここを離れたくないんだけど」
そう言うと優しく笑って「聡真が住みたいところに住めばいいよ」と言ってくれた。やっぱり史弥さんは優しくて、好きだと思ってしまう。
「今日は帰るの?」
「そうだね」
「そっか……」
「そういう顔をされると期待してしまうんだけど」
「どんな顔?」
「寂しそうな顔」
帰らないでほしい。ずっとそばにいたい。気持ちが溢れ出してしまいそうで口を噤んだ。
「聡真」
立ち上がった史弥さんが僕の近くに来て腰を屈めた。キスされる。反射的に目を閉じた。
「いいの?」
慌てて目を開けると史弥さんが困ったような顔をしていた。
「ごめん、涙を拭おうとしたんだけど」
「そうだよね。ごめんなさい」
離婚の話をしているのにキスされるわけがないじゃないか。
「俺こそごめん。紛らわしいことして」
首を振って否定する。彼の目を見つめてどうしようもなく好きなのだと思い知る。両親から関心を得られなくなってから、他人に関心を持たないようにしてきた。そうすれば、僕に関心を持ってほしいなんて思わなくていいから。でも、本当はずっと寂しくて誰かを愛して愛されたかった。初めてだった。どうしようもなく惹かれて、愛されたいと思ったのは。彼を手離したら、僕は一生後悔するのではないか。頭では迷いがあるのに、本能的に彼を求めてしまう。別れたくない。
「やっぱり、僕は史弥さんのこと好きだよ」
「聡真?」
「史弥さんと離婚せず、僕だけ幸せになっていいのか分からなかった。でも、ダメだ。別れたくない。ずっと一緒にいたい」
史弥さんが目を見開いた後に優しく微笑んでくれた。それを見てまた涙が溢れた。
「愛してる、聡真」
「僕も愛してる」
どちらからともなく顔を近づけて、触れるようなキスをした。
「帰ろう、一緒に」
「でも……」
「休みの間だけでいいから、聡真と一緒にいたい。これからの事を考えよう」
「分かった。颯真さんたちにも言ってから行きたいから少し待って」
「店にいた人?」
「うん。行くところがなかった僕にとても親切にしてくれた大切な人達なんだ」
「そうか。俺からもちゃんとお礼を言わないと」
「ねぇ」
「ん?」
「もう1回愛してるって言ってキスしてほしい」
「聡真……俺は結構我慢してるんだけど」
「お願い」
「はぁ……俺の気も知らないで……。愛してるよ、聡真」
彼の顔が近づくタイミングで戸が開く音がした。目を開けて史弥さんと顔を見合わせて笑ってしまった。物語でありがちなシチュエーション。「ただいまー」と窺うような声の颯真さんにまた笑ってしまう。立ち上がって玄関に向かい「おかえりなさい」と言って出迎えた。
「そまー」
「紬希ちゃん」
手を広げる紬希ちゃんを抱きかかえると「スッキリした顔をしてる」と言って颯真さんは笑った。
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